第五夜 唸りの攻軍

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第五夜 唸りの攻軍

不思議な感覚が雪乃の中を駆け巡る。 八香の血といえば、この感覚にも理由がつくのかもしれないが、数多もの血を浴びてきた男が、今は欲情に息を荒げ、必死に一人の女を貪っている姿が妙に滑稽で、可愛らしいと思う。 普段は傲慢で、偉ぶっているに違いない。血の雨を降らせ、弱き者を虐げる。人々の上に立つものは、少なからず、人々の屍を足の下に築く。どれほど上に昇ろうと終わりはなく、崇め、奉られるほど、人々は彼らを尊い存在だと一目を置いて接する。 だから勘違いするのだろう。己こそが、頂点に相応しい天下人だと。 「馬鹿馬鹿しい」 鼻で笑った母親の顔が、今なら理解できると雪乃も思う。 「武将だとて、欲深く、愚かで、可愛い、ただのヒトよ」 いつも美しく、妖艶で、どこか冷めた目を持つ八香の当主。歴代の女帝が感じてきたように、雪乃も例外ではない。 上に立つ男の、その差を想像すればするほど、筆舌に尽くしがたい感情が込み上げてくる。 わかりやすく、愉悦。 武将だというだけで、女に困ることはなかっただろう。そうでなくても、この世は力あるものがすべて。 一体、これまで何人の女が食い物にされてきたのか。数えるだけ無駄なこと。 「よいか、雪乃。男の言葉は、すべてまやかし。褥の戯言を信じてはならぬ。八香が何故、この戦国の世において重宝され、暗躍できるのか。哀れな男どもも、夜伽となれば鎧を脱ぐ。脱がせるのは容易い。特に雪乃、お前は有能だ。必要とあらば毒を盛り、首を刺し、国となるに相応しい器を選べ」 「私が、選ぶのですか?」 「さよう。無防備な男ほど滑稽で愛らしいものはないぞ。寝首を掻き切るなど造作もないわ」 「母様も?」 「わらわが誰を選んだか、それは語らぬ歴史が知っている」 自ら愛する男を選び、一族繁栄を確固たるものに出来るだけの権力。この世で、それを持つ女は一人であり、君臨する八香の名は伊達ではない。 雪乃の母、野菊が、女として、人として、大切にされ、愛され続けているのが何よりの証拠。 「雪乃、お前が誰を選ぶのか。数多の男の鎧を奪い、その身を持って試してくるがよい」 初陣も終わり、今は一人、雪乃は夜に放たれた。 玖坂は、志路と対となる地位にいる。その権力と支配をもってすれば、何人もの女を自由に召喚できるに違いない。きっと、そうしてきたのだろう。けれど今は、鎧を脱ぎ、ここにいる。 天下分け目の大戦が始まるというのに、首を狙われる大将が、無防備に肌をさらして、目の前にいる。 そうさせているのが他でもなく、自分であるということに愉悦が込み上げ、あわよくば「もっと」などという気持ちに駆られていく。それに名をつけるなら、正に「本性」と呼ぶにふさわしい。 「雪乃……っ……はは」 まだ己の分身を埋めたまま、息をついた元史の額に汗がにじむ。白濁の液体を放出し、あとは引き抜くだけという頃になって、雪乃の足が臀部を回って、腰を掴んできたからかもしれない。 数刻前まで、ただの少女だと思っていた。八香という名で祭り上げられていても、取るに足らない女だと思っていた。その思い上がりが、今は間違いだったと素直に認めることが出来るのは、見下ろす先にあるその瞳が、背筋を泡立たせるほどの色香を放っているせいだろう。 「元史様。もう、よいのですか?」 どこからその声を出すのか。 甘く、男を誘う声は、妖しく神経を貫く。 戦はこれからだと言わんばかりに、雪乃は不満そうに首をかしげていた。さらに、細い曲線はゆるゆると輪を描き始め、中に眠る化身を再起させようと腰を浮かせる。 薄衣を脱ぎ去り、一糸まとわぬ姿が、まさにサナギから還った蝶に見えた。 先ほどの「相打ち」を認めるなら、これから先は、いささか男に分が悪い。 いくら戦人とはいえ、放てるだけの気合に上限がある。対して、なまめかしく床の上に身を投げ出した女に、その上限はない。あるとすれば、気絶させるつもりで悶えさせ、逃走したくなるほどの激戦に持ち込むほかない。 「元史様?」 わかっているのか、いないのか。 汚しても穢れない雪乃のあどけなさに、元史は末恐ろしさを覚える。それを払拭するためにも、形のいい雪乃の唇に吸いついて、余裕ぶったその声を黙らせてやりたい。これ以上、名前を呼ばれては敵わないと、元史が額の汗をぬぐった瞬間、部屋のふすまが勢いよく開いた。 「やけに早いな」 「兼景様ッ!?」 息を切らせた兼景がそこにいる。それも重厚装備で、今しがた戦場から駆け付けたといっても過言ではない風貌で、血の気の失せた顔色をしている。 「そんなに急いて、いかがなされた?」 勝ち誇った笑みを浮かべたのは元史に他ならない。 そして、状況に混乱している兼景を横目に眺めながら、元史は雪乃の唇に影を落とした。 「戦場に姿を見せぬと思っていたら、このような……ッ、玖坂、許さぬ」 「なに、接吻ごときで腹を立てるな」 「今すぐ雪乃から離れろ」 「なりません、兼景様」 引き抜かれた銀刃が振り下ろされる刹那、雪乃の声が、兼景から元史を救う。間一髪。元史の首を落とす前に、兼景は動きを止めた。 「雪乃」 これはどちらの声だったか。判断はつきにくい。 口付けを交わす男の腕の中から、別の男を見つめる瞳。黒い闇を泳ぐ蝶ですら、今の雪乃に道を譲るだろう。嫉妬と優越。自分だけの女にしてしまえば、必ず勝利が約束される八香の娘の存在が、ここにきて男の本能を刺激する。 「雪乃、そやつの腕から離れろ」 「雪乃、こやつにも見せつけてやるか?」 衣を着せ、座らせていれば、そこらの女と変わらない従順な娘だろうに、男を懐柔させるためだけに磨き上げられた肌は珠のように煌めき、困惑と期待をにじませて、甘い蜜を溢れさせている。当然「んん」っと、少し身悶えながら元史の腰から足を降ろした雪乃は、二人の男の視線を受ける先で、はっきりと首を横に振った。 「いいえ、兼景様、今は元史さまと床戦の最中なのです。殿方の戦方法は存じておりますが、いまはその刃を収めてくださいませ」 「そうだぞ、兼景。いまは俺と雪乃の合戦中だ」 「元史様も、そのようにお戯れなさるのであれば、続きは改めさせていただきます」 「それがよい、雪乃。玖坂などと交わる必要はない。さあ、こちらへ」 そこで簡単に元史から離れ、両手を伸ばして兼景に身を預けるところが八香の血か。繋がり合った股の部分だけが名残惜しそうに、半透明の糸を垂らしたが、それはこの場において何の意味もない。 「このように汚されて、嗚呼、雪乃。さぞつらかっただろう」 「いいえ、兼景様。私は……ッ、もっと優しくしてくださいませ」 「すまない……つい」 憂いた顔で雪乃の股を拭く将軍。現在、天下人に一番近いと謳われる男が、情けない顔で女の股を拭くなどと、いったい誰が知るだろう。 「くっ、ははははは、これは傑作だな」 裸体を惜しげもなくさらし、元史が笑う。 萎えた男根が乾いていくどころか、興が乗って別の悪戯を思いつく。雪乃がいなければ、今頃は、目の前の男と血で血を洗う刃を重ねていたに違いない。いつ死ぬかわからない戦場で、野望を満たすため、生き残りを賭けた興奮に身を投じていたはず。 同じ釜の飯を食った仲間の躯を踏み越え、忠誠を尽くす臣下の断末魔を心に刻んで、流れない涙の代わりに血の雨を浴びていたはず。 それが、どうだ。 畳だけが敷かれた何もない部屋で、男二人と女一人。それを仕組んだのも女なのだということに、嫌気がさすのもまた道理。 「津留のお方様だけでなく、奈多姫も一枚噛んでいるな」 「八香を快く思っていない点では」 「だろうよ。そんな優顔で、所有欲だけでは飽き足らず、独占欲まで強いとは。国を継ぐ嫡男が、たった一人の女にそんな顔をさせられていると知れば、内心穏やかではいられまい」 ひとしきり笑ったあとで、元史は赤い舌をのぞかせる。それを見た兼景は、狡猾な男に狙われてはたまらないと言わんばかりに、雪乃を強く抱きしめた。 「雪乃は誰にも渡さぬ」 「俺は、初めから八香などどうでもいい。欲するは天下、達するは道、この玖坂元史、戦にて勝利を収めること以外、興味もないわ」 本来を正せば、天下統一を決める戦に女は不要。八香という得体のしれない存在がいることで番狂わせが起こったが、男として、武将として、そこに転がる刀を抜き、相手の首を撥ねることだけを思い描いていた。昨晩もそれを夢見て、己を奮い立たせ、今朝を迎えた。 戦況に矛盾が生じたのは、女のせい。それが少し、いや、かなり腹立たしい。 「しかし、これもまた一興」 元史は、兼景の腕の中から強引に雪乃を奪い取る。乱れた髪を手櫛で整えていた雪乃は、その勢いにのまれて、やすやすと元史の行為を許していた。 「入れずに勝負するとほざいた雪乃は、俺の竿に歓喜の蜜を溢れさせ、身悶えていたぞ。見ろ、あれほど注いでやったのに、まだ足りぬと涎を垂らしている」 「……ッ……ぁ」 「なあ、雪乃。貴様が勝てば、俺は志路家と条約を結ぶと言ったが、結果は相打ち。どうだ、玖坂と志路、どちらが天下人に相応しいか、再度勝負をしないか?」 背を預ける元史が耳元で囁くように、濡れそぼった雪乃の果実は汁を垂らして不満足な顔をしている。昨晩、身体を交わらせたばかりの兼景は、悔しそうに唇を噛んでこちらを睨んでいるが、開いた足の中央に視線を落として、何かを思案しているようにも見えた。 「兼景さ……ッ…ヤッぁ」 割れ目を往復していたはずの元史の指が、三本まとめて根元まで埋まってくる。不意をつかれて苦悶の表情になってしまったのを良いことに、勝ち誇った顔で真横にある元史の唇が雪乃の頬を舐めた。 「ァ、ひ……くっ……~ぅ」 「先ほどまで俺を咥えていたとは思えない程きつく吸いついてくる」 「元史さ、ま……ッ……ん」 「乗った船だ。勝敗がつくまで俺はおりん」 「貴様はどうする?」雪乃を懐柔しながら元史は兼景に笑みを飛ばす。 笑みと言ってもその瞳は笑っておらず、どう猛さを隠しもしない野性が滲んでいる。煽情的な眼光に、兼景も当てられたのか、腰にさした刀を置いて、鎧の結び目をほどき始めた。
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