名前のない書物

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らせん【(はち)】    その次の日のこと。  リテル君は、学校がひけるとお友だちと遊ぶのもことわって、近くの待合所から市営バスにのりました。お母さんとお出かけしたことがあるので、バスにはなれたものです。  リテル君がおりたのは、らせん市のまん中のG**町でした。  リテル君はどうしてG**町にやってきたのでしょう。それは昨日の冒険、失敗した冒険のせいでした。  ニセモノがどうやって消えたのか。ゆうべはそのことを、ああでもない、こうでもない、と考えていて、眠れなくなってしまいました。おかげで、朝寝坊をして、お母さんにしかられるしまつです。  授業中も、あのことが頭からはなれずに、先生にちゅういされてしまいました。どうしてもなぞがとけないとなって、頭が爆発しそうです。  さて、皆さんがリテル君と同じ立場になったらどうしますか? なんとも説明のできない、怪談のようなできごとにそうぐうしてしまったら、どうすればよいのでしょう?  安心してください。そんなときには、たよりになる味方がいるのです。そう、リテル君が思いついたのは、その人の名まえでした。  皆さんも、かの名探偵トヱ・セコウ嬢の名声を、耳にしたことがあるのではないでしょうか。「幽霊博士事件」や「地底の魔術王事件」をお読みになった読者諸君には、説明はいりませんね。  その名探偵が事務所をかまえているのが、G**町のセコウ・ビルヂングです。ご存じのように、トヱ嬢は、らせん市市長のジュウハチロウ・セコウ男爵閣下のご令嬢です。ですから実業家でもある市長閣下ご自慢の、五階建ての、コンクリート造りのりっぱなビルヂングの最上階に、事務所があるのです。  さて、建物の前まで来てはみたものの、リテル君は、なかに入る勇気がどうしても出ませんでした。というのも、一階の、重そうな両開きの木の扉の横に、警備員さんが立っていたからです。警備員さんの、ものものしく、いかめしい顔つきに、気おくれしてしまうのです。  それに、大事なことにリテル君は気がつきました。いったい、探偵というお仕事は、依頼人がお金をはらってしてもらう仕事ではありますまいか。リテル君は外国の探偵小説を読んでいたので、そんなじじょうをよくしっていました。しかし、リテル君はそんなお金をもってはいません。ここへやってくるバスちんで、おこづかいの半分をつかい、帰るのにもう半分いるのです。  そんなわけで、すっかりおじけずいてしまったリテル君は、それでもあきらめきれずに、ビルヂングの前をいったり来たりしていました。そのたびに警備員さんが、ジロリとにらみつけてくるのですが、ついに、 「ちょっとそこのキミ! いったいなんだってこの前をウロウロしているんだね? お母さんはどこにいるんだね?」  と、おこられてしまいました。  そこで、じじょうをキチンと話せればよかったのですが、警備員さんの声があまりに大きかったものですから、リテル君はびっくりしてしまって、口がきけなくなってしまいました。こうなると、もういけません。 「なんだ、なんでだまっているのかね?」  警備員さんは、ますます大きな声でふしんそうにきいてきます。するとリテル君もますますしゃべれなくなって、しまいには泣きたい気持ちになってきました。そのときです。 「ねえ、警備員さん、そんなに言ったら子どもはびっくりしてしまいますわ」  そんなふうに、声をかけてくれた人がいました。リテル君はふりむいて、その人を見ました。 「そうでしょう? ねえ? キミ、なにかわけがありそうね」  そこには、やさしい目でこちらを見ている女の人が立っていました。やさしいけどよく光る、キラキラした目の持ち主で、鼻が高く、ほおはバラ色で、外国のお人形のようにととのった顔だちです。  すらりとした姿勢のよい女の人で、紳士がたのような男の人の背広を着ているのですが、それがまたふしぎなほど、よくにあっているのでした。 「よかったら、相談にのりましょう」  そういって、その女の人は、まるで大人にするようにていねいに、リテル君に名刺をさしだしました。その名刺をみてリテル君はビックリぎょうてんして、そしてなんだか安心のあまり、泣き出してしまいた。  だってこの人こそ、有名な名探偵トヱ嬢、その人だったのですから!! *  リテル君は、まるで夢のなかにいるような気分でした。いままでのったことなどないような、フカフカの革ばりの座席に座っているのです。  そこは、トヱ嬢専用の自動車の後部座席でした。黒塗りの、ピカピカに光った快速自動車で、町の景色がビュンビュンと、とぶように流れていきます。隣に座っているのは、名探偵トヱ嬢その人でした。  トヱ嬢は、ホンの少しリテル君の話を聞いただけで、すぐに車を用意させました。そしてこまかい内容を、車のなかでリテル君から聞きだしました。 「まあ、キミは勇敢な男の子ですね!」  有名な名探偵に、それもこんなキレイな女の人にほめられて、リテル君はくすぐったいような、気恥ずかしいような気持ちになりました。  やがて車は、速度をおとして、ゆっくりと走るようになりました。 「ここら辺りかしら?」  きかれたのでリテル君は、けんめいに外の景色、道や家や鉄塔や空き地をみくらべました。そして、ようやく、きのうニセモノを見うしなった路地に行きついたのです。 「ここです! ここで止めてください!」  そこは、まちがいなく、きのうニセモノのアイリス姉さんが消えた場所でした。凹んで行き止まりになった路地に、供養塔がポツンとたっています。  トヱ嬢とリテル君は、自動車をおりて路地に入りました。トヱ嬢は、興味深そうに回りをみまわしていましたが、そのよく光るかしこそうな目を、供養塔にむけました。顔を近づけてよくよく観察したり、しゃがんで両手で表面をなでたり、たたいたりしています。  リテル君にとって供養塔は、不気味で、あまりさわりたくないものでしたから、このトヱ嬢の、徹底的に科学的な態度、探偵法を見て、感嘆しました。  やがてトヱ嬢は、調べつくして満足したのか、ひとつうなずくと、リテル君に、いたずらっ子みたいに、ゆかいでしかたない、という笑顔をむけました。 「ちょっと、ここへ来てごらんなさい」  そういって、供養塔をコンコンとたたくのです。 「みてのとおり、これは石でできているね。これくらいの大きさだと重さは、そうだな、いまキミがのってきた自動車くらいはありそうだ。ねえ、キミ、この供養塔を、動かすことができると思いますか?」  リテル君は首をふりました。おとなが数人がかりで、やっとこさ動かせるくらいでしょう。もちろん、トヱ嬢にも動かせるとは思えません。あんなにほっそりとした腕なのですから!  ところが。  トヱ嬢は、両手をバンザイのようにあげて、なにやら呪文をとなえました。そしてその両手を供養塔にあてて、エイッとばかりに押しました。すると……。 「アッ!!」  リテル君は、思わず大きな声をだしてしまいました。なんということでしょう、さして力をいれているふうではないのに、あの石でできた重い供養塔が、音もなくスルスルと、横に動いたではありませんか!  ボウゼンとしてリテル君は、とくいそうなトヱ嬢の顔を見つめました。ニヤニヤとしていたトヱ嬢は、ついに大笑いしだしました。 「アッハッハッハ!  いや、しっけいしっけい!  キミを、バカにしているわけじゃあないんだ。これはおとなでもみやぶれない、とってもこうみょうなしかけなんだよ」  トヱ嬢はさもゆかいそうに、まるでリテル君と同級生のいたずらっ子みたいに、笑うのでした。 「とってもよくできているけど、これは、石じゃない。ハリボテだよ。木の板で形をつくって、その上に、かわくと石のようにみえる、とくしゅな塗料をぬっているんだ」  そして、小さなかわいらしいこぶしで、供養塔をコンコンとたたきました。 「本当によくできているねぇ! このニセの供養塔の下には、車輪がついている。それがふだんは、秘密のロックで動かないように固定されているのさ。うまくかくしていたけど、名探偵の目はだませない。ロックをはずすとーーこの通りさ」  トヱ嬢のうつくしい顔はイキイキとかがやいて、まぶしく思えるほどです。その顔を、供養塔を動かした場所に向けました。 「さて、こんな大胆なしかけをしてまでかくすなんて、この下にはなにがあるのかな? オヤッ、これは……」  トヱ嬢の声に、きびしい調子がまざりました。リテル君は、おっかなびっくり、供養塔に近づいてみました。するとどうでしょう、供養塔があった場所の地面には、たて穴が、ポッカリと、口を空けているではありませんか。  ソウッとのぞいてみると、穴は人がひとり通れるくらいの、はばがありました。少しせまい井戸みたいといったら、みなさんにもお分かりになるでしょう。底が見えているので、穴はどうやらすぐにいきどまっているようですが、そこから今度は横にむかって、続いているみたいです。でも夕方なこともあって、中は暗くて、よくわからなくなってきていました。  この穴は、どこまで続いているのでしょう。悪者の秘密のかくれ家にでしょうか。そのぶきみな穴からは、ヒンヤリとした、なんとも気色のわるい風が流れてきて、リテル君は、ゾーッとしてしまいました。 「なるほど……そういうことか……だとすると?」  トヱ嬢は考えこんで、ひとりごとをつぶやいています。真剣なトヱ嬢のお顔は、不思議なことに、いっそう、うつくしく、かれんになったように、リテル君には思われるのでした。
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