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純粋さ
「梓葉〜〜!」
ママが私を呼ぶ声がして、重たい瞼をゆっくり開ける。
「……うっ、」
うっすら開かれた瞼に、まるで私の目をピンポイントに狙ってきたかのように差し込んできた太陽の光。
眩しさで再び目を瞑る。
──ガチャ
「もう梓葉、起きて。結衣ちゃん来てるわよ」
っ?!
さっきよりもクリアになったママの声に、私は今度こそ目をバッチリ開いて、ベッドから飛び起きる。
「えっ、今何時!」
「8時10分」
ドアのふちにもたれながら腕組みしたママが、呆れたようにそう言う。
は、8時?!
普段なら、もう親友の結衣と一緒に学校に向かっている時間だ。
「ウソでしょ?!なんでママ起こしてくれないの?!」
ママが見てるのもお構い無しに、私は部屋着を雑に脱いでから、いつもの感覚だけを頼りに制服に着替える。
「起こしてたわよ〜ず〜っと。ママももう出るから。ご飯、食べないならラップしてね」
ママはそれだけ言い残すと「行ってきます」と、ヒールの音をカツカツと玄関の方で響かせてから、ガチャリとドアを開けた。
「んもう〜!!」
慌てて部屋を出て洗面所にダッシュしてから、顔をバシャバシャと洗って、歯を磨く。
「食べてる時間なんてないよ〜!」
口に歯ブラシをくわえたまま、ダイニングテーブルに置かれた目玉焼きとベーコンののったお皿と、トーストののったお皿にそれぞれラップをする。
それから、昨日の夜干したスクールソックスをベランダからとって、手ぐしで髪を整えてから、バッグを肩にかけて。
──ガチャ
勢いよく玄関を飛び出した。
「ハァ、ハァ、ハァ、ごめんっ、結衣っ!」
マンションの階段を駆け下りて、エントランスの方で私を待っていた親友の橋本結衣に両手をパチンッと合わせてから謝る。
「おーおー。珍しいではないか。しっかり者のアズが寝坊なんて」
カールした明るい茶髪の毛先をクルクルと指に絡め、今日もバッチリ施したメイクで私を見つめる親友。
側から見れば、いわゆる“ギャル”という部類に入る風貌をしていて、第一印象では怖がられる結衣だけど、根は友達思いの優しい子。
「ほんっとごめんっ!英語の課題、苦戦した問題が何個かあって……寝たの遅くなっちゃったんだ」
結衣は「え、カダイ?マジか……」なんて一瞬、顔を青ざめさせたけど「5時間目までに出せばいいから、手伝おうか?」と私が声をかけると、たちまち顔の血色が良くなった。
「いやー、やはり持つべきものは岡部 梓葉ですなー」
嬉しそうにそう言って歩き出す結衣。
「なにそれ〜。手伝うって言っても、答えまるまる写させるとかじゃないからね?解き方を教えるだけだから」
「えっ、そ、そんな固いこと言わないでさー」
「んー?聞こえな〜い」
途端に焦り出す結衣の反応がおかしくて、少し意地悪なことを言うと、「もー!アズの鬼ぃ!」なんていう結衣の可愛い声が響いて、朝から吹き出す。
「え〜、ここが矢吹くんの家?」
「あぁ」
っ?!
マンションのエントランスを出るとすぐ、二人組の男女が腕を組みながらこちらに向かってくるのが見えた。
「そっかー。いいところだね。ふふ。部屋、本当に借りていいの?」
「あぁ、好きなだけ。時間になったら起こすよ」
ふわっとした綺麗な女性と、
っ!!
隣の男性を見て、私は慌てて目をそらす。
私と結衣のことなんて、まるで見えていないみたいに通り過ぎた2人は、そのままエントランスの先の方へと消えていった。
「うっわ、何あれ。大人やっばっ!朝帰り?!しかもめっちゃ美男美女!」
男女がいなくなったのを確認してから、私の腕をバシバシと叩きながら、興奮気味に早口で話す結衣。
結衣もあの人たちの会話が聞こえていたらしく「ひょえ〜」と変な声を出して驚いている。
そりゃ、あからさまにあんな言い方されちゃうと『朝帰り』なんて思っちゃうよね。
きっとそうだし。
女の人の隣を歩いていた男の人。
実は、私の家の向かいの部屋に住む、会社員の矢吹さんだ。歳は多分、20代後半。
矢吹さんが引っ越してきたばかりの時、一度うちに挨拶に来ていた。
挨拶すれば返してくれるし、見た目もかっこよくて清潔感があるから、ママやパパは「いい人がお隣さんでよかった」って言っていたけど。
私は、正直、矢吹さんが毎回別の女性を連れているのを見かけるのが、今回を合わせて5回目になるので、本当にいい人かどうかはよくわからないといったところ。
まぁ、とにかく、私とは住んでいる世界が違うような大人だ。
関わることは一生ないと思うから、関係ないっちゃないんだけど。
特定の人を決めず、複数の女の人と関係を持つってどうなんだろう、とは思うわけで。
「アズ」
大人になるとそういうのが、一種のストレス発散のようなものになってしまうのかな。
「ア〜ズ?」
まぁ、初恋の1つもしたことない私にはまったくもって無縁の話────。
「岡部 梓葉!」
っ?!
「はいっ!!」
真横ではっきり名前を呼ばれてハッとする。
でも、隣を歩いていたはずの結衣の声ではない。
「ったーくー、なーにぼーっとしてんの」
そういって目の前に現れたのは、去年から同じクラスの濱谷淳くん。
「あ、おはよう。濱谷くん」
周りを見渡すと、私はもう、教室のすぐ目の前の廊下まで歩いてきていたらしい。
ぼーっとしてて全然気づかなかった。
「ほれ、結衣の顔、見てみ」
促されて、隣の顔に目を向けると、プクーっとほっぺを膨らませた結衣がこちらを睨んでいた。
「あっ、ごめん結衣っ」
「も〜!ここに来るまでに何度も話しかけてるのに、全然反応しないんだもん。寝坊でまだ寝ぼけてる?」
「え、何、アズが寝坊?」
珍しいと言いたげにこちらを見る濱谷くん。
小麦色の肌と太陽で焼けた赤みがかった髪の毛が、濱谷くんの鍛えられた身体を余計引き締まってみせる。
サッカー部のエース。
この学校では知らない人はいないんじゃないかと思うくらい、女子からも男子からも人気の存在だ。
「うん。昨日遅くまで課題やってて……」
そういうと「課題!そんなんあったわ!俺の手伝って欲しい!」なんて結衣と似たようなことを言い出したので「はいはい」と笑って返事をした。
「あ、アズ」
「ん?」
教室に入って席に座ると、濱谷くんが何かを思い出したように私の席にやってきた。
「今日の放課後、時間ある?」
「え?」
「あ、いや……サッカー部のやつがさ。3組の佐藤ってやつなんだけど、アズに話があるみたいで。多分、」
「また告白か〜」
隣で私と濱谷くんの会話を聞いてた結衣がかったるそうにそう吐いた。
「ん。放課後に体育館裏に来て欲しいんだってさ」
「うん、わかった。ありがとう伝えてくれて」
「ほんと、よくやるよね〜。アズが告られてもオッケーしないのは有名な話なんだからわかるでしょ」
呆れたように机に頬杖をついて話す結衣。
私は「ほんと私の何がいいのか……」と苦笑する。
「っていうか、アズはなんで誰とも付き合わないんだ?好きな人でもいんの?」
「ううん。告白してくれるのはすごく嬉しいけど、だいたいよく知らない子ばっかりだから……付き合うとかよくわからないし、今の私には時間がないかな」
私がそういうと、濱谷くんは「そっかー」と相槌を打った。
前に、結衣に「はまやんなんかはどうなの」なんて聞かれたこともあったけど、いまいちピンとこない。
そりゃ、カッコいいの部類に入る顔立ちだし男女問わず人気があるけれど、彼にときめいたり、胸が苦しくなったりって感情はないし。
「まだまだだな〜アズ」
「え、何急に」
得意げに私の名前を呼んだ結衣がドヤ顔でこちらを見ている。
「時間がないから恋ができないんじゃないんだよ。時間がなくったって、本気で好きな人ができたらその人のために死んでも時間を作るもんなの」
「まるで、私は恋多き経験豊富な女です〜って言ってるように聞こえるな」
バシッと決めたように見えた結衣に濱谷くんがそう突っ込んだ。
「って、この間読んだ少女漫画に書いてあった」
「やっぱりそこからかよ」
2人のやり取りは見てるだけで自然と笑みがこぼれる。今は、正直、恋とか彼氏っていうよりも、この時間を大切にしたいなって思ってる私って、変なのかな。
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