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「寝室は隣にあるので、寝たかったら寝てもいいですよ」
「いや、いい。始発まで起きている」
「無理しないでください」
「寝てる間になにされるか、わかったもんじゃないからな」
誠がそう言うと、周は微笑みのような呆けたような表情を見せた。ガラステーブルの上にハイボールの缶を置き、誠のほうへ向き直る。
「村谷さんはどうなんですか?」
「どう、とは」
ちらりと周の顔を見る。彼の考えていることがいまいちわからない。
「俺のことが嫌い? それとも、俺が男だからダメなんですか?」
答えに窮する。そんなこと、考えたこともなかった。なぜ、周のことを受け入れられないのか。
誠は和泉周のことを嫌いだと思ったことはない。無論、好きだと思ったこともない。あくまで中立、好きとか嫌いだとかいう感情を持ったことがない。ただの部下だ。好きか嫌いかで問われたら「普通」ということになるだろう。
もうひとつの可能性を考える。周が同性だから受け入れられないという可能性だ。これは大いに関係してくるだろう。これまでの人生、誠は恋愛的な意味で同性を好きになった経験はなかった。いまでも機会があれば女性と交際したいと思っているし、いつかは結婚したいとも思っている。
では、周が女だったらいいのか? もし周が異性なら、自分は周のことを受け入れたのだろうか?
頭を悩ませる。しかし、はっきりとした答えは出ない。
もう気づいているんじゃないのか? 頭の中で、もう一人の自分が囁く。
少なくとも自分は、周に興味を持っている。その意外なまでの二面性に、心のどこかで惹かれている。もし周がホストなどやっていなかったら、ここまで彼のことが気になることはなかったはずだ。どこにでもいる、ただの大人しい後輩。出来も悪くない部下。その程度の評価で収まっていた。
「俺は……」
なんとか言葉にして伝えようとするが、上手くいかない。どんな言葉を尽くしたとしても、周の本心には届かないような気がしていたから。周は近くにいるようでいて、その実とても遠いところにいる。誠の手など、届きもしないようなところに。
ふっと、ため息を吐く音が聞こえた。それは周の口から漏れ出たものだった。
「すみません、馬鹿なこと聞いて」
周は立ち上がると、リビングから続く引き戸を開けた。暗闇の中にダブルサイズほどの大きさのベッドがぼんやりと浮かび上がっている。
「俺は始発まで出ていくので、ベッドは好きに使ってください。いくら明日が休みだからって、徹夜は堪えるでしょ」
周が黒縁眼鏡を外し、前髪をかき上げる。ワイシャツの袖のボタンを外すと、手首に残る火傷痕と高級な腕時計がちらりと見えた。
ああ、夜の顔だ。周が、天音に戻っていく。
誠は周が部屋から出ていくのを、止められなかった。自分に周を引き止める資格など、あるはずもなかった。
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