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聡が気まずそうに聞いてきた。
「なんで俺と親父を捨てたんだよ」
「ごめんなさい」
元夫との離婚の取り決めで、離婚理由や経緯を聡には言えない。
「理由を聞いているんだ。謝罪を聞きたいんじゃない」
「ごめんなさい。でも聡さんのこと、愛していたのよ」
「でも長瀬さんを選んだんだろう?」
私は長瀬のことも、元夫が聡に自分の都合の良いように言っているのだと思った。
でもそれについても、元夫との取り決めで話せない。私に出来るのは身を縮めて謝る事だけだった。
「ごめんなさい」
焦れたのか聡が言う。
「ごめんなさいを、オウムみたいに繰り返すなよ。もういいよ。もう理由なんて聞きたくない」
けれど私は繰り返す事しか出来なかった。
「ごめんなさい」
聡は「……もう降りよう」と言った。
「そうね、私、疲れたみたい」
私はそろそろ体力の限界だった。
私たちは降りエレベータに乗る。
エレベータのボタンを押しながら聡が言った。
「帰りは電車で帰るから。送らなくていいよ」
「一人で大丈夫?」
「アンタたちは、ホテルとかとってあるんだろう? ホテルに戻って、早く休んだ方が良いよ」
疲れで頭が回らなかったせいだろう。私はつい本当の話しをしてしまった。
「……ホテルじゃなくて、都内の病院に戻るのよ。実は聡さんに会うためだけに東京に来たんじゃないの」
聡が憐れみの表情を見せた。
「何処の病院に入院しているの?」
聡は、元夫とは違い根は優しい子だ。だから心配させたくなかった。なのに、私は言ってしまったのだ。なんとか有耶無耶したいと私は思う。
「それは言わないでおくわ。もう聡さんと会う事はないから」
しかし、私の有耶無耶作戦は失敗したらしい。更に聡を不快にさせたようだった。
「勝手だな。さっきは話したくないって言ったよね? なのに、別れ際になって気になる事ことを小出しに言う。そんなに俺の気を引いたいのかよ!」
「そんなつもりじゃ。話の流れでつい……」
聡の心に火が付いてしまったらしい。こうなると手がつけらえない事を私は知っている。
「アンタは勝手に会いに来て、約束を果たしたらもう会うこともないと言った。聡の気だけ引いて、突き放す。折角今までアンタの事を忘れていたのに、思い出させてまたそっちの都合でサヨナラかよ」
「……そうね。ごめんなさい。私、つい……」
謝るに限ると私は思ったのだが、しかし聡はまだ怒っている。
「それに俺は病院の名前を聞いただけだ、会いに行くなんて一言も言ってないよ。自惚れるな!」
私はつい言い訳した。
「……確かに、そうね。でも、私。聡さんの記憶どころか、世の中から消えてしまうかもしれないから。お見舞いされたくなくて……」
「アンタは俺に嫌味を言っているの?」
私のくだらない言い訳のせいで、余計に聡を怒らせていく。
私はもうどうして良いか分からない。元夫にもこう言うふうに怒られたなと、昔を思い出す。私は、元夫と聡は性格が似てるなと、今更ながらに思う。
私は捨て身で、素直な気持ちを言う事にした。
「嫌味じゃないの。治療の成功率は10%しかないの。これでダメなら、私は消えることになると思う」
「そんなに悪いのか……」
聡は声が小さくなった。
「治療を始めたら治療の副作用で、私は弱っていく。オムツして、点滴うたれて、管を通されて……。そんな惨めな姿を聡さんに見られたくないのよ」
私の言い分に、聡はまた怒り出す。
「何だよ。その理屈は」
「ねぇ、今はまだ、私は綺麗でしょう? 綺麗なままの私を聡さんに記憶して欲しかったの」
私の本当の気持ちだ。
紙おむつをした哀れな姿を、高校生の息子に見せたい母親はいるなら、教えて欲しいと思った。
しかもそれがもしかしたら、息子が見た母親の最後の姿になるなんて酷すぎると、私は思う。
だから私は聡に主張した。
しかし聡は私の主張に納得をしていないらしかった。
「言っていること分からないよ。アンタの言っていることもやっていることも、全然理解出来ないよ」
「聡さんの記憶の中では綺麗なママでいたいのよ。でももし治療が成功して、元気になれたら。綺麗なママに戻れたら、またこうして……」
聡は私の言葉を遮った。
「次の約束はしない。父さんに悪いから……。たとえアンタが病気で苦労していても、男手一つで育ててくれた父さんを裏切れない。父さんが可哀想そうすぎる。アンタと会うのはこれで最後だ」
聡の言葉の言い終わりに合わせたかのようにエレベータが止まるり、ドアが開いた。
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