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あなたが私を救いに来たのは?
「よっし、すっきり」
セシリアを襲おうとしたデ二スピエルと彼が用意した三人の男、彼らはセシリアの救い手となった美貌の男によって排除された。
そして当のセシリアは男へ感謝する気持が湧き出る前に恐怖心の方が先だってしまっていた。
なぜならば、デ二スピエルは今や温室の池に沈んでいる。
「騒がれる前に移動だな」
独り言か自分への物言いかとセシリアが男の呟きを考える間など無く、池から彼に視線を動かしたセシリアは、完全に彼から目が離せなくなった。
彼が上着を脱ぎながらセシリアのもとに向かってくるのだ。
しかしセシリアが動けないのは、彼が怖いからではない。
彼が上着を脱いだのは、今までセシリアを襲って来た男達が上着を脱ぐ行為と違う、それとは全く違っていると、彼女には解っている。
わかっているからこそ、彼が彼女に受けさせようとしている行為に対し、彼女は動けなくなっていた。それは十五歳の家族の死から今まで、彼女が誰からも与えられなかった優しさであるからだ。
彼は脱いだ自分の上着を、服を破かれたセシリアに掛けた。
「ありがっ。何を!!」
男の上着を纏ったセシリアは、地面に座ってはいなかった。
泥まみれな彼女は、美しいが恐ろしい男の腕の中にいたのだ。
彼女を抱き上げた男は、彼女の青い目と自分の目が合うと、にこっと悪戯そうに微笑んだ。
セシリアの心臓はどきんと大きく高鳴った。
やっぱり彼は天使だわ、告死天使の方。
だって私の心臓を止めに来た。
「なんて素晴らしいエメラルドグリーンの瞳なの」
「ありがとう。これは始祖に一番似てるって自慢なんだ。じゃあ医務室に行こうか。その後は適当なホテルかな」
「ちょっと待って。あ、あとは大丈夫ですから」
「やっすいチップで守るべき自分の針子を売り飛ばした女のもとには帰りたくは無いだろ?お前の安全を頼まれているから、あとは任せておけ」
「で、でも、マダムデボンヌの店には私の大事なものがあるの。私は戻らねば。ああ、何てことしてくれたの。私はもうお店を持つどころでは無いわ」
デ二スピエルが大きな商会持ちだと言うならば、店を出すセシリアに対して邪魔をしていくことは可能だ。
セシリアは自分の未来は詰んだ、と悲しく思った。
「なんだ。そこの小便たれとやりたかったのか。よくあるよな。店を開くために股を開くって。だがな、この状況で股開いてもやられ損だぞ?お前の尊敬するマダムデブンヌは、お前を娼婦として扱っていたからな。まあ、二度とそんな商売は出来ないだろうがな」
「マダムに何を?」
「道理を教えてやった」
「あなたは役人?」
「どあほう。言った通りだ。俺はお前の保護を頼まれた可哀想な人だよ。頼んで来たのはお前も良く知っているムカつく性悪女だ」
セシリアは、自分の助け手が本当に助け手と知ってほっとはしたが、少々胸の奥に虚しさを感じていた。
男にセシリアの安全を頼んだのは、セシリアが最近知り合い親友となったヴェリカ・イスタージュに違いない。
友の自分への心遣いはとてもありがたいが、結局自分が神様に見捨てられたままなのは違いないということなのだと彼女は思うからだ。
どんなに頑張っても自分の願いは誰にも受け入れられない。
自分は全てを奪われるばかりだ。
「私を助けられるのはあなたしかいないの」
セシリアの脳裏に親友の言葉が浮かぶ。
ヴェリカは両親が亡くなった後は叔父夫婦に家を乗っ取られ、彼女の両親の持ち物どころか彼女自身の存在を奪われてしまっていた。
屋敷の敷地外には出る事は出来ず、叔父家族の気分を害したという理由で粗末な部屋に水も食事も無く閉じ込められる。それだけでなく、同じ世代の従姉妹達の小間使いとして扱われていた。ヴェリカは誇り高い伯爵令嬢が召使いの扱いという辛い状況で生きてきているのだ。
どうして幽閉されているヴェリカと知り合えたのかは、イスタージュ伯爵家へ呼ばれたマダムデボンヌの助手として訪問したからである。
彼女がヴェリカに肩入れしたのは、ヴェリカが彼女を頼ってくれたからではなく、彼女はヴェリカを助ける事で幼かった自分を助けたかったからだろうと考えている。
だって私はもう二十六歳。
夢を見る年ではないわ。
「あいつは裏表ないムカつく性悪女なんだな。ちょっと見直した」
「どういうこと?」
「君は俺があいつを性悪女と言っても訂正しなかっただろ?」
「き、気が回って無かっただけよ。あ、あなたには感謝してます。でも今すぐに私を離して。私はデボンヌが店に戻る前に戻って、親友の真珠のネックレスと大事なデザイン帳、それから、大事な妹を店から運び出さないといけないの!!」
男は大きく舌打ちをした。
セシリアは自分が彼に失礼だったと申し訳無さが先だったが、男の舌打ちはセシリアに向けたものでは無かったようだ。
「あのやろ。俺が妹属性に弱いと知った上で俺に頼んできたんだったらやばいな」
「え?ヴェリカがなんて?」
「それはあと。店の場所を案内しろ」
男はセシリアに尋ねながら、セシリアを抱く腕を一本外した。
反射的にセシリアの右手は男の襟元の布をぎゅっと掴んだが、男がどうしてセシリアから右腕を抜いたのか彼女は知って彼女の指先に力が籠った。
男は自分のネクタイを外し、そのネクタイをセシリアに押し付けたのだ。
セシリアは押しつけられるまま左手に彼のネクタイを握る。
シルク独特の滑らかで柔らかな感触が手の中で感じる。
彼はセシリアがネクタイを握るや、再び彼女を二本の腕で抱き直した。
「あなた?」
「リカエルだ。ドラゴネシアの従僕だ。ほら、店の場所を言え」
「いえ、あの、このネクタイは?」
「頬を冷やすのに使え」
「濡れていないわ」
「池の水は汚染されているだろ?水が欲しければ適当に自分で探せ」
「あなたに抱かれたこの状態で?」
「俺に抱かれると濡れるらしいよって、痛い、痛たた。暴れんなよ」
「もう、もう!!最低な人。いいからもう動いて!!さっさと動いて!!」
「急かされると男は萎えるんだよなあ」
セシリアはネクタイを握っている左手でリカエルの胸を叩いたが、自分の右手がリカエルのシャツを放さない事には気付かれないようにと祈った。
いいえ、全部知っているのよ、この人は。
リカエルが彼女を腕に抱くのは、四人の男達に暴力を受けかけた彼女が今さらに恐怖を感じて歩けなくなっているのを知っているからだ。
リカエルがセシリアにネクタイを手渡したのは、零れて来た涙を彼女が拭えるようにであろう。
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