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「戦前は床に召す。兼景ではなく、俺の寝所に来い」
「許すと思うか?」
「なに、兼景殿は正室を娶られる身。戦前には奈多姫を召されればよかろう」
「雪乃の前で何を」
「雪乃、俺は正室も側室もとらんぞ。ずっと雪乃だけだ」
心地よい言い争いを頭上で聞いていた雪乃は、はっと目を覚ましてそのイサカイを止めさせた。
「それはなりませぬ」
毅然とした雪乃の態度に、呆気にとられた元史と兼景の顔は面白い。
「女はそういうのが良いのではないのか?」
「元史様。他の方がどうかはわかりかねますが、私にその気遣いは無用です」
首をふって、疑問符を浮かべる二人の目をみて、雪乃ははっきりと告げる。
「御家繁栄のため、ぜひ、正室も側室もお持ちください。そして、沢山の子を成してくださいませ」
普段、簡単に流されそうな雰囲気をしているくせに、こういうときばかり頑固な意思を見せる雪乃に、男たちは各々に反応を示した。
「はははは。やはり良いな、雪乃は」
「そういう女子なのだ。昔から、雪乃は」
笑う元史とため息を吐く兼景。
両者正反対の表情だが、雪乃に触れる手に迷いは微塵もない。それをどこか嬉しく、愛しく思いながら、雪乃は二人の腕の中からするりと抜け、畳に手をついて、頭を下げた。
「今宵の床戦、しかとこの身をもって預からせていただきました。志路家、玖坂家繁栄のため、またのお越しをお待ちしております」
「再びにかけて、股と腰とは。よく言ったものだ」
「調子にのるな、元史。雪乃、そなたの気が変わればいつでも申せ。すぐにこの者の首をはねよう」
「それはこちらの台詞だ、兼景。雪乃、呼んで来なければ、本物の血の雨を見ることになるぞ」
「八香を脅すか」
「腰巾着に言うておらん」
雪乃の側にいた直江が、さすがに黙っていられなくなったのか。そこからは、実に賑やかだった。
怒鳴り声、笑い声、憂い声、様々な感情を隠しもせずに吐き出す室内に、外で控える家臣たちも気が気でないに違いない。実際、心配した玖吏唐が襖を開いて現れたが、前と同じく、雪乃の裸を見て早々に退散していった。
そんなわけで賑やかな時間もあっという間に過ぎ、雪乃たちは帰路についたのだが、直江と元史はその時まで何かを言い争っていた。
だからだろう。
今現在、謹慎明けの一ヶ月がたった今も、直江はくすぶった感情を消化しきれていないのかもしれない。
「なぜだ」
「え?」
「なぜ、玖坂の首を落とさなかった?」
そっぽを向いたままの直江の言葉に回想から戻った雪乃は、首をかしげて、直江の言葉の続きを待つ。
「欲に溺れ、情でも沸いたか?」
「いいえ」
「兼景に惚れているくせに、なぜ玖坂と関係をもった?」
「元史様は良い方よ?」
笑ってしまうのは仕方がない。
直江に随分と嫌われたものだと、元史を思い出して雪乃はまた笑った。
それがますます直江の機嫌を損ねさせることはわかっている。昔からそうだ。昔は兼景が直江の相手だったが、時代とは意図せぬところで、勝手に移ろうものらしい。
「雪乃」
永遠に手に入らない女を求めて、直江が雪乃を振り替える。けれど、雪乃はそこから先の言葉を紡がせないと言う風に、直江の唇に指をおいて、柔らかに微笑んだ。
「私は八香の姫よ。生涯を添い遂げる伴侶は得られない。淑化淫女の掟に従い、戦祈願のために寝所へ参るだけの器として生まれたのだから」
視線を流して、晴れた空を見上げる雪乃に、その言葉の続きはない。直江の唇に触れる雪乃の指先は細く、白く、とてもじゃないが武将一人を殺してしまえるとは思えない。
それでも、やってのけるだけの技は持っている。
鎧を脱ぎ、欲に溺れた人は脆い。警戒心が薄れる絶好の機会を逃さず、いったい何人の八香が歴史の裏で暗躍してきたことか。暗殺は忍び並みにこなしている。
おかげで敵も増えた。寝所に忍びが控えるのは珍しいことではなくなり、返り討ちに合うことも稀ではない。
あの場に玖吏唐がいた以上、雪乃の対応は正解で、これは正しく成功した未来なのだろう。
あのまま連れ去ってしまえば、立場も役目も忘れて暮らせる場所に連れ去ってしまえば、こんな憂いは知らずに済んだかもしれないと直江は思案する。とはいえ、八香に関わりを持つ人間として、主君を姫に持つ者として、それを守る側でなければならない。
八香家の務めとして、幾人もの男と交わることは避けては通れない宿命。
第一、雪乃は逃避行を望んでいない。
八香となる自分を受け入れている。それを応援し、傍で生きると決めた以上、一介の男が悩んだところで無駄な話。
それでも納得はできないと、直江は唇に触れる雪乃の指を軽く食む。許されるなら、愛していると告げたかった。
「直江、なにか言った」
「いや。お前が八香を背負うものとして、不甲斐ない女じゃなくなるよう、これからも指導してやるよ」
「ありがとう、直江。よろしく頼むわ。あと、出来れば、兼景様や元史様とも折り合ってくれると嬉しいのだけど」
「それは無理だな」
そっぽ向いていた身体を反転させて、雪乃の後頭部を引き寄せた直江の唇が雪乃の唇と重なる。触れあうだけの軽い感触。柔らかな風に包まれて、吐息は静寂に満たされていく。ところが、その空気は一瞬にして凪払われた。
「こちらこそ願い下げだ」
「も、元史様!? それに、兼景様も!?」
いったいいつからそこにいたのか。
直江と雪乃を割くように現れた元史と兼景に驚くしかない。しかも兼景に至っては、当然のように雪乃を背後から抱き締め、直江を牽制するように腕で距離を図っている。
「油断も隙もないな。これだから直江と二人きりにはさせられぬ。それに、元史に付いてきて正解だった。嗚呼、雪乃、息災か?」
「お前ら、勝手に来るな。掟違反だ。見張りは何をしてやがる」
「玖吏唐にかかれば、八香の城に潜入することなど容易い」
「なんでお前が威張ってんだよ。さっさと去ね」
「俺より兼景に言えよ。こいつ、俺の行くとこ行くとこ全部についてくる。うぜぇったらねぇ」
やはり年が近いのと、互いに背負うものの大きさが似ていたせいか、元史と兼景はすっかり打ち解け、違和感なくつるんでいる。こうして並んでいるのを見ると、昔からの馴染みのように、仲が良さそうに見えた。
「兼景様……っ…ん」
上書きのつもりだろう。
重なるだけでは済みそうにない口付けが、兼景からもたらされる。
「雪乃、謹慎は辛かったろう。文は読ん……直江に破かれたか」
「あんな気色悪い文を読ませられるか」
懐かしい記憶がよみがえってくる。
まだ、立場など意識できないほど小さな頃は、よく、こうして兼景の腕のなかから直江と言い争う顔を眺めていた。
いまは、その隙をついて元史が口付けを求めてくるが、団子状態に一ヶ所に集まった男女が、これ以上絡むのは難しい。
「お戯れはほどほどになさいませ」
笑いながら言い争いも、抜け駆けも、同時にいさめた雪乃の声に、男たちは不服そうに顔をしかめる。
「雪乃、愛している」
「兼景、いい加減にしろ。雪乃、こっちに来い」
「雪乃、そいつらから離れろ。仕事以外で、他の男に触れさせるな」
「直江は相も変わらず狭量だな」
「執着の強い兼景に言われとうないわ」
「ははは、それは言えてるな。雪乃、早くしろ」
「元史、雪乃を乱暴に扱うな」
団子状態の緩和は難しいらしい。
たぶん、こんな日が飽きるほど続くのだろう。けれど、不思議とイヤではない。
心地よく揺れる声に身をゆだね、いつまでも浸っていたいとすら思う。例え、業を背負う身分、限られた幸せしか得られない運命だとしても、しきりに愛を告げる男たちに雪乃は応える。「真か、否か。それは次の夜伽に問いましょう」と。
【完】
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