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初夜 八香の手練れ
中に灯るロウの動きに合わせて、行燈に照らされた黒い影が揺れ動く。淡い橙色の温かな光は宵闇の中で色香に揺れ、安易に男女の交わりを映し出していた。
「ッ…ぁ…はぁ…アッ」
男にすがるように敷かれた女の体は、直後ニヤリと恍惚な笑みを浮かべて反転する。長くしなやかな黒髪が半円を描いて宙に踊り、パサリと軽やかな音に合わせて、筋肉美を見せつける男の胸板をそっと叩いた。
「敦盛(アツモリ)さま…ッ…今夜は…容赦しなく…て…よ」
吐息にどこか楽しさをにじませながら、女は優美に男を見下ろしていた。ドクンと、内側に突き刺さる男の脈が、何かを期待するように反応する。その反応を最初から予想していたのか、女はさらに優越な笑みを浮かべて、男を見下ろすようにゆらりと腰をひねる。
そうしてなまめかしく腰に輪をかける仕草に、男もまたどこか愛おしそうに彼女をじっと見上げていた。
時は、戦国。まだ暴力が世界を支配し、弱者が強者に虐げられる時代。女という力に劣る生き物は、男の支配下に守られて生きるしかなく、自然の中で権力を持つなどという幻想は抱いていなかった。女は非力。子を成すだけのただの道具。そのように扱われていた者も多かろう。しかし、ここに「女」という存在そのものを武器として、男を支配すると言わしめるほど巨大な力を持つ女系一族が存在していた。
「ッさすがは、野菊(ノギク)…八香(ヤカ)の血を…継ぐだけの…ことは、ある」
「ふふっ…当然で…ございますわ」
八香一族。
交わりを重ねることで不思議な術を操り、相手の潜在力を高めたり、治癒効果をもたらすと言われている。古くは戦神の血を引き、勝利を約束する巫女とまで噂されていた。その一族を使役することで、繁栄を極める一族が存在してもおかしくはない。それが、現在天下人にもっとも近いと言われる志路(シジ)家。
「ねぇ、敦盛さま…っぁ」
交わる部分へとつながる箇所に両手を添えながら、野菊はねだるように静かに腰を動かし始める。ゆっくりと奥と浅瀬を繰り返し、生温かな果肉にしごかれる男根に、敦盛と呼ばれた男の方が苦しそうな表情を浮かべていた。
「わらわに、願い事がおありなんでしょ?」
橙色の行燈の光に揺れ動かされ、吐息が夜風に揺れて濃密さを増していく。
「ほら、さっさと言ってくださいな」
くすくすと手練手管を披露するように野菊は敦盛を見下ろしながら、ぺろりと唇を舐め上げた。
ドクンと、また、野菊の内部に突き刺さる敦盛の化身が大きく脈をたぎらせる。「まったく、この女は」と苦渋の笑みを浮かべてしまうほど、野菊の内壁は表立ってはわからない、精巧な作りをしていたのだから無理もない。
「野菊…っこら…わしのを…くっ」
「呼び出したのは誰?」
「それは…ッ…わ、わしだ」
「ンッ」
達することを先延ばしにされればされるほど、張り巡らされた罠にはまっていくことはわかっている。わかっていても、どうにもできないこともあるのだと、敦盛は悔しそうに野菊の腰をつかんだ。
「まだ、敦盛さま…ッ…まだ、よ」
二人そろって高揚感をみなぎらせた表情を向けあう。
野菊の長い髪が揺れ、そのしなやかな指先は腰をつかむ敦盛の手と重なるように、すっと影をすべらせていく。
「この野菊に隠し事は”出来ない”って知ってるわよね?」
「ッく」
「戦人が束の間に出来た時間、奥方ではなく八香であるわらわを呼んだには、それ相応の理由があるのでは?」
「しかし…っ…お前の許しがでる…か」
「なん?」
ぴたり。少し不審な顔をした野菊が腰の動きを止め、覗き込むように敦盛の上で体を折り曲げる。
「わらわの許しがいるなんて、よっぽどのことよ?」
「ッあ…だから…それを止め…っ」
前世は蛇か何かだったにちがいない。妖艶に敦盛を水平に眺めながら、野菊はチロリとのぞかせた舌先で、敦盛の肌を舐め上げる。戦場では向かうところ敵なしと恐れられる屈強な武将も、野菊と共に過ごす床の上では敗北を悟るのにそうそう時間はかからない。技巧を極めた野菊の愛撫に、敦盛はたまらず感嘆の息を荒げていた。
「わかった…わかったから、許してくれ」
押しては返す快楽の愛撫に耐え切れず、敦盛は野菊の腰を力ずくで抑え込む。にやりと口角をあげて笑みを浮かべた野菊が、またゆっくりと体をあげていく。
「ねぇ、敦盛さま?」
今度は、勝ち誇ったような女の顔を浮かべて野菊は可愛らしく首をかしげた。この場に第三者がいたなら、男の上にまたがりながら妖艶な空気を生み出す女をどういう風に見ただろう。当の敦盛だけでなく、ゴクリと生唾を飲むような音が聞こえてきそうな、そんな雰囲気さえ感じられる。
「わしの息子の兼景(カネカゲ)を覚えておるか?」
「ええ。たしか先日、奈多姫(ナタヒメ)と結納を済まされたとか」
「そう…っだ…これ、動くでない」
「兼景様がどうかなさいました?」
「次の玖坂(クサカ)との戦を兼景に持たせることにした」
はぁはぁと走り切ったあとのように汗を浮かべながら、観念したように敦盛が息を吐く。それを優越に見下ろしながら「ほぅ」と野菊は何かをひらめいたように瞳を細める。
「なるほど、それでわらわの許しを、ね」
「ッそう…だ…~~っく」
「わらわより兼景様の許しを得るものじゃなくて?」
「あいつは…ッ…兼景も男だ。それにそなたの娘を好いておる」
「いくらそうでも…っン…兼景様のお母君、いいえ。敦盛様のご正室は許さないのでは?」
「津留(ツル)は何とでもなる」
その言葉に、野菊の表情がムッとしたものに変わる。ところが、そうなることは想定済みだったかのように、敦盛の顔が勇敢そうに卑しく歪んだ。
「どれ、ひとまずわしと勝負といかんか?」
「なッ…ぁ…キャッ…~~~っ」
どさりと、男女の位置が逆転する。先ほどまで見下ろしていた敦盛の顔を間近で見上げながら、野菊の瞳の中は期待と色香に揺れていく。これから訪れるだろう提案に、どこまで耐えられるのか。体力と感性の持久走に持ち込もうとした敦盛の熱に浮かされた野菊の奥で、愛蜜の滴る音がする。
「野菊…ッ…この勝ちは譲らんぞ」
「宵床の中でわらわに勝つおつもりで?」
野菊の瞳が赤く揺れ動いている。
「できることならば」
野菊を見下ろす敦盛の瞳も熱を帯びて潤んでいた。
そして見つめ合うこと数秒。夜風がふっと行燈の中のろうそくに触れた瞬間、野菊の背中が敦盛の下で大きくのけぞった。
「ッぁあ…ヤッ…~っん」
股を割ろうと、力任せに突き上げてくる衝撃に野菊の体が左右に揺れる。長い髪は思い思いの方角へ舞い散り、床を打つようにしなやかな鞭となって軽快な音を立てていく。
「ひッ…ぁ…あつ…敦盛さま…~っ」
「野菊…ッ…ぁあ」
「敦盛さ…ま…敦盛さま…ッ」
お互いの体温が混ざり合い、陰湿な愛液が濁る匂いを染み渡らせるように、男女の影はもつれ合う。激しく打ち付け合う肌の音。ロウのかがり火に揺れ動くその影絵は、見る者の息を止めるほど美しく、激しい情事を物語っていた。
やがて数回の大きな波の後、激しくのたうち回っていた二つの影は重なり、一つの呼吸に落ち着いていく。
「はぁ…はぁ…わしの勝ちだな」
恍惚に顔を赤らめ、脈打つ腰を引き抜きながら敦盛は野菊に勝利の証として口づけを落とす。
「わかりました」
野菊は、はぁっと身体全体から息を吐き出すと、大きく一度瞬きをしてから体を起こした。長い髪は淫らだにほどけ、白い床と同じようにくしゃくしゃに形を変えていた。それを手櫛で数回といたあと、もう用は済んだとばかりに野菊は横で満足そうに転がる敦盛へと顔を向ける。
「次の戦前に、娘を兼景様の寝所に寄こしましょう」
「ああ」
武将が戦場へ赴く前夜。男は八香の女を抱く。これが、天下分け目の戦人に伝わる必勝の掟。志路家は、先代も先々代も支配下に置いた八香の女を床に召し上げ、己の肉体を最高にまで高める手伝いをさせたという。それは現代になっても変わらない。効果のある因習は、古いものであったとしてもすがってしまうのが人の子というもの。野菊は寝息を立て始めた男に布団をかけてやりながら、どこか覚悟を決めたような視線を落としていた。
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