そんなことする人ではなかった

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 大学生活の四年間はあっという間に終わり、僕は社会人になった。  半年にも及ぶ研修が終了。今月から配属先の部署で業務を行うこととなった。 「やり直し」  新入社員である僕のアシストをしてくれることになった五年上の先輩の富岡さん。彼は僕の持ってきた書類を見ると、呆れたようなため息をついて素早く僕の方へと差し出す。風圧でパラパラとめくれた紙が僕の顔に風を送る。 「指摘点は全て反映しました。これ以上は修正しようが……」  弁解を口答えと捉えられたのか富岡さんの眉間に皺が寄る。 「鳳くんさ、俺が言ったことしかできないの? ロボットなの? これは君が任された書類だよ。俺の忠告を間に受けるんじゃなくて、俺がなんでその忠告をしたのか考えて自分なりにまとめるの。仕事っていうのはそういうことだよ。もっとちゃんとしてくれよ。せめて反論するならどの辺がダメとかだろ。何が『指摘点は全て反映しました』だよ。反映できてないから返してんだよ」  捲し立てるような話し方で説教する。僕は富岡さんの邪悪な雰囲気に意気消沈し、反論できないまま書類を受け取った。 「一時間後、また見せてよ」  席に戻ろうとすると、富岡さんが忘れていたかのように言葉を紡いだ。反抗できるはずもなく、「わかりました」と口にすると、彼は舌打ちする。どうやら、返事が気に食わなかったみたいだ。  席につき、口からゆっくりと息を吐く。短気な富岡さんに同調するように、僕まで怒りを顕にしてしまってはいけない。いかなる時でも、寛容であることを忘れてはならない。  どうしたものか。昨日は、自分なりに考えて書類を作成したら注意された。今日は、富岡さんの考えを反映したら注意された。彼は一体何を望んでいるのだろうか。  昨日の指摘点を見つつ、自分なりに考えて修正して提出した。それも富岡さんの納得できるものではなかった。だが、期日が迫っていたためか受け入れてもらうことができた。 「ありがとうございます」 「今回はあくまで妥協だから。次はもっと良いの作れよ。最後に一つだけ。仕事っていうのは努力を見てもらうんじゃなくて、結果を見てもらうもんだからな。頑張って考えましたアピールなんていらないから」  富岡さんの説教を最後まで聞き届け、なんとか八時に退社することができた。  書類を受け入れてもらうことができたが、まだいまいち富岡さんの怒っている理由がわからない。頑張って考えることの何がいけないんだろうか。 「鳳っ!」  会社を出てすぐ、後ろから大きく僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、同期の山中くんがこちらへと走ってきていた。同じ部署の彼とは会社で一番親しい仲だ。 「お疲れ。山中くんも今終わり?」 「ああ。今からどこかで飲まないか?」 「良いね。僕もちょうど飲みたいと思ってたところなんだ」 「決まりだな。少し離れたところだけど良い?」  山中くんの案内で居酒屋へと歩く。離れたところにしたのは、下手に近くの居酒屋で飲んでいると上司にばったり出会う可能性があるためだろう。  歩くこと十五分。ようやく居酒屋に着き、店員さんに案内されて席につく。互いにビールを頼むとすぐにジョッキにたっぷり入ったビールがやってくる。ビールがやってきたタイミングで山中くんは適当に料理を注文した。  互いにジョッキを持って乾杯し、口をつける。仕事終わりで喉が乾いているときに飲むビールは最高だ。特に一口目は喉の神経を強烈に刺激するので旨味を感じやすい。いつも一緒に飲んでいるためか「プハー」と息を吐いてテーブルに置くまでの動作がほぼ同じだった。それがなんだかおかしくて僕たちは笑みを浮かべる。 「それにしても、富岡さんは今日もイライラだったな。あの人、上に媚びへつらう分、下への当たりは強いからな。もう少しバランスよくやって欲しいもんだよ」 「まあ、社内や部署内で中間の立場にいる人はその辺苦労するんだろうな。この前、中間管理職になりたくない若者が増えているって報道されてたけど、それが原因かもな」 「そうかもな。でも、富岡さんの態度には納得がいかないな。あの人、仕事できるように見えて、実は全然できないタイプだろ」  山中くんは、やってきたモモ、カワ、カツの串を勢いよく食べる。仕事のストレス解消のため、僕と一緒に飲みに行く時は暴飲暴食に耽る。彼曰く、「重い食べ物は、三十代になると一気に食べられなくなるから、今のうちに肉類はたくさん食べておこう」とのこと。半年前に比べて山中くんの体格は若干良くなっている。対して、僕はビールを飲む分、料理は控えめに食べる。金銭的な面はもちろんだが、小さい頃から植え付けられた節制に今も従順しているのだ。 「とはいえ、僕たちより仕事できるのは間違いないよ。最初に厳しく教えることで後々楽にしようっていう魂胆なんじゃないかな。ほら、悪い癖がつくと直すまでに時間かかるじゃん。だから何の癖もない今のうちに良い癖をつけてあげようとしているんじゃないかな?」 「鳳は良いやつだな。あんな碌でもない上司を庇うなんて。怒られたばかりなのに」 「変えられるのは自分の態度だけだからさ。でも、富岡さんの言うことはたまに支離滅裂な時があるから、そこだけは勘弁して欲しいかな」 「違いない。そういや、カノジョとはどうなんだ? もうそろそろ結婚の話とか出ないわけ?」 「今はお互い忙しいからな。連絡は取り合っているけど、会える日数は日に日に減っていってる。そういった大事なことはもうちょっと落ち着いたら考えるさ」 「もたついていると他の男に取られちゃうぜ。会える日が少ない分、愛情が減っている可能性もあるしな」 「逆だよ。会える日が少ない分、愛情は増している。だから会った時はすごく嬉しいんだ」 「なーんか、自然に惚気話を聞かされちまったな。鳳が羨ましいよ」 「山中くんこそどうなの? マッチングアプリは上手くいってる?」 「ぜんぜん。せいぜいセフレが良いとこ。純愛できるやつなんていねえよ。向こうもたくさんの男たちから声かけられていることだしな。見ず知らずの一人に割ける愛情なんて限られているんだよ」 「なんて言うか、切ない話だね」  僕は串カツを一口頬張る。セフレと言う単語が出てきて、大学生時代の先輩を思い出す。卒業まで同学年はおろか一つ上、一つ下の後輩とも付き合っては別れてを繰り返していた。  話題も尽きたところで僕たちは互いにスマホを手に別のことをしていた。たまに話すくらいで視線はずっとスマホだ。 「げっ! 桐原和也、大麻所持の容疑で逮捕だってよ!」  飲み会もそろそろ終盤かと思われたところで、山中くんが下品な声を上げる。驚くと同時に口に溜まったガスが出たようだ。 「桐原和也って俳優の?」 「そうそう」  桐原和也は今をときめく大人気俳優だ。木9や映画などでたびたび主役を務めている。またSNSもやっており、フォロワーは三百万近くいたはずだ。 「は〜あ、富も名誉も手にした男がどうしてこんなくだらないことで人生を棒に振っちゃうのかね〜」 「強欲だったんだろうな。よくあることじゃん。全てを手にしたのに、さらなる欲を求めて犯罪に手を差し伸べてしまうっていう事例は」  締めに暖かい緑茶を飲んで息を吐く。ビールと水で冷たくなった体にはちょうどいい。一時の血の迷いで人生を棒には振りたくないな。やはり、分別は大事だ。 「でも、強欲だったからこそ、富も名誉も手にできたのかな」  ふと思った疑問が言葉に出る。山中くんは「そうだろうよ」と否定せずに肯定した。僕はそれに雑多に返事する。  溜まっていたストレスを消化でき、お腹も満たすことができた。これで明日も上手くやれそうだ。山中くんとの飲み会は嫌な気持ちを忘れることができるので好きだ。  店を出て駅に着くと、別の路線に向かうためすぐに別れた。  時刻は午後十時を回っていた。この時間の電車内は僕と同じく飲み会を楽しんでいた人々で溢れていた。服についた居酒屋独特の匂いが鼻腔を刺激する。  電車に揺られているとスマホのバイブ音が鳴った。いつものように果南からかと思ったが、予想とは裏腹に思いもよらぬ相手からだった。  メッセージは中学での成人式の際に作られたグループに投稿されていた。送り主は『梶咲 風馬』と書かれている。中学時代、よく教科書や宿題を忘れてきていた怠惰な生徒だ。内容を見てみると、近々開かれる個展の宣伝だった。掲載されたURLを開いてみると、近未来的にデザインされたホームページが映し出される。梶咲くんは美術界隈で有名なイラストレーターらしい。確かに、ホームページで見る絵はどれも常人が書いたとは思えないほど、表現力溢れる画力の高い絵だった。その凄さは素人の僕でもわかるほどだ。 「梶咲くん、こんなに絵が上手だったんだ」  酔っているためか電車内にも関わらず、独り言を呟いてしまう。ただ、線路を走る電車の音が騒がしく誰にも聞こえてなかったようで、反応はなかった。  梶咲くんのメッセージに対して『いいね』が多数送られる。中には「頑張って」とか「見に行く」と言う返事を送っている人もいた。  みんな自分の道を切り開いているんだな。僕も頑張らないと。その声は口から出ることなく心で呟いた。 『いいね』を送ることもなければ、返事をすることもなく、僕はスマホをスリープ状態にしてポケットにしまった。
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