状況

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状況

夢をみた。 それは僕がまだ父と母、3人で生活していて、仲の良かった時の姿だった。 小さな町工場を経営していた父。 それを手伝う母。 祖父の頃からの工員さんが2人居て、経営はギリギリだったし、裕福じゃなかったけれど、皆んな仲が良く平凡だけどとても楽しく幸せな家族だった。 ある日、父の幼馴染という人が現れてから状況が一変した。 父の人の良さに漬け込み保証人にさせられ、挙げ句の果てにその借金を押し付けられ、工場は破産。 何とかやって行こうと家族で話していた時に父が自殺して僕と母は親切にしてもらった近所のおばあちゃんの娘夫婦が生活する、郊外の家の別邸を借りて慎ましやかに生活していた。 名前も母の旧姓に変え、同じ歳だった大家の息子と一緒に学校にも通った。 父が亡くなったあの日、集団登校の時間に遅刻していた僕は、慌てて玄関で靴を履いていた。 父は「頑張ってこいよ」と声を掛けてくれた。 その時の笑顔は苦労しているにも関わらず、何かを吹っ切った様にも思えた。 今にして思えばだけど、選択肢を決めて楽になった感じだったのかもしれない。 それなのに僕は返事もせずに無視して登校したんだ。 その前日に借金取りの執拗な嫌がらせに、父親を責めたてて ”お父さんなんて大嫌いだ” なんて言ってしまった事が今でも頭によぎる。 父はどう思ったのかな… ”頑張ってこいよ” の言葉がいつも繰り返し繰り返しその場面を夢で見ては僕の胸を締め付けて、朝目覚めると瞳から涙が溢れて胸が痛くなるんだ。 後悔して後悔して後悔する。 いつも同じことの繰り返し。 お父さん、ごめんなさい…ごめんなさい…ごめん… こうしていくら心の中で謝っても返事は返ってこない。 息が荒くなってパジャマの上から胸を掴んで起き上がった。 「はぁ…はぁ…」 父の笑顔が頭に張り付いて離れない。 これはあの時の罰なのかな? ここ何日か自分の家ではなく”運命の番”だという勝利君の家にいる。 家にいる、と言ってももう殆ど監禁状態だ。 会社で倒れた時にいたタワーマンションらしき所から、寝ている間にどうやって来たのか、場所もよくわからない一軒家の様な場所で目が覚めた。 この家は高台に立っているらしく部屋の窓から見る景色はたぶん山の中腹辺りで、僕が見る限りでは高級住宅街といった感じだ。 ただ、外には格子状の鉄柵が嵌め込まれていて、窓を開けても僕は外へ出られない。 なんなら、この部屋からも外に出られない様に鍵がされている。 冷蔵庫はあるけど、料理など出来るキッチンなどはなく、三食の食事は30歳前後の綺麗な男性が運んできてくれる。 彼は勝利君の秘書らしき人物なのだが、何を話しかけても困った様な顔をするだけで、答えてはくれない。 なので、彼は食事だけを置いて出て行く。 「今日で何日目だろう…」 濡れた目元を拭いながら押さえつけたパジャマが皺になっているのに気がついてゆっくり指を離した。 ベットサイドにある水差からコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。 あるのはテレビだけで、スマホも取り上げられて、毎日運ばれるパジャマと下着と三食の食事だけ。 「やっぱりこれは”あの時”の罰なのかもしれない…」 確かに彼のフェロモンはわかる。 眩暈がするほどの強烈な香りには違いない。 でも他のフェロモンがわからない僕にとって、αのフェロモンなだけであって”運命”のフェロモンなのかはわからない。 この間、彼に乞いて欲しがったのは僕のΩ性がヒートを起こしたからなのだろうか? 「僕の初めてが運命…」 中学での二次性徴の講習で”運命の番”は奇跡に近い存在だって言ってたはずだ。 あんな圧倒的α性の、しかも五十嵐って言えば創業家の名前じゃなかったかな? 僕の会社はその会社の子会社の子会社のグループ企業のひとつに過ぎない。 「跡取りで時期社長とかってないよね…」 母は郊外の家でパートをしながら細々と生活している。 仕送りがないと困るのに、僕はここにこうしてじっとしているだけで仕事にも行けない、連絡もできない、そして今は自由がない。 僕が何をした? 父がああなってから、決して目立たず、地味に生きて来た、自分はΩにも関わらず、彼らの様に容姿が見目麗しいわけでも、何かに優れているわけでもない。 なのに例え運命であろうとも、僕がここに閉じ込められて良いわけではない、Ωだから、αの言い分が全てじゃない。 しかもあれから勝利君には会えていないし、ここから出る手立てもないままなんだ。 「嫌な汗かいちゃったな…」 ベットから立ち上がり風呂場に置いてあったパジャマを確認して浴室に入った。 色んな汗と父の思い出を洗い流そう、ここに来てからか、仕事に行かなくなったからか、考える時間が増えるとダメだな… 自分の不甲斐なさが身に染みてきた。 シャワーを浴び終えて外に出ると部屋に人の気配がした。もしかしてとパスロープだけ羽織って部屋に戻るとソファに座りこちらを見ている勝利君がいた。 「久しぶり、遥」 何が久しぶり? なんだか沸々と怒りが湧いてきて飛びかかる勢いで彼の胸ぐらを掴んだ。 「ここから出して!僕には僕の生活があるんだ!何の権利があって僕をここに閉じ込めるんだよ!」 昔ならともかく今はもうα優先の時代じゃない。 ”運命”だから何をしてもいいなんて思ってないよね? 「へぇ、遥って結構自分の意思あるんだ」 「あっ…当たり前だろ、これでも立派な社会人だぞ!」 「ふぅ〜ん、じゃあ力ずくで出ていけばいい、止めないよ?」 飄々とした顔をして僕を見た。 やれるもんならやってみろって事? 益々ムカついてきた。 「あ、それから遙のお母さんには俺と番う事、承諾してもらったよ」 悪ぶる風もなくしれっと彼が言ったので、それを聞いた僕はびっくりしてしまった。 「え?なに?どう言うこと?」 「挨拶に行って来た、僕が大切にしますって。お母さん泣いて喜んでたよ『よろしくお願いします』って」 「は…母に会ったの?」 「結納金も払って来た、もう遙の荷物もこの家に運び込んである。後はヒートが来た時にうなじを噛めば番だよ」 ダメだ…もう外堀埋められて僕の逃げ道ないじゃん… 怒る気力もなくなって、気がつけば目から涙が溢れて止まらなくなっていた。 やっぱりこれは”あの時”の罰なのかな? これが僕の償いになるのなら、僕がこの世に存在する意味があるのなら、彼の手の中に囲まれても良いのかもしれない…。 「遥の帰る場所はもうここしかないんだ、諦めて」 零れ落ちる涙を彼の手が優しく拭いとる。 「泣かないで、ちゃんと大切にする。俺のことは信用しなくていい、でも大事にしたいって気持ちはわかって」 「僕は…もうここから出られない?」 「逃げない?俺から逃げないって誓える?」 「逃げる?だって僕にはもう帰る場所なんてないじゃん」 うなじにそっと手を当てて本当に笑っているのかわからない程不気味な笑顔で彼は言葉を繋げる。 「そうだね、遙のうなじを噛んでからなら外に出てもいいし、なんなら仕事をしてもいい、まぁその場合は俺の近くでってことにはなるんだけど…」 外堀が埋まっている以上、僕が何をしてもダメな気がしてもうどうとでもなれ、なんて他人事のように考えている。 僕は不遇のΩだから、一生1人で過ごすしかないと思っていたけど、相手が男性だとは思っても見なかった。 ただ、本能でもう逃げられないんだろう事は頭の中ではもうわかってる。 「君と…番うよ…だから仕事はさせて欲しい」 枯れ果てることのない涙が彼の手に落ちていく。 何もない自分は嫌だ、僕の存在意味を少しでも感じられる場所が欲しい。 「いいよ、次のヒートが来たら番になろう。」 僕はもう逃げられない、絡め取られた腕の中で鍵のはめられた檻に閉じ込められ続けるしかないんだろう。 窓の外では小粒の雨がベランダの床を塗りつぶしていく。 寒くもなく、雨にも濡れない、そんな場所にいるだけで幸せじゃないか…なんて諦めにも感情が胸の中を覆い尽くしていった。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 次の日、ようやくいつも荷物を運び込んでくれている人との会話が実現した。 「何度もお会いしているのに紹介が遅れました」 優雅な仕草で手を差し出す。 「五十嵐の秘書をしています、平野と申します」 「こちらこそよろしくお願いします」 少し冷たい手の感触ときつめな一重の瞳、綺麗な形のほどよい唇、緩やかなカーブを描いた茶色の髪は染めていると言うより、天然な感じ。瞳の色も薄い茶色で、肌も真っ白だから、どこか異国の血でも混じっていそうだ。 そんな彼の横に大柄な男性が立っていてこちらを見ている、誰だろう? 「これから遥様のお世話係をいたします結賀です、家事、雑用、運転手、後護衛も務めます」 「初めまして、結賀透と言います、何かあったら声をかけてください、よろしくお願いします」 わぁ、背が高い。 たぶん勝利君より高いんじゃないかな?で、筋肉モリモリな感じ。 こんな人が家事とかできるのかな? しかも結構なイケメンさんだ! 「こちらこそ、安積遥です、よろしくお願いします」 「遥様、家の中ではご自由にして頂いて構いませんが、五十嵐が番うまでは外には出るな、とのことなので。それと…遥様は”不遇”だとお聞きしていますが、一応彼はβですのでヒートの時の対応等も心得ております、異変がありましたらなんなりと彼に声掛けしてください」 平野さんから彼を紹介してもらった後、家の中を案内してもらった。 ここにある場所はわからないけど、どうも都内から少し離れた郊外の一軒家で、高台に建てられているようだ。 地下一階、地上三階建て、一階には駐車場と玄関の横に広い洗濯室。 二階はリビングにトイレにキッチン、浴室には外から見えないよう柵のされた露天風呂がついてある。高台だけあって外の景色は抜群に綺麗だ。 この間まで監禁されていたのはΩ用のヒート部屋だそうで もちろんその部屋にはシャワーしかなかったので、二階の浴室は外から出られない僕にとって少しの楽しみになりそう。 3階はそのヒート部屋と広めのベットを置いた寝室と何も置いていない部屋が2部屋とトイレがある。 ここって保養所とかですか?って平野さんに聞いたら 「あなたの為に五十嵐が用意した家ですよ」 と言われてしまった。 そこでなんだか色々疲れてしまって2人に声をかけ寝室で休ませてもらうことにした。 大きなベットに身体全部を預けるように倒れ込んだ。 この数日で散々な目に遭った。 僕は勝利君の事を番として見れるのかな? その相手として好きになれるんだろうか… そんな事を考えながらうつらうつらと眠気が襲い、自然と目元が落ちていった。
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