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第30話 動けるなら逃げろ!
封じに使うため、ほぼすべての霊力を放出してしまった。無理、避けられないわ。アイリーンは残った力をかき集めて、己を護る結界を作る。申し訳ないけど、ルイを助ける余裕はなかった。
手を伸ばしてココを引き寄せ、自分の下に抱え込む。
神狐である親友ココを失いたくない一心だった。私の背中が切り裂かれる間くらい、ココを守ってあげられる。最初の一撃から逃れたら、ココは契約者を失って神の末席に戻れるから。きっと戦っても負けないわ。
神狐は式神のように使役される存在ではなく、確固たる意志を持つ神の一柱だ。愛らしい外見に化身しているが、荒ぶる神々の末席に名を記すもの。契約することで巫女のために力を揮えるようになる半面、その能力の大半は封じられる。そんな不利益を被っても契約してくれたココは、宝物だった。
一度も言ったことないけどね。
口元に笑みが浮かんで目が潤む。痛くないといい。最後に痛がったら、きっとココは私に気持ちを残してしまうわ。だから泣き叫ぶ暇がないくらい、一瞬で……。
キンッ! 頭の上で響いた金属音に目を開き、ぎこちない動きで頭の上を見た。人影が月光を遮り、剣で爪を受け止めている。
ルイなの? どうして……私は他人で、あなたが命を懸けて救う国民じゃないのよ。驚くアイリーンへ、歯を食いしばったルイは呻くように告げた。
「動けるなら逃げろ! 早く!!」
一緒に戦えと言わず、逃げろと? 巫女として強い力を持って生まれたアイリーンは、常に守る側にいた。幼子の頃は守られたと思う。兄や姉も大切にしてくれた。でも妖と対峙すればいつも守る側で、最前線に立つ。それが当たり前だった。
逃げろ、なんて……。
『リン、早く』
急かすココに促され、強張った体で転がるように離れた。堪えていた足を後ろに踏み出し、ルイはぐっと押し返す。踏ん張りがきかなかった足が、地面を捉えてぐっと土をにじった。
「ウィンドカット」
ぶわりと魔力が高まる。王都の地下に眠るドラゴンとのつながりが強い第二王子は、この地でほぼ無敵だった。圧倒的強者として魔物を駆除してきた。その矜持にかけて、ここで退く気はない。風の刃を纏わせた剣を、力技で振り抜いた。
すぱっと禍狗の毛が切れる。だが本体まで届かない。振り抜いた剣を引き寄せて突きに変更した。フェンシングのようにまっすぐに伸ばした腕が弾かれ、肘に痛みが走る。咄嗟に剣を離して飛び退った。からんと音を立てて落ちた剣から魔力が抜ける。
ぐるる、ぐぁああああ! 怒りに赤い瞳を輝かせた化け物が、身を屈めた。
飛びかかってくる。剣がなくても、負けられない。魔法陣を描く時間はなく、ただ闇雲に魔力を手のひらに集めた。直接叩き込んでやる。多少のケガを覚悟でルイは呼吸を整えた。
『我が手に宿りし神々の息吹よ、眼前の敵を退けたまえ。散!』
アイリーンが放った札が貼りつき、禍狗の目を覆う。左目を封じた札が燃え上がった。分散する霊力をかき集めたアイリーンは全力を注ぐ。
『貫け、月灯りのごとく……』
最後の言葉まで霊力がもたない。膝を突きながらアイリーンは肩で息をした。倒れ込みながら指さした札が月光に貫かれ、禍狗は激痛に咆哮を上げた。薄れていく意識の中で感じたのは、禍狗の声に宿る孤独と怒り、憎しみや痛み……僅かに底に残った淡い色の感情だった。
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