第1話

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第1話

 出社前。村谷(むらや)(まこと)は混み合う早朝のコンビニで、部下の和泉(いずみ)(しゅう)を見かけた。月曜日だというのに、その顔はすでに五連勤を終えたあとのようにげっそりとしていて、とても土日休みだった人間とは思えない様相である。  周はおにぎりの陳列された冷蔵ケースの前で手をさまよわせていた。目にかかるほど前髪は長く、ただでさえ前髪で隠れがちな瞳を黒縁眼鏡で覆っている。まるで周の頭上だけ雨雲がかかったように空気がどんよりとしており、終末感が漂っている。  同じ会社、同じ部署、そして直属の上司ではあるが、社外で気安く声をかけられるほどの間柄ではない。業務上必要な会話しかしたことがなく、誠は周がどこに住んでいるのかも、そもそも結婚しているのか、一人暮らしなのかすら知らなかった。  周は生白い手で鮭おにぎりを掴み取ると、夢遊病者のようなふらふらとした足取りでレジへ向かっていった。誠も一泊遅れて、昼食用のカップ麺と辛子明太子のおにぎりを手に取る。  会計を済ませて店を出る直前、誠は周の後ろを通り過ぎた。しかし、ついぞ声をかけることは一度もなかった。 ◇ ◇ ◇  誠は営業部のフロアを横切りながら、同僚や部下たちと挨拶を交わす。  大学を卒業後、新卒で損害保険会社へ入社して八年。誠は四年前に現在の支社の営業部に異動してきてから、三十歳の若さで管理職に就いている。上司からは一目置かれ、同僚からは慕われ、部下からは尊敬のまなざしで見られることも多い。自分でも自覚できるほど、恵まれた環境にいるといっていいだろう。  ひとつだけ欠点を挙げるとするならば、仕事の忙しさにかまけていまだ独身で、交際している彼女もいないことだろうか。二十代前半の頃は仕事が楽しく、結婚の二文字など考えたこともなかった。しかし三十歳になり、部下の間でも結婚する人間がちらほら出始めた頃から誠の意識は変わり始めた。  このまま仕事ばかりしていたら、一生独りで生きていくことになるのではないか?  そんな漠然とした不安が、誠の脳裏をよぎるようになったのだ。別に、今すぐ結婚したいと思っているわけではない。しかし、最後に彼女がいたのは学生時代までさかのぼることになる。結婚を前提とした交際は一度も経験がない。上司には「良い人を紹介してやる」と言われ、得意先でも誠が独身だと聞くと驚く人が多かった。  自分の中に徐々に焦りが生まれている。こんな歳にもなって、結婚を考える相手がいないのも、そもそも異性と結婚を意識して交際をしたことがないのもまずいのではないだろうか。  いっそ仕事と結婚できたらいいのにな。
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