忘却の南柯の夢、東京タワーに馳せる(B面)

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 私は心底止めて欲しいと思った。しかし声がうまくでない。  「やめて……」  私は(さとし)に抱きついて、飛ぶのを邪魔した。杖が私の手から離れて床に落ち、カランカランと音がした。  「やめて……、怖い。本当にガラスが抜けたりしたら……」  (さとし)は私を小馬鹿にしたように笑う。  「抜けるわけがないだ……」  そこまで言って、(さとし)は笑うのを止めた。  (さとし)はしばらく動かず、じっとしていた。  私は、(さとし)のぬくもりを感じて、(さとし)が何も言わないのを良いことに、そのまま寄り添った。  満足でいっぱいの私に(さとし)が言った。  「母さん……」  私は(さとし)を見る。触れ合っただけでも幸せだったが、更に母さんと呼んでもらえたのだ。  「……あっ。母さん……って呼んでくれてありがとう」  私は嬉しくて仕方ない。  しかし(さとし)の表情は一気に曇った。  「でも、もう呼ばないから」  私は、それでも十分だった。  「1度でも良いの。嬉しい」  折角浮かれていたのに、私は(さとし)から身体を離されてしまう。  「それにしても、アンタぁ、ずいぶん軽いな」  仕方なく私は、杖を拾う為にしゃがむ。  「これってバツなんだと思う」  けれど体がよろけて上手くしゃがめない。本当に自分が格好悪いと思った。    私の頭の上から(さとし)が聞く。  「バツって何のバツよ」  私は笑って誤魔化した。  ――何でバツだなんて漏らしたんだろう。  私は言ってしまった言葉に後悔する。  ――バツというのは、幼い子供を捨てた事。言葉に出したら場が白けてしまう。    「うふふ」  「なんで笑うの」  ――いつも(さとし)に心の中で謝罪してきたせいかもしれない。それで、つい口から出てしまった。そんな自分が笑える。    「うふふ」  私は、笑って誤魔化すしかないと思った。  「笑うなよ」  私はしゃがんだはいいが、しゃがんだまま動けなくなった。私は立ちあがることもままならないのかと悔しくなる。息子を捨てた懺悔の気持ちと、不甲斐ない自分が相俟(あいま)って、自分に腹が立つ。思わず涙がポロリと出てしまう。  私は焦る。  ――顔に涙を這わせてはならない! 涙は床に落とすんだ。そして一刻も早く涙を止めて、化粧が崩れないように涙を拭き取らなければ。  そんな私を、(さとし)が身体を曲げて顔を覗きこんだ。    涙を見て(さとし)が言う。  「笑うなって言っただけなのに、今度は泣くのか……。参ったな」  私は顔(さとし)から背け、化粧が取れないように細心の注意を払って手で涙を拭い、杖の力を借りて立ちあがる。杖の先が何度か滑って、転びそうになる。こんな見っともない姿を(さとし)に見せる自分が限りなく恥ずかしかった。    それでも私はなんとか自力で立ちあがると、息を切らしながら言った。  「はぁ、はぁ。参ったな……かぁ。はぁ、はぁ。お父さんと同じ口癖ね。ふぅー」  私は参ったなと言う口癖を懐かしく思った。    「あ……、確かに……。親父と同じ口癖か。最悪だ。参ったな……、あぁ!」  (さとし)が父親に似ているのを嫌がる様子に、私はつい笑ってしまう。  「あの人は元気にしているの?」  「元気だよ」  「なによりね」
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