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『わらわのことは、絶対に秘密じゃぞ』
『わかった!』
弾けんばかりの笑顔で、少年はたしかに頷いた。よしよしとなでてやった柔らかい髪の感触は、まだ手のひらに残っている。
これで何人目だろうか。その約束は、いまだ守られたことはない。
わらわは、座敷童子だ。家に憑き、家主を幸せにするのが仕事。
虚しいと、いつも思う。座敷童子は子供にしか見えない。その子供も、成長するとわらわ達を忘れてしまう。とはいえ成長するまでその家にいられることはごく稀だ。
今回も同じだった。
『ほら、あそこ!あそこに女の子がいるんだよ!』
それが、全ての終わり。愛した子供が、大人から奇異の目で見られることを、誰が望むだろうか。わらわに残された選択は、すぐに家を出ることだけ。
あてもなく土手を歩きながら、今日何度目かのため息をつく。秘密を守れる子供。わらわのことを、隠しておける子供。次の家主は、そんな子供がいい。
川べりを走っていく子供達は、みんな楽しげだった。こっそり観察しながら、ひそかに首を振る。隠し事はできないタイプとみた。
「おうーい!そこのチビ!おかーさんはどうした、迷子かよー?」
そのうちの一人がふと立ち止まって叫ぶ。
心配してくれるなんてかわいいな、と、思わずほおがゆるむ。
ゆるりと手を振りかえしつつ、ふと自分の格好を見てみる。
今時の座敷童子は洋服とはいえ、わらわの見た目は5歳程度、一人で夕暮れの川辺を散歩するには幼すぎる。
大人を呼ばれたらあの子がかわいそうだ。わらわは急足でその場を後にした。
***
数刻後、すっかり日が落ちた土手に座って、わらわは足をぶらつかせていた。
「あれ……なんじゃろ」
何か、川を流れてくる。見ているうちにそれは岸にひっかかった。ひょいっと土手から飛び降りて、つついてみる。
ごろんと転がったそれは、人の頭だった。まん丸のひとみは、もう何もうつしてはいない。
「あー……」
よくよく見れば、小さな体もくっついている。泥だらけになってはいるが、鮮やかなピンク色のワンピースが見てとれた。幼い女の子の、死体。
そういえば最近ではあまり見てないな、とすでに息絶えた少女の額に張り付いた髪をよけてやる。疫病の蔓延、飢餓。死体など、どこにでも転がっていた時代があった。
いちいち心を痛めていては身が持たない。もちろん気分のいいものではないが。
立ち上がりかけて、ふと思った。
話せない死体。彼女なら、必ずわらわの秘密を守ってくれる。
いや、待て。死体じゃ幸せにできないじゃないか。一瞬でも名案だと思ってしまった自分がアホらしい。
自嘲ぎみに肩をすくめて、わらわは今度こそ立ち上がった。
さくさく、土手を歩く。リリリ、と虫の声が心地いい。半分ほどかけた月が、明るく道を照らしていた。
もちろん子供の姿なんてどこにも…いや、そんなことはなかった。こちらに走ってくる人影がある。
年は私より少し上……川辺で遊んでいた男の子たちと同じくらいか。
「そこのキミ!あの、あのさ、女の子見なかった?ピンクのワンピースの…」
全身泥だらけ、細い足はガクガク震えている。引きの悪さに、思わずほおが引き攣った。
「ええっと……あっち、じゃよ」
パッと顔を輝かせた少年は、足をもつれさせながら土手を駆け降りていく。
……これはキツすぎる。いたたまれない。その欲求に正直に、わらわは逃げた。
とはいえ、気になりすぎてゆっくり休めるわけがない。半刻もたたないうちに、わらわは土手に引き返していた。
いつのまにか虫の声は鳴りを潜め、イヤに静かだ。あの子、どこにいったんだろう……
家に帰っていればいいけど。もっといえば、あの子の探し人が例の死体じゃなければいいけど。まあ、それは望み薄か。
なんて考えながらぬかるんだ川辺をぽてぽて歩く。
見つけた。
桟橋の下、うずくまる小さな影があった。その腕の中にピンク色を見つけて、わらわは小さく息を吐く。
「……おい。大丈夫か?」
ゆるゆると顔を上げた少年の瞳は、何も映していなかった。何か言おうとして、口をぱくぱくさせている。しかし、いくら待っても、その口から言葉が発せられることはなかった。
「声が出せないのか?」
こくんと、わずかに首が上下する。トラウマによる、突発的な失声。
うわさ程度に聞いたことがある。でもそんなことは、わらわにとったらどうでもいいことで。
「合格だ。お前を幸せにしてやろうぞ」
利害と感情の一致というのは、どんな場合も嬉しいものだ。
にっこりと微笑んで、わらわは少年の頭をなでてやった。
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