93人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
第14話
「なんで、来たんだよ」
誠は自分が夢でも見ているのではないかと思った。それほどまでに、目の前の光景には現実味がない。
いつもは前髪で隠れている切れ長の瞳が、まっすぐに誠を見据えている。
「それはこっちの台詞ですよ」
周が少し怒りをはらんだような声で答える。
「どうしてあんなこと言ったんですか? 村谷さんが罪をかぶる必要なんて、どこにもなかったのに」
周は自分を責めるためだけに家まで押しかけて来たのだろうか。曖昧な感情を持て余す。嬉しいような、悲しいような、行き場のない気持ちが胸の中に渦巻いている。
「お前、店は……」
誠は混乱するあまり、なにもかもをすっ飛ばしてそう尋ねていた。誠の願いはただひとつ。これからも周が天音としてなんのしがらみもなく生きていけること。それだけだ。
周は今度こそ呆れたように肩をすくめた。
「辞めてませんよ。というか、店長から引き止めに遭って辞められないんです」
それはそうだろう。天音は店で一番の売上を誇るNo.1ホストだ。一番の稼ぎ頭をそうやすやすと手放すわけがない。
「良かった」
「……え?」
ぽつりと漏れ出た本心に、周が眉をひそめる。
「良かった。お前の居場所が、まだちゃんとあって」
眉をひそめていた周が、はっと目を見開く。
誠は花のような香りがする、香水の甘ったるい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。周のつけている香水の香り。夜の香り。天音の匂い。誠がどうしても失いたくないと思ったものがここにある。いますぐ手を伸ばして、掴みたかった。もう二度と、手放さないように。ずっと手元に置いておけるように。
「村谷さんはどうするんですか……仕事、クビになるかもしれないって聞きましたけど」
「俺のことなんか気にするな。俺がやりたくてやったことなんだから」
「じゃあこの際だから聞きますけど」
周は言いながら、するりと玄関ドアの隙間から身を滑らせてきた。彼の背後でドアが閉まる。狭い玄関の中、至近距離で周と対面する。香水の香りに混じって、ほのかにアルコールと煙草の匂いが香る。
「村谷さんは天音としての俺しか好きじゃないんですか?」
「そ、れは……」
思いがけない質問に、言葉が詰まる。
「ホストをやってる天音が好きだから、かばってくれた――」
「違う!」
手を伸ばせば、すぐそこに周の肩がある。触れられる。手を伸ばす。細くて、少し頼りないその両肩を掴む。
「俺は、お前のことが好きだ」
最初のコメントを投稿しよう!