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少年の名は、理斗というらしい。家はごくごく普通の一般家庭。死んだのは妹の理奈。兄弟二人で川で遊んでいたところ、理奈が溺れた。
理斗はそれに気づかず、急にいなくなった妹を探し続けていたようだ。全て、言葉をなくした理斗の代わりに、大人たちが推測したものだが。
すっかり不登校になった理斗のとなり、わらわは腰を下ろす。
ふむ。そばの饅頭を半分に割って、理斗に突き出してみた。
「これ、うまいらしいぞ。食え」
無言で突き返される。甘いものが嫌い……なんて問題じゃないよな、たぶん。残り半分をかじりながら、一方通行の雑談を続ける。
「なぜ、川に入ったんじゃ?」
ずっと違和感があった。ワンピースほど川遊びに向かない服装はない。もしかしたら、理奈が川に入ったのは、遊びではなくて……
ふいに、理斗が顔を上げる。色のない瞳、そこには大粒の涙が光っていた。
堰を切ったように、とめどなく落ちる涙を拭ってやりながら、わらわは反省する。
失敗した。人の心はとかく難しい。
***
わらわは座敷童子である。理斗の父親が、昇進を決めた。母親は、商店街のくじ引きで一等を引き当てた。
理斗が暇つぶしに始めたゲームのガチャでは、SSRキャラが目白押し。ちょっと座敷童子パワーが暴走している気がしないでもない。
くいくいっと袖を引っ張られ、理斗のゲーム画面を覗き込む。
congratulation‼︎
の文字に首を傾げる。ふむ。英語はわからん。
すごいのだろうな、たぶん。
頭を撫でてやるとほんの少し、嬉しそうな顔になる。ほんの少しづつ、確かに、理斗は回復してきている。
でもまだ、長い長い時間がかかるものだと、わらわは信じて疑わなかった。
***
その日は、理奈の一周忌だった。時が経つのを早く思うのは、わらわが座敷童子だからという理由だけではないだろう。
黒い喪服……それも去年と違い、より洗練された高価なものに変わっている……に身を包んだ理斗の両親は、忙しそうに接待に追われていた。
一人、理斗は寺の隅で昼食のいなり寿司を喰んでいる。うまいか、と声をかけようとした時だった。
「こえ……たべ、う?」
これ、食べる?小さな、本当に小さな声。わらわ以外に気付いた者はなかった。
目の前が、真っ暗になった。
喜ばなければ。よいことのはずだ。笑って、抱きしめてやらなければ。
でも、できなかった。くるりと踵を返し、わらわは庭に飛び降りた。
『あそこに女の子がいるんだよ!』
理斗、あの子は秘密を守れるだろうか。いつ破られるかわからないと、怯えながら過ごす毎日は苦しい。
もう嫌だ、と体中が叫んでいた。
「らいじょう、ぶ?」
場違いに優しい声が降ってきた。見上げると、ちょこんと縁側に腰掛けた理斗。
「……ああ。よかったな。話せるようになって」
表情に乏しいはずの顔に、心配そうな色が浮かぶ。
「でも、わらわのことは、秘密じゃぞ」
何度口にしたかわからない、その言葉。発した瞬間、破られる日までの秒読みが始まる。
わかった、と、予想した返事はなかった。ただきょとんとこちらを見下ろしている。
「こわい?」
え。ぴょんと庭にとび降りた理斗は、そのままわらわの前にしゃがみこむ。
ぽんと、小さな手がわらわの頭に乗せられた。
「ぼくのこと、こわいの?」
違う、そうじゃない。そう言い切れない自分が嫌だった。目を逸らすわらわに、理斗が語りかける。
「なんで川に入ったのって、きみ聞いたよね。……ぼく、ほんとは理奈と、ケンカしたの。手、離さないようにって言われてたのに、離しちゃった」
なぜ今、そんな話を。思わず顔を上げると、泣き出しそうな理斗と目が合った。
見えなかった真実が、音もなく組み立てられていく。
川辺、手を繋ぐ兄弟。その手を振り払い、泣きながら走っていく少女。目を逸らす少年。
ぱちりと目を閉じて、わらわはため息をつく。慰めてやれるうまい言葉は、とんと思い浮かばなかった。
「……怖かったよね。…っ、ごめんなさい」
たしかにそれは、理奈に向けられたものだったんだろう。でも、理斗の瞳が、わらわから離れることはなかった。心底愛おしそうに、優しく。
「君は、どこにも行かないで。僕が守るから」
よしよし、と、頭を撫でられる。
このマセガキ、わらわの方が年上ぞ。
それは、ついに言葉にならなかった。
***
「座敷童子さーん?どこー?」
たんたんっと、軽やかな足音。やれやれ、忙しないことだ。ここじゃよ、と答えてやると、二つ結びを揺らしながら、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「おとーさんがね、これ、座敷童子さんにって!」
小さな手には、饅頭が一つ。礼を言って受け取ると、まん丸い目が、うらやましそうに細められる。全く。
「ほれ、半分こじゃよ」
今度こそ、差し出した饅頭は満面の笑みに変わった。
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