第三章

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***** 「あの時俺、お前ん家行く前に家で母親と揉めててさ。怒鳴って家飛び出したんだ。だからめちゃくちゃ機嫌悪くてさ」 「……そうだったの?」 「あぁ。それで、どうしようもなくむしゃくしゃしてて。早く公園行って思いっきり遊んでスッキリしたくて。でも星夜遅いし、出てきたのは星夜の妹だし。自分より小さい子の扱いなんて知らないからずっとそこにいる夕姫にどうしたらいいかわかんなくて困ってた。それで、俺より小さいしちょっと怒鳴ればいなくなると思ったんだ。今思うと最低だけどな。でも、まさか怒鳴り返されると思ってなくてビビった」 「あの時は、本当にごめん。一人で溜め込んでたものを全部日向にぶちまけちゃったの」 「いや、謝るのは俺の方。完全な八つ当たりだった。本当ごめん。でも俺はあの時の夕姫が、かっこいいと思ったんだ。俺みたいな自分よりデカくて年上の男に怒鳴られても言い返せる強さが、かっこいいと思った。それと同時に、泣きながら俺のこと睨んで言い返してくるのを見て、"これ以上泣かせちゃダメだ"、"俺が守らなきゃ"って思った。初対面なのに、なんでかそう思った」 「……」 「目が覚めた気がしたよ。それまで何も考えずにただ思ったことを喋ってたけど、それじゃいつか取り返しのつかないことになるかもしれないって気が付いた。夕姫が泣いてんの見てたら、馬鹿みたいに動揺した。俺、なんでこんな小さい子泣かしてんだろうって。何やってんだって。年下の子に八つ当たりして泣かせて、最低だなって。だからその後、夕姫の機嫌が治って笑った時にその笑顔を見てギャップに惚れた。泣いた後だから目も鼻も真っ赤だった。それなのにあまりにも綺麗に笑うからびっくりして、可愛くてたまんなくて。心臓持ってかれたよ。その時のことが、今になっても忘れられないんだ」 「日向……」 日向がそんなことを考えていただなんて、全く知らなかった。 私の笑顔に惚れてくれたなんて、知らなかった。 あの時、私も自分があんなに泣くなんて思ってなかった。 多分初対面であれだけ号泣したからこそ、今でも日向の前では泣けるんだと思う。 日向なら、どんなに酷い泣き顔を見せても大丈夫だって思える。 あの時の感情のままに泣いた顔よりはマシだって自覚があるから。 日向なら優しく寄り添ってくれるって知ってるから。 日向になら、どんな私でもさらけ出せる。そう思うんだ。 でもそれって、もしかしたら結構すごいことなのかもしれない。 あの出会いが、私たちの今にちゃんと繋がっていたなんて。 自分でも、全然気が付いていなかった。 「だから、それからはなるべく夕姫に優しくしようって思った。また笑って欲しかったから、直接謝りたいと思って毎日星夜に約束取り付けるようになった。星夜には何も言ってなかったはずなのに、気がついたら全部バレてたよ。"お前、ユウのこと好きだろ?"って。そう言われた時、肝が冷えて冷や汗ダラダラだった」 「……なんで?」 「お前ら仲良かったから、もしかして夕姫にも言ってるんじゃないかと思って。でもアイツは夕姫には何も言ってなくて、ただ俺のことからかって面白がってるだけだったってわかってホッとしたよ」 「あぁ、そういうこと」 そういえば、子どもの頃何度か "ユウ、お前日向のことどう思ってんの?" って聞かれたことがあった。 当時はすでに毎日のように三人で遊ぶ仲だったから、 "もう一人のお兄ちゃんみたいな人かな" った素で答えた気がする。 "あいつも報われねぇなあ" なんて言って困ったような顔をしていたお兄ちゃん。もしかしたらそういうことだったのだろうか。 「でも最初は確かに星夜が黙っててくれて安心してたけど、夕姫があまりにも俺の事眼中に無いから逆に全部バラしてほしいって思う場面もあって。でもそれとなく聞いてもらったら俺のことはもう一人のお兄ちゃんとか言われるし。中途半端に仲良くなっちゃうと全然素直になれないしって拗らせて。……だから、お前が中学入ってすぐの時に彼氏ができたって聞いて、本当に人生終わったと思った」 「あ……でも、その頃って確か日向も女の子取っ替え引っ替えしてなかった……?」 中学に入ってからの日向は荒れてたのが落ち着き始め、その見た目の良さから次第にモテ始めた。 他校の女の子や高校生からもよく声がかかっていたらしいけど、当時は全部断っていたと聞いた。 だけど私が中学に入って入れ替わりで日向が高校に入ってからは、人が変わったように定期的に違う女の子を侍らせるようになった。 そのことで日向は女好きだっていう噂も流れて、日向を狙う人が格段に増えたんだ。 私が仲が良いのを知ってる人からは、何度も紹介してって頼まれたりもした。 その度にそういうのはって断ってたけど、次第に悪口を言われるようになってしまって。 多分それがトラウマになってしまい、今も頼まれるとなかなか断れない性格になってしまったんだと思う。 「それは……まぁ……あれだよ。お前が全然俺に興味無いくせに他の男と付き合うから……腹いせっつーか……俺に興味持たせたかったっつーか……まぁ全部無駄足だったけど。俺はガキだったから、そんなことしか考えられなかったんだ」 恥ずかしそうにこぼす日向に、驚きを隠せない。 「今になって後悔してるよ。あんなことしたって、夕姫は俺を見るどころかどんどん遠い存在になるだけだった。星夜にも"お前何してんだ、馬鹿か"って散々言われたよ。"好きなら逃げてないでちゃんと向き合え"って説教されて、自分でもわかってんのにどうしようもなくてイライラしたりもした」 「そうだったんだ……」 私、何も知らなかった。 当時、中学に入学したばかりの私に好きだと言ってくれた男の子と、告白されるがまま頷いて少しの間お付き合いをした。 手を繋いだくらいで、キスもしないまま三ヶ月ほどで終わってしまったものすごくプラトニックなものだったけれど、今思うと"異性と付き合う"ということに憧れていただけで、恋人というよりは友達の延長線上に近かった。 あんな子どもの遊びのような出来事が、日向を苦しめていただなんて。 「それからもお前が付き合う男はなんか癖があるっつーか、変なの多かっただろ。だからもう、俺の気持ちがどうとかじゃなくて、そのうちお前が変な男に引っかからないかの方が心配になってた」 「あはは……」 歴代の元彼のことはできれば思い出したくはないけれど、バラエティに富んでいた自覚はある。 そういえば、その頃も二股かけられたりしたっけ。あ、お金取られたりもした気が……。 私、つくづく男運無かったんだなあ……。 「夕姫は俺のことモテるモテるって言うけど、それ以上にお前の方が昔からモテてたから。だから毎日気が気じゃなくて、でも俺は彼氏でもなんでもないただの幼馴染ポジションだから、どうしようもなくて。そのもどかしさにまた荒れたりもした。全部自分の変な見栄とプライドが招いたことなんだけど、それを受け入れられなかったんだよな」 「……」 「だから物理的に夕姫から離れて冷静になろうって思って、都内の大学に進学して。一度は忘れられたと思った。だけど、夕姫も同じように都内に来て。また気持ちがぶり返しそうなところに、あの束縛男だろ? 心配で頭おかしくなりそうでさ。でもどうすることもできないから、正直就職した時に配属先が都内じゃなくて安心したくらいだ。それからは知っての通り」 日向のことは、大体なんでも知ってると思ってた。 だけど、本当は何も知らなかった。 日向がどれだけ私を想ってくれていたのかも、そのせいでどれだけ苦しんできたのかも。 彼氏と喧嘩したり別れたり、酷い目にあったり。そのたびに日向は私の心の奥底の悲しみに気付いて泣かせてくれたりした。"頼れるお兄ちゃん"でいてくれた。 その時、日向は一体どんな気持ちだったんだろう。 想像すると、あまりの切なさに苦しくて、どうにかなってしまいそうだ。 「年末年始に今でもお前ん家に帰省させてもらってるのは、おじさんとおばさんが顔見せてって呼んでくれてるっていうのもある。散々お世話になったことへの恩返しの意味もある。だけど、俺の一番の目的は夕姫に会うことだった」 「え?」 「夕姫が幸せならそれで良いと思ってた。夕姫が笑ってくれてればそれで良いと思ってたんだ。だけど、今は違う。……引くだろ? 小学生の時から拗れに拗れてこの歳になってもずっと引きずってんだ」 「引くなんて……」 「いや、引くよ。俺が一番自分に引いてるから。どんな女と付き合っても、やっぱり違うんだ。好きだと思えない。俺は夕姫じゃないとダメなんだよ」 日向は、そう言うとお茶をテーブルに置いて、私の顔を覗き込む。 「わかってる? ……俺、夕姫が思ってる以上にお前に執着してんだよ。やっと手に入れたからには……俺、やばいくらいに重いよ?」 ヒュッ……と。息が止まる。 「もう俺以外のことなんて見えないようにするし、もう嫌だって言われても一緒にいる。手放すつもりなんてない。一生俺の隣にいてもらう」 妖艶に微笑んだ日向が、私の頬に手を添える。 そんな愛の言葉が、縛り付けるような言葉が、プロポーズみたいな言葉が、嬉しいだなんて。 そんなこと言ったら、日向の方が引いてしまうんじゃないだろうか。 私も、私だけを見てほしい。 日向だけを見ていたい。一生隣にいたい。 そう思う。 日向以上に、私の方が重いんじゃないだろうか。 「こんな俺でいい? こんな俺だけど、受け入れてくれる? 付き合ってくれるか?」 その瞳は熱を帯びているのに、不安そうに揺れていた。 私は日向の手に、自分の手を添える。 「……よろしくお願いします」 そう微笑むと同時に降り注ぐキスが、今までのどんなものよりも熱くて、甘くて。 「ん……ふ……んん……」 激しいキスで息が上がる私に、荒々しく指で口を拭いた日向が口角を上げる。 「その顔、やばい。……今日はもう遅いから我慢して帰るけど、さ。次会った時は容赦しないから」 「……日向」 「お前のこと、溶けるくらいにどろどろに甘やかすつもりだから。……覚悟しといて」 熱を帯びた視線。 バクバクと高鳴る心臓は、私のものじゃないみたいで。 こくんと頷く私に、日向は心から嬉しそうに笑う。 「あー……やばい。夕姫が可愛すぎる。帰りたくない。けど夕姫に無理だけはさせたくない。……でも帰る前に、もう一回だけ」 お互い求め合うように、しばらく激しいキスを繰り返していた。
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