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寝起きの掠れた声で、誠が囁く。周は慣れた手つきで誠の髪を梳き、額に口づけを落とした。
「ただいま。遅くなってすみません」
「いま……何時だ?」
「二時になるところですよ」
誠がうんと伸びをして、ソファから身を起こす。その顔は眠たげで、いまにも上下のまぶたがくっついてしまいそうなほどである。
周は誠の隣に腰を下ろすと、肩を抱き寄せた。誠は抵抗らしい抵抗も見せず、周の肩に頭を預けてくる。
「時々、夢に見るんだ」
唐突に、誠が語り出す。
「何時になってもお前が帰って来なくて……俺はずっと、ここに一人で取り残されて」
周は黙って誠の話に耳を傾けた。誠はホストとして働く自分のことを好きだと言ってくれた。しかし、同時にホストとして働いていることが、誠に余計な不安を抱かせている原因にもなっている。周はいまの仕事が好きだ。多くの人に求められ、仮初の好意で満たされているだけだとしても、天音という生き方を捨てることはできない。ホストをやっていなかったら、誠とこんなにも親密な関係になることもなかっただろう。
天音として生きることを選択しなければ、誠に想いを伝えることもできず、根暗で陰鬱な会社員の一人で、誰にも見向きもされないまま生きていたに違いない。
「でも、俺はやっぱり好きなんだ。お前が、夜の世界で自由気ままに生きている姿が」
誠は自分でもどうしようもないというように、深いため息を吐いた。不安もある。だけれど、不安と同じくらい眩しさも感じている。誠の言葉からは、それが痛いほどに読み取れた。
彼を慰める言葉を、周は持たない。甘い言葉を吐けば、一時的な慰めにはなるかもしれない。しかし根本的な解決にはならない。
周は言葉の代わりに、誠と唇を重ねた。乾燥してざらついた唇を割り、舌を潜り込ませる。苦いビールの味と、店で呑んできたシャンパンの味が混ざり合う。強張っていた誠の身体から徐々に力が抜けていく。
飢えを満たすように、二人は夢中でお互いの唇を貪り、舌を絡ませ合う。誠の唇の端から混ざりあった唾液がこぼれていく。アルコールとは違う火照りが、肌に宿る。言葉はいらなかった。お互いの目を見れば、相手がなにを求めているのか、よくわかった。
「いいんですか、寝なくて」
「お前こそ、仕事帰りで疲れてるんじゃないのか」
形ばかりの問答を挟む。なにもかも、どうだっていい。いまはただ、誠が欲しい。きっと誠も同じことを思っているのだろう。
周はソファの上に誠を押し倒した。茶色がかった綺麗な瞳に、自分の姿が映り込む。誠となら、どこまでも飛んでいける気がした。すべてを飛び越えて、日常のしがらみを忘れて。
ただお互いの身体に溺れる夜がはじまる。
―完―
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