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そんなことする人ではなかった
プシュコマキア。西暦四百年ごろ、古代ローマ帝国の詩人プルデンティウスによって書かれた寓意的なラテン語叙事詩。忠義、寛容、慈愛、勤勉、分別、節制、純潔の七つの美徳が傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲の七つの悪徳を倒す物語だ。
幼い頃、母がプシュコマキアを題材とした童話をよく読み聞かせてくれた。その際、母は僕に「七つの美徳を持って、七つの悪徳を捨てれば、いずれは大成できる」と教えてくれた。
だから僕は『七つの美徳』を胸に抱いて生活をしている。決して『七つの悪徳』に踏み込むような行為は犯さないと胸に誓った。
「すみません、やってくるの忘れました」
後ろの席に座る梶咲くんは少し沈黙してから観念するように自白した。彼の謝罪を聞いて先生は仄かにため息をついた。
「なんで最初に言わなかったの?」
「それは……」
理由を話すのに困っているようで、また沈黙が続く。今度は先ほどよりも長かった。
「もういいわ。じゃあ前の鳳くん、答えてもらっていい?」
不意に僕に解答が求められる。緊張感のあるピリついた教室の雰囲気を壊すように「はい」と力強く返事をして、解答を口にした。無事に正解を答えられたようで、先生は座ることを促す。机にしまった椅子を引き、授業の邪魔をしないよう静かに座る。
いかなる時も熱心に勉強する。学校の宿題を疎かにするようでは美徳の一つ『勤勉』であることに真っ当できていない。むしろ悪徳の一つ『怠惰』であることになる。
宿題は必ず期限までに行う。これまで出された宿題は全てそうしてきた。
おかげで学期ごとに行われる中間、期末テストはクラスで三位以内。学年を通しても十位以内には入っているので、母の言ったとおり大成に一歩近づいているに違いない。
席に座ってもなお、気は緩めない。今は授業中。先生の話をしっかり聞いて、言われたとおり板書に書かれた字をノートに写す。それが今の僕に与えられた仕事なのだ。勤勉であるためにも一生懸命取り組まなければならない。各学期ごとの通知表は、後の高校受験に影響を及ぼす。意欲・関心・態度に支障が出ないよう、真剣に行うべきだ。
僕は先生がチョークで書く字を見ながら、シャーペンをノートに走らせていった。
授業が終わると、先生がノートを後ろから前に回すように促す。どうやら恒例の『抜き打ちノートチェック』を行うらしい。梶咲くんが宿題をやってこなかったのがノートチェックの後押しをしたのだろう。
クラスのみんなは渋々後ろから回ってきたノートの束に自分のノートを重ね合わせ、前の子に渡す。全員分のノートが先生に渡ったところで号令がかかった。
「鳳くん、ちょっといい?」
先生が前の席にいた僕へと声を掛ける。席を立ち上がり、先生の方へと駆けていく。
「なんでしょう?」
「休みの時間に申し訳ないのだけれど、ノートを運ぶの手伝ってもらってもいい?」
「いいですよ」
彼女の頼みに嫌な顔は一切せず、朗らかな笑みで答える。束になった四十冊にも及ぶノートを下から両手で掴み持ち上げる。前に流れていかないようにやや自分の方へと傾けた。
二人揃って廊下へと出る。
「いつも迷惑かけてごめんね。本当に助かるわ」
「いえいえ。力仕事は男である僕に任せてください」
「良い子ね。授業態度もいいし、宿題もちゃんとやっているし。鳳くんの親がどんな人か見てみたいわ」
「先生みたいな綺麗な人ですよ」
「やだ、もう。褒め上手ね」
先生と並列になって歩きながら雑談する。
勤勉は勉学だけではない。先生から言われた指示も僕たち生徒にとっては立派な仕事なのだ。だから僕は全うしなければならない。
それが大成に近づくための美徳になるのだから。
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