第四章

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翌朝、私は早朝に起きて朝ごはんを作り、お母さんと一緒に先に食べてから振袖の着付けをした。 「おはよーございまー……す……」 リビングに戻った時、ちょうど起きてきたらしい日向が私を見て固まった。 「日向、おはよう」 「……はよ」 「日向くん見て? ユウちゃん可愛いでしょう? 久しぶりだから私も張り切っちゃった」 「……あ、はい。すごい似合ってます」 「でしょう? ふふっ、日向くんも朝ごはん食べちゃってね、用意できてるから」 「ありがとうございます……」 日向はお母さんに返事をしながらも、視線はずっと私を見つめていた。 「……日向?」 声をかけると、日向はふわりと目尻を下げて優しく笑いながら 「振袖姿初めて見た。可愛い。似合ってる」 と私の頬に手を添える。 「ふふ、ありがと」 日向はそのまま私に触れるだけのキスをして、すぐに身体を離した。 「ちょっ……日向!」 こんなところでキスして、お父さんとお母さんに見られたらどうするつもりなんだ。 焦ってきょろきょろしながら小声で日向を責めるけれど、 「ははっ、かーわいい」 日向はそう笑いながらご飯を食べに行ってしまった。 からかわれたことが悔しくて、でもキスは嫌じゃなくて。 本当はもっとしてほしかった、だなんて。 そんなことを考えてしまうこの複雑な感情がただただ腹立たしい。 今日は午後から式が始まるため、それまでに私はヘアメイクのために近くの美容室に行く予定になっていた。 お母さんはどうやら着付けもヘアメイクも全部自分でやるらしい。改めてすごすぎると思う。 両親は私のためにタクシーを呼ぼうと思っていたようだけど、日向が美容室まで送ってくれることになったため車に乗り込んだ。 「悪かったって。謝るから許して、な?」 「……次あんなとこでしたら怒るから」 「はい。肝に銘じます」 さっきのキスのことをまだ根に持っている私に、日向は謝りながらもどこか嬉しそう。 私のヘアメイクが終わったらそのまま一緒に式場に向かうため、日向もスーツに着替えて綺麗にヘアセットをしていた。 運転中だけに見られる眼鏡姿も相まって、一段とかっこよくて見惚れてしまう。 「ん? 何か変?」 「ううん。かっこいいなって思っただけ」 「またそうやって、俺が手出せない時に限ってそういうこと言う」 悔しそうな声に思わず笑う。 美容室に着いて車から降りる時も、振袖が着崩れないように日向はわざわざ助手席まで回ってきてくれて手を引いて降ろしてくれた。 そんな紳士的な振る舞いも似合ってしまう日向に、今日何度目かもわからないくらいに胸が高鳴る。 そんな些細なこと一つ一つで、日向に対する"好き"が日に日に膨らんでいくように感じていた。 「じゃあ、俺一旦離れるけど、戻ってきたらここで待ってるから。行っておいで」 「ありがとう。終わったら連絡するね」 「あぁ」 日向に手を振り一度別れ、私は美容室へ入る。 その間に日向は一度私の実家に戻り、お父さんとお母さんを式場まで送ってくれるようだ。 昨夜ハンドルキーパー役を自ら買って出てくれたらしく、両親もありがたいと喜んでいた。 せっかくの親友の結婚式なのにお酒を飲まないのか聞いてみたら、 "酒飲むことが祝いのメインじゃないしな。夕姫のこと送りたいし。それに星夜だろ? 飲もうと思えばいつでも飲めるからいいんだよ。星夜にも言ってあるし" そう、なんてことないように言ってのけていた。 美容室で髪の毛をアップスタイルにしてもらい、綺麗にメイクもしてもらった。 終わる頃に日向に連絡をしたから、会計を終えてお店を出るとすでに日向が待ってくれていた。 私を見て、ふわりと微笑む日向と目が合う。 「似合ってる。綺麗だよ、夕姫」 「……うん。ありがと日向」 あまりにストレートに私を褒めてくれるから、照れてしまいそうだ。 再びエスコートするように差し出された左手に、そっと私の右手を乗せる。 そのまま助手席に乗せてもらい、車は式場へと出発した。 式場に着くと、まず新郎の控室に向かった。 「お兄ちゃん」 「おぉ、ユウ、日向。久しぶり」 「おめでとう星夜。良かったな」 「あぁ、ありがとう」 すでにタキシードに身を包んだお兄ちゃんはこれから新婦の控室に行くらしく、私も式の前に美春さんにご挨拶させてもらうことに。 新婦控室の中に入ると、純白のウェディングドレスを着た麗しい女性がいて、思わず見惚れてしまった。 「初めまして。美春と言います。貴女が夕姫さん?」 「あ、はい。初めまして。秋野夕姫です。兄がいつもお世話になってます」 あまりの綺麗な人に、一瞬固まってしまった。 「こちらこそ。昔から、貴女の話は星夜と日向くんからよく聞いてたの。会えて嬉しい。夕姫ちゃんって呼んでもいい?」 「はい。私も美春さんにお会いできて嬉しいです」 「ふふ、ありがとう」 日向の言う通り、美春さんはとても明るくて笑顔が眩しい。それだけですごくいい人なのがわかる。 綺麗で、優しくて、こんな素敵な人が私の姉になるだなんて。 嬉しい。そう思っていると、日向に気が付いた美春さんが声をかけた。 「日向くんも久しぶりだね」 「あぁ。今日はおめでとう」 「ありがとう。ね、日向くんには申し訳ないんだけど、今日和歌も呼んでるの。席は離れてるし、気まずくはないと思うんだけど。一応言っておこうと思って。ごめんね」 「いや、いいよ。二人が仲良かったの知ってるし。そうじゃないかなとは思ってたから」 初めて聞く"和歌"という名前に、思わず反応してしまう。 美春さんの友達、つまり女性。 日向とどういう関係の人なんだろう。 それを聞きたかったけれど、なんとなく学生時代からの友達の輪には入ることができず。 お兄ちゃんも含めて盛り上がる三人の姿を、私は無言で眺める。 「っと、もうこんな時間か。そろそろ行くか」 「……うん」 「じゃあ二人とも、会場で待ってるから」 日向の声に合わせて美春さんに会釈をし、控室を出る。 「二人とも、幸せそうだったな」 「……うん。美春さんとも仲良くなれそうで安心した。すごい綺麗な人だったから見惚れちゃった」 小さく笑いながら並んで歩いていると、 「夕姫、どうかしたか?」 と日向が私の顔を覗き込む。 「え?」 「なんか、元気無い。体調悪い?」 「……ううん。大丈夫。なんでもないよ」 なんとなく、胸の辺りがもやもやしていた。 そんな些細な変化にも気が付いてくれる日向。 いつもなら嬉しいと思うけれど、今は気付かないで欲しかった。 ここはお祝いの場で、こんなに嬉しいことはないはずなのに。 知らない女性の名前を聞いてしまって一人でもやもやしてるなんて、日向には知られたくない。 日向にだって友達はたくさんいるんだから、私の知らない交友関係だってもちろんたくさんある。 それはわかっているし、今まで特に気にしたことなんてなかったのに。 急に、女性の影が見えてしまったからだろうか。 なんだか、妙に気になって仕方ない。 日向は私の様子にあまり納得していないようだったけれど、お母さんたちと合流したためそこで話は一旦終わる。 日向に声をかける人の姿もあり、別れて会場に入った。 挙式は本当に感動的だった。 美春さんを見つめるお兄ちゃんの視線が甘くて優しくて、こんな表情をする人だったんだと初めて知って驚いた。 同時に美春さんも幸せそうに微笑んでいて、お似合いの二人だなと見ているこっちが笑顔になる。 そのまま披露宴会場に移動し、私はお母さんの隣に腰掛けた。 日向は新郎の友人席に座っており、高校時代の友達たちと楽しそうにやっている。 途中で目が合って手を振ると、優しく微笑んでくれてどきりとした。 披露宴は滞りなく進んでいった。 今まで友達の結婚式には何度か行ったことがあるけれど、親族の式はもちろん初めてだからそわそわしてしまう。 日向以外に知り合いもそんなにいないし、私は両親や親戚たちの間で静かに皆の様子を見ている時間が多かった。 二人の生い立ちや馴れ初めのムービーでは当たり前のようにお兄ちゃんと日向、そして私の三人が写っている写真がたくさん出てきて、懐かしくて見入ってしまった。 お兄ちゃんと美春さん二人きりの写真以外にはほぼ必ずと言っていいほど日向が写り込んでいて、それを見たお母さんが 「日向くん、どこにでもいるわね」 なんて言うから笑ってしまった。 友人代表のスピーチはもちろん日向だ。 事前に聞いていたから驚きはしないけれど、なんだか私まで緊張してしまってごくりと唾を飲み込む。 だけどそんな私の緊張はどこかへ飛んでいくほど日向はいつも通りで、二人の出会いやお兄ちゃんに救われたこと、学生時代も今もずっと仲良くしてくれることへの感謝の言葉が並んでいた。 お兄ちゃんは終始恥ずかしそうに笑っていて、美春さんもそんな二人をよく知っているからか本当に嬉しそうに微笑んでいた。 そして、日向が席に戻り新婦の友人代表のスピーチになった時。 「ただいまご紹介にあずかりました、新婦の友人の横山 和歌と申します」 その名前を聞いた瞬間に、消え掛かっていた胸のモヤモヤがまた現れてしまった。 控室で美春さんが言っていた名前だ。 じゃあ、この人が。 バーガンディのワンピースが上品で、切れ長の目がとても綺麗なアジアンビューティーの女性。 落ち着いた声色と優しい笑顔が本当に綺麗な人だ。 スピーチを聞くと同じ中学と高校に通っていた友人のよう。 つまり、お兄ちゃんとも日向とも同じ高校だったというわけだ。 美春さんがわざわざ謝るくらいだ。日向と何かあったのだろうか。 そういえばさっきのムービーで、高校時代の写真にはお兄ちゃんと美春さん、それから日向ともう一人知らない女の子が四人で写っているものが多かった。 もしかしたら、あの女の子が和歌さんだったんじゃ……? ちらりと日向の方を見てみると、真顔で和歌さんを真っ直ぐに見つめていて何を考えているのかはわからない。 胸のモヤがどんどん広がっていくような気がして、私は慌ててテーブルに置いてあったお酒を飲む。 一度深呼吸をして、もう一度和歌さんに視線を向ける。 だけど、やはり落ち着くことはできずにスピーチの内容は全然頭に入ってこなかった。
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