※第10話

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 繁華街から離れ、街灯の明かりが少なくなってくる。通りに見える人もまばらだ。前を歩く周は、左右にふらふらと揺れながら歩いている。上機嫌なのか、アルコールが回っているだけなのか、判別がつかない微妙な足取りだ。肩からリュックの紐がずれ落ちても、気にせずに歩き続けている。  誠は周の少し後ろをついて行った。風に乗って、かすかな鼻歌が聞こえてくる。それは周が先ほどラストソングとして店で歌っていた歌だった。 「機嫌が良さそうだな」  誠は思い切って、周の背中に声をかけた。特に返答は期待していなかったが、周は鼻歌を歌うのをやめて、くるりと振り向く。 「当たり前じゃないですか」  相変わらず顔色は悪いが、唇の端がほんの少しだけ上がっている。 「だって村谷さんが俺の家に来てくれるっていうんですから」 「タクシー代を払うのがもったいないと思っただけだ」 「まともな金銭感覚で安心しました」  周はわずかに目を伏せて、そう言った。どういう意味だ、と返そうとしたが、誠が口を開く前に周は前に向き直って背中を見せてしまう。 「一晩で何十万と使って、泥酔してタクシーで帰っていく子がごろごろいる世界だから――でも、俺はあのどうしようもなく狂って……歪みきった世界が好きなんですよ」  周が立ち止まり、片手でリュックの外ポケットをガサガサと漁る。出てきたのは革のキーケースだった。キーケースの中から家の鍵らしき一本を取り出し、周は目の前のマンションに歩み寄っていく。どうやらここが、彼の住んでいるマンションのようだ。  誠はなにも聞くことができずに、黙って周の後をついていった。入口のオートロックを開け、エレベーターに乗り込む。周は毎日の繰り返しの慣れた動作で二十五階のボタンを押した。エントランスの造りといい、オートロックといい、立地といい、かなり家賃が高そうなマンションだ。誠の給料でも住めなさそうなところだが、ホストというのはそんなに儲かる職業なのだろうか? 「村谷さん」  呼ばれると同時に、身体が引っ張られる。ネクタイの先を周が掴んでいた。すぐ目の前に、周の顔がある。アルコール混じりの吐息が鼻先を掠め、誠は身を引こうとした。  首が絞まりそうなほど強くネクタイを引っ張られ、誠はバランスを崩す。慌てて伸ばした手が、ドンとエレベーターの壁を突いた。  唇に、なにか柔らかく温かいものが当たっている。湿り気があって、ほんのりとシャンパンと煙草の味がする。誠はそこではじめて気づいた。周のほうが、自分よりわずかに背が低いこと。人の体温が、こんなにも温かいのだということ。 「……っ!」  誠は渾身の力で周の身体を壁側に押し付けると、その手の中からネクタイを引き抜き、身を離した。唇にはじっとりと周の体温や少し荒れた唇の感触が残っている。 「なに、するんだ――」 「嫌でした?」  重たい前髪の下で、ふたつの目が誠を見ている。黙っている間にも、エレベーターはぐんぐんと上昇を続けている。 「誰か乗ってきたらどうするんだよ」 「誰もいないところなら、いいんですか?」 「そういうわけじゃ――」  しまった、と思った時にはもう遅かった。誠はすでに、周の手の中に落ちている。何度もがこうが、そこから抜け出すことはできないのだ。  馬鹿だった。同性だから家に行っても大丈夫だろうなんて思っている自分を殴りつけたくなる。いまの周は冴えない部下でも、No.1ホストでもない。弱ったふりをして、獲物がかかるのをずっと待っていた獣だ。  エレベーターの上昇が止まり、扉が開く。 「村谷さんが来るってわかってたら、もっとちゃんと部屋の掃除もしておいたんですけどね」  黙り込む誠の横を、周がするりとすり抜けていく。  暗く、笑みかもわからない歪みを唇に浮かべた周の顔は、なぜだかひどく扇状的なものに見えた。
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