そんなことする人ではなかった

7/11
前へ
/11ページ
次へ
「この書類、本当に修正した?」  翌日。後輩の柳くんが昨日チェックした書類の指摘点を修正したと言うので見せてもらった。書類は見るのも憚れるほど酷いものだった。未だにズレているレイアウト。何が言いたいのか分からない説明。指摘点をうまく飲み込むことができなかったみたいだ。 「はい。言われたとおり修正しました」  柳くんはさも当然といった表情で答える。どうやら、昨日言ったことは彼にはまったく届いていないようだ。 「ぜんぜんダメだよ。僕の言ったことちゃんと聞いてた?」 「はい。聞いてました。先輩の注意点を参考にしての結果です」 「僕を舐めてる? 昨日言ったことをどう汲み取ったらこんな書類になるの?」 「どう汲み取ったらって言われても、先輩の言ったことをそのままに。別に舐めてるわけじゃありません。ただ、修正したものを直して注意されるなら先輩の指摘不足なんじゃ」  まったく反省する様子を見せない柳くんに今日は何だかイライラが治まらない。山中くんがオープニング社員として新事務所で働く間も、僕はこんな使えない後輩の指導をずっとしなければいけないのかと思うと吐き気がした。 「レイアウト、ちゃんと綺麗にして。一ページ目と二ページ目でズレてるから。それと言いたいことは簡潔に伝えて。これじゃ、読む気なくす」 「十分短いじゃないですか。これ以上短くしたら逆に分からなくなりますよ」  口答えする柳くんに僕は頭の神経がプチンと切れる感覚に陥った。 「いいから指示に従え!」  そう言って、持っていた書類を柳くんに投げつける。紙特有のパンと弾ける音が閑散とした部屋に響き渡った。僕の突発的な怒号に柳くんは言葉を失った。「ごめんなさい」と地面に落ちた書類を拾う。 「口答えするんじゃねえよ。後輩なんだから先輩の言うことを聞いておきゃいいんだよ」  僕はぶつぶつ愚痴を言うように貧相な言葉を呟きながら自分の椅子につく。柳くんは何も言わず、書類を持って自分の席へと戻っていった。  どうしてこう上手くいかないのだろうか。僕の言い分は間違っていないはずだ。昇進した富岡さんの言っていたことに忠実に従って後輩に教えているんだ。僕が間違っていると言うのなら、富岡さんも間違っているし、彼を課長に昇進させたこの部署の課長及び部長も間違っていることになる。だからここにいる限り、僕は間違っていないはずだ。 「鳳くん、ちょっと来てもらっていいかな?」  机でメールチェックしながら考え事をしていると、僕の席に課長の大曽根さんがやってきた。僕は彼の指示に従い、椅子から立ち上がる。課長は僕を面談室へと案内した。 「さっき柳くんを怒鳴りつけていただろう。その後、彼が私のところに来て『担当を代えてください』って言ってきたんだよ。でもね、鳳くんも分かっているとおり、うちは人手不足だから今更別の人に代えることなんてできないんだ。だから、今の自分を改めて、もっと優しく教えてあげてくれないかな。アンガーマネジメントだよ。それを実践してくれ」  大曽根さんは両手を合わせてお願いする。僕は彼の行動を腹立たしく思った。お前が昇進させた富岡さんも僕を散々叱ってきた。僕に注意するなら、その前に富岡さんに注意しろよ。こいつは誰かが言わないと行動しないのか。自分から率先して行動する僕以下じゃないか。どうしてこんな怠惰な人間が課長を務めているんだ。 「すみません。どうやら今日は体調が良くないみたいです。午後休をいただいてもよろしいですか?」 「そ、そうか。体調が悪いと短気になってしまうのも無理はない。今日はゆっくり休みなさい」  大曽根さんは僕のでっち上げた嘘をまんまと鵜呑みにして承諾してくれた。どうやらこの人は部下をぜんぜん見ていないらしい。言われたことしかやらず、部下もぜんぜん見ない。典型的なできない上司だ。それなら、できない人財を昇進させてしまうのも無理はない。この会社自体ができない奴の集まりなんだ。そりゃ、後輩が口答えするわけだ。  なんだか本当にだるくなってきた。完全にやる気を失った僕は席に戻るとすぐさま帰宅の用意をして退勤した。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加