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「ソーダ割りにしようかな……村谷、お前は?」
梶山の声で我に返る。
「……俺も、同じもので」
隣に腰掛けた男はにっこりと笑うと、よく通る澄んだ声でオーダーを告げた。そして懐から名刺らしき長方形の紙を取り出す。黒い紙に白抜きで名前が書かれた名刺は、縁が金色に加工されていて高級感がある。誠が日々の仕事で配り歩いている名刺とはきっと単価も目的も違うのだろう。
「僕、天音っていいます。今夜だけでもよろしく、お兄さんたち」
天音と名乗った青年の顔をまっすぐ正面から見つめる。つい、いつもの仕事の癖が出て、反射的に両手でそっと名刺を受け取ると、天音は「仕事じゃないんだから」とひそやかな笑い声を上げた。見た目は誠よりもかなり幼く見えるが、喉の奥から響いてくる、不思議と深みのある声だった。
どこかで彼の顔を見たことがある……そう思ったが、その理由はあっさりと判明した。受付を入ってすぐのところに、天音の顔写真が飾られていたのだ。受付に面した通りには店に在籍するホストたちの顔写真がずらりと並べられていた。天音の写真は店に入ってすぐのところに飾られてあったはずだ。一度見た人の顔をきちんと記憶しておけるのも、職業病的なものだろう。
「今日はなんでうちに来ようと思ったんすか?」
鏡月のソーダ割りを飲みながら、天音がフラットな調子で尋ねてくる。誠は答えに窮し、ちらりと梶山のほうを見た。元はといえば、誠は梶山に連れて来られたのだ。一人なら絶対にこんなところには足を踏み入れていない。
「いや、まあ……なんて言うんですかね、ちょっと興味があったっていうか」
当の梶山も変に緊張しているのか、やたらと酒を流し込みながら言った。
「じゃあ梶山さんも、村谷さんも、ホスクラに来るの自体初めて?」
天音に問われて、二人そろっておごそかにうなずく。彼は二人の緊張を解くように、ふんわりと微笑んだ。子犬のような人懐っこい、甘い笑みに目を奪われる。同性である自分から見ても天音はかなり魅力的な男性だ。これは女性が放っておかないだろう。
「天音、さんは……」
「天音でいいっすよ」
やんわりと、それでいてごく自然に天音は誠の言葉を遮った。手の中のグラスに目を落とし、呼吸を整える。
なんでこんなに緊張しているんだ? たかが、若い男の子とすこし酒を飲んで話すだけだというのに。
「天音ー! 姫が呼んでるぞー」
はっと顔を上げた時には、天音はすでに席を立っていた。
「すみません、呼ばれたので行ってきます」
そう言って、天音はやけに含みのある笑みを見せた。その顔を、誠はどこかで見たことがある。
「僕、実はここのNo.1ホストなんすよ」
小さく手を振って去っていく天音の後ろ姿を見ながら、梶山が「売れっ子は違うな」とつぶやいた。
ぱっちりとした二重に、艶のある黒髪。女好きのする甘い笑みに、人の心を溶かす、柔らかな声。けれど、いくら記憶を辿っても誠は彼の姿をどこで見たのか、思い出すことはできなかった。
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