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第32話 このままじゃ済まさないから
取り込まれかけていたアイリーンは、痛みに軋む体を起こした。ぎしぎしと関節が痛みを訴え、全身が痺れている。それでも、戦う彼を見捨てる選択肢はなかった。
銀の剣を構えて禍狗と向き合うルイが風の魔法を操る。先ほど取り落とした剣を拾った風が、今度は刃となって禍狗を襲った。怒りの声を上げて牙を剥く禍狗が飛びかかる。後ろに退けないルイは剣で受け止めた。
「ありがとう、もう平気よ」
庇って戦うルイに声を掛け、アイリーンは右半面に手を当てた。大丈夫、仮面は取れていないから顔はバレてないわ。ほっと一息ついて重い体を引きずる。ぴたりと足に寄り添うココを抱き上げた。
「お願い、力を貸して。一度追い払うわ」
この状態でもう一度封印に踏み切るのは無理がある。アイリーンの判断に、ココは頷いた。
『わかった、僕が吹き飛ばすから』
抱っこされたココがするんと足元に飛び降りる。アイリーンの膝辺りまでの狐が、ふわりと膨らんで数倍になった。白い毛皮は輝くように光を集め、青い額の刻印が色を増す。ココの周囲を霊力が渦巻き、炎のように取り囲んだ。
青く燃える神狐が甲高い声で空に鳴く。
「なんだ?!」
「下がって! 禍狗に触れないで」
忠告の声の鋭さに、ルイは素直に引いた。牙や爪と打ち合っていた刃を下げ、後ろへ数歩後退る。直後、ココの声が再び響き渡った。
音楽に似た鈴のような、不思議な余韻が空間を支配する。その柔らかな音を引き裂くように、禍狗の上に雷が落ちた。空に雷雲はなく、晴れ渡っている。何もない空間に引き起こされた現象は、高温で空気を焼き静寂を引き裂いて、禍狗に直撃した。
ぐぎゃああ! 飛びのいた禍狗はルイとアイリーンに見向きもせず走り去る。崩れるように座り込んだアイリーンは、見る間に小狐に戻っていくココを抱き上げた。
ぐったりと目を閉じて動かない。無理をさせてしまったわ。
「ごめんなさい、ありがとうね。ココ」
体内に宿した力を放出したココは、ぱさりと尻尾を一度だけ振った。呆然としているルイを残し、足早に屋敷へ向かった。早く戻らなくちゃ。ココは神々の末席の一員で、神獣だから。東開大陸じゃないと力が回復できない。今のココはただの狐、いえそれ以下の力しか発揮できなかった。
こんな状態で無防備な器を奪われたら、ココの神格が歪められてしまう。私を信じているから力を使った。そう判断する冷静なアイリーンの内側で、私が未熟だからココに頼ってしまったと嘆く幼い感情がいる。
神獣と契約して優秀だと持て囃されても、所詮は人間の中での話。ココを傷つけ守れないなら、契約しない方が良かったのかしら。涙で滲む視界に、残り少ない霊力で転移の陣を敷く。残った霊力を絞り出したアイリーンは、涙を残して逃げ帰った。
咄嗟に追いかけられなかった。隣の大陸から来た少女リンは、契約獣らしき狐を抱えて走る。禍狗が逃げた後の虚脱感で座り込んだルイは、声を掛けようとして飲み込んだ。
泣いて、いるのか?
気の強いあの子の目にきらりと光ったのが涙なら、今は近づいてはいけない。誰にだって見られたくない一面はあるのだから。禍狗と戦う以上、リンはまたフルール大陸に来る。気まずさを残して別れるより、今は見なかったフリが正しいと思った。
このままで済ます気はない。民を食らった禍狗を許す気はないし、あの子も逃がさない。次に会ったら覚悟しろよ。
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