「大聖母」の力

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「大聖母」の力

 三日後、チャーリーとわたしはウイルクス帝国との国境地帯に赴いた。  この辺りの領地を治める領主は、書物に出てくるような堅物の辺境伯である。が、じつに見識が広く、領民を大切にする名領主という。  流行り始めた疫病に関しても、すぐにその緊急性と重要性を認識し、王都に使者をだすとともにみずから指揮を執って罹患者の対策と蔓延防止に努めた。  辺境伯がいなければ、あるいは彼以外の領主だったら、他の領地や地域に広がったかもしれない。それは、罹患者の数を増やす結果になる。  ひいてはアディントン王国そのものに致命傷を与えたかもしれない。  まず、罹患者が収容されている医療施設を訪れた。  辺境伯は、周辺の領主たちにも緊急の使者を送ったらしい。それを受け取った領主たちは、自分の領地にいる医療従事者たちを向かわせた。その中には、流行り病を処置したことのある医師が数名いた。  だからこそ、患者たちは驚くほど適切な治療を施され、病と闘っている。 「彼らには悪いが、この辺り一帯を隔離地域に定めている。いっしょにいた家族も、罹患していないことがはっきりするまでこの地域で生活してもらっている」 「セルザム卿、じつに適切な対応です」 「偏屈辺境伯」と名高いシドニー・セルザムに案内してもらっている。  彼から説明してもらうと、チャーリーが称讃した。しかし、辺境伯は「フンッ」と鼻を鳴らしただけだった。 「わざわざ王都から物見遊山にやってくる場所には似つかわしくないと思うがな」  辺境伯は、わたしたちと会ったときから不機嫌である。それが彼のいつもの状態なのか、それともわたしたちが冷やかしに来ているのだと勘違いしての不機嫌なのかが判然としない。 「こんなところをうろついていて、病が移ったと難癖つけようというのならそうはいかんぞ」  彼は、立ち止まると体ごとこちらに振り返った。  すごく大きい。背丈だけではない。筋肉質の体は、まるで山のようである。 「まさか。師匠、おれが師匠を罠にはめるとでも? ぜったいにありえないでしょう」 「フンッ! 人はかわる。たいていは悪い方にな。おまえもいつまででも甘ったれた弟子のままではあるまい?」  辺境伯は、鼻を鳴らしてから苦笑した。 (なんですって? 師匠って、いったいなんの?) 「おれは、彼から剣を学んだんだ」  チャーリーは、まるでわたしの心の中をのぞきこんだかように教えてくれた。 「フンッ! しょせん貴公子の剣術だ」  辺境伯は、言葉ほどには思っていないみたい。強面の顔に浮かぶ表情は、すごくやさしいから。  そのとき、ふと思い出した。  チャーリーの手に触れる度、彼の手が分厚くてごつごつしていると驚いてしまう。王子であり外交官という立場なのに、それを意外に思ってしまう。 「大丈夫です。あなたも含め、わたしたちに移ることはありません。それから、患者たちもすぐによくなるはずです。その為に一部屋貸してもらえませんか? しばらくひとりにして下さい」  師弟の間に割り込むようにしてお願いした。  わたしの目的を達成するには、一刻でもはやいほうがいい。 「なんだって? おチビちゃんがいったいなにをしようと……」 「師匠、いいからいいから。おれたちは、しばらく向こうでお茶でも飲みながら旧交をあたためましょう」  チャーリーは心得ている。  辺境伯の大きくて広い背中を両手でぐいぐい押しつつ、向こうに行ってくれた。  辺境の領地にしては、二階建ての立派な病院である。それをそのまま、病にかかった患者たちの為に使っているらしい。  そこの診察室のひとつを勝手に借りることにした。  そして、年季の入った木製の床にひざまずき、ひたすら祈りを捧げた。 「大聖母」のときと同じように。  わたしのほんとうの力を解放する為に……。
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