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カナタの心拍数は148。
血圧135、120。
あれだけの移動の後だ。
一時的な数値なら、問題ないのだが――
バイタルを認識し、俺がふたたびカナタの中に入り込んだ瞬間、右耳を何かがかすめた。「カナタの」右の耳もとを。
出血。
生暖かい液体が顎の骨を伝って滴り落ちる――感覚。
「リコシェ?」
呼びかける。
通信ではなくテレパシーで。
「……別に、大したコトねぇって分かってンだろうが? いちいち訊くな、ウザい」
カナタの血の匂いに、くだんのSAが、さらにタガを外していく。
「迷子の迷子のオオイヌちゃんよ……」
カナタが童謡の節回しで歌い出した。
「なぁ……お前の『ご主人』は、もうぶっ壊れっちまってんだ。可哀想だが『帰る家』はネェんだよ。だから、オレと一緒に行こうぜ? イイ子だから」
だが、はぐれたスピリットアニマルの殺気は募るばかりだった。
「リコシェ……ムチャはするな」
つい、俺はそう口にする。
確かに。まるきり「やかましい小姑」だなと思った。
カナタとオオカミは、ナチュラルディスタンスを見計らっている。
ギリギリの表面張力のように、間合いをすこしずつ、すこしずつ詰めて――
回収部隊が、路地裏でうずくまるセンチネルを確保した。
完全なる「無抵抗」だった。
それこそ「ドサクサまぎれ」に発砲する余地すらないほどに。
うつろに穿たれた両目は、もはやなにも映していない。そんな「がらんどう」のセンチネル――
――コイツも「野良」なんぞやってないで、さっさとタワーに管理を求めりゃよかったのさ?
確保したセンチネルを移送する連中の「おしゃべり」が聴こえる。
――そうすりゃ、とりあえずのガイドぐらいは「支給」されたのにな。こんなになっちまう前に。
――しょせんセンチネルなんぞ、国家の庇護なしに生きられやしないってこった。
そんな会話が、カナタに筒抜けにならないように、俺は注意深く回路を遮断した。
カナタがジャケットを脱ぎ、右腕に巻き付ける。
そして一気に、ナチュラルディスタンスを突破した。
「闘牛士ごっこ」か?
バカなことを……と、俺は思わず独り言ちる。
「まったく……ホントに本当にメンスじゃないだろうな、アイツは」
オオカミの跳躍。
弧を描くように壁を駆け抜け、カナタはその牙をすり抜ける。
膝蹴り。
だがオオカミのスピードが速すぎて、上手く極まらない。
振り返る。
カナタのBig Fiveは、もうメーターレベルを振り切っていた。
危険、危険、危険――
「三分以内に仕留めろ」
でなければ。
強制的に感覚をシャットダウンさせるしかない。
だがそうしたら――
その場でただちに、カナタは喰いちぎられるだろう。
オオカミの牙に。
シールドを取り払い、俺はカナタに入り込む。
抱きすくめて深く、深く腕を差し伸べて――
オオカミの前足が、カナタのこめかみをかすめた。
サングラスが吹き飛ばされる。
次の瞬間、カナタの拳が、オオカミの肋骨の奥にめり込んだ。
衝撃音。
地面に着地するカナタと、背中から落下したオオカミの。
「……終わった」
荒い呼吸を飲み下して、カナタがひと言、音にする。
「了解、任務終了」
即答して俺は、
「お疲れ、加那多」と、静かに続けた。
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