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「ドアが閉まります」
バスの運転手がいつもの様にアナウンスをして、目の前のバスのドアがプシューと音を鳴らして閉まる。
僕は毎日停留所に座ってその音を聞きながら、本を手に取ってバスを一本乗り過ごす。
楽がしたいだとかそんな理由ではない。いつも遅刻ギリギリに学校についているが、このバスに乗るだけで、余裕を持って登校する事だって出来る。
だけど、どうしても乗り過ごしてしまうのだ。
原因はもうすぐ聞こえてくるだろう。
タッタタッタと、これまた毎日耳に入ってくる聞きなれた軽い足音が、こちらに向かって駆け寄ってくる。
本を手に持った僕が、その音の先に目線だけ向けると、ふわふわと風になびく茶色い髪の女性がこちらに向かって走ってくる。
だが駆け足もむなしく、バスは彼女に気が付いていないのか、気に留める様子もなく時間通りに出発して行く。
「はぁはぁ……今日もダメだったか、って君もいつも乗り遅れてるね」
バスに間に合わなかった彼女は、少しの間自分の膝を支えにして息を整えてから、僕の横に座って声をかけてくる。
「そうですね、いつもあと少しなんですがね」
僕は彼女に向かって一度そう挨拶するも、我関せずを貫くように、言い終わったと同時に本に視線を戻す。
「……そうだよね。いつも私より先に着いてるもんね」
ふぅ、と息を吐いた彼女も、僕の態度に言及することなく。鞄の中から小さな手鏡を取り出して、バスを逃した事も気にせず、走って崩れた前髪を丁寧に整え始める。
これが僕と彼女の少ない会話。いつもなら『おはようございます』程度の会話しかしない様な間柄だ。
だが、この時間の為だけにこうして時間ギリギリまで待ってしまっているのだから、なんとも情けない話だ。
「……ねえ。私ってさ友達多いんだよね」
これで今日の会話は終わりかと踏んだ僕は、本格的に本を読み始めていたが、彼女は珍しく会話を続けてくる。
「えっと。そうでしょうね」
「うん、だからさ、さっきのバスに乗ってる人もいるんだよね?」
そんな彼女の行動に、手に持っていた本を鞄に直して彼女の方を見るが、彼女の視線は鏡の先に残っていたままだった。
「そうなんですね。だからいつも走ってるんですね」
「う~ん、そうじゃなくてね?」
僕は持ち合わせていた精一杯の愛想のいい返事をしたが、彼女は鏡の中に集中しているのか、濁った返事を返してくる。
「えっと?」
言葉をぼかす彼女に僕が疑問を返すと、一向にこちらを見ない彼女は顔を赤くして話しを進める。
「そのさ。毎日、ある男の子がバスをわざと乗り過ごすんだって」
「……はぁ」
(予想外だった。彼女の友達が先程のバスに乗っているなら、僕が間に合う時間に来ているのを知られていても、おかしくはない訳で……これってストーカー行為なのでは)
やっと自分がしていた事を実感した僕は、反省する様に体を前のめりにして下を向くが、そんな僕とは逆に、彼女はやっとこちらに体を向けて見て真剣な目つきで僕の目を見つめてくる。
「君、私以外の人と話してないよね?」
「はい……」
せめて彼女には誠実であろうと、反省しつつ僕は彼女の質問に真っ直ぐに答えるが、そんなのお構い無しに彼女は質問を投げ続けてくる。
「それって私に会いたいからとか……そんなんだったりするの?」
だが、誠実であろうと誓った筈だが、彼女のその質問に返答を出来るほど器用な人間ではない様で、僕は声が出せなくなってただ彼女に目線を返す。
「ごめん。やっぱり今の無し」
そのまま無言になってしまった僕に呆れてしまったのか、彼女は首を横に振ると、何事もなかった様に、言葉を取り消してしまう。
その様子を見て、僕は大きく息を吐き出して心を落ち着かせてから、彼女の後姿に向かってやっと返事を返す。
「あの!! 連絡先交換しませんか!?」
僕は精一杯の返答と共に、ポケットに入っていたスマホの画面を彼女に向けると、彼女は驚いた様な顔をしてから、声を出して笑いだしてしまう。
「あはは。うん。いいよ連絡先交換しよっか」
目に小さな涙を溜めるほど笑った彼女は、鞄からスマホを取り出して、僕のスマホ画面を読み取ってくれる。
だけど、僕は先程も言った通り器用では無い様で、一度蓋を開けたこの気持ちは止まらないまま。言葉を続けてしまう。
「……その、それと、好きです。お友達からでいいので、始めませんか?」
僕の言葉に彼女は固まってしまい。また少しの沈黙が生まれてしまうが、その言葉に返事するように、彼女は小さな右手を僕の頭にのせて、僕の髪を整え始める。
「え。えっと?」
「私の彼氏になるなら、寝癖ぐらい直してね」
「その、努力します」
「うん、これからよろしくね」
恥ずかしさのあまり、彼女の顔から目を反らして下を見ると、僕のスマホに彼女の名前が書いてあった。
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