コーヒー派だったのにな

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コーヒー派だったのにな

「あなたを、あいしています…」 ………。 ですよねぇ。 暖かな陽が差し込む公園のベンチで俺はほんの少しだけネクタイを緩め、コーヒーカップを握り締めながら四角い画面を凝視していた。 コーヒーカップ、検索結果、そしてまたコーヒーカップ…。 視線はあちらこちらに移動して、先程の出来事を思い出し、またううむと思案する。 俺の視線の先にあるもの…。正確には、コーヒーカップの片隅に書かれた手書きのメッセージだ。 去年俺が働くオフィスビルの一階に出来たチェーン店で、今ではすっかり行きつけになっていて、こうしてお昼休みや考え事をしたい時、或いは何も考えたくない時なんかにふらりと立ち寄っては好きな香りにいつも癒されていた。 いつからだろう、多分数ヶ月くらい前だったと思う。 その店にやたらと目立つ背の高い店員さんが働くようになってから、いつもはそれなりだった店の客数も今までとは比べ物にならないくらい増えてしまって…。 俺の癒しの時間も混雑した店内を思うと自然と足が遠のいてしまった。色んな人の香水の香りが俺の好きなコーヒーの香りを上書きしていくようで、最近ではコンビニの方に買いに行ってたりしたっけ。 だが今日は、珍しく人が少なくて。 お昼休憩に行こうとしていた俺は「ラッキー」と思って一ヶ月振りくらいにその店に入ったんだ。 するとそこには帽子を目深に被った背の高い店員さんがいて、ちょっと驚いたけれどいつもの通りコーヒーだけ注文していつもの通りに受け取った。その後だった。 コーヒーカップに書かれた手書きのメッセージに気づいたのは。 そこには達筆な筆記体で…"i love you"と綴られていた。 一瞬見間違えたのかと思って、何度も何度も確認した。あまりに達筆すぎてそう見えるだけなのかとも。 けれど何度見ても同じ文字にしか見えず、こうして公園のベンチでその言葉の意味を検索なんかしてしまっている。 そうだと決め付けているだけで、何か別の…例えば「お仕事頑張ってくださいね!」的な意味合いがあるんじゃないかと…。 結果はまぁ同じだった。俺の知っている通り以外の意味は何度検索しても出てこない。 そもそも手書きに見えるだけで、これはコーヒーカップの元々の模様なんじゃないかとも思ったが記憶の通りならばこんな模様は見たことがなかった。 もっと言うならば、まぁ、あの帽子の店員さんが熱心に何か書き込んでいるのを俺は見ていた。 そしてそのカップを手渡したのも彼、顔のよく見えない店員さんだ。 接客業であんなに顔が見えないくらい帽子を被るのは大丈夫なんだろうかなんてぼんやり思いながら、俺は「どうも」と流れるような動作でカップを受け取った。 まとめると、彼がこの文字を書いた。そしてそれを俺に手渡した。 これが例えば"have a nice day!"とか、"thank you!"とかならこんなに悩む必要もなかったのだが…。彼は、顔がよく見えなかったがもしかして海外の人なんだろうか。 背が高いし、帽子から見える髪色は紅茶のような明るい茶色だったし、こんなにも達筆な筆記体をさらさらと書けるし…。 それで、もしかしたら彼なりのエールみたいな、親睦を深めるみたいな意味で"i love you"と書いたのだろうか。 もうさっきからずっとそんなことでぐるぐると思考を巡らせては、分からなくて溜め息を吐く。 あの人に接客をしてもらったことは、覚えてないが多分何度かあった。と思う。 そう言えば初めの頃はあんな帽子被ってなかった気がするなぁ…。 いつも店員さんの顔をガン見することなんてないから、気にしたことがなかった。 「あぁ…そうこうしてるうちに休み時間が…」 ふと時計を見ると、もう半分も残ってない。とりあえずと軽食のゴミは捨てて…いつもならコーヒーのカップも一緒に捨てるのだが、流石にそれもできなくて持ち帰ることにした。 「お疲れ様でーす。あぁ!そのカップ…!」 「えっ、えっ、何すかびっくりした…」 オフィスに戻ると、同僚が俺の持っているカップに過剰反応してこっちが驚いた。 俺のその反応にも構わず、興奮したらしい彼女は続ける。 「一階のとこのでしょっ!?行ってきたの!どうだった!彼は!?彼は居たの!?」 「ちょっ、落ち着いて…。彼?って誰よ…」 「彼だよほら!あの背の高い、ハーフみたいな顔立ちのめっちゃくちゃ綺麗な子!!話題になってたじゃん!!」 「そうなん…え、えぇ?話題に…なってたような…」 確かに一時期めちゃくちゃお客さん増えてたし、俺もそれで通うの止めてた時期あるけど…。 でもまだ、ちょっと彼女の言っていることが整理できない。彼。背の高い。ハーフ、みたいな。 もしかして今日俺を接客してくれた…?あの、文字を書いた…? 点と点が繋がりそうなところに、同僚はもうほとんど独り言みたいな声音で説明してくれる。 「ほらぁ、人目見たら分かるでしょあんな美形!バイトか正社員か分かんないけど、うちの社員も彼見たさにこぞって買いに行ってて…なのに、それがさぁ、最近全然見かけなくなったの。辞めちゃったのかなぁ…」 「いや、どうだろうな…」 それってやっぱり、もしかして今日の…。そう思い当たるが、はっきり「居たよ」と断言するのは伏せておいた。 今ここでそう言ってしまえば、また以前のようにあの店に「彼目当て」の客が押し寄せる事態になりかねない。 そうしたら俺の癒しの場がまたなくなってしまうし、それから…。 それから、このカップは結局どうしよう。 悩んだ結果、俺はやっぱりコーヒーが入っていたカップを家まで持って帰って、洗って乾燥させて、またまじまじと眺めた。 そうしてベッドの上に寝転がってその文字を見ているうちに、もしかしてと一つの可能性が思い浮かぶ。 「もしかしてあの人………渡す相手を間違えたんじゃないか!?」 そうかもしれない。俺ではなくて、誰か別のお客さんに渡すつもりだったのではなかろうか。 彼、いろいろテキパキしてるししっかりしてそうだけど、緊張して間違えてしまったとか。 あの時店内に他に並んでいるお客さんが居たのかと言えば………俺以外に居なかったかもしれないが。 でもほら、好きな人に渡す練習をしていて、間違えて俺のカップにも書いちゃったとか。 或いはやっぱり違うメッセージを書こうとして、練習の成果が出ちゃって結局…とか。 だとしたら俺すっごい邪魔をしてしまったのでは?馬に蹴られてしまうのでは? それはやだな…。よし。明日、これを返しに行こう。 使用済みのカップを渡されても迷惑かもしれないが念の為、人違いをしていたら大変だからなぁ。 「え」 「いや、だから使用済みのやつ持って来られても迷惑かもですけど…コレ、渡す相手を間違えたのではと」 翌日早速店に行ってみると、あの背の高い店員さんが居た。多分同一人物だと思う。髪色も一緒だし、仕草とかも多分そう。 俺は直接カウンターに行き、幸いなことに人の少ない店内で彼と向かい合って件のカップを差し出した。 メッセージがよく見えるようにして、スッと持ち上げる。 目深に被られた帽子と紅茶色の髪の隙間から、きらりと何かが光った気がした。 「コレ…」 俺の手からカップを受け取ってまじまじと眺めると、彼は何でもないことのように言った。 「コレ、お兄さんに書いたものですよ。間違いないです。人違いでもないです」 「えっ、そうなんすか」 「はい。貴方宛てです」 「はあ…」 俺宛て。俺に、書いたもの。 ………何で? ならばやっぱり、この文字列には俺の知る以外の意味があるということか…。 「お兄さん、英語苦手です?」 「えぇっと、一応得意分野だとは思ってたんですけど…」 「今度は日本語で書きましょうか。あ、何かご注文されますか」 「あ、じゃあいつもの、」 「アメリカーノ、ホット、Mサイズですね。少々お待ちを」 な、何かめっちゃ覚えられてるぅ…?いやでも普通か。これくらい…普通か…? そうして受け取り口へ行くと、また彼がさらさらと何かを書いていた。それをじいっと見ていると、不意に顔を上げた彼がふわりと微笑んだ。 不意打ちである。帽子、いつの間に取ったんだろう。確かに同僚の言う通り、これは人目を惹きつけるだろうなぁとぼんやり思った。 「どうぞ。これもちゃんと、貴方宛てです」 「あ、どうも…」 受け取ったカップを見る。くるりと回してメッセージを見つけると、ぶわりと頬が熱くなるのを感じた。 "一目惚れしました。この番号に電話してください" 「書いてある通りです。また通ってくれるようになってすげぇ嬉しいです」 「え、あ、ど、どうも…?」 こんな漫画みたいなこと、ある…? 困惑したままでいると、紅茶色の髪がふと顔の近くに来ていることに気がついた。 「また、そのカップ、返しに来てください。次も貴方宛てにメッセージを書きますから」 「えぇ…。マジすか」 「マジっすよ」 俺、紅茶よりコーヒー派なんだけどなぁなんて心底どうでもいいことが脳裏を過ったが、髪よりも薄いキャラメルみたいな色をした瞳に見つめられると「はい」としか言えなかった。
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