第9話

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 なんだそれ、と思いながらも誠はグラスを合わせた。ガラスのぶつかり合う澄んだ音は、たちまちフロアの狂騒にかき消されてしまう。天音はグラスの中身がなにかもろくに確かめないまま、一気に呷る。  会社にいる時とは違って、天音はよく喋った。誠は心配になるほどのペースで酒を飲み、誠の言葉少なな話にさも楽しそうに聞き入り、店で出会った不思議な客や、同僚のホストのことを面白おかしく話してくれる。天音と話しているうちに、誠は自分の心がだんだんと解れていくのを感じた。  だが、最初に天音を見た時の苛立ちはいまだ心の奥底でくすぶっている。なにかきっかけがあった瞬間、それは耐えきれずに爆発してしまいそうなほどだった。  店を去るタイミングを逃し、ずるずると閉店間際まで居続けてしまった。そろそろラストオーダーの時間だ。  黒と白、そして差し色の赤。洗練された店内で、天音の美しい横顔がきらびやかな照明に照らされている。  やっぱり信じられなかった。これがあの、いつもなにを考えているのかよくわからない陰鬱な顔をした和泉(いずみ)周と同一人物だって?  天音はこちらを向くと、嘲るような笑みを見せた。 「どうします? 先輩」  忘れかけていた怒りが、ふっと腹の底に戻ってくる。なにが先輩だよ。会社では一度もそんなふうに呼んだことなどなかったくせに。会社では、俺のことを避けているくせに。  アルコールで上気した頬をゆるませて、天音が手を伸ばす。肩に置かれた手をなぜか振り払うこともできず、誠はまっすぐに彼を見つめ返した。 「先輩がもうすこし頑張ってくれたら、今夜のラストソングは僕のものになるんですけど」  こんなふうに煽られて、女は彼に金を使うのだろう。首を振り、肩に置かれたひんやりとした手を振り払う。 「お前に貢ぐつもりはない」 「僕に会いにここまで来たのに?」  くつくつと、喉の奥で笑う声がした。  図星だ。誠は天音と――周と会話をするためにここまでやってきた。酔いが覚め、幾分かひんやりしてきた誠の顔を天音がじっと見つめる。すべてを飲み込んでしまいそうなほど、真っ黒な瞳。漆黒の闇の中に、間抜けな自分の顔が映り込んでいる。 「先輩が好きなのはどっちですか? ホストとして生きる天音(あまね)? それとも……冴えない営業社員の和泉周?」  誠は怒りを忘れ、呆けてしまった。 「俺が、お前のことを好きだって?」  天音の瞳にいたずらっ子のような好奇心にも似た光がきらめく。主人の命令を待つ番犬のように、忠実に誠の言葉を待っている。 「まさか。俺がお前のことを好きなんてことは――」 「会社では話せないから、わざわざ店にまで来たんでしょ? 僕と話したくて、僕に会いたくて。ちがいますか?」 「……っ」  フロアの喧騒が遠く聞こえる。隣にいる天音から香ってくる、甘い石鹸のような香りにやけに心が乱される。  そんなはずはない。自分に限って、同性を好きになるなんて。天音のことを、和泉周のことを好いているだなんて。  膝の上に置かれた誠の手に、するりと熱い手のひらが絡みついた。天音が酒臭い息を吐いて、誠に囁く。 「先輩なら特別に、シャンパン一本入れてくれたらアフターしますよ?」
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