終夜 奉献乱舞

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終夜 奉献乱舞

夜明けの風は清らかで、一筆では表しにくい色を滲ませて、志路家と玖坂家の行方をふれ回る。 町民が行き交う大通りに立て掛けられたそこには、「両者相討ち。無血戦にて、玖坂元史、志路兼景に降り、副将となる」と、いう内容が書かれていた。その知らせは国中を駆け巡り、例外なく、志路家にも届く。 「…………っの、小娘が!!」 津留のお方さまの機嫌は最悪に傾き、奈多姫は絶望にうちひしがれたというが、この戦において、悲しみや怒りを持ったのは彼女たち二名のみだと、周囲は口に出さずとも知っていた。 夫や息子が怪我もなく帰ってくる。こんな嬉しいことはない。無血の戦で済むのなら、それで決着がつくのなら、八香家万歳と唱えるものさえいた。 「懐かしいな、野菊」 「わらわはもう忘れんした」 「お主は敵将の首を掻き切ったが、なるほど、娘は受け入れたようだ」 「…………バカな子」 「国はまたでかくなる。何人の武将を手玉にとるのか、将来有望ではないか」 上に乗っていた野菊が降りて、二人とも臼衣を羽織る。通した袖は張りのある音を出したが、両者の顔は正反対にも見えた。 「野菊、今日は帰れ。迎えにいかせた娘の勝利を祝うのだな。後で褒美を送ろう。好きなものをねだらせるがよい」 「ありがたきお言葉にございます」 「あまり叱ってやるなよ」 それだけを告げて敦盛は行ってしまった。 大方、息子の帰還を歓迎しに行ったのだろう。そのあとはイヤでも想像がつく。 奈多姫を引き連れた津留が押し掛け、早々に正室へ迎える宴が開かれる。歴史に名前が残るのは、無血に導いた娘の名前ではなく、どこぞの武将の娘のほう。 愛は得られても、寂しく感じるのは、致し方ないこと。安泰の権力を得るために先祖が選んだ道は、一人のワガママで壊せる大きさではない。 「業は断ち切れなんだか」 夜明けの空を眺めて、そう独りごちた野菊の憂いも歴史には残らない。 野菊が何を思い、何を考えているのかは知らないが、兼景たち同様、自分の城へ帰って来た雪乃はなぜか、軟禁されていた。 一緒にいた直江にも同じ罰がくだった。 それから一ヶ月。 月のものがきて、ようやく自室から出ることを許された雪乃は、久しぶりに外の空気を吸う。 「おー、息災か?」 「ええ、直江も元気そうね。母様は?」 「敦盛様のところだ」 「そう」 あの日の野菊は、周囲も驚く阿修羅並みに雪乃を怒鳴り散らした。 それはもう、周囲は「野菊は雪乃を褒めて、担ぎ上げる」とばかり思い、祝宴の用意までしていたのだから、心臓が飛び出さんばかりに驚いた。野菊が怒ったせいで、雪乃は一族の誰からも言葉を掛けられず、すぐに自室へと放り込まれたのだ。 「わらわの許しもなく、勝手に床戦に応じるとは、いかほどのことか肝に銘じよ」 八香の掟を破った罰として、自室への軟禁を余儀なくされた雪乃は、ふて腐れながらも一人、ゆっくりとした静寂の時間を得て、心身ともに回復していた。 おかげで、節々が痛む関節も和らぎ、肌に残る赤い花も消え、精神の浮き沈みにも合わなかった。 一切の情報が遮断されたせいもある。 今は浦島太郎の気分だが、思い返せば、健やかに、変わらない日々を過ごしたと思う。 「兼景様は奈多姫と婚儀を終えたそうだ。あと、玖坂から文が届いてる」 「元史様から?」 陽光の差す穏やかな昼下がり。ひさしの下に設けられた縁側で、だらりと寝転ぶ直江の元へ足を運んだ雪乃は、おもむろにそこへ腰かけ、その流れで文だというモノを受け取った。 小さく折り畳まれたそれを開けば、黒色の玉がついたくしがひとつ。 「お呼ばれされたわ」 笑ってそれを手に取った雪乃の言葉に、直江はつまらなさそうな息を吐く。 「戦前でもないのに、簡単に呼ぶとは、うつけものめ」 「乱れた髪をこの櫛でといてさしあげたら喜ぶかしら」 「真面目に言って、喜ばない男はいないだろうよ」 「そうよね。元史様らしいわ」 「兼景様からの貢ぎ物はそっちだ」 「また着物。よほど脱がせたいのね」 「かんざしもあるぞ」 「兼景様ったら、こんな贅沢品を次々に」 ひとり笑う雪乃の余裕に、直江は感心しないらしい。いつもぶっきらぼうで、だるそうにしているが、今日はさらにやる気がない。 それを雪乃は横目で眺めたあと、ひとつ息をついて、くしとかんざしを脇に置いた。 「直江、まだ怒っているの?」 触れようとすれば、ごろりとそっぽを向き、直江は、ふんっとふて腐れた息を吐く。 随分とわかりやすい。 雪乃は気にせず直江の髪に触れ、指先だけでそれを少し弄んだ。 「直江、迎えに来てくれてありがとう」 しばらくの無言の後、雪乃は吹く風にのせて直江の耳に囁く。微動しないところが、さすがというべきか。さらに、雪乃は絡めていた直江の髪から指先を動かして、首筋、果ては腰までの背中を指でなぞる。 「月のものがあるうちは、行かないから大丈夫よ」 なぞる指に気づいていながら直江は無視を続けているが、それでいいとも思う。 顔を見ればきっと、色々言ってしまいそうになるのだろう。それほどまでに、あの床戦は雪乃の役目を世間に意識付けてしまった。 「目が覚めたか」 「雪乃、よい。無理をするな」 「私…っ…あ、の」 あの日、夜明けの太陽が上り、暗かった室内も相手の顔がわかる程度の明るさになった頃。雪乃は自然と目が覚めた。 裸だった男たちが褌をしめ、一人では着れない鎧を転がして、簡素な着物に袖を通すのに気付いたからかもしれない。 とにかく、雪乃は、直江が用意したという着物がかかった身体を起こして、その場にいる三人に声をかけた。 「ったく、八香の次期当主が聞いて呆れる。床戦の最中に飛ぶほど気をやるたぁ、まだまだ修行が足りねぇな」 「弁解の言葉もないわ」 「俺が来たからよかったものの。判者の重要性がわかったなら、今後は勝手に床戦を受けるんじゃねぇ」 「……はい」 起きるなり、叱られた事実に面目もない。反省の色を見せて沈んだ雪乃は、着物を着せようとしてくる直江のため、細い腕をあげながら声を落とす。けれど、それを横から元史の腕がかっさらった。 「そう落ち込むな、雪乃。最後の手合いは中々に良かった」 「元史さま」 「雪乃、そのような顔は似合わぬ。ほれ、こちらにおいで」 「兼景さま」 元史の腕のなかから、広げられた両腕の中へと移る。兼景の腕のなかは収まりがよく、気を抜けばまた眠ってしまいそうだと、雪乃は目をまたたいた。 「して、決着は相討ちなわけだが、勝敗をどうつけるべきか」 「なに、簡単なことだ」 武将としての意見を口にしながらも、雪乃の額に口付けを落とした兼景は、もう誰にも渡さないとばかりに、雪乃を抱き締めることに専念している。 それを眺めていた元史は、ふむとひとり頷いて、「玖坂が志路に降る」と言い放った。これには元史や雪乃だけでなく、直江ですら驚いた顔を見せたのだから、それは予期もしていなかったことだろう。 「降ると言っても、協力関係にあるというだけだ。領土は渡さぬし、俺のやり方も貫かせてもらう。が、しばらくの間、志路家に未来を任せてやってもいい」 「しばらく、とは?」 雪乃を抱き締める兼景の腕がまた少し締まった。 「八香の現当主は志路家を贔屓してるだろう。雪乃に次期当主と相反させるのもなんだ。それなら、雪乃が跡目を継ぐまで、俺が志路の顔を立ててやればいい」 頭を撫でてくる元史の手も、瞳も、兼景や直江と同じ、優しく温かな気配を感じる。 じっと元史を見上げていた雪乃は、それを感じて、兼景の腕のなかで目を閉じ、元史に甘える姿勢を見せた。
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