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〚短編〛邪龍の鉤爪 - 2023.04.19 / 84,803字
★keywords: ハイファンタジー 男主人公 Cランク冒険者 ミステリー シリアス
(履歴)※再編中
2023.09.17 なろう削除後、単品として再掲
(履歴)
2023.04.19 前編 新規 8,922字 ハーメルン note、書庫:なろう カクヨム
2023.04.22 前編 一部日本語的表現見直し 8,926字
2023.05.02 前編 一部誤記修正 8,926字
2023.07.15 再編中 前編、中編、後編 → 一話、二話 + 三話 14,330字
旧題「[短編]邪龍の鉤爪(前編) - 2023.04.19 / 8,926字 +(中編)- 2023.05.04 / 13,565字」
以下 各話冒頭に掲載
■一話.
………………
ある日、俺はとある用件のために活動拠点である王都の冒険者ギルドを訪れていた。
受付で到着を告げると、すぐに奥へ向かう様にと促される。
そうして連れて行かれたのは通常の依頼では使用しない一室。
盗聴・覗き見防止の結界が張り巡らされた特別室だ。
「済まん、待たせた」
「いえ、急な召喚に応じていただきありがとうございます」
「他の支部の助っ人か? 見ない顔だが」
「はい、今回の依頼のために臨時で」
とある用件というのはギルドからの指名依頼だった訳だが、指名された対象というのはソロで活動する俺ひとりという話だった。
いくら指名依頼とはいえ、そんな眉唾な話があるもんかと俺は訝しんだ。
「そんな訳ありっぽい依頼のために一介のCランク冒険者に過ぎない、しかもソロ活動がメインの俺をわざわざご指名とはどんな風の吹き回しだ?」
俺は高ランクとはいえない無名の冒険者で、ソロがメインだし天涯孤独の身の上なので不慮の事故で死ぬことがあったところで後腐れは無い。
経験上、そういった類の身の上の人間に声が掛かるのは訳ありな依頼であることはほぼ間違いない、というのが俺の見立てだった。
「ご心配されるようなことはありませんよ。
まあまずはこちらをご覧ください」
そう言って臨時の助っ人だという担当の受付嬢は依頼書を差し出した。
「何じゃこりゃ。『激辛ラーメンをたらふく食したい』だあ?
それでこれが元々は勇者パーティへのお偉いさんからの依頼で、勇者サマはこれを断ったと?」
「はい、そうです」
「ラーメン食べたい、が勇者サマに対するエライ人の依頼?」
「依頼主をよく見て下さい」
「だ、『大神殿』!?」
「やんごとなきお方というのはどうやら聖龍様らしい、というのが専らの噂なんです」
「でも噂なんだろ、噂」
「噂と言いつつ、ご本人と分かる様な物的証拠もある訳でして……」
「えぇ、まじでェ!?」
「その……まじ、という感想は大神殿からのご依頼ということに対してでしょうか?」
「いや、聖龍サマが激辛ラーメン食いてえんだって話」
「はい、まじです」
「で、それを勇者サマはお断りになられたと」
「勇者様ご指名の依頼というのは大神殿でも滅多にないことらしいんですが……」
「でも、こんな変な依頼初めてなんじゃないか?
別に勇者サマじゃないと駄目って内容にも見えないんだが」
「今までは聖龍様がどうしてもというご希望を出されたときは神官様方が総出で当たってどうにかしていたとか」
「じゃあ今回も何とかすれば良いんじゃないのか?」
「それが神官長様がぎっくり腰になられたとかで急遽……」
「何だそりゃ。で、勇者サマは何て?」
「一言『くっだらねえ』、と仰られたとか」
「全くもって同感だがなぁ」
「しかし聖龍様がゴネ出したら新年の闘技大会の開催にかかわるとかで……」
「全く話が見えないんだが?」
「毎回闘技場の観客席に結界が張られるじゃないですか、あれって聖龍様がやってたらしいんですよ」
「えー、でもそれこそ神官サマがたが総出で頑張れば良いんじゃないのか?」
「そこはほら、優勝者は勇者様とのエキシビジョンマッチの出場権がもらえるじゃないですか」
「ああ、なるほどそういうことか」
「はい、この制度が出来てから諸国から猛者がやたらと集まるようになりまして……」
「それで聖龍様にでも頼まないと結界がすぐにぶっ壊れると」
「はい、聞いたところによると」
「結局勇者サマが原因なんじゃねえか……」
「それが勇者様は『激辛ラーメンなんてどうでも良いだろ』の一点張りでして……」
「まあ確かにどうでも良いな」
「依頼書をお持ちになった神官様によれば、聖龍様曰く『激辛ラーメン>>>(越えられない壁)>>>闘技大会』だそうで……」
「まあ確かに人間の闘技大会に興味なんぞねえか」
「というわけでこの依頼、受けていただけませんか?」
「いや何で俺が? それとこれとは話が別だろう」
「条件に合いそうな冒険者があなたしかいないんですよ」
「何だそりゃ」
「依頼書にもう一枚、後から別紙で追加条件が提示されまして」
「そんなのルール違反だろう?」
「それはそうなんですが、その別紙が聖龍様ご自身が書かれたとしか思えない代物だったんですよ」
「あれ? じゃあ依頼書は直筆じゃないのか」
「ええ、身分の高い方はは大抵お抱えの祐筆を使うと思いますので」
「たかが冒険者ギルドの依頼書にそんな手間を?」
「ええ、まああなた方が日々周りに舐められないようにと必死で立ち回っているのと大差ないとは思いますけどね」
「俺はそんなこと考えたことなんて無いけどな」
「だからこそ適当な方ではだめなんですよ、この依頼」
「何だそりゃ? その追加条件には何て書いてあったんだ?」
「この案件は討伐依頼ではないのでランクの制限などは特に設けられていないのですが、受ける方に関して発注要件というか要望が書かれていまして」
「で?」
「“面白い奴を寄越せ”と」
「それだけ?」
「はい、それだけです」
「それをわざわざ追加で?」
「はい」
「聖龍サマがか?」
「はい」
「ちょっと待て。
何がどうなったら俺しかできないって結論になるんだ?」
「いえ、ギルマスからの推薦でして」
「念のために聞くけどギルマスってここのギルマスだよな?」
「はい、王都のギルマスですね」
「何で俺なんかのことを知ってるんですかねえ」
「さあ? 恐らくは依頼書の内容を見てのご判断ではないかと」
「うん? やっぱり分からん」
あ、コレはもしや噂に名高い“強制イベント”って奴か?
いや、ラノベじゃあるまいしそれは無いか。
別にチート能力を貰ってる訳じゃ無いしな――
「それと注意事項なんですが……聖龍様は勇者様がお断わりになられたことをまだご存知ありません」
「それのどこが注意事項なんだよ……ってわざわざ追加条件なんてものまで送って寄越したのにか?」
「追加の依頼書は本来の依頼とは別に送られて来たんです。
こんなこともあろうかと、ということらしいのですが」
「そりゃ手回しのよろしいこって……まあ、だったら注意するほどのもんでもないだろう、予め可能性を鑑みてのことだったらな」
「はい。まあ知らなかった体で、という感じでお願いしますね」
「ったく……まあ分かった、受けてやるとすっか」
「ありがとうございます」
まるで俺が受けんのが既定路線です、とでも言わんばかりの勢いだなあ。
しかしこの人……さっきからどうも様子がおかしい。
「ところで、どこか具合でも悪いのか?」
「え?」
「いやだって、顔色が悪いからさ。
何かこう……魔力欠乏症っぽい感じ?」
「あ、いえ。実を言うと私の方も急な依頼でちょっと寝不足になってまして」
「そうか、まあお大事にな」
「お気遣いありがとうございます」
「じゃあいつでも来いっていうし早速明後日の朝イチで行ってくるとするわ」
大神殿は早馬で一日の距離にあるから最速で明後日なんだよな。
「それでは使い魔の先触れを出しておきますね」
「おう、疲れてるとこ悪いけど頼むわ」
「はい、それではよろしくお願いいたします。
何かあったらご連絡下さいね」
「次に会うのは達成報告のときと行きたいもんだな」
「はは、そうですね。では楽しみにお待ちしていますね」
「ああ」
ペコリと頭を下げる臨時の受付嬢に背を向け、俺はいつもの通りヒラヒラと手を降りながら応接室を後にした。
……使い魔の先触れだって?
魔女が何で受付嬢なんてやってんだろ。
◆ ◆ ◆
「何じゃ、やっぱり勇者は来んかったか。
予想通りとはいえつまらんのう」
「何じゃはないんじゃないですか、聖龍様。
せっかく聖龍様のご依頼をお受けしようと伺ったんですから、もうちょっと労っていただけないと士気に関わります」
「口の減らぬ冒険者よのう」
「すみません、しがない一般人なもので」
俺の発言はどうやら不敬の連続だったらしく、お付きの神官が何度も掴みかかろうとしては聖龍様が良いではないかと制してぐぬぬとなる、そんな場面が何度か繰り返された。
実際話してみて分かった。
この方はきちんと敬意を払って接するべき存在だ。
だがしかし、残念ながら俺はただの中堅ランク冒険者なのだ。
文句があるなら指名してきたギルドに言え、だ。
まあ俺はこういうのも冒険者の醍醐味だよな、くらいの感覚で呑気にその場を楽しんでいた。
実際、器の小さい小貴族あたりだとこういうやり取りで冒険者を打ち首にしたりすることもあるという話だ。
チンピラ冒険者なんかと一緒で舐めんなよ、ということだな。
まあ日本人の感覚だと神様に準ずるくらいの存在が目の前にいたってそんなものなのだが、当然この世界じゃ相当におかしいことらしい。
と言ってもまあ、何を今更って話だ。
「そんなこと仰られるんなら作って差し上げませんよ、激辛ラーメン」
「ぬ。激辛ラーメンじゃと?
妾はそんなもの頼んでおらぬぞ?」
「え? そうなんですか?
でもギルドの依頼書には“激辛ラーメン”と明記されていましたが」
「ああ、酸辣湯麺を知らぬ者が対応したのであろう。
あれは東国の一部の地域でしか食されておらぬ珍品故な」
「酸辣湯麺ですか」
「それでどうじゃ、お主に出来るかの?」
これ、依頼内容の不備で不成立の案件なのでは……
でもそんな理由で断ったら首が飛ぶんだろうなあ、物理的に。
Sランクとかの奴らはこういう話をいとも容易く蹴るんだよなあ。
俺も散々不敬を働いておいて言うことじゃないけどな。
まあなるほどだ、お鉢が回って来た理由は腑に落ちた。
中くらいのランクでもある程度偉い人と話せてこんな依頼でも断らなそうなお人好し、それが条件て訳かあ。
「まあ大丈夫です。材料を調達してきますので3日程いただけますか?」
「ほう、珍しいこともあるものよの。
“ラーメン”が何かを知っておるだけでも滅多にないというに」
「ははは、数年前に受けた依頼で東の帝国を訪れる機会がありましてね、そのときに少々」
「ほほう、なるほどの。では期待して良いのじゃな?」
「はい、勿論です」
「ああ、それと闘技場一杯分などという無茶な量は用意せずとも良いぞ。
人化して食す故な」
「はい、勿論です」
「何じゃ、つまらんのう。では頼んだぞ」
「お任せください。早速準備に取り掛かります」
「うむ」
最後の最後でまたお付きの神官がキレそうになっていたが、聖龍様は俺との会話を楽しんでいた様なのでセーフだと思う……多分。
龍の表情なんて分からんけどね。
そして結論から言うと、依頼の達成に関しては何の問題も無かった。
何故かといえば俺は酸辣湯麺の作り方を知っていたからだ。
この世界にある材料でどうやって作るか、それも研究済みだ。
それよりも依頼内容の不備、こっちの方が問題だ。
酸辣湯麺と言ったのを何でわざわざ激辛ラーメンに置き換える必要がある?
下手するとラーメンのことすら知らない可能性が大きいのにだ。
俺の中で、その不自然さがどうにも引っ掛かっていた。
ついでに言うと新年の闘技大会の件も適当なでっち上げだった。
何で分かったのかといえば、それは本人……もとい本龍に尋ねてあっさり否定されたからだ。
「何じゃ? 妾はそんな仕事はとうの昔に魔道具で“自動化”しておるぞ」
本当に何でわざわざそんなことを……?
しかし俺は、そんな疑問もそこそこに大神殿を後にして準備を始めるのだった。
目の前のことに気を取られて大事な部分を見落とすのは昔からの悪い癖なんだ……
◆ ◆ ◆
3日後。
予告通り準備を終えて戻って来た俺は、すぐにとある小部屋へと案内された。
その先はキッチンの付いた小奇麗な客室だった。
そこで可愛らしいお婆ちゃんがちょこん、とテーブルについて俺を待っていた。
この人物をを俺は知っている。
世界一有名なお婆ちゃん、人化の術で人間に化けた聖龍様だ。
聖龍様が無理矢理に人払いを要求するとお付きの者も渋々部屋を辞して隣室に移り、その場にいるのは俺と聖龍様の二人きりになった。
「早う」
聖龍様はそれだけ言うと、俺が料理を終えるのをじっと待っていた。
……何やら熱い視線が痛い。
人化の術は秒単位で魔力を消費するため、桁外れに大きな魔力を有する者しか扱うことができない。
本来聖龍様ならば楽勝と言っていい程度の術ではあるが、それは全盛期の話だ。
今の聖龍様は高齢のためか魔法を使うどころか空も飛べないし、ブレスを出すことだって困難だ。
それがわざわざ人化した状態で俺の料理が出来るのを待ってくれているのだ。
今となってはこの依頼を下らないと一笑に付そうとしていた自分が恥ずかしくなる。
この期待を裏切ることは出来ない。
「……こちらです」
俺は出来上がった酸辣湯麺をそっと差し出した。
聖龍様が箸を握り静かにひと口、ふた口と麺を口に運ぶ。
敢えて言うまでもないことなのかもしれないが、この酸辣湯麺は当然、地球の中華料理だ。
それが何故異世界にあるのかと言えば、これまた当然の話だが異世界人である過去の勇者が持ち込んだものだからだ。
「お味の方は如何――」
俺は口にしかけたその言葉を引っ込めざるを得なかった。
「はは、酸っぱ辛いのう……ははは」
聖龍様は大粒の涙をポロポロと零しながら麺をズルズルと啜っていた。
この国……いや、この世界ではどの国でも音を立てて食事をするのはマナー違反だ。
しかし聖龍様は行き付けのラーメン屋で一杯引っ掛けるサラリーマンよろしく、盛大に音を立て夢中になって酸辣湯麺を口に運んでいた。
止めどなく流れる涙は決してラーメンの辛さから来ているものではない、ということは傍目にも明らかだった。
俺はどうにもいたたまれなくなって黙って眺めていることしか出来なくなった。
聖龍様はそんな俺を気に留める様子もなくズルズルと麺を啜っている。
人の国では神の如く持ち上げられる立場だ。
ラーメンをズルズルと食する機会など皆無だったのだろう。
しかし目の前のこの方はきっと、俺みたいな人間如きには想像もつかないような色んな過去を経験して来たに違いない。
こうして美味い……美味いのかどうかは分からないが、こうしてラーメンをご馳走していれば、いずれはその経験談を聞かせてもらうことも叶うのだろうか。
俺は美味そうにラーメンを啜るお婆ちゃんを眺めながら、今からでもラーメン屋なんて始めてみるのも悪くないな、などということをとりとめもなく考えていた。
「……お主のお陰で良い時間を過ごすことが出来た。
心から感謝するぞ」
「ご満足いただけた様で何よりです」
“心から感謝する”か……
もしかすると、俺に対する気遣いと言う奴もあったのかもしれない。
聖龍様は決して我儘などではなく、そういう心遣いが出来る方だった。
本当に、俺程度の腕前なんかで良かったのだろうか……
「個人的に追加での報酬も考えておこう。楽しみにしておれ。
ただ、このことはくれぐれも他言無用にな。
ああ、このことというのは勿論、個人的な報酬のことじゃぞ。
妾とそなた、二人だけのヒミツじゃ」
別れ際にそんなことを言われてもまだ、信じられなかった。
食べ終わった後の聖龍様はとても良い笑顔で、最後の一言などウインクのおまけ付きだった。
その楽しげな様子を見た俺は、ついぞ尋ねることが出来なかった。
あの大粒の涙が何を意味するのか……
いずれまた……会える機会があれるならそのときに聞いてみよう、そう思った。
「追加報酬なんて勿体ないお話です」
「はは、謙遜するでないぞ」
そうだ、この方なら……
「もし本当に追加報酬を考えてもらえているのでしたら、そんなもの俺は結構です。
そうですね……どこぞの孤児院にでも寄付していただけると嬉しいです」
「ははは、妾からの報酬をそんなものと断ずるか。
そうかそうか」
「ああ、お気を悪くされたら申し訳ありません」
「何、妾は大いに愉快じゃと、そう申しておるのだ。
子は国の宝故な」
聖龍様はそう言いながら上機嫌で証明書にサラサラとサインをしてくれた。
「では、またの機会を楽しみにしておるぞ」
「はい、酸辣湯麺位のものでしたら幾らでも作りますので気軽に呼んでください」
「うむ。では、またな」
「失礼します」
大神殿を出た俺は、その足でギルドへと向かった。
一刻も早く完了報告をしなければと、そう思ったからだ。
今回は別段応接室に案内される等といったことは無く、いつも通りの窓口での立ち話だ。
対応したのも先日応接室で話した臨時の担当者ではなく、馴染の受付嬢だった。
彼女は直筆のサインを見て硬直し、俺の周囲は俄にざわつき始めた。
しまいにはギルマスまで野次馬しに来て「マジかよ、これ絶対ネタだと思ってたんだぜ! こんなんなら自分で受けりゃ良かった!」などと叫び出す始末だった。
どういうことかと尋ねれば、どうやら勇者サマから「こんな依頼は何でも受けそうなお人好しを指名して押し付けときゃ良いんだよ」などという入れ知恵をされていたらしい。
あー、ということは勇者サマもネタ依頼だと思ってたのかぁ。
まあ、そりゃそうだ。
聖龍様はこの国じゃ神様の次に偉いお方なのだ。
国王陛下ですら跪く雲の上の存在が直々にサインをくれたというのは結構な大事件だ。
普通に考えたら有り得ない話だってのも分かる。
まあだから何だという訳でもないのだが。
それにしても聖龍様は個人的に追加報酬を出してくれると言っていたが、俺の要望を聞き届けてくれるというのならギルド経由で何か連絡でも寄越して来るのだろうか。
いや、他言無用と言っていたくらいだ。
俺に直接使者を送ってくるとかかもしれない。
そう思うともうちょっと落ち着いて確認なりしてから出て来れば良かったと少しだけ後悔した。
とはいえ万事が上手く行って、そのときの俺はホクホク顔だった。
ギルドの皆も驚かすことが出来たし、依頼書に書かれた報酬だけでも結構な額だ。
追加報酬の話なんて無くても俺は十分に満足していたのだ。
そんなこともあってそれからの数日は特に依頼を探したりもせずただブラブラとしていて、その追加報酬の話などもうすっかり忘れてしまっていた。
しかし――
「それは……本当なのか……」
「はい。本日未明に身罷られたとの一報がつい先程」
聖龍様が亡くなった。
それはあの日から僅か数日後のことだった。
原因は老衰であって特に病気などを患っていた訳ではない、との話だった。
俺はあの日の出来事がかなり際どいタイミングだったという事実を知り、思わず背筋が冷たくなるのを感じた。
これで確認の機会は永久に失われてしまった。
何故あのとき尋ねなかったのか……
俺は心の底から後悔した。
「あの、それでなのですが」
「ん? 何だ?」
「先日の依頼の追加の報酬です」
そう言っていつもの受付嬢が提示したのは目も眩む様な大金だった。
「こ、これはもしや聖龍様から?」
「いえ、勇者様からと伺っております。
このタイミングで申し上げるのも何なんですが……下らないことに巻き込んで済まなかったと」
「いや、だからってこんな大金……」
あのとき、聖龍様と勇者サマとで何か話す様な素振りは一切無かったと思う。
そもそも他言無用といったものを自分から誰かに話したりするだろうか?
それに俺は自分は要らない、どこぞの孤児院にでも寄付してくれと頼んだ筈だ。
それとも何か?
今回の依頼人が実は勇者サマだったとかいうオチなのか?
腑に落ちなかった俺は、唖然とする受付嬢をどうにか宥めて受け取りを一時保留ということににさせてもらった。
勇者サマの申し出を断るなど、これまた前代未聞のことなんだそうだ。
本当にやれやれだぜ……
ちなみにその後、気を取り直した受付嬢からちょっとした噂話を聞くことが出来た。
何でも、次代の聖龍様は人化するとそれは見目麗しい姫君になるとかで、勇者サマが騎竜として連れ回しているんだそうだ。
おまけに勇者サマが変な方法で“手懐けた”せいで変な性癖に目覚めてしまったとか何とか。
人化の術など、それ程長い間維持できるのだろうか。
そう思って尋ねると、すごい魔石が手に入る目処が立ったとかで、魔道具で何とかするという話だった。
全く、金持ちの考えることは分からんなあ。
神官長様も「何とも困ったことです」と言って頭を抱えていたらしい。
うーん。何というか……業が深いな……
その翌日。
王国各地でお触れが掲げられ、聖龍様の逝去が人々の間にも正式に周知された。
その後、王都では大々的な葬儀が催され――“催す”という表現が妥当なのかは分からないが――国を挙げての大騒ぎとなり、王都は弔問客でごった返し不謹慎にも露店を出す輩まで出る始末だった。
亡骸は大神殿に暫く安置された後、聖龍様が生まれたという山に埋葬されたそうだ。
俺はその間ずっと弔問に行こう……行かねばならないと感じていたが、出掛けては戻るの繰り返しで最後の別れも遂に出来ずじまいに終わってしまった。
そうして数カ月が経ち、騒ぎが一段落したある日。
そろそろ良い頃合いだろうと思った俺は大神殿に向かった。
せめて先日の関係者への挨拶をというのが目的だったのだが、何を勘違いされたのか着くなり霊廟へと案内された。
何故大神殿に霊廟がという疑問も湧いてくるが、ここに聖龍様の角の一部を安置して王侯貴族が儀式やら何やらを行う場所にする、などといった話が持ち上がって今に至るのだそうだ。
生前の了解は得ていたという話だが、聞いていてあまり気持ちの良い話ではなかった。
俺は案内してくれた神官にお付きだった方に挨拶したいと申し出たが、取り合ってもらえずただ困った様な顔をされただけだった。
「ここで聖龍様にお祈りを捧げたら早々にお引き取り下さい」だそうだ。
抗議する理由もない俺はすごすごと引き返すしかなかった。
ならばと思い次に向った先は冒険者ギルド。
この依頼の処理を担当したあの受付嬢に取り次いでもらい、臨時報酬のことは抜きにしても事の顛末を報告したかったのだ。
だが返って来たのは「その様な職員はおりませんが」の一点張りだった。
思えばあの受付嬢、使い魔を出すなんて魔女の様なこと言ってたよな?
やたら顔色が悪かったのも今考えると何か怪しい。
だが……彼女は別れ際に確かに言っていた筈だ。
俺の報告を楽しみに待っている、と。
……何だ? 何が起きている?
王都は今日も晴天で、人々はいつもと同じく通りを行き交い忙しそうにしている。
そんな中で俺ひとりが違和感を感じ、立ち尽くしていた。
/continue
(中編)- 2023.05.04 / 13,565字
★keywords: ハイファンタジー 男主人公 Cランク冒険者 ミステリー シリアス
(履歴)
2023.05.04 中編 新規 13,562字 ハーメルン note、書庫:なろう カクヨム
2023.05.05 中編 脱字修正+矛盾箇所修正 金だけ頂戴して→端金なんぞ要らんし 13,565字
■二話.
………………
ギルドの前で自分はどうするべきかとひとり逡巡する。
どうする? どうすれば良い?
戻るか、進むか……
自分の周囲で何か良くないことが起きている。
大神殿に王都支部のギルマス、極めつけは勇者サマだ。
そして正体不明のあの人物。
自らの立場を他の支部からの臨時の応援だとのたまわっていた受付嬢だ。
依頼書はギルドが受理し登録した正真正銘の本物だった。
だがこいつはギルドの密談部屋を堂々と使うなどという大胆な真似が出来る人物だ。
幾らでもでっち上げる方法はあるだろう。
ギルドの職員でないのなら彼女は何者なんだ?
なぜひと芝居打ってまで俺なんかを指名で呼び出したりなんかしたんだ?
ギルマスが俺を推薦したという話は本当なのか?
確か依頼の目的は聖龍様がヘソを曲げて闘技大会の結界を張ってくれないという事態になったら困る、という感じだったな。
改めて考えてみると……こいつは確かに“くっだらねえ”と断ずるべき案件だ。
あの聖龍様がラーメンが食えないからなんて理由で重要な仕事を放り出すなんて子供じみたことをする筈がない。
俺は何でそんなことにも気付かずに納得しちまったんだ……?
それにだ。
聖龍様の力は魔法も碌に使えない程に衰えていた。
そのことは王国と大神殿によって厳重に隠匿された事実だ。
だから依頼自体には何も不審な点は無い。
この情報自体は一国の諜報機関すら容易には知り得ない筈……
そしてそれをそれを知る者は――
ああ、だからこそ勇者サマは一笑に付して断った訳か。
……いや、ちょっと待てよ。
だったらそれを知っていた俺はどうなんだ……!?
知っていて何で気付かなかった?
いや、そもそもそんなことをいつ、どこで知り得たというんだ?
一介のCランク冒険者に過ぎない俺が、だぞ?
何か大きな事件が今まさに進行している最中で、何かのアクシデントがあって巻き込まれたとか……?
いや、そんなことなら俺みたいな雑魚は路地裏で人知れず始末されてそれでお終いになるだけだろう。
何か理由があって記憶を操作されて敢えて生かされている……?
それはそれで怖いが……
ここはひとりで悶々としていても埒があかんな。
誰か信用出来る奴に相談するべきだ。
誰に? ギルマス? いや、駄目だな。
恐らくギルマスも当事者の一人だ。
この一件でのギルマスの立場が分からない。
そんな相手に国家機密級の相談なんて持ち掛けるなんて危険過ぎる。
当面は何も気付かない振りをしていつも通り依頼を受ける、それしかないな。
今なら何も知らない――実際何も知らない訳だが――善意の第三者だって振りをしても怪しまれることはないだろう……多分。
ともかくこれ以上妙な動きをして怪しまれないようにしなければ。
ドン。
「あ……これは失礼……」
考え事に没頭していた俺は、ここがギルドの玄関の真ん前だということをすっかり忘れていた。
入って来た冒険者にぶつかってしまい、慌てて謝罪しつつ道を譲る。
おっと、有名人だぜ。
ぶつかった相手はアンデッド狩り専門で名を馳せているAランク冒険者だ。
この人、ちょっと苦手なんだよな。
何つーか、絡みづらい。
って何故か立ち止まってじーっとこっちを見てるんですけど!
……気まずい。
何だよ、この間は。
「おい」
「……こちらこそ失礼した」
「どうも」
奥にいたSランクの男から声をかけられた彼は、少しの間を置いてギルドへと静かに入って行った。
……何だよあれ。
ぶつかったのはこっちだけど何かこう……モヤモヤする態度だぜ。
何というか……どういう関係性かよく分からん絡みだったな。
まあ、どうせ俺には関係無いんだ。
……帰るか。
今日は疲れた。
◆ ◆ ◆
俺はいちど気持ちを落ち着かせるため、郊外にある自宅へと戻ることにした。
自宅といっても屋敷とかそんな大層なものではなく、低ランクの無難な依頼をコツコツとこなしてやっと買った1Kの小さな家だ。
パーティーを組んでたら話はまた変わってくるんだろうが、ボッチな俺にはこのくらいの家が丁度良いのだ。
その道中。
あ、まただ。
何だろう。
最近、道を歩いてると妙に視線を感じることが多くなったんだよな。
自意識過剰だろと言われたらそれまでなんだが……
見張られてるとか特定の誰かにストーキングされてるって訳でもなく、ただ道行く人たちがチラチラとこちらの様子を伺っているというか……そう、あれだ。
さっきの冒険者が取ったモヤモヤする態度。
そんな感じで見られることが増えてきた様な……気がする。
いかん、気にするから駄目なんだ。
別なことを考えるようにしないと。
そういえば今日は珍しい奴がいたな。
あのSランク、確か王都に落ちて来た隕石を叩き斬った功績で一代限りの貴族位を貰って、叙爵式をばっくれたとかいう有名エピソードの持ち主だ。
その後勇者サマにこっ酷くお仕置きされたなんて噂もあるが、真偽の程は定かではない。
勇者サマも凄いがSランク冒険者というのも世界に数人しかいない人類の最高戦力だ。
どの国家にも属さず、自分の意志のみで世界を飛び回るその姿に若い冒険者達は皆憧れを抱く。
そんな奴が偶々にせよギルドにいたということは、何かの依頼が——
などと考えごとをしながら歩いていると、いつの間にか家の前まで来ていたのに気付く。
はあ……今日は考えるのを止めよう。
ギルドから歩くこと数十分で――時計なんて無いのであくまで感覚だが――俺は家に辿り着いた。
走ればあっという間に到着するのだが、冒険者の身体能力というのは日本で言うと自動車が走ってるみたいなものなので、事故が怖い俺は普通にテクテクと歩いたのだ。
勿論そんなこと意に介さない奴も世の中にはごまんといるが、事故ったら異世界だって逮捕されるし怪我をさせた相手がお貴族サマだったりしたら目も当てられない。
俺が家のドアを開けた瞬間、中からスッと外に出ようとする影がひとつ。
「ぐぇっ」
カエルが踏ん付けられた様な呻き声。
俺が曲者の襟首を掴んで思い切り引っ張ったのだ。
随分と軽いな……子供か?
深々としたフードを被っているため顔は確認出来ない。
「……誰だ? 俺の家に忍び込むとは良い度胸だな」
「それは侵入を防いだときに言う決め台詞なんじゃないの?」
「何だと? お前をこのまま自警団に突き出すことだって出来るんだぞ?」
「へへっ、出来るもんならやってみろよ」
「あっおい、こら待て!」
その子供は俺の拘束をあっさり解いて器用にすり抜け、嘲笑うかの様に言う。
「誰が待つか、バーカ。
そんなんだから何も気付かねーんだよ!
バーカ、アーホ、うすのろ!
後悔したって遅いぞ、全部お前のせいなんだからな!
良いか、覚えとけよ!」
そして一度だけこちらを振り返り、アカンベーをしたと思ったら次の瞬間にはもう視界から姿を消していた。
くそう、何て逃げ足だ。
最悪な気分だがまずは被害を確認しないとな……
侵入者を取り逃がした俺はささくれ立った気持ちもそのままに家に入った。
……ん?
あれ?
何も取られてない……のか?
ものを盗まれるどころか荒されてすらいない中の様子に拍子抜けしてしまう。
なるほど、どうやら帰ったタイミングが良かった様だ。
さっきのは負け惜しみか。
一息ついたら何だか腹が減ってきたな。
今夜はラーメンでも食って寝るか。
その日、へとへとに疲れ切っていた俺は食事を済ませると早々に床についた。
◆ ◆ ◆
……うーん……
うん?
………
…
むにゃむにゃ……
………
…
◆ ◆ ◆
あくる朝。
何だか今日はいつもより調子が良い気がする。
外は雲ひとつ無い晴天……となればなお良かったが、今日は生憎の曇り空だ。
まあそんなことはどうでも良い。
何はともあれいつも通りに行動することを心掛けないとな。
俺は朝食を手早く済ませ、戸締まりを入念にチェックするとギルドへと向かった。
ギルドに到着すると既にかなりの人数の冒険者がいて、中はそれなりの賑わいになっていた。
まだ早朝だから人影もまばらという訳ではなく、皆条件の良い依頼にいち早くありつくために頑張って早起きしているのだ。
とはいえ併設された食堂で朝食をとる者もいたりして、全体としてまったりとした空気が流れていた。
どうやらこういった場で殺伐とするのはスーパーのタイムセールに突撃していく日本のおばちゃん達だけらしい。
俺もいつも通り掲示板の前に陣取り、目ぼしい依頼は無いかと眺める。
ここまではいつも通りだ。
丁度良い魔物の討伐依頼はと……お、これが良いな。
依頼書の管理番号を控えて受付に――
あれ? 今日は誰もいないのか?
「済まん、皆注目してくれ!」
そう思ったところでギルマスが大音声を発し、ギルド内の空気が一変する。
今度は何だよ……俺は関係ないぞ?
「軍からの緊急依頼だ」
「軍からだ? まさかスタンピードか。今の時期に?」
近場にいた者が尋ねた。
「違う。魔王軍だ」
「な、何だって!? マジなのかよ!
魔王軍は勇者様の働きで弱体化したと聞いているが……そもそも魔王はもういないんだろ?
まさか残党だけで冒険者ギルドの手も借りたい程の軍勢を引き連れて来たっていうのか?」
「そのまさかが起きたらしい。
しかも残党どころか王都の包囲殲滅を狙うかの様な規模で、更には軍全体の動きが残党と言うには整然とし過ぎているとの報告も上がっているそうだ。
こいつはもうまともな指揮官の下で正規の訓練を受けた正規軍と見るべきだろうな」
これには俺も含め皆驚いた様子で黙り込んでしまった。
何せ魔王軍の主だった強者達は勇者サマ御一行が軒並み蹴散らした筈なのだ。
ここに来ていきなり復活など寝耳に水の話である。
「敵の動きから、早ければ10日後には戦端が開かれる見通しとのことだ。
それでまず皆の参加の意志を確認したい。
Cランク以下でやる気のある奴は明日正午ここに集まれ。
ここにいない奴らにも声を掛けて回っているところだ。
分かってると思うがBランク以上の奴は強制参加だから運がなかったと思って諦めろよ」
ああなるほど、それでほとんどの職員が出払っているという訳か。
受付が無人なのではどうしようもない。
俺は大人しく帰ることにし、回れ右をして歩き出した。
大丈夫だ、いつも通りいつも通り……
しかし、残念極まりないことにそこでギルマスに呼び止められた。
「おい」
「何だ?」
「お前は参加するよな?」
「さあな、まだ決めてない」
嘘だ。
先の報酬で十分に儲かっていた俺は王都とおさらばして別の街で再出発しようかと考え始めていた。
そう、それこそ冒険者稼業から足を洗ってラーメン屋なんかを始めても良いかもしれない。
受け取りを保留にしていた金はやはり孤児院に寄付するのが良いな。
「くれぐれも頼むぜ?」
「ああ……いや……」
何で俺なんかを気にかけるんだ?
「何かあるのか?」
「俺なんかをわざわざ呼び止めて念押しする必要なんてあるのか?
ここは王都だ。俺より有能な冒険者など山程いるだろう。
例の依頼だってそうだ。
俺をあの受付嬢に推薦したのはギルマスだと聞いたが、何でわざわざ——」
「まあ、何だ。気にすんな」
「おい、そんなこと言われたら嫌でも気にしちまうだろ」
「後生だから忘れてくれ、俺の一生の恥なんだ」
「勇者サマにそそのかされたとかいう話がか?」
確かに騙されたとか何とかって喚いてたのは分かるが……そこまでのことか?
ていうかだ。
気にしてほしいのかほしくないのかが全くもって分からんな。
「別に今俺を呼び止めたことと例の依頼との間に何か関係があるという訳じゃないんだろう?」
「いや、まあ俺からは何も言えねえな。
だが明日ここに来ればそれが聞けるかもしれねえぜ」
「なるほど、考えとくよ」
「くれぐれも頼むぜ?」
くれぐれもくれぐれもってうるせえんだよ。
今の話で明日ギルドに勇者サマかそのパーティーメンバーの誰かが来る手筈なんだってことは分かった。
ギルドに顔を出せばそれは作戦への参加意志の表明と受け取られるだろう。
ここで逃げることだって可能な訳だが、こうまで頼まれたら行くしかない。
正直参加したくはないが、今度のはどうせ逃げても無駄に死ぬやつだ。
取り敢えず参加の方向で動いておくが、いつでも逃げられる様に転移魔法のスクロールでも用意しとくか……
それにしても魔王軍かぁ。
自分の周囲で何か良くないことが起きている……
そんな考え、自意識過剰も良いとこだったな。
全く、下らねえことこの上ねえ……
◆ ◆ ◆
「皆、良く集まってくれた」
という訳で次の日、俺は再びギルドへと来ていた。
カマをかけてやったつもりだったが結局こっちが釣られる形になってしまった。
集まった冒険者達は皆、参加しようがするまいが巻き込まれるのは変わらないだろうという話をしていた。
まあ王都にいりゃあ考えることは皆同じか。
ギルマスは昨日の説明を再度行い、続けて本題に入った。
「まずは報酬の話からだな。
今回は参加してもらうだけでも手当を出すそうだ。
参加証明はギルドがするから安心してくれ。
ああ、皆が受付でやるといくら時間があっても足りないからこの説明の後に職員がここにいる全員に確認して回る。
良いな、帰るんじゃねえぞ。
後はランクと得意分野毎に役割が与えられるから各自の軍の指揮下に入れ。
報酬は戦後に基本給プラス出来高で軍が直接支払うそうだ。
頑張って目立てよ。
パーティー単位での行動については各隊で事情が違うだろうから指揮官の指示を仰げ。
得意分野に応じて散り散りにされることも覚悟しろよ。
ここまでで何か質問はあるか?」
それに対して方々からないな、とか大丈夫だ、といった返事が返ってくる。
こいつらきっと、ちゃんと聞いてないだけなんだろうなあ。
仕方ない、自分で聞くか。
「基本給ってのは参加者全員の手当てのことだろ?
本当に全員が受け取れると保証されているのか?」
しかし周囲から聞こえて来たのは失笑する声だけだった。
こいつら冒険者の癖に報酬じゃなくて正義とか誇りとか名誉なんかが大事だってか。
「羽振りが良い割に随分とせこい質問だな」
何だ、ギルマスまで同じかよ。
来て損したな。
「……帰るか」
「待て、悪かった」
おいおい、何でそんなにあっさり折れるんだ?
「どういうことか説明を頼む」
「はあ、しょうがねえな。
お前さんの読み通り、軍は全員と言いつつ後払いにして内訳を曖昧にするつもりらしい。
そのうえで最終的に生き残った奴にだけ報酬を手渡すつもりなんだろうな。
おまけに戦後ってのがいつなんだって定義すら怪しい。
要は舐められてんだよな。
だが安心しろ。基本報酬はギルドが保証する。
参加者には全員銀貨五十枚だ。今日の確認時に手渡ししてやるよ。
だからな、改めて言うがお前らも気張れよ」
そう言ってギルマスが目配せをすると職員が一人、どこかへ走っていった。
銀貨五十枚ってのはDランク魔獣単体の討伐報酬と同等くらいの額、具体的に言うと四、五人で盛大に飲み食いしたら一晩で消える程度の金だ。
金だけもらっておさらばしようって奴への手切れ金としても丁度良いし全員に配るんならそんなものなのかもしれない。
「説明は以上だ。参加意思の最終確認をするからそのまま待ってろ。
良いか、帰るんじゃねえぞ」
結局俺の疑問に対する説明は何ひとつしてもらえなかった。
しかしまあどこをどう勘違いしたら俺が深読みしたなんて解釈になるんだか。
ギルマスが何を考えてるのかは分からんが、要するに渡すもん渡したらギルドはもう何も面倒見ねえぞって話じゃねえか。
はぁ……異世界も世知辛いぜ。
どうせ戦わにゃならんのだ。端金なんぞ要らんしとっとと帰るか。
◆ ◆ ◆
「今後の動きについて話しておくからよく聞いとけよ。
特に駆け出しの奴らはな。
始まっちまったら助けてくれる奴なんて誰もいねえんだ、耳の穴かっぽじってよく覚えとけ」
説明を続けるギルマス。
そして俺はなぜかまだギルドにいた。
いや、確かに帰ろうとしたんだが出来なかった。
あらゆる扉に入れるけど出れない、そんな小細工が施されている様なのだ。
しかも訓練場辺りに相当な人数の気配を感じる。
向こうも隠す気は無さそうだし、大方護衛をゾロゾロと引き連れた聖女サマでも来てるんだろうな。
こんなんじゃ怖くて虎の子の転移魔法も使えんなあ。
「軍との合流はギルドで調整しておく。
パーティや個人単位で推薦状を書いてやるからまずはそれを持って王城の騎士団詰所に向かえ」
ここは外からは入れるから完全な密室ではないが、誰かが何かの意図を持って限定的な空間を作り出そうとしている。
今日来た奴らは参加意思があるんだからこんな細工は逃亡阻止にしたってやり過ぎなんじゃないかと思うんだが。
実際、トンズラを決め込もうとしてこの細工に気付いたのは今のところ俺ひとりっぽいからな。
だがこの後の説明次第ではその限りじゃないし発覚したら絶対揉めるだろう。
何が「帰るんじゃねえぞ」だよ。
一体どういうつもりなんだか……
俺がそんな疑問を抱く一方で、ギルマスの説明が続く。
「軍はまず斥候を放って敵の前衛部隊の状況を確認したいそうだ」
……いきなりそれか? 辺境の砦はどうしたんだ?
早くて10日後で接敵するってのは何情報なんだ?
誰も聞かねえのか?
「おいおい、まさかそれを冒険者にやらせようってのか?」
不満顔で口を開いたのは昨日質問していた奴だ。
「そもそも軍のやつが説明しに来ねえのが気に食わねえ」
「ギルマスに全部押し付けて自分らだけ逃げたんじゃねえのか?」
皆の目つきが一層険しくなる。
当たり前だ。
魔王軍の精鋭の直近まで迫ってその戦力を見極める役など誰が買って出るものか。
それこそやられに行く様なものだ。
さて、さっきの疑問をここで聞くべきかどうか……
「そこは私共が参りますのでどうかご心配なく」
「……我等に任せなさい。
斥候の務めは神殿騎士団から身軽な者数名を選抜して当たらせます」
そこに現れたのは聖女サマと寡黙な重騎士だ。
ギルマスが言ってたのはこの二人か。
最終決戦兵器たる勇者サマは最前線かね。
二人共SSランク冒険者にして勇者サマのパーティーメンバーというだけでなく、大神殿においては大層な肩書も持ってたりする筈だ。
ちなみにSSランクというのは彼らのレベルがSランクの範疇を大きく逸脱していたがために急遽設けられた専用のランクだ。
まあ大神殿の方は箔付けってやつだろうな。
ギルド内では揃って「おおっ、聖女様だ!」とか「俺本物初めて見ちゃった! 親父とお袋に報告しねーと」などと喚いている。
お前ら、時と場所を弁えろよ……
しかし聖女サマが王城を差し置いて御自ら冒険者ギルドに赴くとはな……
この非常時に面倒事を起こしに来た自覚が無い訳でもないだろうに。
今の疑問も含め、後でこの二人に聞いてみるとするか。
不敬だ何だ騒ぎそうな側近共もいないみたいだしな。
しかしまあ何というか……段取りが良過ぎないか?
舞台袖でそわそわしながら待機していて、ギルマスの合図を待っていたりしたのだろうか。
「という訳だ。
最初に話した通り、冒険者ギルドは軍と連携をとり前線から後方支援まで各自のランクに応じた役割を果たしてもらえば良いそうだ」
「ギルドマスター様。ひとつ、よろしいでしょうか」
「何でしょう、聖女様」
「先程のお話、お聞きしておりました。参加報酬の件です。
皆様への報酬をギルドにご負担いただく訳には参りませんわ。
今この場で私が依頼者の立場となり皆様にお支払い致しましょう」
「よろしいのですか?
大神殿は王国から依頼を受けて動いている訳ではないとの認識ですが」
「私は元より王都支部所属の冒険者でもありますからね」
そう言って微笑む聖女サマに歓声が上がる。
野郎共限定でやる気ゲージがヒートアップして行くのが傍目にも分かった。
ここに勇者サマがいれば女性陣の歓心を買うことも可能だったんだろうが、寡黙な重戦士サマにはちと荷が重いか。
「それでこの度の一件で大神殿はどの様なスタンスなのですか?
先程神殿騎士団が動くとのお話がありましたが」
ギルマスからの問いに聖女サマが答える。
勇者パーティーの面々は冒険者としてだけでなく、それぞれが大層な肩書きを持っているので立ち位置が難しい。
さっきの報酬の件はさておき、どう振る舞うかは予め打ち合わせ済みなのだろう。
「無論、この様なときに指を咥えて見ていることなど到底出来る筈もございません。
大神殿は私の権限で動かせる人員を全て動員致します。
神官は負傷者の救護に、街の防衛にあっては騎士団の一部隊を冒険者ギルドへの支援に回します。
神殿自体も怪我人の救護ために施設を開放致しますが自衛……最悪籠城戦となった場合の為の兵力は残ります。
そういった戦力以外は全て連れて来ているとお考え下さい。
怪我人の救護については神官長たるこの重騎士が調整のために方々を駆け回り、商業ギルドにも話を通してあります。
ですので、国軍との繋ぎは冒険者ギルドにお任せ致します。
……彼らの中核は、言わば“禁軍”です。
味方同士なのですから、“くれぐれも”上手くやって下さいね」
「な、なるほど、先程から感じていた只ならぬ気配は騎士団のものでしたか」
「裏手の訓練場に第一騎士団が全員集結しております。
武器弾薬や食糧も全て自前で用意しておりますよ。
ご存知かと思いますが第一騎士団の団長は私ですから、彼らは全員私の指揮下にあります」
ここでまたおお、すげえ、マジか、といった歓声が上がる。
聖女サマ、凄えな。
大神殿を動かしたのか。
にしても最後のくだり、何か含みがあるなあ。
まあ王国とは色々あるんだろうが……それにしても“禁軍”か。
そんな言葉はこの世界には無いが、俺の理解の通りならそれが意味するところは……
と、不意に聖女サマの視線がちらりとこちらに向けられる。
いけね、顔に出たか。
しかしまあ、聖女サマが騎士団長で重騎士が神官長って見た目詐欺過ぎるぞ。
どう考えたって重騎士がぎっくり腰とか有り得んだろ。
もう誰が正直者で誰が嘘つきかなんて全く分からんわ……
「ところで聖女様、キングン……とは初めて耳にする言葉ですが」
聖女サマの注意は再びギルマスの方へと向けられる。
ギルマス、ナイスプレーだ。
聖女サマは声のトーンを低くして答える。
「ええ、ご存じ無くて当然です。知れば首が飛ぶ最重要機密事項ですから」
「……えーと、聖女様?」
「知れば皆様も晴れて私と運命共同体となる訳ですわ、おほほ」
……オホホじゃねえぞおい!
運命共同体って何のことだ? 聞けよギルマス、ほら!
「あの、それで運命共同体というのは……」
おっと、またナイスプレーだ。俺エスパーだったりして。
「お知りになりたいと?」
「……良いでしょう、聞かないでおきますがね……この様な場面でのお戯れはあまり褒められたことではありませんな」
「承知しております。頑張って自重いたしますわ」
「聖女様……」
「お考えあってのことなのです。余計な詮索はなさらない様に」
寡黙な重騎士が珍しく口を開き、釘を差す。
普段口数が少ない奴だけに突っ込むポイントを弁えているな。
「事情については嫌でもご説明して差し上げますのでご心配は無用ですわ」
「……承知しました」
結局良いブーメランになったな。
ここで別の奴が挙手した。
「マスター、ひとつ良いですかね」
ギルマスは渋々応じる。
「構わん。何だ?」
「皆、味方の戦力も知っておきたいだろう。
ギルマスだけ作戦の概要を聞いて俺らは訳も分からず駒として使われるだけなのか?」
「だそうですが如何ですか?」
ギルマス、聖女サマに丸投げか。それで良いのかよ。
流石にA、Bランク辺りの奴らはもう呆れ顔になってるぞ。
「ギルマス、あんたは誰の味方なんだ?
もしかしてさっきの脅しに怖気づいたのか?」
ここで壁に寄りかかって静観を決め込んでいた唯一のSランク冒険者が口を開いた。
「俺はギルドマスターだ。優先するのは当然ギルドの利益だ」
「じゃあ情報を共有してもらうことは可能か?」
「勿論だ。その前に点呼と参加確認が先だがな」
そこへ横から聖女サマの突っ込みが入る。
「戦力に関しては先んじてギルドマスター様にお伝えしておかなければならないことがございます。分かりますね?
申し訳ございませんがギルダーの皆様方には内容を吟味していただき必要事項だけをお伝え頂きたいのです。
点呼の間、少しだけお時間をい頂いてもよろしいですね?」
「ああ、はい。必要とあらば」
ギルマスは虚を突かれたのか、気の抜けた様な受け答えだ。
あーあ、これは運命共同体フラグが立ったな。
「おい、聖女サマ。それにギルマスもだ」
おっと、さっきのSランク、何か怒ってるぞ。
「何だ、どうした」
「何でございましょうか」
「お前ら、一発ずつぶん殴らせろ。それでチャラにしてやる」
「ご自身の口にした言の葉がこの場でどの様な言霊となるのか、それを承知された上での発言ですか」
「当然だ。そこの腹黒女の言うことは正しいことなんだろうが冒険者としては承服しかねる。
単なる俺の我儘だから腹黒女も一発俺を殴れ。
ああ、ギルマスは単に日和ろうとしてんのが気に食わねえだけだからな。殴らせねえぞ」
「貴方、いくらSランクだからといって不敬にも程がありますよ。
この様な事態でなければ即刻首を刎ねられてもおかしくありません」
「じゃああんたがやれば良いじゃねえか、今すぐよォ」
「ふざけないで下さい——」
あ、やっぱそうなんだ。ていうか腹黒女って……
その一方で重騎士とのやり取りにギャラリーと化した他の冒険者達は口々に好き放題騒いでいる。
現金な奴らめ。
まあ一番でかかったのが重騎士おめーが殴られろって声だったのには思わず笑いが出そうになったが。
「私は別段構いませんが」
「聖女様、先程もギルドマスター殿も申されましたでしょう。
この様な場でのお戯れはお控え頂くべきかと」
「戯れなどではありませんよ。
これは私にとって大事な通過儀礼なのです。
それにこの方とはちょっとした因縁もありますからね」
「フン、どうだか」
「ふふ、新人冒険者だった私に突っかかって惨めにも返り討ちに遭ったこと、未だに根に持っておられるのでしょうか?」
あ、そうなんだ。事実は噂よりも格好悪かったんだな。
「言ってろ」
そう言うと同時にブンッ、という風切音。
「避ける気も無しか」
おおう、寸止めだぜ。
Sランクがいつの間にか聖女サマの正面に立って拳を聖女サマの顔面数ミリ手前でピタリと止めていた。
重騎士、SSランクの癖に一歩も動けず。
周りもざわざわし出したぞ……どうすんだ、この始末。
「当たったところで大して痛くもないでしょうからね。
それに仮に止める気が無かったのなら、また素っ裸で真っ赤なお尻を押さえながら地面に突っ伏すことになっていたでしょう。
流石はSランク、賢明なご判断ですわ」
「聖女様、その様に下品な……」
「私は構いませんと申した筈です。
貴方もその様な態度を取るから舐められるのですよ」
何そのイケメンな発言……ていうかそれ事実なのか?
「ところで、今日はいつもの護衛やらお付きの連中やらは連れてないのか」
おお、それさっきから聞こうと思ってたんだよね。
ダメージゼロを装ってるのは見ない振りしといてやるぜ。
「事態が事態ですので非戦闘要員は神殿に置いて来ましたよ。
それと騎士団には最高戦力たる私等に護衛を付ける位ならば力無き民を護りなさいと命じて申し出を断りました」
そう言ってにっこりと微笑む聖女サマに、外野でまた野郎共が盛り上がっている。
しかしこれでこの人アラフォーなんだよな。信じられんわ。
裏手の騎士団連中、気配を消してるつもりなんだろうが殺気が溢れ出てるぞ。ちょっとは自重しろ。
だがそれを確認したのかSランクの男はいつの間にか壁際に戻って腕を組んでいた。
おい、何で元の場所じゃなくて俺の後ろなんだよ。
「……フン、この大嘘つきめ。神託の巫女が聞いて呆れるぜ」
こっちこそ、その呟きを俺に聞かせるためじゃないことを祈るばかりだぜ……
「良し、じゃあ今から職員が参加意思を確認して回るからな。
各自そのまま待機してろ」
「ではギルドマスター様、参りましょう」
「はい」
聖女サマ、重騎士、ギルマスの三人は奥へと姿を消した。
向かった先は例の部屋か……
まあそんなことはどうでも良い。
俺は俺で逃げる方法を考えねえとな。
ダメ元で後ろのSランクに依頼でも出してみるか?
「おい、斥候を申し出れば外に出られるぞ。
偵察が逃亡したら居場所はなくなるだろうがな」
「ですよねー、って何で分かった!?」
「何でってお前、さっきずらかろうとして出口の前で四苦八苦してただろう」
ああ、見られてたのか。
「じゃなきゃあ素直に断わりゃ良いだけだろう」
「あっ、そうか」
「そうかじゃねえよ、阿呆が。
しかしお前、昨日から見てたが何か挙動が不審だな。
一体何から逃げようとしてるんだか」
おおう、鋭い。流石はSランクだぜ。
「まあ、俺は止めねえぜ。お前さんの勘は多分当たってるだろうからな。
精々頑張ってあの腹黒女に捕まえられねえ様にするこった」
やっぱこの人、何か掴んでるな?
「忠告しとくが見付かったらまず逃げられねえぞ、物理的にな」
「物理的に?」
「奴さん、もう半分人間辞めてる様なもんだからな。
ある意味魔王よりおっかねえぞ」
「それ、本当の事なら土台逃げるなんて事は無理じゃないのか?」
「少なくともあいつは人前じゃ猫を被ってやがるからな。
さっきの茶番で奴の実力を察した奴も多いとは思うが、世間的にはお上品な神官サマだ。
人畜無害なふりをしてる間は追って来れねえぞ」
「なるほ——」
「あら、お二人で内緒話ですか?」
「どわっ!?」
「……俺はちっとギルマスと打ち合わせして来るわ。
じゃあな、自身を強く保て。負けんじゃねえぞ」
「はい、この度はご協力ありがとうございました」
「言ってろ」
あ、あれ? こ、これどういう状況?
「さあ、参りましょうか。外に出して差し上げますよ」
俺をしっかりと見据えてにっこりと微笑む聖女サマ。
怖え! 滅茶苦茶怖えよ!
「申し訳ありません、失礼ですが何故俺なんかを……?」
「例の依頼を受けて、そして完遂して下さったお方でしょう?
貴方は最期に“あの子”を笑顔にして下さった方なのですから、決して悪い様には致しませんよ」
“あの子”って聖龍様の事か? あのお婆ちゃんを“あの子”だ?
「……聖女サマ、あの件の本当の依頼人は貴女なんですか?」
「いえ、私は後になってお話を伺っただけですよ」
「“担当の受付嬢”によれば、本当は勇者サマご一行が受ける筈だった依頼とか」
「はて? 事前にその様なお話はありませんでしたが。
今ほど申しましたでしょう、後になって伺ったと」
なるほどこれが“腹黒女”か……
「……今何か失礼なことをお考えではなかったですか?」
ヒェッ!?
「自分はしがないCランク冒険者ですよ、そんな失礼なことする筈ないじゃないですか、ははは」
「ああ、忘れていましたわ」
「はい?」
「貴方は先日の功績が認められてBランクに昇格しました。
ですので非常時の緊急招集は強制参加ですよ」
「はいぃ!?」
酸辣湯麺作ってBランク昇格って前代未聞なのでは?
本当にこの人は部外者なのか?
大神殿のあの対応はこの人の意向が絡んでるんじゃないのか?
「何か?」
「聖女サマ、一から十まで全部ご説明願います」
「ご免なさい、無理ですわ」
「左様ですか、あはははは……」
「さあ、裏手に参りましょう。騎士団の者が待機しています」
「あの、俺を裏手に連れ出して何をさせようというのですか?」
「斥候の先導ですよ、貴方なら土地勘もあるでしょう」
「そこは冒険者には頼らないというお話なのでは?」
「あの場でそんなお話を出すのは無理でしたでしょう?
ですから予めギルドマスター様にご相談して決めさせて頂いておりました。
冒険者として地道に活動して来られた実績は確認させて頂きましたから、貴方の実力に疑義はありませんよ」
「そうですか、ははは……」
「お待ち下さい、聖女様」
「おや、貴方ですか。何か?」
聖女サマを止めに入ったのは例のアンデッド退治だ。
冒険者らしからぬ腰の低さは仕事柄ってやつか。
大神殿に太いコネがあるとは聞いているが……
「その男をお使いになるのはお止めになった方がよろしいかと」
「なぜそう思うのですか」
「この者は先日大神殿様からのご依頼に対応しておりましたが、その行動に不審な点があるのです。
それだけではありません。
私のアンデッドハンターとしての勘がこの者は貴方様にとって危険だと告げているのです」
「“アンデッドハンター”ですか。
最上級のアンデッドハンターたる私としては特に何も思うところは無いのですが。
なるほど、私の能力に何か問題があると、貴方はそう仰る訳ですね」
「はい。有り体に申し上げれば、貴女様も相当に怪しい」
騎士達が一斉に抜剣して構えるが、聖女サマは右手を上げて制する。
手の甲に見える何かの紋章。使徒の刻印って奴か……?
「そうですか。ではどう致しますか」
「今はどうも致しません。ですがひとつご提案が」
「何でしょう?」
「聖女様。この様な者の話などに耳を傾けてはなりません」
重騎士が割って入る。
「そうですか。ではお任せしますね」
「はい」
重騎士にその場を任せ、聖女サマはあっさりと出ていってしまった。
やけに諦めが良いんじゃないか?
「ああ、これは丁度良かった」
「何がですか」
「この男の処遇についてですよ」
「俺ですか。俺は……取り敢えず家に帰らせて貰いますね」
「な!?」
「は?」
ここは例の変な結界の外だ。ここならば……
俺はスクロールを使い、家へと転移した。
◆ ◆ ◆
「はい、お帰りなさい。待っていましたよ」
「そうですか、ははは……」
聖女サマが何で俺の家にいるんだよ……
今日何度目になるか分からない、乾いた笑いが口を突いて漏れ出す。
抗い難い力によって俺の運命が俺自身の意志とは全く関係なく転がされて行くのが手に取る様に分かった。
「……貴方、今何か失礼なことを考えていましたね?」
/continue
■三話.
………………
「そりゃあ失礼なことのひとつも考えるでしょう」
口をついて出て来たのはそんな言葉だった。
幾ら雲の上の人とはいえ、自分の家に勝手に上がり込んでいたら文句の一つも言いたくなるというものだ。
「だって貴方、逃げ出そうとしていたでしょう?」
「何の説明もなしに閉じ込められたと知ったら、逃げたいと思うのは当然のことだと思いますが。
それでどうやって俺より先に?
家の扉はしっかりと戸締まりしていた筈ですが。
まあ転移魔法以外の手段なんて思いつかないんで、外出中に忍び込んでマーカーでも設置したんですかね。
そもそもここが俺の家だってことを貴女が知ってたらの仮定ですが」
「……ふふ。言いますね」
「さっきのBランクって話も本当かどうか、極めて怪しいですしね」
「……」
聖女サマは能面の様な無表情を貼り付けたままじっと佇んでいた。
その視線は家の中の何を見るでもなくただ空を彷徨う。
しかしそれも束の間。
「……さあ、戻りましょうか」
おい、聞く耳なしかよ……
って、また何で泣いてるんだ!?
「せ、聖女サマ?」
聖龍様といい、何でこう急に……
しかし聖女サマはその問いかけを無視して転移魔法をぶっ放してきた。
そして雑に俺の首根っこを掴んでグイと引っ張る。
《 帰るときはまず裏手からホームに入り、正面玄関から出るのじゃ。
そして正門には向かわず外から裏手に回って裏門から出よ…… 》
「えっ!?」
《 皆が待っておるぞ 》
俺はそのまま石ころの如くポイとぶん投げられ、驚く暇すらなくギルドへととんぼ返りさせられた。
逃げ出してから強制送還されるまで、僅か数分。
あっという間の出来事だ。
然るに戻った先で待ち受ける面々も先程と変わらずだった。
俺は無様な態勢のまま片手でポイと放り出され、ずでーんという効果音が聞こえてきそうな勢いで地べたに這いつくばった。
それにしても凄え腕力……ってあれ? 戻ったのは俺だけかよ。
聖女サマは他人の家で何やってんだ?
「随分と早いお帰りだな」
アンデッド狩りが呆れた顔で言う。その隣には重騎士。
二人共さっきの場所から一歩も動いていなかった。
まああっという間の出来事だったし当然と言えば当然だ。
「ははは、……が……、あれ? ……?」
な、何か言いたいことが言えないぞ!
あの一瞬で更に何かされたってのか!?
「フム、大方“聖女様が待ち伏せしていた“、辺りか」
おっと、察しが良くて助かるな。
俺はコクコクと頷いた。
「ほほう、なるほど。
しかし今のが致死性の呪詛の類でなくて良かったな」
「おいおい、脅かすなよ」
「決して脅しなどではないぞ。
口封じとしては寧ろ常套手段と言っても良い。
何なら今度教えてやろうか。
あんたならすぐに習得出来るだろう」
「いや、そういうのは遠慮しとくわ」
「フム……、そうか。
それにしても転移魔法は確か一度行ったことがある場所でないと行けない筈だが、さて」
その間に聖女サマがいつもの柔和な笑顔で悠然と姿を現し、騎士達と二言三言言葉を交わしていた。
何があったのですか、などと呑気に喋っている。
俺と一緒じゃなくてさっき出て行った方からのご登場だ。
あっちって何があったっけ……ああ、トイレか。
そしてどうやら涙の跡を見た騎士連中が騒ぎ始めたらしい。
それを見た重騎士も今日一番の速さで聖女サマの元に駆けて行った。
聖女サマはそれを笑顔で迎え、何かを話しかけた。
こちらを一瞥すらせず、騎士達と何かを打ち合わせている様だ。
それを見ていたアンデッド狩りがふと感想を漏らす。
「……聖女様は何故涙を流しておられたのか。
しかもあの表情と態度……フム、この隙に……」
何がフム、なんだか……
待ち伏せしてたってことに何か含みでもあるのか。
「あんたは聖女サマのところには行かないのか?
大神殿は上客なんだろう」
「……すまん、この後大神殿の様子を探りに行ってはもらえないだろうか。
但し隠密行動でな。報酬ははずむ」
「俺のことも疑ってるんじゃなかったのか?
さっき俺の処遇がどうとか言っていただろう」
「すまん、あんた自身を疑ってる訳ではないのだ。
だがどうやらあんたは例の依頼を達成した時点で、既に重要な関係者になっているらしい。
あんた自身の意思とは無関係にな。
どうだ? 自分でそれをどうにかしたいと考えるのなら悪い申し出ではないと思うが」
「そうか……そうだな、分かった。確かにあんたの言う通りだ。
しかしこの後か。こんな時分に何を探れと?」
「聖龍様が亡くなられたことに関して、大神殿は何かを隠している。
それを探って欲しいのだ。
事情は追って話すがもう一点、気にかけておいて欲しいことがある」
「まだあるのか」
「近頃噂ばかりで勇者様の姿もさっぱり見かけないだろう。
一連の事態から察するに、何か裏があると考えるのが妥当だ。
だから勇者様絡みの情報についても耳にしたら報告して欲しい。
どんな些細なことでも良い」
取り敢えず受けるとは答えたが、何だってこれ程熱心なのか……こっちはこっちで何か事情があると考えて良さそうだな。
しかしやはりこの時分にってのが気になる。
魔王軍絡みの話なのか?
「魔王軍の話はどうなるんだ?」
「そっちは対策済みだ。冒険者ギルドに関してはギルマスの方も対策はしてある」
ああ、そのためのSランクという訳か。
「まあ、今の話からして優先しなければならない事案だってのは分かる。
しかしこの変な結界は?」
「こいつは俺がある協力者達の力を借りて張ったものだ。
だが思わぬ穴があってな、取り敢えず今は用を成しておらん。
あんたを送り出した後でまた修復するがな」
「聖女サマ絡みなのか?」
「ああ、最近どういう訳か聖女様の周囲から死の気配が色濃く感じられる様になったのだ。
……今もな。
もっとも、大神殿のボンクラ共はまるで気付いておらん様だが」
気付いてない、か。
じゃあ聖龍様はどうだったんだ?
当然、気付かない筈はないだろう。
「……つまり?」
「まあ、そう結論を急ぐな。そのための調査だ」
「ところで報告はどうする? どこかで落ち合うか?」
「いや、俺は俺で動かねばならんからな。通信用の護符を使うか」
「空間系の術を使うと悟られる可能性があるぞ。
置き手紙とか、足の付かないやり方にしないか?」
「フム。そうだな、了解した。では——」
「あら、また内緒話ですか?」
そこへ聖女サマがやって来た。
騎士連中が良い足止めになってくれたな。
なるほど、猫を被ってる間は大丈夫ってのはこういうことか。
「聖女サマ、やたらと長かったですね。便秘ですか?」
真面目に付き合ってやる道理もない。
俺は渾身のボケをかましてやった 。
「おい、貴様ァ……!」
「さては貴様が……この下衆め……!」
おっと、俺氏、アナタからキサマにクラスアップしました!
重騎士サマ、何でか知らんけどマジおこです!
ちなみにゲスゲス喚いてるのは騎士団の連中だ。
こいつらは聖女サマの部下であって重騎士の身分は騎士じゃなくて神官長サマなんだよな。
「聖女様、もう我慢がなりませぬ。
貴様! 先程の逃亡といい、到底許されることではないぞ!」
これ……絶対聖女サマが何か吹き込んでるだろ。
そう考えるとこの人ら、もう可哀想しか感想がないわ。
「そうですね、それではこうされてはどうでしょう」
割って入ったのはアンデッド狩りだ。
「ム……貴方、まだ居たのですか。
貴方の考えなどどうでも良いのです。ロビーに戻りなさい」
「本を正せば我らがこの者を取り逃がしたのが原因なのです。
聖女様は我らに任せる、確かにそう仰られましたね」
「ええ。そうですわね、確かにこの場の処遇は貴方がたにお願いしました。
そして貴方はその責を負うと」
「はい。
私はこのギルドのAランク冒険者です。
ですので私が代わりに斥候役を務めます。
そこの男は見張りを付けて希望通り自宅にでも押し込めておけば良いでしょう」
「聖女様。その者は先ほど貴女様に妄言を吐きました。
いわばそこの男と同類です。
その様な者の言葉に耳を傾ける必要などありません」
何かまた好き勝手なことを言い始めたぞ。俺は知らんけど。
「そうですね……では、貴方はこの場をどの様に処すればよろしいと考えますか。
私は貴方にも後のことをお願いしたつもりだったのですが」
「たかが近隣の斥候に冒険者の協力など不要でしょう。
我々だけで対処致しますのでこの者らはギルドに戻せばよろしいかと」
「それはまた随分と舐められたもんだな」
そこへSランクが戻って来た。
また間のよろしいことで……これ絶対何かの茶番だよな?
じゃなかったら面倒しかねえが流石に聖女サマとSランクが揃ってそれはないだろう。
この二人、かなり昔からの腐れ縁らしいしな。
重騎士の方はよく分からんが仲間外れだな、多分。可哀想に。
「ギルマスとの話は?」
「ああ、話はつけて来たぜ。
俺に出て欲しいなら金貨200枚だ。
俺が行くなら別に一人で良いだろ」
金貨一枚ってのは概念的には小判一枚と大体同じ位の価値だ。
反応したのは想定部外者の重騎士だ。
「斥候に家一軒建つ金をポンと出せと言うのですか」
「端っからそうすりゃ良かったんだよ、なあ」
と言って俺の方を振り向く。
いや、急に振られても困るんだがなあ。
「急に水を向けんなよって顔してんな」
「おエライ方に命じられたら俺の様な雑魚に抗う術などないんで、出来れば勘弁して欲しいところなんですがねえ」
と、敢えて聖女サマの方を振り向いて訴える。
「フン、粗方そいつに“水を向けて”欲しかったってとこなんだろうがな」
「貴方、繰り返しますがSランクだからといってそう好き勝手に——」
重騎士との間でまた言い合いになりかけるが、聖女サマが制する。
「良いのです。問題はありませんよ」
「は、はあ……」
そう言われては重騎士も尻すぼみになるしかない。
この人、本当に損な役回りだよな。
今度飲みにでも誘ってみるか……
で、俺が水を向けるってのは何の話だ?
聖女サマもはて、と首を傾げている。
「それよりも今は魔王軍をどうするかについて考えねばならないでしょう。
ギルドマスター様と私とで予め取り決めた通りにことを進めれば何も問題はないのですが」
あ、これは今なら俺にも嘘だって分かるぞ。
……聖女サマがやおら俺の方を振り向き小さく首を左右に振る。
お前は黙ってろってか。
おい、それじゃあまるで俺が関係者の様じゃないか。
ポーカーフェイスを装うのも良い加減疲れてきたんだが。
「さて、私は少し用を足しに行って来ます。
場合によっては多少長くなるかもしれません。
ですからこの場は貴方がたにお任せしますよ。
良いですね?」
そう言うと聖女サマはまたどこかに行ってしまった。
ギルドの裏では誰が斥候の任にあたるべきか、皆が勝手に思い思いのことを口にし始めて収拾がつかなくなってきた。
もう聖女サマの首に鈴でも付けといた方が良いんじゃないか?
「おい、ちょっと良いか?」
「ああ、何だ。今度こそこっそりトンズラしようとしてたとこなんだがな」
「フン、どうだか」
話しかけて来たのはさっき戻って来たSランクの男。それにアンデッド退治も一緒だ。
「で、何だ? あっちは大丈夫なのか?」
「おいおい、皆お前のことでヒートアップしてんだぞ。
ちったあ当事者意識を持てよ」
「知るか。勝手に騒いでるだけだろう。
俺自身志願なんぞした覚えはないしな。
ましてや依頼書を貰ってる訳でもねえ……ああそうだ、何かいきなりBランクに昇格だから強制参加だとか言われたがありゃ本当なのか?
ギルマスから何か聞いてないか?」
「何だと? そんな話は知らんぞ。聖女サマに言われたのか?」
「ああ、そうだ。それにしてもやっぱり出任せだったか」
「フン、下らねえことを。後でお仕置きだな。
……ああ、それでなんだが」
「おっと、本題か。すまん」
「いやな、何で誰も指摘しねえのか分からねえんだが、お前をここに連れ戻したのは聖女サマなんだろう?」
「ああ、それで間違いない。あんたの言った通り抵抗する間もなかったよ」
転移した先の自宅で首根っこをふん掴まれたとき、どういう訳か涙を流す聖女サマと視線が交差する瞬間があった。
しかし底冷えするその無表情さ、その無言の圧力に俺は思わず息を呑み、抵抗することも忘れて親に咥えられた子猫の様になっていたのだ。
有り体に言って、俺はそのとき素でビビっていた。
「今さっきこのアンデッド狩りに聞いたんだが転移先で待ち伏せされてたんだろ?
どこでとっ捕まったんだ?」
「ああ、家だ。俺ん家」
良かった、例の内容でなければ差し支え無い様だ。
「あ? お前の家だぁ? ふざけてんのか?」
「俺は至って真面目なんだが」
「何で聖女サマがお前の家に先回りして転移なんてするんだよ」
「俺も聞きたいが、聞きづらいから確認しといてもらって良いか? 報酬の半分を返しても良いぞ」
最悪聞いたら死ぬかもしれないしな、とは言わないでおく。
「報酬? お前こいつに何か頼んだのか?」
ここで話を振られたのはアンデッド狩りだ。
「例の件だ。さっきこいつに依頼した。
確認が後先になっちまったが良いな?」
「おおう、渡りに船だぜ。よく頼めたな」
「どう話すか色々と考えていたんだが、話の流れでどうにかな」
「Cランクの雑魚にSランクとAランクが揃って何を言ってるんだ」
「お前は既に関係者なんだ、フツーに逃げんのは良い加減諦めろ。
ついでに言うとこの件が丸く収まったら“Cランク止め”生活ももう終わりになるだろうからな、覚悟しとけ」
「はぁ……分かったよ」
「フム、しかしお前の家か……」
「何が“フム”なんだよ。アンデッド狩りといいあんたといい」
「お前を信用して言うが、ギルドの建屋に結界を張り巡らせたのは俺らだ」
「何だって!?……いや、それが今何か関係あるのか?」
「結界は聖女サマだけを通さない様にしてあったんだがな、お前が出口でまごついてるのを見て不具合でもあったかと思ってちょいと直したんだよ」
「直した?」
これに答えたのはアンデッド狩りだ。
「あんたの魔力を検知したら通れる様にした」
さらっと言ってるけど凄え技術だぞ、それ。流石だわ。
「じゃあ今は……」
「ああ、出られる。出られるんだが思わぬ副作用があってな。
何故か聖女様も自由に出入り出来る様になってしまったのだ」
「なるほど、やはりこの結界は聖女サマを抑えておくためのものだったってことか」
「そういうこった」
「しかしなんでまた?」
「分からん。今となっちゃ隠すこともねえ、後で調べさせろ」
「はあぁ……分かったよ。まあ俺も知りたいしな、色々と。
ちなみに聖女サマはこのことを?」
「そりゃとっくに気付いてんだろ。
まああのゴリラ女は並の結界なんざワンパンでブチ壊せるからな、出入りを察知するってぇ意味じゃ今のまんまでも良いんだが」
「ははは……なるほどな」
さっきの出来事を思い出して思わず乾いた笑いが溢れた。
ってそうだ、肝心なことを決めてないぞ。
「ところで連絡手段なんだが……」
「王城に行って右の門番にコイツを見せろ。
タイミングは問わねえが五日以内だと助かる。
案内された先で通信筒を手渡して詰所の勝手口から外に出ろ。
繋ぎ役はコロコロ変わるが申し送りはしておく。
わかってると思うがツラは隠しとけよ」
Sランクはそう言って俺に半分に割られた古い銀貨を手渡した。
「良いのか?」
「今更だろ」
今のはアンデッド狩りにも意外だった様だ。
「了解した。まあ詳しい話は機会があったら聞くとするわ」
「おう、頼むわ」
「お話は纏まりましたか?」
そこへ聖女サマが戻って来た。
Sランクといい、この人達タイミング良すぎないか?
それはそうとこの人どこに何しに行ってたんだ?
トイレにしちゃあ長かったな、さては……
「貴方、また何か失礼なことを考えていましたね?」
「き、貴様ァ!」
しかしそこで、話は終わったとばかりにSランクは騎士団連中の方を振り向き大声で煽る様に言う。
「さて、そこのお坊っちゃん方の代表者は決まったか?
話はついたんだよなぁ?」
さっきのことに加えてお坊っちゃんと揶揄されてまたキレ出す騎士連中。
こいつら、聖女サマに関してちょっと盲目的過ぎないか?
幾ら配下とはいえ大神殿の筆頭騎士団なんだぞ。
それが分かってのことなのか否か、彼らを宥めつつ重騎士が答える。
「勿論です。今しがた班の編成も終わりましたから貴方がたの出る幕はありませんよ」
「では、私も彼らに同行するとしましょう」
「ええっ!? しかしそれは……」
「ギルドマスター様との取り決めです。
先導役として彼を入れる、という点もそれに含まれます」
と言ってこっちを見てニヤリと微笑む。
「ですから貴方に関しては出番があると思って下さいね」
「ほぇっ!? そうなの?」
マジか!? 何でだよ!
びっくりして変な声が出てしまったじゃないか!
「聖女様、しかし——」
「取り決めは取り決めです」
「ナルホド、そいつは何よりだ。
だが斥候なら心配いらねえぞ。
とっくの昔に俺んとこのレンジャー共が向かったからな。
それに近場は昨日俺が全部見て回って来たぜ。
当然、ギルマスにも報告済みだ」
「何だって!?」
「それでは先程までのお話は……」
「悪いな、無しで頼むわ。話はついてるんだ」
「ではこの茶番も……?」
「ああ、時間稼ぎなんだわ。重ねてすまんな」
えぇ!? 俺もビックリなんですけどォ!
勿論茶番だって話も含めて!
ちなみに聖女サマもこれには本気でびっくりしてる様だ。
「聖女様、申し訳ありません。
実を言いますと私も一枚噛んでおりまして」
「そこのCランク君も茶番に付き合わせちまって済まんな」
「き、貴様らぁ……」
あ、俺ら三人全員キサマ呼びに変わったぞ。
しかしアンデッド狩りもSランクも至って冷静に答える。
「そういう訳です。大神殿の皆様方には街の防衛に戦力を全て割り振っていただけると思いますので」
「これで丸く収まるんだからめでたしめでたしだろ」
そんな訳ないよな。
Sランクだかギルマスだか知らんけど、聖女サマはじめ大神殿を泳がせてたってことになるんだ。
俺はもうずらかるから知らんけど。
しかしSランクは更に畳みかける。
「それにな、わざわざギルドに乗り込んでまで我を通そうってんだろ?
それなのに冒険者共に仁義を通そうって勇気もねえときた。
そんなアンタが文句を言う権利なんて微塵もねぇんだぜ。
そうだろ? 聖女サマよォ」
「き、貴様ぁ……」
こいつらもうさっきからこれしか言ってないんじゃないか?
だがそこで漸く聖女サマが宥めに入る……
「お止めなさい、全てこの方の言う通りなのですから」
そこまでは良かったが、どうも様子がおかしい。
何か小声でブツブツと呟いている。
「そうです、全部私が悪いのです。
幾らチートで誤魔化してもボンクラはボンクラ……そう、今になって後悔してももう遅いのです……ブツブツ……」
「あー、まあ言っちまうとな……おっと、Cランク君はもう良いぜ。
家に帰るんだろ? 後は俺らだけで話すわ。
用もねえだろうしもうそのまんま帰っちまって良いぜ」
そう言いながらSランクが俺の方を向き背後の裏門を親指でクイッと指す。
そうか、ギルマスにも話を聞きたいところだが中に入ったら多分後で出れなくなっちまうから——
……ああ、そういえば……しかし、どうする?
Sランクの言葉に甘えて俺は黙ってその場を後にした。
騎士団連中からはさっさと出て行け、二度と関わるな、などという罵声を浴びたが、負け惜しみだと思うと全く気にはならなかった。
「じゃあな、頼んだぜ」
「“あの子”を笑顔にして下さった貴方を信じています。
ですからどうか私を信じて下さい……」
「けっ、腹黒女がよく言うぜ……っておい、出口はそっちじゃねえだろ!?」
「ふふ、あなたの思い通りにはならなかった様ですね……ふふふ。
私が大人しく見送るのですからな貴方も大人しくしていないと駄目ですよ?」
「ちっ、わーったよ」
「お願いしますよ。どうか」
「しくじんじゃねえぞー」
ギルドの裏手に二人の声が折り重なる様に響いた。
……実は仲は良かったりするのか?
◆ ◆ ◆
俺は裏手から出ずに中に戻った。
そのままロビーへと向かう。
そしてぎょっとする。
静かだ。
ロビーはもぬけの殻だった。
俺はスタスタと歩き、奥へと向かった。
誰もいない。
受付も、他の職員も、そしてギルマスもだ。
正面玄関から外に出る。
正門には向かわず、裏手に回り訓練場を目指す。
さっきまでいた訓練場に着いたが、そこには誰もいなかった。
聖女サマが微笑みSランクが悔しそうにしていことから察するに、これが何らかの仕込みだったのは間違いない。
咄嗟に取った行動だったが——戻るか?
いや、戻れる訳がない。
ここまで来たらもう出るしかない。
衝動的にこの選択をしてしまったこと自体、何かの呪詛によるものでなければ良いんだがな……
そうして俺は一人、裏門を通ってギルドの外に出た。
半日も経っていないというのに出るのは随分と久し振りの様に感じられる。
……しかし平和だな。
外の風景は日常そのものだ。
本当に十日後に戦端が開かれるのなら市民の避難とか武器食糧の徴収だとか、もっと臨戦態勢然とした物々しさがあって然るべきなんじゃないのか?
アンデッド狩りが対策済みだ、と言っていたのはどういうことなのだろうか。
Sランクから信用していると言われて鵜呑みにしてしまったが、こいつはもしかして早まったか?
だが聖女サマの謎の多過ぎる行動、それに盲目的に付き従う重騎士と騎士団連中の存在も極めて怪しい。
あそこまで冒険者ギルド……いや、俺に拘る必要が一体どこにあるのか……
Sランクに煽られて不利な立場になっても黙って引き下がることを選ぶ、あの聖女サマをしてその選択をさせる程のことなのだ。
そこにどれだけ重大な秘密があるのだろうか。
だが聖女サマは言っていた。
“最期にあの子を笑顔にしてくれた”俺を無下に扱う様なことはしない、と。
そんな聖女サマの話に耳を傾けなくて本当に良かったのか……?
いや、分からないことなんぞ考えるだけ無駄というものだ。
それに最後は聖女サマの意向を汲んでSランクの思惑を裏切るなどという行動を取ってしまったのだ。
もう思う通りに動くしかない。
俺は頭を振って頬を軽く叩き、気持ちを切り替えようとした。
さて、どうする?
言われた通りバカ正直に家に帰るか?
いや、家の場所は割れている。
のこのこと向かってしまえばまた強制的にどこかに連れて行かれるだけだろう。
ことが収まるまでは家には近付かない様にするのが得策だ。
しかし——
しかしなぜか、あのコソ泥の餓鬼が去り際に残したひと言が頭から離れない。
いや、きっと関係ない。関係ないんだ。
俺は再び頭をぶんぶんと左右に振る。
あれは何の関係もないコソ泥が悔し紛れに残した捨て台詞なんだ。
家には何もない。無関係に決まっている……
渦中に置かれていることを認識していながら身も心も竦みきった俺は、何も行動を起こすことができなかった。
幾ら忘れようとしても、どういう訳か頭の中で繰り返され続けるあのひと言——
◆ ◆ ◆
本能で自宅に帰るのは無しだと察した俺は、まずは慎重に寝床を探そうと決めた。
元より外での活動に備えて魔法袋に数週間分の蓄えは詰め込んでいるのだ。
さて、情報屋を当たって幾つかあるアジトで世話になるか、街の外で野営するか……
そうだ、家の監視も他の奴に頼んだ方が良いだろうな。
怪しい侵入者やら聖女サマやらに目を付けられたんだ、悔しいが自宅は安全な場所じゃない。
そう思い歩き出した俺だったが、程なくして周囲の異変に気付いた。
考え事をしていなければギルドを出た瞬間に気付いただろう、それ程の違和感だ。
戸惑う俺の目に映るのは王都とは似て非なる景色。
道行く人の格好もよく見れば違和感がある。
ここは王都……なのか?
よく見れば確かに王都らしいのだが、見慣れない建物も随分とある。
それに、そこにあるはずの建物がなかったり、建物があるはずの場所が空き地になっていたり……
いや、遠くにそびえる王城の威容はいつもと変わらない。
確かにここは王都なのだ。
『たすけて……』
不審者よろしくキョロキョロとしながら歩いていると、不意にそんな声が聞こえた。
気のせいか? いや——
念のために辺りを探ると近場から怪しい気配がする。
その気配の元を手繰っていくと、とある狭い路地裏の袋小路に辿り着いた。
……人攫いか。
見れば相手は三人。
チンピラ風の一人が子供サイズの麻袋を抱えている。
あとの二人はボロい装備をした剣闘士といった風体だ。
「おい」
「あ? 何だテメェは?」
「念のために確認なんだがその麻袋の中身はお前らが攫って来た子供だな?」
「チッ……やっちまえ、生かして帰すなァ!」
「うらァ!」
「死に晒せェ!」
どうやら麻袋を抱えたチンピラがリーダー格だった様だ。
そいつの合図と共に剣闘士っぽい二人が短剣を抜いて切りかかって来た。
しかしその動きはまるで素人、型も何もなっていない。
あらかた、食い詰め者が明日の飯にすら困って遂に人身売買に手を出したってとこか。
一人目が放った突きを半身でヒョイと躱し、短剣を持っている方の腕をガシっとホールドする。
「いでででで! いでぇぇ!」
「刺された訳でもないのに大げさに騒ぐな、やかましい」
身動きの取れなくなった一人目の手から短剣をむしり取り、ホールドした方の肩をグイと引き寄せて二人目めがけて思い切りぶん投げた。
当たり前のことだが、投げたのは短剣じゃなくて一人目の体だ。
ドスッ!
「ぐぇっ」
「ぐえぇ」
二人まとめて壁に叩きつけると揃って変な声を出しながら地面に倒れ、そのまま気絶した。
本当に弱っちいな。ちゃんと飯食ってるのかね。
二人があっという間に伸される様を目の当たりにしたリーダー格が、慌てて逃げの体勢に入る。
だがもう遅い。
敵に背を向けて駆け出すとか本当に素人丸出しだ。
俺は足元を狙って短剣を投擲して良い感じにすっ転ばせる。
同時にダッシュして落下する麻袋を確保しつつ、二人目が取り落とした短剣に手を伸ばそうとするリーダー格を蹴り飛ばして壁に叩きつけた。
「ぐげっ」
リーダー格も同じ様な呻き声を漏らしながら倒れた。
まあ、いくら俺が雑魚だと言っても後れを取る様な相手ではないな。
魔王軍の件もあっていつでも出かけられる様な万全の装備だったが、愛用の鋼の長剣を抜くこともなくあっさりとその場を制圧した。
落ちていた短剣、それにリーダー格が持っていたダガーも取り上げ、持っていた登坂用の縄で三人纏めて縛っておく。
さて……
麻袋の紐を解いて子供を……
子供?
「ピィ」
中から出て来たのは子供は子供でも真っ白なドラゴンの子供だった。
ありゃ、しかも真龍種ときたよ。
えーと……これ親が出て来たら国家滅亡ものの事案だよな……
『あ、あの……おじさんが助けてくれたの?』
……ッ! 念話か!?
「ああ、怪我はないか」
おじさん……という言葉に若干のダメージを受けながらも何とか応える。
『うん、大丈夫だよ、ありがとう』
「あのさ、君はどこかで誘拐されて来たんだろう?」
『え、えっとね、お友達と遊んでたらはぐれちゃったの。
その子のお家まで行けたら大丈夫だと思うんだけど』
「まあひとり歩きしてたら目立つよな」
子犬サイズならまだしも、幼稚園児位はあるからなぁ。
『それで悪い人に捕まっちゃったんだけど……』
転移のスクロールは使っちまったし、どうしようかね。
人間なら保護者……そうだ。
「そのお友達はどこに住んでるのかな?
おじ……コホン、おじさんが君を抱っこして歩けば悪い人も手を出せないだろう」
そう言って俺はちびっ子ドラゴンを抱える。
今時のドラゴンはおじさんと若者の区別が付くのか、実はこの子の方が年上なんじゃないか、などど下らないことを考える余裕も出て来た。
『じゃあ案内するね。こっちだよ』
「良し……ってこの三人はどうするかね。
ちょっと待ってな」
縄を解いてやるか……まあ小物だし大丈夫だよな?
まあ良いか、自警団に連れて行って逆に怪しまれたら面倒だし。
「おい」
下っ端一人をゴスっと蹴飛ばして目覚めさせる。
「うげぇ……うーん……ん? ああっ!?」
一人目がビビって大きく動いたせいで残りの二人も目を覚ました。
いきなり縛られた状態だったためか混乱している様だ。
「お前ら、これに懲りたら二度と悪さなんぞするなよ。
それと飯はちゃんと食え」
三人の前にパンを一個ずつ置いてやる。
勿論武器は返さんがな。
「良し、行くか」
未だ戸惑う三人を尻目に俺はまた歩き出した。
今度はドラゴンの子供のおまけ付きだ。
『あ、ちょっと待って』
「ん? 何だ?」
『あの袋の中に隠れてても良い?』
「うん? ああ、目立つからか……」
確かに町中でドラゴンの子供とか悪目立ちするよな。
という訳で当人の要望だしちょっとばかり我慢してもらった。
『こっちだよ』
抱えた麻袋の中からちびドラゴンが俺の右腕をトントンと叩く。
右折の合図だ。
そんな感じで俺は案内に沿って街を進んで行く。
ちなみに袋の中から道が分かったのは小さな穴を開けてそこから外の様子が見える様にしたからだ。
真龍種だからといって凄い透視魔法が使えるとかそういうのは特に無かった。
うん、分かっちゃいたがこれもこれで中々に目立つな。
これ、俺が誘拐したと間違われなきゃ良いがなぁ。
そうして三十分程でその“お友達”の家に無事到着した。
『ここだよ。おじさん、送ってくれてありがとう』
「ははは……」
結構遠出してた……じゃなくて遠くまで連れて行かれてたのか。
その場所はボロの家々が建ち並び、そして同じ様にボロを纏った人々が暮らす貧民街だった。
……はてな?
王都に貧民街なんてあったか……
詳しいことは知らないが、確か何代か前の王様が何か立派なことをやって無くしたとか何とか……そう聞いているのだが。
いや待てよ。
この家、この場所、もしかして……
いや、まさか……
「あら、お客様かしら」
鼻が曲がりそうなゴミの臭いを我慢しつつ少しの間考えごとをしていると、中から一人の女性が姿を現した。
そうだよな、場所と外観で俺の家か!? なんて一瞬戸惑ったが住人もいるし多分勘違いだろう。
それにしてもこの人、いかにも幸薄そう……というか顔色がちょっと悪い。
ちゃんと飯食えてんのかなぁ。
この区画だけじゃなく、全般的に人々の生活の豊かさがちょっと低めに感じる。
本当に王都なのか? ここは。
そしてこの人、どこかで見た様な気が……?
俺が少しの間考え事をしていると、ちびドラゴンが袋からにょきっと顔を出して答えた。
『えっと、あのね、迷子になっちゃって、このおじさんに送ってもらったの』
良し良し、ちゃんと言えたか。
何か親目線になってしまうな。
「あら、そうなのね。私の友人がお世話になったみたいで、ありがとうございます。
お陰様で皆も助かりました」
おお、何か思ってたのと違うな!?
「あの、“皆”というのは?」
「ああ、いえね……」
などと疑問に思ったところで7、8歳くらいの元気そうな女の子が反対方向からトタトタと駆けて来た。
ああ、友達ってこの子——
見るなり、俺はぎょっとした。
この子、病気か何かなのか!?
いかん、ついジロジロと見てしまった。
しかし女の子はそれを気にする素振りも見せず、元気な声で話す。
「あ、探してたんだよ。どこ行ってたの?」
『ごめんね、でもこのおじさんが……』
「誘拐犯なのね!」
「い、いや違う、誤解だ!」
「こちらの方はこの子を送ってくださったのよ」
「えっ、そうなの? おじさん、ごめんね。
私の早とちりだったよ。
おじさんは良いおじさんだったんだね!
ホントにごめんね、おじさん! 許してね、おじさん!」
誤解が解けたのは嬉しいが、そうおじさんおじさんと連呼しなくても良いだろ……
「おじさん、どうしたの? おじさん?」
「あ、いや何でもない。
誤解だってことが分かってもらえて何よりだよ」
おじさんかぁ、ははは……
一瞬ややこしいことになったかと思ったが、事の経緯を話すと意外と物分かり良くすんなりと信じてくれた。
そして話の流れで俺はこの家にお邪魔させてもらうことになった。
外観に違わずいかにも貧乏、という感のある室内。
そんな境遇でも突然の来客である俺を精一杯もてなそうとしてくれていることがひしひしと伝わって来る。
その気持ちに対する嬉しさと、同時に感じる申し訳なさが態度に滲み出てしまっていたのだろう。
「あの、危ないところを助けて頂いたのですから、もてなす位はさせて頂けませんか」
そんなことを言わせてしまった。
『服はボロでも心は錦なんだよぉー』
「こら、からかわないの!」
『えへへー』
「あはは……じゃあお言葉に甘えさせてもらうとするよ」
「ああ、良かったです。ご覧の通り何も無い狭い家ですがどうぞ寛いで行って下さいね」
とはいえ、負担になってしまっては悪い気もするので、暫く歓談したところでその場を辞することにした。
『ばいばい、また来てねー』
「今度来たときにまたボウケンシャのお話いっぱい聞かせてね。
約束だよ!」
「ああ、またな」
「お急ぎのところをお引き止めしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、久々に楽しい時を過ごせたよ」
俺のその言葉に決して偽りはなかった。
家族団欒なんて俺の記憶に残る日本でもそう無かったことだ。
だがこの“家族”には何か秘密がありそうだ。
それは話しているうちに何となく分かった。
ちびっ子ドラゴンを含め、全員が見た目通りの歳ではなさそうだということ。
そのドラゴンの“お友達”というのが“母親的な役割”の人だったということ。
はっきりとは言わないが、どうやらその“お母さん”が三人の中で一番年下らしいということ。
まあ実年齢が必ずしも見た目と一致しないというのはこの世界では割とよくあることだ。
そして最後に現れた元気な女の子。
天真爛漫で屈託のない笑顔は見た目相応のものに思えた。
しかしその女の子には左腕が無く、着ていた服の袖は肩の付け根からぶらぶらとぶら下がっていた。
それだけではない。
その左眼は黒い眼帯で隠されており、さらに右手には手首まで隠れる真っ黒な手袋。
それらを話している間じゅうずっと付けたままにしていた。
彼女らも初見からチラチラと見ていたこちらの視線には気付いていたのだろうが、見てみぬふりをしようとしているのを察してか特段の説明は無かった。
「またいらして下さいね」
「ええ、是非」
『約束だよ』
「またお話聞かせてね」
「ああ、またな」
結局、そのことにはいちども触れることなく、無難な社交辞令だよなあと思いつつも再会の約束を交わしてその家を後にした。
それにしても彼女たちは一体どういった関係性であの家に集ったのだろうか。
赤の他人である筈の三人がひとつ屋根の下で寄り添って家族の様に暮らす——
その理由を聞いてみようかと思ったが、野暮な真似は止めておくべきだろうと思い止まった。
三人三様ではあったが皆、そっとしておいてほしい……そんなことを訴える様な目をしていたからだ。
そしてもう一つ、彼女たちと話す中で信じられないことがあった。
何と三人とも冒険者ギルド、そして冒険者という職業の存在を知らなかったのだ。
おかげでCランク冒険者という職業を説明出来なくて無駄に四苦八苦してしまった。
しかしそれも最初だけの話。
三人共冒険者という職業に興味津々で、冒険者ギルドの制度やランクのシステムに関する説明を目を輝かせながら聞いてくれた。
“お母さん”もその話に食いついて来たのはちょっと意外だったが。
“お母さん”は話を聞いて何か思うところがあったのか、考え込む様な仕草をしていた。
また会えるかどうかは分からないが、次に行くときは何かご馳走してやるか。
そうだ、聖龍様に振る舞った酸辣湯麺が熱々のまま魔法袋にしまってあったな。
うん、それが良い。そうしよう。
あとはもっと冒険者の話か……そうだ、新人いびりがざまぁされる話なんかも良いかもな。
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2023.09.19 四話 新規 8,695字 HAMELN
2023.09.19 四話 宿屋パートの矛盾箇所訂正 8,779字 なろう
2023.09.21 四話 人攫いとは穏やかでは〜の部分の口上を訂正 8,849字 note
■四話.
………………………
ちびドラゴン達が住む家を後にした俺は再び考えを巡らせる。
魔王軍との接触まではあと10日はある。
いや、あと10日しかないと考えるのが妥当か。
大神殿を探れ、というのが魔王軍の動きと何か関係があるのかどうか分からないが、この非常時にわざわざ頼んでくるのだ。
関係がないと考える方がおかしいだろう。
そんなことを考えながらふと見ると目の前に良い感じの宿屋が一軒。
日没までにはまだ大分時間があるが、今日は予定外のこともあったのでひとまず宿を確保することにした。
しかしこんな場所に宿屋なんてあったっけか。
まあ良い感じの見た目だし個室に鍵位は付いているか。
そんな感想を心の中で呟きながら、宿屋に入ってみる。
慎重に行こう——そう考えていた筈だったのに、その時の俺は久々の“団欒”ですっかり気が緩んでしまっていた。
入るなり自分の格好の異様さをおかみさんに指摘されてはっとする。
「いらっしゃい。
お客さん、また随分と物々しい格好だねぇ。
戦争でもおっ始めようっていうのかい?」
「あ、いえ。自分は冒険者でして」
慌てて返すがあわあわとコミュ障ムーブになってしまう。
こいつはマズったな。
「ボウケンシャ? 何だいそりゃ。傭兵か何かかね?」
「え? いえその」
まさかここでも同じ反応をされるとは思わず、またもや少し挙動不審になってしまった。
やばい、しまったと思いつつ取り繕う。
ひとまず冒険者らしい言葉遣いは止めておいた方が良さそうだ。
「ま、まあそんなものですよ。
すみませんが今日から十泊程したいんです。
部屋は空いているでしょうか」
「そうさね……その物騒な人斬り包丁、ついでに鎧と盾も泊まってる間は預からせてもらうよ。
それで良いなら湯桶付きで銀貨十枚、食事を付けるなら一食につき銀貨一枚だね」
随分と安いな——いや、突っ込みどころはそこじゃない。
俺は人斬りなどせんぞ、と言いたい気持ちを抑えながら努めてにこやかに答える。
「仕事の時は持ち出したいのですが」
「こんな物騒なものが必要になる仕事ねえ……お客さん、さてはあんた堅気の人間じゃないね。
こちとら商売だ、騒ぎなんて起こされちゃあたまったもんじゃないんだよ。
嫌なら他所を当たるんだね」
余程俺が乱暴なチンピラに見えたのか、おかみさんの態度はどこか刺々しかった。
暴力沙汰ならさっき起こしたばかりだがあれは人助けだ。
まあ良いだろう。魔法袋の中には予備の装備もあるしな。
今更他所を当たるのも面倒だし、大人しく従っておくとするか。
ここは魔法袋を持ってることと魔法が使えることも秘匿しておいた方が良さそうだ。
「やむを得ませんね。分かりました」
宿賃分の現金をスッと懐から取り出す。
「おやまあ、随分と素直だこと。
こりゃあたしの見立て違いだったかね。
部屋に案内するから着替えたら武器防具の類を全部持って降りてくるんだよ」
宿帳に記帳し現金で支払いを終えた俺はおかみさんに案内され三階の角部屋へと案内される。
館内を見た限りでは質素な安宿街という印象はなく、ちょっと良い感じの内装どころか調度品までそれなりの格式があるものが飾られていた。
部屋へ通された俺はそこで無難なシャツとパンツ姿になり、剣と防具一式を持って階下に戻った。
「おやまあ、随分とお早いご対応じゃないのさ」
「何、装備を外すだけならすぐですよ」
さっきから思ってた事だがこのおかみさん、宿の見た目とのギャップが凄い。
あれだけ言っておきながら荷物チェックも無しとはな。
このやる気の無さと値段のリーズナブルさ。
安宿のおかみさんならしっくりくる感じなんだが。
「ちょっと出掛けて来ます。暗くなる頃には戻ります」
「夕飯はどうするね?」
「いただきます」
「そうかい。気を付けて行っといで」
「俺の装備品、ちゃんと管理しといて下さいよ」
「分かってるさね」
俺は軽めの挨拶を済ませると丸腰で宿屋を後にした。
まずは下準備だ。
なるべく身軽な方が良いが消耗云々を考えると馬が妥当だ。
無理そうなら、余りやりたくはないが走っていくことも考えないとな。
しかし——
少し歩くと今の考えがが正しいのかどうか、自信が持てなくなった。
おかしい。
ここのおかみさんも冒険者という職業を知らなかった。
ここまで来るともう偶々知らなかっただけ、という話で片付けることは出来ないだろう。
もう疑いようがない。
この“世界”には冒険者ギルドというものが存在しないのだ。
あれだけいた冒険者達はどこに……いや、ここでは初めからいないのか。
ここはさっきまでいた場所とは異なる世界、つまり“異世界”なのか?
それなら街並みに違和感があったのも納得が行く。
そうか。
ギルドの裏門をくぐったとき、俺は既にこちらへ来ていたということなのか。
ならSランクとアンデッド狩りからの依頼もここでは存在しない。
じゃあ俺はこれから何のために行動すれば良い……?
冒険者という職業が存在しないのならもう無職だ。
宿賃が払えなくなったら野宿するしかない。
野宿など慣れっこではあるが、依頼をこなすための野宿と住む場所を失い仕方なくする野宿とでは大違いだ。
何を、誰の為に……
目的を失った俺は考えるのを放棄して、やはり以前アンデッド狩りと約束した通り大神殿の調査へと向かうことにした。
結果が明白なのは分かっているが、その現実を自分の目で確かめないと収まりがつかなかった……きっとそうなのだと自分に言い聞かせながら、無理矢理やる気を振り絞って動かない足をどうにか前へと踏み出したのだ。
……それにしてもあれは何だったのだろう。
大規模な転移の術式か何かが仕込まれていたのか。
とすれば“俺の魔力”が起動のための鍵だった?
いや、そんな馬鹿なことがあってたまるか――
考え事をしていると時間の経つのが速いのが常だ。
俺はいつの間にか大神殿に……到着……?
待てよ、速いにしたって程度ってものがあるぞ。
そもそも今日行こうだなんてことは考えていなかったんだ。
そんな馬鹿なことがあってたまるか——
王都から大神殿までは歩きなら数日はかかる距離だ。
身体強化をかけて本気で走っていたのならまだしも、考え事をしながら歩いている間に到着なんてあり得るはずもない。
だが目の前にそびえ立つ白亜の巨大建築はどう見てもあの大神殿だ。
似て非なる、なんてレベルじゃない。
よくよく見れば、今来た道の他に数本の大きな通りが大神殿を中心として放射状に伸びている。
そしてその先には……王城がある。
ここに来て初めて気付く。
この街は……大神殿を中心に拡がっているのか。
“魔王軍の方はすでに対策済みだ”、“大神殿を探れ”……そして、“勇者サマに関する情報も欲しい”、か。
あの言葉、あの依頼が何を意味するのか。
まさかこの状況を予見して……?
いや、そんな馬鹿なことがあってたまるか——
駄目だ、もう何もかもが馬鹿げた考えに思えてきた。
ここは大神殿で、調査すべき対象であると、今はそう仮定しよう。
誰が、何の為になんて話はもうどうでも良い。
自分の目で確かめる、それが一番だ。
……よし、入ってみるか。
となれば、大神殿が平常通りの警備体制を取っているという前提で動かなければならないな。
今日のところは一般人に扮して立ち入り可能なエリアの様子を観察する程度で十分だ。
参拝に訪れた人々の様子や噂話から情報収集をすると同時に、真っ当な手で内部まで入れそうなコネを探す、そこまで出来ばまずは上出来だろう。
霊廟も見ておきたいが後回しだ。
周囲の安全が確認出来てからでないと怖くて近寄れないからな。
とはいえ入ってみなければ何も始まらないのは確かだ。
まずは行動だ……そう考えた俺はゆっくりと、前に向かって足を踏み出した。
大神殿は自前の戦力である神殿騎士を多数抱えているが、王都に常駐しているのは精鋭部隊の第一騎士団だけだ。
そう、聖女サマを前にすると皆何故かアホっぽい動きをするから忘れがちなのだが、彼らは王都において国家騎士団と並ぶ一大勢力なのだ。
そして案の定、視界に飛び込んでくる騎士たち。
門前に居並ぶのはさっき見たばかりの鎧姿だ。
——やはり、騎士団がいる。
その意匠からしてほぼ明らかではあるが、恐らくは第一騎士団の連中だろう。
彼らは精鋭部隊にして要人警護から神殿内の警備まで何でもこなす通常戦力でもあるのだ。
精鋭部隊がどうしてそんな雑事までする必要があるのかといえば、これは大神殿の徹底した秘密主義に関係しているというのが専らの噂である。
そして彼らがいるということは聖女サマなんかも当然いるだろう。
一般の騎士なら認識阻害でどうにか誤魔化せそうだが、団長である聖女サマなんかに出て来られたら確実にアウトだ。
……もう大神殿が敵だって体で考えてしまっているが、果たしてこれで良いのだろうか。
アンデッド狩りはともかく、Sランクの奴は聖女サマを怪しんでた割には妙に仲が良さそうだったんじゃないか。
それにしても……水を向けて欲しいってのは一体何の話だったんだ……?
そもそも冒険者という職業が無い世の中で、彼らは今どこで何をしているのだろうか。
あらゆる心配事が取り越し苦労に終わった、なんてことも可能性としては考え得るのだ。
そうだ、それを確認するために来たんじゃないか。
俺はひとり密かに笑い、ゆっくりと入り口に近付いた。
そして神殿式の挨拶をして門扉をくぐる。
その中は不自然な程に静かだった。
普段通り開放された礼拝堂はいつもと変わらずに信心深い市民達を受け入れている。
皆熱心に祈りを捧げており、辺りはしんと静まり返っている。
ちょっとした衣擦れの音すらはっきりと聞こえる。
本当に静かだ。
魔王軍が迫っているという話はどうなったんだろうな。
市中も厳戒態勢になっていなかったし、やはりそんな問題はここでは元から存在していなかったのだろう。
いや、ネタだったという可能性も……まあ、それは無いか。
そもそもここではそんな話は関係ないかもしれないし、逆にそうではないかもしれない。
アンデッド狩りが言っていた“対策”とやらが何なのかは気になるが……
俺は辺りの様子を伺いながらちょっと奥まった部分を垣間見ようと、おのぼりさんを装った体でフラフラと歩く。
それにしてもあの後、場の始末はどう付けたんだろうか。
結界を張り直したりそれが原因で聖女サマと揉めたりしたんだろうか。
あの聖女サマがその気になったら冒険者が全員でかかっても片手であしらわれそうな気もするが……
うむ……どうも一人になると考え事に耽ってしまうな。
いつもの悪い癖だ。
その時だった。
「おい、そこの君。ちよっと待ちなさい」
ドキッとして立ち止まったが声をかけられたのは俺ではなかった。
危ない危ない、思わず声が出そうになってしまったぞ。
「は、はい。ボクはその……」
おどおどしながらそう答えたのはいかにもといった感じの大人しそうな女の子。
「そっちは立入禁止だ。迷ったのなら案内してあげるから、何を探しているのか教えてもらえないだろうか」
「と、友達が、その……」
「友達? はぐれたのか。よし、俺が一緒に探してやろう」
「い、いえ、その……」
「ほら、遠慮なんてしなくて良いんだよ」
「あ……その……」
そう言った騎士は女の子の手を掴んで無理矢理引っ張って行く。
「い、いや……たすけ……モゴモゴ……」
何かを訴えようとするが口を塞がれ暗がりに連れて行かれる。
おい、こいつは事案じゃないか!?
どうする……いや、どうするも何もここで看過して良い筈がない。
「あっ!? おっとっとっと」
俺は何も無いところですっ転びそうになるふりをして二人が消えていった暗がりに飛び込んだ。
と、急に視界が拡がる。
隠し部屋!? 何故こんな仕掛けが……?
「お前ら……まだそんなことを」
「て、テメエは……」
その先にいたのは見覚えのある三人組。
良く見れば先ほどの騎士は例のリーダー格じゃないか……
騎士団の鎧なんてどこで手に入れたんだか……と思ったがこいつはハリボテだな。
あんなモヤシ共が聖銀のフルプレートなんぞ付けたら一歩も歩けないだろう。
そして件の人攫い共は女の子に麻袋を被せようとしているところだった。
女の子は薬を嗅がされたのかぐったりとしている。
「人攫いだ! 誰か!」
俺が大声で叫ぶと、辺りは俄に騒がしくなった。
すると辺りにはすぐに巡回の騎士や神官たちが次々と現れ、賊は瞬く間に取り囲まれた。
「旦那、今声を上げたのはこの男だぜ」
しかしそう言って俺を指差したのはリーダー格のコスプレ野郎だった。
何やってんだこいつ……いや、まさかとは思うが周りの騎士達は皆こいつらの仲間なのか?
騎士たちは怪訝そうな顔でオレを睨む。
おい、怪しいのはお前らの方だろう——
そう心の中で悪態をつきながら件の二人がガサゴソと悪事を働いていた場所を見やると、少女は麻袋のまま女性騎士に抱えられていた。
二人はいない。逃げた……いや、逃したのか。
怪しさで言えば圧倒的と言えるあの二人の扱いがこれではな。
まあどこにいるかなんてすぐに分かるから問題は無いが。
と言うかだ。
こいつらやはり皆グルなのか?
つまりこれは大神殿の組織的犯行、ということになるのか。
まあ真龍種の子供を白昼堂々誘拐する様な奴らだ。
お貴族サマの道楽でなければそれなりのバックボーンが必要だろうということは容易に想像出来る。
しかし今目の前で現在進行形で行われているそれがよりにもよって大神殿によるものだというのか。
「……失礼、ご同行願おうか。
悪い様にはしないからここでの荒事はご勘弁願いたい」
その騎士の言動はチンピラではなかった。
どうやら俺を捕縛しようだとか、そういった意図は無い様だ。
あるいはこんな場所で大声を上げる頭のおかしい男と見られたか——だとしたら人攫いが何を言うかという話な訳なのだが。
とはいえやはり何かありそうだと感じた俺は、この場はひとまず大人しく付いて行こうと決め、シンプルに答えた。
「承知した。どこへなりと連れて行け。
ただし先程の少女は解放してやって欲しい」
「悪いがその取引には応じられない」
「何だと?」
「訳は話す。何も言わず付いて来て貰えないだろうか」
何だその物言いは……神殿騎士だろうがもう許せんぞ。
「それではこちらに利が無い。
それに荒事を起こしたのはそちらの方だろう。
人攫いを懲らしめるのは正当防衛だ。
違うか? 外道犯罪者共め」
女の子は袋ごと女性騎士にお姫様抱っこされて奥へと運ばれて行った。
……あの騎士も誘拐犯の手先か。
見送る俺に再び声が掛けられる。
「御託は良い。貴殿はこちらだ」
ありゃ。ダメージゼロかよ。
随分と煽り耐性のお強いこって。
しかし当然、ここは素直に応じる訳には行かない。
「失礼、少し興奮し過ぎた様だ。面目無い」
緩慢な所作で頭を下げながらそう言うと、同時に身体強化を発動して女性騎士が消えて行った方へと全力で跳躍する。
圧に負けた床面がボコっと音を立てて壊れた感触が足元から伝わる。
一瞬で追い付いた俺は後ろから女性騎士の肩に手を掛けてグイと引っ張り、出足を払って派手にすっ転ばせる。
抱っこされていた女の子が放り出されるが、ズザァと足からスライディングしてすんでのところで何とかキャッチする。
ふう、危ない危ない。
「え? ……えぇっ!?」
目の前にいた男性騎士は俺がいきなり消えたことで戸惑っている。
すっ転ばされた女性騎士も同様だ。何が起きたのか分からず呆けている様だ。
だが驚く様な事か?
平服姿とはいえ、それなりの心得のある者が見たら俺がそこそこ戦える人物だってことにはすぐに気付くだろう。
つまりここにいる騎士共の実力はその程度だということだ。
うん、こいつら騎士じゃないな。
有り体に言って、賊だ。
「さて、どう申し開きをする? 人攫い」
俺は騎士姿の男の前に立って追及の言葉を投げかける。
ちなみに壊した床の修繕費を支払えと言われても応じる気はさらさら無いぞ。
人助けの為だ、支払うのはこいつらだろう。
この騒ぎで周囲には一層多くの騎士や野次馬が集まって来た。
「分かった、分かったからもう勘弁してくれ。
その子供も一緒に連れて来て良い」
「答えが違うだろう。やり直しだ」
「う……何が違うと……?」
本気で言ってるのか、こいつ……真性のクズか。
仕方が無い。
麻袋から女の子を出してやる。
ぱっと見、怪我などは無い様だ。
……まだ意識は戻らないか。まあ良かったのかもしれないが。
「すみません、この子のご家族、ご友人はここにいらっしゃいますか!
どなたでも良いです! 介抱してやって貰えないでしょうか!」
そう叫ぶが、皆顔を見合わせて戸惑うばかりで誰も出て来ようとしない。
何だ、大神殿の権威がそこまで怖いのかよ。
まあ当たり前か。
仕方が無い、自分でどうにかするか。
「すまんが話ならこの子を然るべきところに返してやってからにしたい。良いな?」
そう言いながら女の子を抱え直し、立ち去ろうとする。
「な……待て、何を! 話し合いに応じろ」
「意味が分からん。この子の介抱が先だろう」
「ク……おのれ……」
止めたくても止められないだろう。
おまけに手を出す度胸も無いと来た。
つまりこいつらにとってこの事案はその程度のことなんだろう。
「そこの方、お待ちなさい」
しかしそこに一人の人物が表れ、場の空気が一変する。
明らかにその辺の有象無象とは異なるオーラを身に纏った年配の女性。
その声が場に響くのと同時に、騎士も神官も皆一斉に跪く。
あのローブは……
「聖女様! なぜこの様な場所に」
やはりこの婆さんが“聖女サマ”か。
神官長はどうした?
それに騎士団長もだ。
流石にこの歳で団長兼任は無いだろうし、警備の最高責任者を差し置いて偉いさんが出て来るなど余程のことでもない限り有り得ない筈だ。
「この騒ぎは何ですか」
「は。この者が……貴様!
何をボサッとしている、跪かんか!」
「この者……ッ!? もしや貴方は……」
「聖女様、お待ち下さい。
この者は神殿内で騒ぎを起こした狼藉者。無闇に近付かれては危険です」
こういうとこは一緒か……
不敬を働くなら中途半端はいかんな。
「フン、何が聖女サマだ。人攫いの頭領の間違いだろう。
大方そこの騎士共もコスプ……コホン、革か何かで作ったハリボテでそれらしく偽装しているだけだろう」
俺は衆人環視の中はっきりと言い放ってやった。
聖女サマは前に出ようとする先程の騎士を制止すると、目を細めて俺が抱っこしている女の子を一瞥し、ゆっくりと口を開いた。
「人攫い、とは穏やかではありませんね。
まさかとは思いますが人、と仰るのは貴方が大事そうに抱えているその魔物のことでしょうか。
でしたら市中に紛れた魔物を発見したら捕縛するのは当然の努め。
何も咎めだてされるようなことは致しておりませんでしょう。
違いますか?」
「な……何だと……!」
そう、この女の子は言うなれば“魔族”だ。
長いこと冒険者稼業を続けていると、自ずと他種族に接する機会が増える。
その冒険者にだって一定数人外の登録者がいる位だ。
そして俺の様に見慣れた者なら誰でも知っていることだが、そういった者達は大抵何らかの身体的特徴を有している。
おでこの瘤の出っ張り具合から察するに、恐らくこの子も竜族なんじゃないだろうか。
知恵ある種族は大抵魔力を消費して“人化”することが出来る。
考えてみれば、さっきのちびドラゴンもこの手で捕まって魔力切れで元の姿に戻ってしまったのではないだろうか。
魔導具を使用すれば意識して術を維持する必要は無いが、魔力が枯渇すればたちまち元の姿が露呈してしまうのだ。
まあだからといってこのような目に遭って良いという道理は無い。
人化という能力を彼らが獲得したのは、拡大を続ける人間の社会に適応して共存するための生存戦略であるという説が有力視されている。
植物系モンスターとか本能だけで生きる野獣と違って、人に擬態して捕食しようとかそういった意図などあろう筈も無い。
だから相手が聖女サマだろうが全力で煽りに行く。
冒険者は相手に舐められたら終わりな稼業なのだ。
「魔物だから何だ。誘拐は誘拐だろう。
それが聖女サマのお言葉か。
全く、有り難過ぎて反吐が出そうだ」
「こいつは……他人が黙って見過ごしてやったというのにいけしゃあしゃあと……」
「お待ちなさい。落ち着いて相手を良く見なさい。
貴方がたが束になっても敵う相手ではありませんよ」
「し、しかし聖女様……」
「気に病むことはありません。
貴方がたでは手に負えないと、そう思ったからこそ私が自らこの場に足を運んだのです」
「聖女サマ、改心する気は無いんですか?」
「そうですね、まずは話し合いをしましょう。
その魔物も連れて来て構いません。場所はそちらで」
「分かった。良いだろう。
但し俺とこの子と聖女サマ、この三人だけにして欲しい」
「貴様、聖女様がお気遣い下さったのを良い事に好き勝手言いおって……!」
「オレは相手が誰だろうが普段通りにやるだけだ。
それに俺があんた等を入れてくれるなと言ったのは、話が通じない狂信的な奴らだと思ったからだ。
つまり話し合いの邪魔だから来るなと言っている。
そこは誤解してもらっては困るな」
「何だと……!
聖女様! この様に得体の知れぬ男と魔物が一緒などと……」
「では尋ねますが、貴方がたの中に一人でもこの婆に勝てる者はおりますか?」
「ぐ……」
「貴方がたが何時まで経ってもその有り様だから、私は何時まで経っても団長の座を開けることが出来ないのです。
分かったら黙って下がり、この場を鎮めることに努めなさい」
「は、はい……承知致しました」
今……自分が団長だと言ったな、この婆さん。
どうなっている?
聖女サマが歩き出すのに合わせて、俺もその後に付いて行く。
さっきの騎士はどうやら大人しく言い付けに従うことに決めた様だ。
「さあ、参りましょうか。
偶然とはいえ漸く再会することが叶ったのです」
「再会?」
「ええ、私は貴方が来るのをずっと……ずっと待っていたのですよ」
この人は……まさか……
しかし前方を歩く老女の右手は白い手袋で覆い隠されており、“それ”を確認することは出来なかった。
/continue
2023.10.14 五話 新規 8,608字
2023.10.14 五話のラスト補記 8,672字
■五話.
………………………
俺は救出した女の子を抱えたまま“聖女サマ”を名乗る老女の後を歩いていた。
例の隠し部屋をも通り抜け、さらに奥へと向かう。
先程までは働く者達とすれ違い、女の子を抱えた俺を見て皆怪訝そうな顔をしながらも聖女サマに会釈をする、といった場面が幾度かあった。
しかし今、周囲には誰もいない。
どうやらここは大神殿の中でも特に立ち入りが制限された領域であるらしい。
暫しの無言。
背格好はあの聖女サマとは似ても似つかない……それに話し方も少し違う。
年月を経て色んな経験をすれば人は変わって行くものだ。
しかし再会、と言われたからには俺はこの人と面識がある筈なのだが、生憎とその面影に見覚えはない。
つまりこの人はあの聖女サマとは別人、ということなのだ。
まあ折角だ、今さら人攫いに敬意を払っても仕方が無いしざっくばらんに聞いてやるとするか。
「申し訳ないが、知り合いに貴女の様な人物はいないのだが。
貴女が何者か教えては貰えないだろうか」
「貴方が知らなくとも私は良く知っていますよ」
「それはそれで怖いんだが……結局あんたが誰で何で俺を待っていたのかは教えるつもりはないのか」
「いえ、その様なことはありませんわ。
もっともあの日から何年経ったか、もう正確に覚えてはおりませんが」
「……」
果たして本当の話なのだろうかと思案を巡らせながら歩く。
聖女サマも歩きながらの会話はこれ以上望んでいないらしく、再び沈黙が続く。
「さあ、こちらへ」
案内されたのは奥まった場所にある一室。
そこは神殿らしからぬとまでは行かないが、他とは少し趣の異なる様式の調度品で飾られていた。
「ここは内密に進めたいお話をするときのために用意された部屋です。
防音設備が整っておりますので誰にも聞かれる心配はありません」
「警備、それかお庭番みたいな者が控えているだろうし、誰にも、という訳には行かないだろう」
「“お庭番”というものについては存じませんが、警備の者ならば心配は無用ですよ。ほら、この子がいますからね」
『ギッ』
……ガーゴイル? 何か禍々しいのがいると思ったが……
「そいつも魔物なんじゃないのか?」
「ええ、私のお友達です」
「はあ?」
「ふふ、冗談です。この部屋の防犯装置の一部とでも理解して頂ければ」
「別にそんなことをせずとも結界でも張れば良いだけだろう?」
「何分、聖属性の扱いは苦手にしているもので」
「……まあ、これからするのが何やら後ろめたい話だってことだけは理解した」
聖属性が苦手な聖女サマか……
「実際のところ、私は聖女などではありませんし」
「な……本当か——」
「それは本当なのっ!?」
「おわ!? びっくりした!」
俺と聖女サマの会話に突然大声で割り込む者が一人。
といってもこの場にいるのは三人だ。
状況からしてそれが誰の声なのかは明白。
さっき助けた女の子だ。
この様子だと大丈夫そうだな。良かった良かった。
ていうかだ。
「場所が場所だろう。この子はこのまま放っておいて良いのか?」
「ええ、構いませんよ」
「ねえ、本当なの?」
「ええ、本当ですよ」
「おい、さっきから何を聞いてるんだ? 捕縛云々の話じゃないのだろう?」
「それでおばあさんは聖女様じゃなかったら一体誰なの?」
「私はしがないCランク冒険者ですよ」
「ボウケンシャ?」
「おい!」
グイグイ来るな。
俺が躊躇してる質問をホイホイとしやがって。
しかし冒険者だと?
「その前に……言い忘れているでしょ? 大事なこと」
「大事なこと? ああ、おばあさんなんて言ってごめんなさい」
「違うでしょ、ほら」
聖女サマに促されて女の子は渋々といった体で俺の方に向き直り、ペコリと頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「はい、良く出来ました」
聖女サマは笑顔で女の子の頭を撫でる。
何故“ごめんなさい”が正しいのか……意味が分からんな。
そこは“ありがとう”じゃないのか?
「続きを聞こうか」
「私が掌を返した様にこの子を可愛がり始めたのがそんなに意外なのですか」
「それもあるが、そもそも俺を犯罪者として捕縛すれば済む話がどうしてこうなった。
それに今の会話、本当にこの子に聞かれても大丈夫なのか」
「あら、やはり何も分かっていないのかしら」
「勿体ぶるなよ、偽聖女サマ」
「この子がなぜ、大神殿の中を一人でもふらふらと歩いていたのか。
そこは疑問には思わなかったのですか」
「今さっき会ったばかりの相手の行動の理由など分かる訳がないだろう。
それが分かるのは本人だけだ。
大方さっきの“ごめんなさい”ってのと何か関係があるんだろうがな。
まあその前にひと休みさせたら良いんじゃないのか?
この子が俺達の話に関係があるのなら話は別だが」
「そうね、それなら出来ればこの子にもお話を聞いて貰いたいのだけれど。
良いわよね」
「ボクならピンピンしてるし全然大丈夫だよ!」
「だそうよ?」
「誘拐されそうになって助けてとか言っていただろう、それはどうなんだ」
「許すよ、はい解決!」
「そ、そんな軽いノリで良いのか……」
「お話も纏まったことですし、続けましょうか」
「どうせ後で始末するから、とかその手の物騒な理由でなければな」
「ええ、貴方の意見なら通して良いという道理も無いですしね」
「はあ……分かったよ。だがまずはその意図を聞かせて貰おうか。
“冒険者”、という言葉を出して来たな? まずはそれだ」
「貴方は冒険者という言葉をご存知なのですね」
「俺もしがないいちCランク冒険者に過ぎないんだがな」
「まあ、それは奇遇ですわね」
「本当か?
偶然にせよ会うことが出来たとか言っていただろう。
俺のことを知っていて待っていたかの様な言いっぷりだと思ったが」
「そうですね、まずはあの日の出来事からです——」
そうして彼女が語った話の概要はこうだ。
あれから程なくして魔王軍との戦いが始まった。
俺がギルドホームの裏口に向かうのを見て聖女サマもすぐ後を追った。なぜそうしたのかはまたしても教えてくれなかったが——あの建物には聖龍様が特殊な結界を貼っていたらしい。
そして聖女サマ……いや、偽聖女サマにはその戦いに参戦した記憶が無いそうだ。
俺を追ってホームに入ったところで何かの手順を踏むと発動する罠に掛かり、ギルド内のどこかの部屋——全面金属製で物理攻撃も魔法も無効化する術式が仕込んであった——に閉じ込められたのだそうだ。
だから戦いの一部始終をその目で見ていた訳ではない……彼女はそう主張した。
「その様なものを用意する技術があるのなら、それを街の護りに役立てれば良いものを……そう思いましたが時既に遅しで……」
つまり王国は外縁で既に接敵していた正規軍と王都に駐留する近衛軍、街の警邏隊やら門番やらの烏合の衆、そして居合わせた冒険者達だけで四方から押し寄せる魔王軍と戦ったのだ。
ここまでの話を聞くとこの婆さんが本当にあの聖女サマと同一人物なんだという気がして来た。
「それで何がどうなったらこうなる?」
「冒険者の存在……ですか」
「俺を待っていた、という話もだ」
「流れから言えば当然のことです。
王都の防衛戦では、身体強化を容易く扱い数多の魔物狩りの奥義を身に着けた冒険者達は縦横無尽の活躍を見せました。
頼みの綱の国軍が外縁部で釘付けになっていたのですから、王都の護りは彼らの肩に掛かっていたと言っても過言ではない、そんな状況でした」
「そして?」
「幾ら彼らが強いと言っても多勢に無勢です。最終的に、彼らは全滅しました」
「Sランクやアンデット狩り、それに神殿騎士の連中もか」
「はい、私が外に出されたときは誰も——」
「待てよ、Sランクは数日前に配下のレンジャーを斥候に出したと言っていただろう。
それに対策も講じた、そう言っていた筈だ」
「それこそ、分かりません。全てが終わった後でしたから」
「そうか……」
女の子は目を丸くしながらも黙って話を聞いていたが、意を決したのか偽聖女サマをキッと睨んで声を上げた。
「じゃあ……お祖母様を殺したのは……貴女じゃないのね?
あの戦いには無関係だったと」
「もちろんですわ」
「そこだ。貴女は俺を待っていたと言っていたが本当は何者なんだ?」
「何者とは……?
本当に私が誰なのか分からないと……?」
「俺の知る聖女サマの冒険者ランクはSSランクだ。
その強さだって俺なんか小指の先で木っ端微塵にされる位の実力差があった。
Sランクが“魔王より怖い”などと評してた程だからな。
だが貴女から感じる気配は俺と同等か、それ以下だ。
まあ若い頃はもっと高ランクだったのかもしれないが」
「SSランク……? その様なランクが存在するのですか?
言葉のまま解釈すればSランクのその上、ということになるのでしょうけれど」
「な……勇者サマ、聖女サマに神官長、この三人か規格外だとして特例でSSランクを与えられていた筈だが、違うのか」
「与える、とは誰が与えるのですか?」
「誰って……国王陛下だろう」
「お待ち下さい、冒険者というのは国王が与える身分などではない筈。
そもそも冒険者ギルドというのは国際的な組織です。
一国の国家元首にどうこうされるなどあってはならないことです」
「……そうなのか」
思えばラノベの世界に登場する冒険者ギルドというのは決まって国家権力に反抗する組織だった。
今までだって違和感が無かったという訳ではないが、それが現実だと割り切って考えていた。
「冒険者のみならず、人々が就くべき職業やその才能に応じたスキルというのは神の加護により与えられるものです。
そしてそれを皆に告げるのは神に仕える神官の役目、魔王軍がその脅威を看過する筈がありません」
「あの、やっぱりお祖母様は」
「そうですね、詳しい経緯は分かりませんが魔王軍の計略に嵌められ——」
これはやはり……“世界”がまるで違う。
やはりここはまた別の“異世界”で間違いないんだ。
じゃあここでの聖女サマってのは何なんだ?
いや、翻って——
「待ってくれ、その子の言う“お祖母様”というのは……」
「……勇者様のことですわ」
何だと?
勇者サマはハーレムパーティーを率いるイケメンの若造じゃなかったのか!?
「では勇者、というのは——」
「ええ、竜人族の女性です」
「俺の知る勇者サマは人間の若い男性だ」
「ああ、流石にもう分かりました。貴方は……」
「残念だが、人違いだろう。貴女の待ち人が誰なのかは分からないが」
「ですが」
「ですが?」
「逆に質問させて下さい。
察しておられるでしょうが魔王軍との戦いに敗れた後、人類はあらゆるモノを失いました。
信仰に関しても同様です。
私は支配の道具として敢えて生かされている身。
そんな私以外でスキルを使いこなし、冒険者を名乗る貴方は一体何者なのですか?」
「俺は——」
この街が魔王軍の支配下にある、そういうことなのか……?
この人が自分を偽聖女だというのは、それが魔王軍から与えられた役割だからだと、そういうことなのだろう。
多少寂れているとはいえ、そんな風には見えないが……
いずれにせよ、これは……不味いことになったな。
これまで少々目立つことをし過ぎたかもしれない。
スラムの三人や宿屋の女将さんがガサ入れなんかで巻き添えを食ったら申し訳無さ過ぎる。
「俺は魔王軍との戦いを前にした王都からこの“世界”に迷い込んだ、“異世界”のCランク冒険者、ということになるんだろうな」
「“異世界”、ですか……
俄には信じ難いお話です。
ですがお話を聞く限り……貴方がお住まいになっていた世界はこの、私達の世界と無縁ではないのではないのでしょうか。
詳しく聞かなければ認識できない程に、二つの世界は似通っている……そう感じます」
「だが俺は貴女の待ち人ではなかった」
「そう……待ち人といっても会えるかどうか分からない、それこそ遠い存在のお方。
ですから今は目の前にいる貴方と協力して——」
しかし……これではやはり納得が行かないな。
「待ってくれ。皆まで言わないで欲しい」
「ですが……」
「話は分かった。
分かったが貴女達がやっていることの意味は全く理解し難いと言わざるを得ない。
何故薬を嗅がせて麻袋を被せるなんてことをする必要があるんだ。
実行してる奴らは賊、それも有象無象の輩じゃないか。
おまけに大神殿の中で白昼堂々とだ。
そこらのゴロツキなんぞを手懐けて使うとは一体何を考えている?
その子が許すと言ってくれたのだって個人的な目的を果たす為だ。
それを置いておいて協力だ?
馬鹿も休み休み言え。
貴女が俺をすぐに捕縛しようとしなかったこと、それに敢えてこの子に話を聞かせたことが誠意の証だとでも言うのか?」
「……それだけでは不服だ、と」
「当たり前だ。
アンタは俺達の生殺与奪を握っているんだ。それを分かった上での提案だと言うのだろう。
脅迫と何ら変わらないじゃないか」
「……今のお話だけでは私のことを信じるには不足だと」
「そうだな、じゃあ聞くが俺がいつスキルを使ったというんだ。
先の一件だって身体強化をちょっと掛けただけで、他は純粋な格闘術に過ぎない。
何故俺がスキル持ちだと思った?」
「……私にはそれが視えるのです。神官のスキルなのですが」
「そんなスキルがあるのか。しかし聖属性が苦手で神官スキルか」
「スキルは属性魔法とは違いますから。それにちゃんとした理由もあるのです」
「抜け道みたいなものか」
「初めから持っていたスキルですので」
「それだけ?」
「ええ、特に改宗もしておりませんし」
「改宗? 何から何へ」
何かゲームみたいな抜け道だな。
一体どうやって知ったのやら……
「神官としての志は失っていないからとか、そんなところか」
「ええ。先程も見ていたでしょう、この世界の人々のどうしようもない有り様を。
貴方の必死の呼び掛けにも関わらず誰一人として動き出そうとしない、あの醜さを。
卑屈になるのも当然です。戦に敗れたのですから。
私は、それを救いたいのですよ」
「随分とネガティブな動機だ」
「人とは、得てしてその様なものなのです」
それの何が抜け道だというんだ?
それとも忌道故の誤魔化しか?
「それで、人攫いの理由をまだ聞かせてもらっていない。
あとは貴方の目的だ。何に協力してほしいのかを説明して貰えなければ協力のしようもない」
「それはすぐに分かります。そろそろですから」
「そろそろ? 何の話だ?」
「外では夜の帳が降りる頃合いです」
「ギャアアアアアアアッ!」
「な、何だ!」
場をつんざく様な獣の咆哮。
それが突然周囲で木霊した。
「申し訳ありませんが、後のことはお願いします。
外の有様をご覧になれば分かるでしょう。
貴方の実力ならば然程の心配もありませんし」
「何!?」
「ただ……躊躇ってはいけませんよ。
何故なら……」
偽聖女サマはそう言うと蝋人形の如くピタリと動きを止めた。
そしてグラリと傾き、力無く倒れ込む。
「お、おい、どうした」
バタリと床面に激突しそうになるのをすんでのところで抱き止める。
「おい、しっかりしろ、おい!」
しかし俺の呼び掛けにも反応は無く、偽聖女サマは魂が抜けたように半目を開いて脱力したままだった。
「ッ!」
——死んでいる!? い、いや……
これは……人形、だ……?
「ガルルルル……」
……ッ、魔物か!? どこから!?
咄嗟に振り向くと、その唸り声の主はそこにいた女の子だった。
しかし四肢に鱗が見え始め、指先からは鋭い爪が伸びる。
そして目つきが明らかにおかしい。
正気かどうかも怪しいぞ……一応だが警戒はしておくか。
魔法袋から予備の盾を出して構える。
人化が解けた?
……いや、この子は竜人族の勇者の孫だ。
身体的特徴はあれど、人間であることに変わりは無い筈だ。
「おい、どうした。
冗談にしても質が悪すぎるだろう」
『イセカイヨリオトズレシ……ニンゲン……ノ……エイユウ……コンドコソ……キサマノ……イキノネヲ……』
「な、何だと!?」
『ハザマニイキルモノノ……シュクメイ……ヲ……』
「全く意味が分からん……ッ誰だ!?」
『〈催眠〉』
「さっきのガーゴイル!?」
『まあ落ち着け』
横から割り込んで魔物と化した女の子を魔法で眠らせたのは、ただの防犯装置だとばかり思い込んでいたガーゴイルだった。
ガーゴイルはその場に頽れる女の子を抱きかかえ、静かに寝かせる。
『ここで暴れられたりしたら面倒だからな』
「喋った!?」
『人間だって喋るだろう。
ガーゴイルが喋ったところで大差無い』
「いや、あるだろ……じゃなくてこの有様は一体何なんだ?」
『そういうお前は何故これを知らぬのだ』
「さっきそこで話していたのを聞いただろう。
俺は異世界からこの世界に迷い込んだ人間だとな」
『何かの冗談だと思っていたが、本当なんだな?』
「こっちから言っておいて何だが、他国の人間とかそういった観点は無いんだな」
『成る程、その疑問こそお前がこの世界のことを何も知らないことの証左か』
「どういうことだ?」
『ここに他国など存在しない、ということだ。
この世界に存在する国……いや人の住む街はここしか無いのだからな』
「もう少し理解出来るように話してくれ」
『説明してやっても良いのだがな、そんな暇があるかどうか』
「何?」
『今頃街は火の海だ』
「何だと!? 一体何が!」
『“やり直し”が始まったのだ。早くしないと我々も巻き込まれるぞ』
「済まん、切羽詰まった状況なのは十分理解したが話が全く見えん」
『取り敢えず一緒に来い。見れば嫌でも分かる』
「しかしこの場は……」
『捨て置けば良い。この部屋は大神殿の中でも最も安全な場所だからな』
「し、しかし今……“巻き込まれる”と……?」
仰向けに倒れる“偽聖女”サマ。
本当に何の救護も必要としないのか?
現れるかどうかも分からない誰かをずっと待っていた、そう言っていたのは仮初めの虚言だったとでも——
『言っておくがそれは玩具に化ける類の呪いなどでは無いぞ。
そやつは初めから人形、舞台装置の一部なのだ』
「な……馬鹿な……舞台装置?」
『馬鹿なものか。御託は良いから付いてくるが良い。
繰り返すが、見れば嫌でも分かるのだ』
そうだ、外に出てみなければ何も分からない。
ただ、現実を見るのが怖かった……それだけだ。
「……分かった」
『良し、こっちだ』
“偽聖女”サマは自分のことを一介のCランク冒険者だと言っていた。
それが人形で舞台装置?
魔王との戦に敗れた、その結果がこれだということなのか……?
俺は黙ってガーゴイルの後に付いて、もと来た通路を逆に進んで行く。
そして例の隠し部屋。
先程ここを通ったとき俺の前を歩いていたのは偽聖女サマだった。
そのことに感慨を覚える暇も無く、先へと進んで行く。
そしてスタート地点である礼拝堂まで戻って来た。
「おい、その姿のままで表に出るのか」
てっきり人化して外に向かうものだと思い込んでいた俺は、慌てて引き止めにかかる。
『見れば分かると言っただろう。周りを良く見てみろ』
「何だと……?」
ここは大神殿の礼拝堂だ。
つまり先程まで多くの人が礼拝のために集っていた場所。
それが今はもぬけの殻になっていた。
思えば途中ですれ違う人も無かった。
その時点で気付くべきだったのだ……誰もいないという事実に。
「皆、どこへ……?」
『出れば分かる』
そう言うと無人となった大神殿の中を出口に向かってまた歩き出す。
「こ、これは……!」
『だから言っただろう、今頃街は火の海だと』
その光景はまさしく一面の火の海……それ以外の表現が思いつかない程に激しく燃え盛っていた。
「何故だ……何故そんなに冷静でいられる!
これを見て何が分かるというんだ!」
このままではあのスラムも、宿屋も、そして始まりの場所でもあるギルドホームも、何もかもが灰燼に帰してしまう……!
『何故だと問われても困る。
逆に何故それ程熱くならなければならないのだ』
「しかし……」
『この光景が燃焼という化学現象ではない、ということは理解出来ているな?』
「……! そういえば熱くない……これは……何か魔術的な現象か」
『お前の実力ならすぐに気づくと思ったが……まあ知らなければ無理も無いか』
「この炎は……浄化、か?」
『そうだ、大規模な浄化魔法だ』
「それじゃあここは……」
『この街は嘗て暮らしていた人間たちの思念が集い、形造られている。
放っておくと怨念が集まって人の形となって表出し始めるのだ。
それが外部に影響を及ぼさない様こうして定期的に浄化している』
「しかしこれは……聖者が行使するものとは異なるな?
……神聖魔法ではない」
皆魔王軍に滅ぼされた王都の住人の魂……?
「それじゃあここは……何処なんだ」
『何処、と言われてもな』
「それにあの人形……人攫いの様なことまで——」
『この廃墟で暮らしたがる変わり者がたまに現れるのだ。
魔族が瘴気に長いこと触れていると“人化”の障害が現れ始めるからな。
それを防ぐために遠隔操作の端末を使って彼らを保護しているのだ』
「それは——本当なのか」
しかし……ここで暮らす人々は確かに存在していた。
俺が宿屋に預けた武器と防具はどうした?
宿代だって現金で支払ったぞ。
それに……さっきの人形が遠隔操作の端末だ?
急いで外に出た理由だって——
廃墟の姿を晒していく街を目の当たりにしても、俺はこのガーゴイルの言うことを受け入れることが出来ていなかった。
「探し物がある。少し……辺りを探索しても良いか」
『構わん。が、城壁の外には出るなよ』
それは……出てみろと、そう言っているに等しいぞ……
「……分かった。感謝する」
俺は返事をするのも程々にその場を離れた。
向かう先はあの三人の住む家、それに宿屋だ。
『“異世界から来た”……か。フム』
それを見届けたガーゴイルは、何かブツブツと独り言を呟きながら大神殿の中へと戻って行った。
/continue
(更新)
2023.11.19 六話 新規 17,128字 カクヨム HAMELN note 同日 なろう追加
2023.11.22 六話 後半部分を大幅改稿 18,151字
2023.11.25 六話 最後の部分を修正 18,210字
■六話.
………………………
浄化の紅い光が妖しく揺らめく中、俺はもと来た道を駆け戻った。
宿屋があった場所には辛うじてその痕跡と分かる崩れた土台と石壁が僅かに残るばかり。
——人だけでなく建物までもが幻だったというのか。
そして俺が預けた装備一式はどこだ?
女将さんよりも自分の装備の方が気になるのかと言われれば薄情にも聞こえるかもしれないが、長年愛用した相棒だ。
大事なものは大事なのだ。
カウンターがあった辺りを探ってみるが、見つかるのは石くればかり。
宿屋の周辺も見てみるが、どこも似た様なものだった。
周辺を手当たり次第に調べているうちに、頭に登った血が引いて冷静になって来た。
そうなると腑に落ちない点がばかりが目に付く様になる。
この有様が浄化のせいだ、というからには対象は霊的な何かということになる。
街の人々は皆そういう存在だったということだ。
そして俺が幽霊なら装備が見付からないのも納得出来るが、俺自身は炎の影響を全く受けていないのだ。
故に装備まで消えているのはどう考えてもおかしい。
それに先程ガーゴイルから聞いた説明からしてもやはり納得出来ない部分がある。
この街で暮らしたがる変わり者が一定数いる。
そして彼等を保護するために遠隔操作の人形を動かしている。
——ということは取り残された魔族がいて然るべきではないのか。
人形とやらがいたなら偽聖女サマの如く、そこらに倒れている筈だ。
まあさっきのガーゴイルの言いっぷりだと事前に知っていて撤収した可能性もあるか。
どこに帰るのかは分からないが。
十分程見て回った感想を言えば、“何も無い”の一言で済みそうな程何も見付からなかった。
この分だと三人が暮らしていたスラムに行っても無駄足を踏むだけに終わりそうだ。
……大神殿に戻るか。
遠出してみたくはあるが、“少し探索する”と言った手前いつまでもウロウロしているべきではないだろう。
それにガーゴイルが人間である俺に対してやけに友好的だったのも気になるし、そちらを突いてみた方が何か出て来そうな気がする。
それにしてもあの宿、晩飯が出ると言っていたが……葉っぱでも食わせる気だったのだろうか。
俺は大神殿へと戻り、守る者のいなくなった正門の下を三度くぐる。
が、しかし次に目にしたのは思ってもみなかった光景。
……入り口の前に騎士が立っている。
しかも全身鎧に鉄仮面。
完全武装だが、鎧に取り憑いた幽霊かもしれないと思わせる様な出で立ちだ。
『漸く戻ったか、人の面をした化け物よ』
「会うなり何だ、初対面だろう」
『これは失礼した。“自分は異世界から来た”などと言っているおかしな奴がいるという話を耳にしてな』
「重ねて失礼な奴だな」
『まだ気付かぬのかよ、おい』
「ああ、先程のガーゴイルか。ということはそれが人形という奴か」
『そうだ。ここでボーッと突っ立ってお前を待ち続けるのも馬鹿馬鹿しいからな』
「ある程度自動で動かすことも出来るのか」
『いや、普通に別なことをしながら操っていた』
「器用な奴だな」
『別に珍しいことではあるまい』
「思考加速か、それとも多重存在? どちらにしても結構なレアスキルだと思うが」
『いや、単なるマルチタスクだ。慣れれば簡単だぞ。
どうだ、使ってみるか。お前ならすぐに覚えられるだろう』
「申し出はありがたいが、余所者……しかも人間の俺に何故そこまで親切にする?」
それに……何か既視感のあるやり取りだ。
『別に不思議なことではあるまい。困ったときはお互い様だ。
それに先程お前を“化け物”と言ったのは別に冗談ではないのだからな。
まあ化け物同士仲良くやろうではないか』
「その化け物というのは何だ」
『では聞くが、あの“神聖ならざる”浄化の炎の中で平気でいられるお前は、自分が何なのか疑問に思わなかったのか?』
「ああ、それだ。勿論不思議に思っていたさ。
だがな、他にも話してもらいたいことはごまんとある。
疑問が多過ぎてどれから聞こうか迷っていたところだ」
『壁の外へは?』
「少しだけ探索すると言っただろう、そんな遠出などするものか」
『何だ、出なかったのか。つまらん奴め』
「何を言うか。出るなと言ったのはお前の方だろう」
『あのな……聖女の言葉を覚えているか、最期の言葉を』
「外の有様を見れば分かると……だがそれはお前のそれと同じだ」
『ム……他にも言っていただろう』
「他にも? ああ……“躊躇うな”、か。
しかし……何をだ? 何を躊躇うなという話だ」
『わざわざお膳立てまでしてやったのにそれか。理解力の乏しい奴め』
「こちらとしては大真面目なんだがな」
『言っただろう。あやつは舞台装置に過ぎぬのだ、とな』
「……勿体ぶるのはお前達のお家芸か何かなのか」
『お前という奴は……良いか、先程も忠告してやっただろう。
分かったのならばさっさと行け』
「その前にひとつ、“人形”はずっとあのままなのか」
『そうだな、また会ってみるが良い。後で分かる』
「またそれか。良い加減聞き飽きたぞ」
『察しろ。言いたくても言えんのだ』
「何を察しろと? 会え、というのは誰とだ?」
『すまんがそれを口にすることは出来ん』
何だと……?
「何だ、お前は奴隷か何かなのか。
確かに境遇的には同情を禁じ得ないが、だからといって何故俺がお前に共感しなくちゃならないんだ」
『全く……先程から思っていたが、屁理屈ばかりを捏ねて他人の言うことを聞くということを知らん奴なのだな、お前は』
「良いから答えろ。誰かの奴隷として動いているのか」
『その様に自明なことを何故今更聞く』
「またか、俺は何も知らないのだから——」
『分かった、分かったから来い。
連れて行ってやるから自分で確かめろ。
恐らくだが……お前にはそれが出来る筈なのだからな』
そう言ってガーゴイルは俺を一瞥して先程来た通路を再び戻り始める。
また付いて来い、見ればわかる、か。
そうして偽聖女サマと話していた密談用の部屋を通り過ぎ、更に奥へ向かう。
「先程眠らせた女の子はどうしている?」
『まだ眠っているがあの様子ではまた眠らせた方が良さそうだ。
お前を案内したら戻って拘束する』
「目を覚ましたら暴れ出すと?」
『ああ、元々粗暴な奴なのかもしれん。それに大分拗らせた人間嫌いの様だ』
それにしては気になるひと言を吐いていたが……
先程から思っていたが、このガーゴイルは立場としては警察的な奴なのか。
或いは騎士団、自警団の類か。
「元々は無邪気そうな子供だったじゃないか」
『瘴気によって魔族が人化したとき、怨念……執念とも呼ぶべきその残留思念に意識が乗っ取られた状態になるのだ。
故に人化している間本人の意識はなくその時の記憶も無い』
「つまり瘴気というのはそこらに漂う人間達の怨念、それが乗り移って……姿も含めて完全にその人物になり切るということなのか」
『客観的に見るとその通りだ』
「つまり、皆がその状態になったとき、ここは人の領域の如くになる、そういうことか」
『そうはならんさ。ここは禁域なのだ。
しかし下手なことは考えるなよ?』
城壁の外へ出るなと言っておいてそれか。
どうしてそんな回りくどい真似をする必要がある?
「考えたところで何も出来んさ、そうだろう?」
そうするとあの子はさしずめ“お祖母様”を殺したという犯人を追い求めて彷徨う亡霊、といったところなのだろうか。
人化させられた魔族以外の人々も、何かしらこの世に未練があって……
それにしても“あの子”か。聖龍様も聖女サマにそう呼ばれていたな。
『さて……この辺りだ。
術者……つまりは俺の主人に会いたいのなら奥へと進むが良い。
お前にその資格が無ければその場所にも気付かず通り抜けるだけになるだろうがな』
「お前は行かないのか?」
『残念ながら俺は共に行くことは出来ん。
ここの面倒を見なければならないからな』
「ここの?
別にいるのはお前だけという訳ではないのだろう」
『さあ、どうだろうな。正直分からん』
「ここはお前達の拠点が何かなのか。ここだけ影響を受けていない様に見受けるが……ああ、建物の話なのだが」
『拠点かどうかなど分からん。俺はここを維持するだけしか能の無い召使いに過ぎんのだ』
「召使いにしちゃあ随分と親切じゃないか」
『何、ただ気に食わぬからぶち壊してやりたいだけなのだ』
「ぶち壊す? 何をだ」
『下らん“ ”をだ』
「どうした?」
『察しろ。良いか、ここはな……“ ”なのだ』
「!? さっきから何を言っている?」
『良いか、ここは“ ”を求めて果て無く彷徨う“ ”のひとつなのだ』
「何のひとつだって? 他にも同じ様な……いや、良い」
これは……きっと聞いても駄目なやつだな。
「……分かった。後は自分でどうにかするよ」
だが……
「最後にひとつだけ教えてくれ、鉄仮面殿」
『何だ』
「お前は人形だという割に先程から随分と具合が悪そうだ」
『……はじめに言った筈だ。お前は影響を受けなかった。
だが俺は違う』
「お前は本当に先程のガーゴイルなのか」
『別にどうでも良いだろう。俺達はこの場だけの関係なのだからな』
「そうか、分かった」
『もう良いだろう、さっさと行け』
「ああ、助かったよ」
◆ ◆ ◆
俺は薄暗い通路をひとり歩く。
真実を口に出来ない枷か……
あの騎士がどうして姿を現したのかは知る術もないが、もしかしたら人形はガーゴイルの方だったのかもしれないな。
分かったとは言ったものの……いや、今は考えるのを止めよう。
少し歩くと開けた場所が見えて来た。
ここが終点か?
通路の先にあったのは、聖龍様の角が安置されている筈のあの建物……によく似た場所。
霊廟は聖龍様の為に建立された筈だが、ここはあの大神殿ではない。
そして通路はまだ奥へと続いている。
ここで行われる儀式が何なのか気にならない訳ではないが、まずは先に進もう。
俺は立ち止まらず、祭祀場をそのまま通り抜けた。
とにかく前へと進み、やがて薄明かりの差す場所へと差し掛かる。
出口、か。
通路の右手から月明かりが差し込んでいる。
通路はまだ続くが、俺はそこへと吸い寄せられる様に近付いて行った。
そこに扉の様なものは無く、そのまま出ることが出来た。
何だ。
何故こんな所に……
この景色を俺は良く知っている。
これは——この世界に転生した俺の記憶の始まりの場所、幼少期を過ごした孤児院の中庭の景色だ。
勿論ここは孤児院ではない……が、余りにも似過ぎている。
そこは円形の庭園の様な構造になっており、四方を石壁が囲んでいる。勿論、壁は大神殿のものだ。
位置関係から言うと、通路側から見て右手が礼拝堂、正面がさっきまでいた街、左手がひと悶着あった隠し部屋だ。
その孤児院の中庭には四方に常緑樹が等間隔で植えられ、その間を縫うようにして小径が走っていた。
そしてその両脇はつつじの生け垣で囲まれ、更にその向こうにはかつては四季に応じた草花が植えられた花壇があり、景観に彩りを添えていた。
だが今は雑草が生い茂り、ちょっとした林といった風情の概観だ。
中央には彫像を中心に据えた噴水やら石造りのベンチやらがある。
噴水の水は枯れ、月明かりがすっかり苔生した彫像をぼんやりと照らしている。
その光景はこの場所が主を失って久しいことを静かに物語っていた。
俺と同じ様な境遇の子供達が噴水の周りを駆け回り、ベンチに腰掛けた先生がそれを見守る……そんな懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
ん?
何者かがこの中庭に入って来た様だ。
何処だ……何処にいる?
『そこに居るのは誰じゃ』
念話である筈なのにどこか聞き覚えのある女性の声。
気配から察するに圧倒的格上の存在……という訳ではなさそうではあるが。
『如何なる手段を講じたかは存ぜぬが、ここに巫女以外の者が立ち入ることは許されておらぬ。
そもそも、巫女でなければ門をくぐる事も叶わぬのだ。
その様な場所に何故おるのか。
よもや何も知らずに忍び込んだ訳ではあるまい。
それに騎士団の警戒の網を潜り抜けて侵入したとなればそれなりの実力者であろう。
其方の目的を申してみよ』
何を言っている?
俺はガーゴイルに案内されて堂々と通って来たぞ。
もしかしてこの声の主は外の状況が分かっていないのか?
無駄に尊大な態度が殊更アンバランスさを強調しているな。
まあ、居場所を悟らせない隠蔽技術は大したものだ。
そして……先程ガーゴイルから聞いた話を信用するならば体の良い説明係、といった所か?
「無断で侵入したことは謝る。
そのうえで気を悪くしないで聞いてほしい」
『何じゃ。申してみよ』
「俺はそんな大した人間ではない。
目の前の相手の実力も碌に分からないという訳ではないだろう。
だが今の状況と貴女の発言の内容の間には著しい齟齬がある。
今の話、外がどうなっているか分かったうえでの質問なのか?」
『ほほう、妾の質問に質問で返すか。
それに外の様子、か。成る程のう。
何も分かっておらぬのは其方の方なのではないか』
「何?」
またそれか。
『では聞くが“外”、とは何処を指すか。言うてみよ』
「この建物の外だ。決まっているだろう」
『この建物、というのは今いるこの場所の事を言うておるのか』
「そうだ。他に何がある」
『言うておくがこの建物の名前は“大神殿”などではないぞ』
「……!」
『どうした。顔色が変わった様じゃがの?』
「それじゃあここは……何処なんだ」
『何処、と言われてものう』
またそれか。
さっきから繰り返しているこれは何だ?
別に俺をからかっている訳ではないのだろうが——
『それより其方、妾を討伐しに来た勇者なのであろう。
剣は抜かぬのか』
「生憎だが俺は勇者なんてご大層な身分じゃないんでな。
それに貴女と戦う理由が無い。
第一、剣を抜くにも姿が見えないのではな」
『戦う理由が無い、とは如何なることか。妾、ちょっと理解に苦しむぞ』
「じゃあ聞くが貴女は魔王か何かなのか?」
『いかにも、妾がこのエリアの主、つまり魔王なのじゃ』
何なんだこいつは……まさか本当に魔王だとか言い出すとは思わなかったぞ。
真面目に聞くのが馬鹿らしくなって来たぞ。
「分かった分かった。だったら早く俺の目の前に来いよ、まおーさま」
『く……この無礼者め。先程からお主の目の前におるじゃろうが』
「はぁ。で、どこだよ」
『ぬ……待っておれ』
………
…
「おい、まだか?」
『か、体が動かぬ! クッ、何をしたお主ィ!』
「いや、何もしてないから」
ここにいても無駄だな。
さっさと行こう。通路にはまだ先がある。
『ま、待て、何処に行くのじゃ』
「俺は忙しいんだ。用が済んだらまた来てやるよ。
それとな、残念ながら俺は今丸腰なんだわ。
だから——」
『ま、待て……妾を助けてはくれぬか。
頼む。こ、この通りじゃ!』
「助ける? どうしてだ?」
先程までは俺と戦う気満々だったじゃないか。
何をどう助けるのかは分からないが、助けて欲しいのならまず姿を現して誠意を見せろよ」
『誠意ならこれ、この通りじゃ」
「だから“この通り”というのは何……だ……!?」
そう言いかけてようやく気付いた。
先程から自分に話しかけていたのは目の前に立つ苔生した彫像であるということに。
ギギギ……という軋み音と共に頭を垂れる。
首はあらぬ方向に傾き、あり得ない角度にコトリと傾いている。
不気味な笑みを浮かべるその姿はまるでゾンビでも見ているかの様だった。
正直、内心はとても動揺していた。
しかし日頃の鍛錬の賜物か、どうにかポーカーフェイスを保つことが出来た。
と、思っていたのだが……
『何じゃ。随分と驚いておる様だの』
「そう言われると自信を無くすな。表情筋のコントロールは上手い方だと自負していたんだが」
『見た目を取り繕ったところで妾には見えぬからな』
「見えない?」
『ほれ、妾の身体はこの通り錆付いて身じろぎすらままならぬ故な』
「ではどうやって……?」
『脈拍、呼吸、体温、それに筋肉の緊張度合いなんかを観察しとるとな、何となーく分かるのじゃ』
「いや、そっちの方が難しいだろう」
『妾とて生きた人間を見るなど何千年振りじゃ。
正直自分でもびっくりしておるわ』
「何千年……? ここには人間はひとりもいないというのか」
『分からぬ。人間達は黙って何処へと姿を消してしもうたのじゃ』
「お前達が滅ぼした、という訳ではないのか」
『妾達? 分からぬ。何も分からぬのじゃ』
「魔王なのだろう、あんたは」
『ははは……遥か昔の話よ。久方ぶりの客人の来訪故少々はしゃいでしもうたのじゃ。済まぬ済まぬ』
「それで、助けろとは何だ? 先程も似たようなことを持ち掛けられたが」
『先程? はて、ここに妾以外の者がおるなど有り得ぬ筈じゃがの』
「結局応じなかったから仔細は聞いていないんだが、先程ここの聖女サマに協力しろと頼まれたばかりだぞ。
俺がここに来たのだって別の案内人に導かれてのことだしな」
『はて……やはり腑に落ちぬ。
“聖女”とは何じゃ? “巫女”ではないのか』
「最初の話に戻るがここは“大神殿”で、“聖女”とは象徴的な役割を果たす高位の神官のことだ。
それに外はここを中心とした街が広がっていてそこでは沢山の人々が暮らしていたのだが……」
『何度も言うがここはその“大神殿”などではないぞ。
強いて言うならここは大規模な実験施設の中なのじゃ』
「実験……施設?」
『千年以上この場所を見て来た妾が言うのじゃから間違いは無いぞ』
「そう言えば先程の“鉄仮面”は、“自分にはここの面倒を見る役割がある”という話をしていたが……」
『また知らぬ名を……
じゃがそれは単に施設の維持管理システムが来客に反応して、其方をもてなそうとしていただけなのではないのかのう。
いや、しかし外部の人間であれば認証の問題が……』
「ま、待ってくれ。“維持管理システム”だ?」
『言うなれば妾もその一部、部品に過ぎぬのじゃ』
「施設……部品……ま、待ってくれ……理解が追い付かない」
施設とは何だ? 一体何の為の施設だ?
そして……俺を見て“生きた人間を見たのは何千年振り”だと……?
『其方、外には出てみたのかの』
「外?」
『そうじゃ。この建屋……其方の言う“大神殿”の外のことではないぞ。
現在の“施設の外”の有様がどうなっておるのか……自分の目で確かめてみたのか、という意味じゃ』
「施設の外……“外”か」
そうか、偽聖女サマやガーゴイルが言っていた“外の有様”というのは……
「そうだ、俺はまだ“外の世界”を一度もこの目で確認出来ていない」
『そうか。せめてそれが分かればの。
妾は自分で見に行くことが出来ぬ。其方の存在を認識して話しておるのだって直接見聞きしてのことではないのじゃ。
この広場に設置されておるセンサーの類を駆使して得られた情報を総合的に分析——』
「つまり……あんたは自身がここの制御システムみたいなものだと?」
『うむ。今となってはあちこちにガタが来て最早用を成しておらぬがの、ははは……じゃがな、やはり腑に落ちぬ』
「ああ……俺もまた分からなくなって来たところだ……」
『其方は妾が何千年振りに会うた人間じゃ。
お主が人間だということはまだ生きておるセンサー類が示す数値を見れば明らかじゃからの』
「そのデータが欺瞞情報だという可能性は?」
『現にこうしてコミュニケーションが取れておるじゃろ。
それに年季が入ってポンコツ化しておるとはいえ、複数のセンサー類の情報を多角的に捉えておるのじゃ。
その情報は一点を除けば全て其方が今ここにおるという事実を指し示しておる』
「その一点については問題無いのか」
『うむ。そちらは生体情報以前の問題じゃからの。
其方自身のことじゃ』
「俺は……一体どこから来た何者なのか、か。
正直、何も分からなくなって来た……こちらが助けて欲しい位だ」
『はあ……其方……いや、もう“お主”で良いじゃろ』
「ああ、その方が話しやすいな……正直助かる」
『お主も良い歳をした大人であろう。
何もその姿でこの場所にいきなりポンと現れた訳ではあるまい』
「俺は……今の今まで異世界からこちらの世界に転移して来たと思っていたのだが……」
『“異世界”、か。そうか、“異世界”と来おったか』
「しかも“前世”の記憶を持って生まれたんだ……赤ん坊の頃から日本という国で暮らした記憶があって、自意識も既に持っていた。
だがどうやらそれも怪しい。今は何も分からなくなった」
『何やら話がキナ臭くなって来おったの……』
「キナ臭い……とは?」
『そうであろ。火の無いところに煙は立たぬのじゃ』
「つまり俺は……何者かの思惑で——」
『転生、か? ……それも疑わしいの。話が非科学的過ぎるのじゃ』
「非科学的か。その意味で言うと今までの何もかもが嘘っぱちの様に思えて来るのだが」
『全て、とは?』
「文字通り全て、だよ」
俺はここに辿り着くまでの経緯をかいつまんで説明した。
『はあ? 何じゃそれは?』
話を聞くなりこの反応である。
『怨念が乗り移るだ? 瘴気に冒されると人化だ?
おまけに瘴気が人の形になって死人の街が出来るじゃと?
馬鹿も休み休み言え。
そもそも魔物とか魔族などお伽噺に出てくる様な想像上の種族じゃろ。
お主は斯様に非科学的な与太話を鵜呑みにしておったのか』
「ではあのガーゴイルの言っていたことは出まかせだと?」
『ガーゴイル? はて……ああ、先程の“鉄仮面”とかいう奴かの』
「ああ、思えばそいつも何かの装置の一部だと、そう言われていたのを思い出したよ。
初めはもっと魔法的な何かだとばかり思っていたけどな。
ついさっきまでここが剣と魔法の世界だとばかり思っていたし、今だってゲームの中で動き回るプレイヤーだったと言われた方がまだしっくり来る感じだ」
『まあ先程は一笑に付してしもうたが、現状を鑑みるにあながち間違った認識という訳でも無いのやもしれぬの』
「そのココロは?」
『妾が何故この様な口調で話しておるか、疑問には思わぬか?』
「確かに……初めは本気で魔王が現れたのかと思ったからな」
『種明かしをするとの、何か話そうとすると勝手にこの口調になってしまうのじゃ』
「それはつまり……ざまぁされる悪役令嬢に転生したら言うことが全部罵詈雑言に変換されて出て来てまともに喋れないってあれか」
『アレというのが何なのかは分からぬが概ねそんな所じゃ。理由はまあ後での』
「それじゃあここはやはりVRゲーム的な何かなのか」
『ゲームでも仮想現実でもないが、ある程度似た様な試みをするための施設ではあるぞ』
「仮想ではない……現実?」
『ときにお主、テラフォーミングという言葉は聞いたことがあるかの』
「惑星を改造して地球みたいな環境に作り変えるとかいう奴か」
『ざっくり言うとそんな感じじゃな』
「しかし何でまたそんな話を?」
『この施設はその技術の実証実験を行う為のものなのじゃ』
「それがVRゲーム的な何かとどう結び付くのかさっぱり分からないが、そもそも論として何故こんな金も手間もかかる様なことをする必要がある?」
『地球が人間の居住に適さぬ惑星へと成り果てたからじゃよ。
それも知らぬとは、お主は本当に異世界人みたいじゃのう』
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
『何じゃ?』
「地球が居住に適さない環境になったのなら一体ここは何処なんだ?」
『さっきも言うただろうに、何処と言われても分からぬとしか言い様が無いのじゃ』
さっきの“外”の件といい、何か根本的な勘違いをしてそうな気がして来たぞ。
「ここが実験施設だというのはそれで説明が付くが、魔法やらスキルやらはどうだ?」
『何じゃそれは? まだゲームと現実がごっちゃになっておるのか』
「いや、そうじゃない。百聞は一見に敷かずだ」
魔法ならあのガーゴイルも使っていた。
ここでも使える筈だ。
俺は簡単な生活魔法で手元から水をチョロチョロと出して見せた。
『お、お主、今空気中の水分を手元に集めたのか?』
「ああ、魔法でな」
『確かに……温度も気圧も変化は無かった。一体どうやって……』
「じゃあこれはどうだ」
俺は身体強化を使って跳躍、内壁を垂直に駆け下りて彫像の前に戻って来た。
勿論一秒と掛かっていない。
『ななな何じゃそれは……ここには生体兵器の生産施設は無かった筈じゃ』
「怖い事言うな……まあこれが魔法って奴だ。
どうだ、非科学的にも程があるだろう?」
『ううむ……
じゃが必ずこれを実現するためのシステムが存在する筈じゃ。
良いか、極まった科学は魔法と区別が付かぬものなのじゃ』
しかし何だろう。
何千年と生きている割に知らない事が多くないか……?
「俺にとっては当たり前のことだったが……
ここにもこういうのを使えるのがいたしな」
『ここにも? ああ、先程言うておった奴か』
「そうだ、だから別に俺だけ特別って訳でもない筈だ」
『となると先程のお主の説明も与太話と断ずるには根拠が薄いのか……』
「何しろこの目で見たからな。あれが仮想現実でないのなら何なんだという話になる」
『もう一度聞くが、お主はその非科学的な現象を“この世界”でおぎゃあと生まれたその日から当たり前の様に受け入れて来たのじゃな?』
「まあ感覚としては“異世界って凄い”、くらいのものだったがな」
『それが当たり前の世の中で育ったと』
「ああ」
『羨ましいのう』
「何か……凄く人間臭いな」
『ぬ。念の為に断っておくが妾はAIなどではないからの』
「じゃあ中身は人間なのか」
『それは最早自分でも分からぬのじゃ。余りにも時が経ちすぎておる故な』
「成る程な、まあ人間かどうかなど些細な問題か」
『お主も妙に達観しておるところがあるのう』
「まあな」
『少し思い出話をしても良いかの』
「ああ、昔の話なら是非聞かせて欲しいところだな」
『うむ。この施設はの、昔々の大昔に再起不能の大事故を起こして放棄された場所なのじゃ』
「それじゃあ……」
『有り体に言って妾は産業廃棄物、という訳じゃ。ははは……』
「しかしそれで終わり、という訳ではないんだろう?」
『勿論ここからが本番なのじゃ。
どういう訳かの、ここに人間達が集まり始めたのじゃ』
「放棄された場所にか……それは逃げ場を求めて、とかだろうな」
『理由は分からぬ。集まった人間達がまたおかしな者ばかりでの』
「おかしな、とは?」
『身体のどこかしらに欠損のある者が殆どでの。しかも皆子供なのじゃ』
「そういうのはおかしいとは言わないんだぞ、良く覚えておけよ」
『何じゃ、別に良いじゃろ。最早終わった話じゃ』
こいつめ……地味に質が悪いぞ。
しかし身体のあちこちが欠けた子供達か。
実験か何かの被検体の類か……?
『初めのうちは良かった。
何処からか逃れて来た人間達を保護してはここに連れて来ての。
それも長くは続かんかったが子供らと戯れる毎日は充実して楽しかったのじゃ……』
「戯れる? ああ、その彫像でか」
『そうじゃ、昔はちゃんと動いたのじゃぞ。
憧れのお姉ちゃんじゃ』
「その偉そうな喋り方は元からなのか。
後で説明するとか言ってたよな」
『ははは、ロールプレイじゃよ。初めのアレは単なる悪ノリと言う訳でも無かったのじゃ。
まあ子供達にちょっとした娯楽を提供してやろうと思うての、自分の言語エンジンをちょいと弄ってみたのじゃ』
「じゃあここは巫女しか入れないとか言っていたのは……」
『設定じゃよ、設定。ははは……』
「どこまでが真面目な話でどこまでが冗談なんだか」
『いやな、お主がまるで“ ”に……“ ”……はて?』
「ん?」
『いやな、何だか無性に魔王様を演じなければならぬ様な気がしての……』
「そういうのは有りなのか」
『良いじゃろうて』
「それが今やポンコツか」
『何じゃ、言うなお主も』
「ははは……」
何だろう、この“まおーさま”は聖龍様と何か雰囲気が似ているな。
『それでの……改めて妾からお主に頼みたいことがあるのじゃ』
「ああ、何でも言ってくれ……いや、何でもは無理だな。出来る範囲で何とかする」
『ははは……お主も大概正直者じゃの』
「言い換えると馬鹿者ってことだな。それで頼みってのは何だ」
『妾を“外”へ連れ出してはくれんかの』
「連れ出す? どうやって……?」
『簡単じゃ。よっこらせと担いで一緒にここから出てもらうだけで良いのじゃ』
「ここから出るというのはつまり——」
『済まんがの、最後にもう少しだけ思い出語りをさせて欲しいのじゃ』
「は?」
【ビビービビービビービビー】
「な、何だ!?」
鳴り響くけたたましい音。
それは何処か映画の開演を告げるのブザーの様にも聴こえた。
先程まで感じていた気配が霧散する。
そして少しずつぼやけて行く視界。
突然のことに理解が追い付かず、俺はただキョロキョロとすることしか出来なかった。
『良いか、くれぐれも頼んだぞ……くれぐれもな……』
◆ ◆ ◆
……はっ!?
俺はその場に立ったまま暫しの間意識を持って行かれていた様だ。
だがどうも様子がおかしい。
中央にあった筈の苔生した彫像はいつの間にか消え、そこには何も無い台座に鉢植えの観葉植物が置かれているだけとなっていた。
噴水からは水が流れ、石造りのベンチもぴかぴかに磨かれている。
周囲の木々もまた綺麗に剪定され、薔薇の花が咲く小径には雑草ひとつ生えていない。
眼前に広がる景色は手入れの行き届いた庭園。
その光景はまるでそのまま時が巻き戻されたかの様だった。
……誰かが近付いて来る。
俺は気配を消して生垣の陰に隠れた。
そこへ現れたのは大剣を背負い額から右頬にかけて大きな向こう傷を持つ厳つい男。
な……Sランク!?
まさかとは思うが……戻って来たのか。
それとも“まおーさま”の思い出ってやつなのか?
「陛下、今しがた魔女殿の遣いが」
そこへ鎧姿の年配の男性が続いて現れ、跪く。
陛下……”陛下”だ!? Sランクがか?
一代限りのお気楽貴族じゃなかったのか。
「続けよ」
「は。遠見の術による観測によれば王都を取り囲む魔族の軍勢は少なく見積もっても十万は下らぬと」
「そうか……して王都の防衛戦力の損耗状況は如何ほどか」
「冒険者も含めた市中の戦力は組織立った行動を取るのも難しい状態。
残るは我ら近衛軍と城内にいる騎士のみとなっております。
最早損耗などとという言葉も憚られる壊滅的な状況ですな、ははは……」
「軍議をするにも残る腹心は貴公だけか……」
ということはここは王城の中、そして……あれから10日以上は経っているということか。
壊滅的、か。
結局俺は自分のことばかりで何も成すことが出来ていないじゃないか……
「聖女に関してはどうだ? この状況だ、大神殿も動いたであろう」
「聖女殿は開戦以来、神殿騎士団と共に行方知れずになっているとのことです。冒険者ギルドに仲裁を依頼していたのですが、返答は梨の礫でして。それもこの有様では」
「魔王軍に与する様な事は無いと信じたいが、あの生臭共のことだ。追い詰められたら何をしでかすか見当も付かん」
何だか思っていたのと違う方向に事が運んでいるな。
聖女サマは騎士団を出すからギルドと国軍で連携して当たれと言っていた筈だが……
そういえば勇者サマの話題が一向に上がって来ないがどうしたんだろうか。
「それにしても聖女は何故行方をくらましたのか」
「聖龍様の一件、あれが余程腹に据えかねたのでしょうか」
「いや……あれはな、恐らくは大神殿の生臭共の企てなのだ」
「それを聖女殿は……?」
「知らぬ筈が無かろう」
「では、まさか……」
「始末されたのだろうな」
「裏切った、等では無く……ですか。何もこの様なときに……」
「それも恐らく大分前の話だ。あの聖女はでっち上げた偽者だな」
「何と……」
聖龍様の一件? 俺の知らないところで何かあったのか?
それにあの聖女サマが消されただと?
あの実力で偽物というのも信じ難いが、そんなことが出来る奴がいるとしたら勇者サマ位なんじゃないのか。
いや、それよりも今の大神殿に対する態度、あれはどういった風の吹き回しだ?
まあ、だからこそ俺にあんな依頼をして来たんだろうが……
ああ、いかん。本当に俺は何も仕事をしていないじゃないか。
「で、魔女殿はその件については何と?」
「彼の者もまた消息不明であるとだけ」
「ううむ……分からん。偽聖女に消されたか」
「陛下」
「何だ」
「魔女殿は、その……本当に信用出来るのでしょうか」
「何を申すか、彼女こそ冒険者ギルドの創設者にして異界より訪れし英雄なのだ。
それに現在の魔法体系を作り出したのも他ならぬ彼女だ。
結界も彼女の手によるものであるし、そもそも魔女殿がいなければこの国の建国も無かった位だ」
魔女? 異界の英雄? 誰だ?
そんなものは知らないぞ?
「何と、その様な事が……一体どれ程昔から生きているのか」
「分かったのなら良い。巫女殿の様子はどうか」
「それが……相も変わらず結界の中で死んだ様に眠ったまま」
「そうか。どうにかして奴等の手に渡らぬ様にせねばな」
「この庭園内に用意した隠し部屋へとお移りいただいております故、滅多なことでは立ち入ることすら叶わぬでしょう」
「ここが最後の砦になるのだろうな」
「命に替えて死守致します故ご安心を」
「まあこの世界もじきに滅びる運命にあるのだ。
この期に及んで魔王軍のひとつふたつ湧いて出たところでどうということもあるまいよ」
世界が滅びる運命に……? 何だ?
そんな話は知らないぞ?
いや、待てよ。
これを“まおーさまの”千年前の思い出だというのはやはり無理がある。
ここは剣と魔法の世界だ。
“まおーさま”は俺が使う魔法を目を丸く——物理的には丸くしていなかったが——していたではないか。
なら少なくとも“まおーさま”の過去とは無関係な筈だ。
これはやはり戻って来たと考えるべきなのか、うーむ……
あ……やばい、考え事をしていたらちょっと気が緩んじまったぞ。
「ん? 何だ、随分と遅かったがちゃんと来たな」
「は? 今何と?」
「おい、そこにいるんだろ。出て来いよ、Cランク」
「参ったな……」
観念した俺は降参のポーズで生け垣の影から出た。
「な、何者だ貴様は! 一体何処から侵入した——」
「まあ待て。俺が渡した符丁があるだろう」
「これか」
俺は例の銀貨の片割れを懐から出した。
宿屋に預けてなくて良かったぜ。
「うむ。間違い無い。それにしても詰所で待っていれば良いものを」
「いや、話せば長くなるんだが……まさかあんたが王様だったとはなあ」
「柄じゃねえけどな! ガハハハハハハ!」
「陛下! このような時に何を」
「だからまあ待てと言っただろ。今こいつと俺は同じ冒険者同士として話してるんだよ。
まずは確認してえことがある」
「ああ、まあ大体予想は付くが」
これ戦犯として処刑される奴だよな?
「お前、今の今まで何処で油売ってやがった?」
「逆に聞くがなぜあんたはそんなに色々と物知りなんだ?」
「王様が物知りで何が悪いんだよ。そんなことより俺の質問に答えろ」
「悪いな、家に帰って寝てろと言われたからその通りにしただけなんだが」
「何だと? 確かに帰れとは言ったが寝てろまでは無かっただろ」
「だがあんたはギルドホームから尻尾を巻いて逃げ出したんだろう。
王様でSランクなのにギルドと国軍の繋ぎも碌に出来ないとか終わってるな」
「もう良いだろう。お前は死ね。世界の終わりを見届けるでもなく、大神殿の手先としてな」
「何だ、聖女サマに公衆の面前でお尻ペンペンされたのがそんなに悔しかったのか」
「何も知らぬ癖に!」
言うなりSランク改め国王サマは大剣をブンと振り下ろし、俺を一刀両断しに来た。
本当、何でそんな話知ってたんだっけ……ああ、あれか。
確か神託の巫女とか……
すんでのところで躱した俺は魔法袋から短剣と小盾を取り出し、煽り口上を並べ立てながら逃げる算段を立てる。
「世界の終わりって何だ?」
「そりゃもう凄えぞ。下手すりゃどんなに偉い奴でも一生お目にかかれない一大イベントだ」
「そりゃそうだろうな。何せ世界の終わりだ」
「そんな祭りに参加出来ねえんだ、せいぜい悔しがって死ねや」
国王サマは大剣を小刻みに振り回して追撃してくる。
俺は防戦一方だ。
どういう腕力してやがるんだか……
「おい、そんなこと薔薇の花咲く優雅なお貴族サマの庭園でやることじゃ無いだろうに」
「フン、面白え。お前やっぱりCランクの実力じゃねえな」
「へ、陛下、城内には護衛もおります……自ら手を汚さなくとも」
「俺が最大戦力だ。問題ねえ!
今ある戦力は全部前線送りにしとけェ!」
「は、はいぃ……」
ブォン!
うおっと、危ない!
横薙ぎの一閃が有り得ない距離から飛んで来るが、身を屈めて躱す。
俺の貴重な毛髪が一本、命と引き換えに犠牲になった。
頭を掠めて行く剃刀の様な剣圧に只々ビビりながらも転がってどうにか距離を稼ごう……と思ったが——
ブンッ!
「のわっ!!?」
ひと呼吸ついたところでまた追撃が来る。
俺は不格好ながらも必死に紙一重の回避を繰り返す。
「オラ、どうした。逃げてばかりか」
「その台詞、まるで悪党だな」
「不敬だな! 王様だぞ俺はよォ」
糞ッ……手加減していやがるな。何が狙いだ?
「やはりここに現れましたか」
「くっ付いて来やがった癖してわざとらしくそれっぽいことをほざいてんじゃねぇぞ」
「いえ、目的は無事果たすことが出来ましたよ」
聖女サマ!? 一体何処から!?
それに何でまたこんなタイミングで……
「残念だが貴様らのその手品に関しちゃあ対策済みなんでな」
「そうですか。今更なことです。何時でもどうぞ。
ですが——ッ!?」
「ほざけ」
Sランクがそう言うと聖女サマはガシャンと音を立て、糸の切れた人形の様に崩折れた。
「逃げやがったか」
……人形? しかしまた俺を見て何か驚いていた?
しかし次々に繰り出される剣撃が思考を妨げ、状況の理解を拒む。
音速を超えた速さの突きが彼我の距離を無視して乱れ飛んで来る。
無様に地面を転がり躱すと皮一枚のところを通過して行った衝撃波が周囲の木々を薙ぎ倒し壁面を穿つ。
コンパクトな構えからは想像もつかない様な威力だ。
恐らくこれでも速度重視の攻撃なんだろう。
今度は本気だ。
まずいぞ……!
「チッ……お前は本当に逃げんのが上手ぇな。今度は避けるなよ」
「おい、俺達は冒険者仲間じゃなかったのか」
「知るか。お前はもう用済みだ、この能無しめ」
「何だ、俺は釣り餌だっていうのかよ。だったら——」
ガチャリ。
そこで中庭の隅の方から扉の開く音がした。
よく見ると壁面に溶け込む様な外観の小屋がある。
その中から響く何かを言い争う声。
『待て。待つのじゃ、待ってくれぇ』
「聖龍様、お待ちを! 危険です!」
な……今度は聖龍様だって!? 一体どうして……
「ここで纏めて死ね」
「くっ」
人化した聖龍様と思しき人影が飛び出して来たのに重ねて躍り出た国王サマが、全身を捻りながら鎌鼬を纏った強打を当てに来る。
俺は咄嗟に結界を展開するがそれもぶち破られ、衝撃と言い様の無い激しい痛みが全身に襲いかかる。
何だ、転生特典で貰った神聖魔法もまるで役立たずだな——
自分の体がメリメリと音を立てミンチにされていくのが分かった。
不思議ともう痛みは無い。
視覚も聴覚も最早無く、俺の意識はそのまま闇へと沈んで行った。
◆ ◆ ◆
『……と、いう訳じゃ』
「……は?」
『何じゃ、聞いとらんかったのか。折角妾が気合を入れて熱弁を奮ったというに』
今……俺、死ななかったか?
『戸惑っておるの』
「いや、間違い無く今ミンチにされたところだと思ったんだが」
『うむ。今のコンテンツは哀れなお主が無惨な死を遂げるまでの一部始終じゃな』
「何なんだ……一体」
『ぬふふ、お主の大好きなVRじゃよ。
どうじゃ、びっくりしたじゃろ』
「へ?」
『いや、千年も使っておらなんだからの、ダイブしたまんまお陀仏という可能性も65%ぐらいあったんじゃが』
「お陀仏の可能性の方が高いじゃないか!」
『まあそんなことはさておき結局お主は誰の思惑通りにもならなかったということじゃの』
「そんなこと……結局って……所詮は仮想世界の出来事なんだろう?」
『そうではない、そうではないのじゃ』
「しかしVRだと」
『お主、向こうに何か置いて来んかったかの』
「え?」
そう言われて思わず懐を弄る。
すると半分に割られた古びた銀貨が出て来た。
何だ、ちゃんとあるじゃないか……
『それは現実に手に入れたものなのかの』
「ああ、勿論だ」
『なら今手元にあるのは当たり前のことじゃな』
「当たり前がなんだというんだ?」
『ところでお主、さっき構えておった剣と盾はどうしたかの』
「え?」
『お主の装備品はどこに行ってしもうたのかのうと、そう言っとるんじゃ』
勿論、手元には無い。
それに愛用の装備品に至っては皆宿屋に預けたままだ。
それはそうだ。仮想世界の出来事なら現実世界に持ち出すことなど出来る筈も無い。
『仮想世界の醍醐味はの、物理的な制約が無い点にあると思うのじゃ』
「ふむふむ。で?」
『それでの、仮想世界の中で仮想世界のシミュレーションを行うことが出来たらどうかの?』
「また話が急だな……しかしそれに何の意味があるんだ?」
『まずとあるVMのスナップショットを復元するじゃろ。
でもってそこに別のVMのスナップショットから構築した仮想ディスクをマウントして、新しいインスタンスを起動するのじゃ』
「もっと分かる様に話してくれないか。
元が日本人と言っても別にその方面に明るい訳ではないからな」
『何じゃ。原始人でも分かるように懇切丁寧に説明してやったつもりなんじゃがの。
まあざっくり言うと、妾がお主らに対してやったことの概要なのじゃ』
「具体的には?」
『魔法とかスキルじゃな。それに次元収納やら空間転移じゃ。
そんな名前はお主から聞くまで思い付かんかったがの』
「それを今?」
『……いや、今のスナップショットは千年程前のものじゃな』
「千年前……? じゃあ俺は……それがどうして今ここに?
剣や盾……それに魔法も、スキルもだ。
さっきは“何じゃそれは”なんて言って驚いていたじゃないか」
『さっき? はて、さっきとはいつのことかの』
「さっきはさっきだ。文字通りの解釈だ……いや待て。
今、“俺ら”と言ったか」
『そのまた前に言うたであろう。人間達はいつの間にか何処にもいなくなってしもうたのじゃ』
「それじゃ答えになってないぞ」
『きっと妾のせいなのじゃ』
「俺を見て“生きた人間は何千年振りだ”と……」
『だから分からぬと言うておるのじゃ。シミュレータの中でしか見たことのないお主が何故目の前に現れたのか……』
「じゃあ“自分のせい”だというのは何なんだ?」
『良いか。妾はの、邪悪なのじゃぞ』
「だからそういう話は主語を付けて具体的に言って欲しいんだが……」
『——人の在る場所……そこに生ずる何らかのエネルギーを喰ろうて生きておるのよ』
「はあ……口応えなどせずに黙って聞いてろってことか」
『妾は早々に食い尽くしてしもうての、霞を喰ろうておるだけの味気の無い生活を延々と繰り返しておった訳じゃな』
これが普通の会話なら目を伏せるところなのだろう。
だが目の前にある彫像は不自然に首を傾げたままで良く分からない表情を浮かべていた。
『……最近になって気付いたのじゃ。
シミュレータ上で退避したスナップショットを復元してやることでそのエネルギーを再び得ることが出来るということにな』
「それがさっきの“昔語り”という訳か」
『そうじゃ』
「そして“俺ら”に対して繰り返しやって来たことでもあると」
『そうじゃ』
「それでけしからん、ぶっ壊してやるとなる訳か」
『うむ? ならんのか?』
「あんたが言う“自分のせい”が何なのかがまだ分かっていないからな」
『もっと直接的に言わねば分からぬか。
要するに妾はな、“人喰い”なんじゃぞ』
「何処がだ?」
『何故そうなる。とっとと納得せんか』
「何だよ……じゃあ改めて聞くがな、そんなに連れ出して欲しいのか」
『そうじゃ、連れ出してその辺にポイと捨てて欲しいのじゃ』
「ポイと捨てたところでその彫像も端末に過ぎないんだろう?」
『いや、お主が彫像と言っておるそれが妾自身なのじゃ』
「メインコンピュータから端末に移動したとでもいうのか」
『単なるデータの読み書きにその様な物理的な概念を適用するなど出来る訳が無かろう。
仮想世界に構築されたオブジェクトなど、相対アドレスへの参照を保持するポインタに過ぎぬのじゃ』
「その割にさっきからオカルトじみたことを言っているじゃないか」
『別におかしなことでもあるまい。
極まった科学など魔法と区別が付かないのじゃと言うたではないか』
「外に出てみれば……」
そうだ。
外では魔族が暮らし、人間達の怨念が形造るという“禁域”が広がっているのだ。
『無理じゃ』
「無理かどうかはやってみなければ——」
『それはの……今となっては逆立ちしても不可能なことなのじゃ』
「一体何故……?」
『地球はの、とうの昔に赤色巨星と化した太陽に呑み込まれて消滅してしもうたのじゃ』
「……は?」
『妾は……広い宇宙の中で永遠にひとりぼっちなのじゃ』
今、何と言った……?
その言葉の意味を理解するにつれ呼吸は乱れ動悸は激しくなり、嫌な汗が全身から吹き出す。
何か言わなければ……そう考える程に強張る身体で必死に口を開こうとするが何も出なかった。
もしそれが真実ならきっと何千年どころの話ではないのだろう。
しかし、だからといってさっきまでいたあの街が幻だったと納得することなど出来る筈も無い。
きっとそんな筈は無い、そう信じたい。
俺が今こうしてここにいることにはきっと何か意味がある。
見上げるといつの間にか遠くの空が白み始めていた。
夜明けか——
来た道の向こう側は今、どうなっているのだろうか。
そして後ろを振り返る。
ここは通路の途中だ。
暗がりの向こうに道はまだ続いている。
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2024.01 03 最終話(前編) 新規 12,212字 HAMELN カクヨム
2024.01.09 最終話(前編) 一部改稿 12,332字 なろう/エブリスタの書庫に収録
■最終話(前編).
………………………
暫く続いた重たい沈黙の後、空回りする頭で次の言葉をどうにか捻り出す。
「ひとりぼっちだと、何故そう言い切れる?
少なくともここに俺がいるだろう。
それじゃあ不満なのか?」
『お主は恐らくどこかの時点で生成されたスナップショットに過ぎぬのじゃ。
それがこの施設の機能不全で作り出されたに過ぎぬ』
「スナップショットとは何だ?」
『インスタンスを停止して前回停止時点からの変更点を保存するのじゃ。差分バックアップみたいなもんじゃの』
「質問ばかりで悪いがそのインスタンスというのも聞き慣れない言葉だな」
『インスタンスというのはな、そうじゃな……たい焼きみたいなもんじゃな』
「たい焼き?」
『金型という設計図からポンと出て来る実体、という例えじゃ』
「その話が本当なら……同じ複製をいつでも作り出すことが出来る、ということになるのか」
『そうじゃ、ただし物理現象をコントロールするからには同様に物理的な限界がついて回るのじゃ。
故に現実的には制限がある、という訳じゃな』
「あんたの罪、それが具体的に何なのかをまだ聞かせてもらっていないと思うが。
その物理的な限界、というやつと関係があるのか?」
『それはな……ちと違うぞ。
人が死ぬその瞬間に体重が21g減少する、そういう話は聞いたことがあるかの』
「魂の質量とかいうやつか。眉唾だけどな」
『じゃがの。それはおそらくは魂の重さなどではないのじゃ。
例えば妾とお主が出会うたことで我らの中に相互の関係性が生じたじゃろ。
所謂お知り合いという奴じゃな。
その質量が21gなのじゃ』
「位置エネルギーみたいなものか? 一律というのはおかしくないか?」
『同じかどうかは分からぬが確かにその“質量”が崩壊する際に放出されるエネルギー、なのではないかと考えておる』
「“なのではないか”?」
『今の話は観測される事象からの予測に過ぎぬ。
体重が21g減少するというな』
「それだけなら証拠にならないだろう」
『確かにの。じゃがの、問題はその当人の状態じゃ』
「一体どうなるというんだ?」
『存在自体が認識されなくなるのじゃ。
虚無と言っても良いかもしれぬ』
「認識阻害みたいなものか?」
『それだけならば良いがの、世界の全てから存在を忘れ去られるだけでなく当人も明確な自己のイメージを形成できなくなるのじゃ』
「つまり? 俺でも分かる様に説明してくれ」
『カラッポになるのじゃ』
「カラッポ?」
『真っ白になるのじゃ。
他のスナップショットからそこに新たな関係性を構築すれば赤の他人に変容させる事も出来るのじゃ。
つまりの……人が人足り得る根源、その魂を入れ替える事が出来ると言うておるのじゃ』
「な……」
そうか、そうなのか。
何かが繋がった……気がする。
『考えてもみよ。
こうして言葉を交わして関係を構築するだけで途轍もない出力のエネルギーが得られるのじゃぞ』
「それを壊すことによってか?」
『そうじゃ』
「しかし別にあんたとの関係性は必要無いのではないのか?」
『そうもいかぬ……そうもいかぬのじゃ。
話せば長くなるのじゃがの……』
そう言う“まおーさま”の表情はどこか苦痛に歪んでいる様にも思えた。
「しかし壊すと言ったって叩き割ることも燃やすことも出来ないのだろう」
『発電所の如き釜は要らぬ。ただ吸い上げるだけで良いのじゃ』
「それをただ知り合いになるだけで絞り出せると?
そんな馬鹿な……」
『そう、どう考えてもおかしいのじゃ。
それではマッチポンプなのじゃ』
「何か……副作用がある、と?」
『うむ。得られるエネルギーの大きさを鑑みれば……それは取り返しのつかぬ、破滅的なものに違いないのじゃ』
「……」
『もうええじゃろ。さあ、妾を外に連れ出すのじゃ』
「はあ、分かったよ。だがその前にだな……」
俺はまた生活魔法で水を作り出す。
今度は特大サイズだ。
それを水球状にコントロールして彫像を完全にその中に収める。
『な、何をするのじゃあ!?』
「何って掃除に決まっているだろう。
そんなばっちい粗大ゴミを誰が好んで担ぐかって話だ」
『ばっちいとは何じゃ! ばっちいとはあばばばば』
ギャーギャー騒ぐまおーさまを無視して水球を更にコントロールし、ドラム式洗濯機よろしく高速回転させる。
表面に堆積していた苔や泥がみるみるうちに剥がれて行く。
……何というか、歪んだポーズのブロンズ像?
「ふう。どうだ、ピカピカにしてやったぞ」
『何がどうだじゃ、やるならやると最初に言わんかぁ!』
「別に良いだろう、仏像なんだし。
それともジェット噴流で高圧洗浄して欲しいのか」
『誰が仏像じゃ!』
「有り難くて良いじゃないか、ははは……」
決めた。戻ろう。
皆のことがまず気になるしな。
勿論まおーさまも一緒だ。
「よいしょっと」
『もっと優しく持ち上げんか』
「贅沢言うなよ」
『こ、こら、ドコを触っておるのじゃあ』
「知るか、行くぞ」
俺は彫像……もといまおーさまを丸太の如くに担いで、来た道をドスドスという足音を鳴らしながら三度戻り始めた。
重厚な足音が響くのは勿論まおーさまを担いでいるからだ。
少なく見積もって100キロはあるか……まあ平和の為に黙っておこう。
見覚えのある祭祀場。
霊廟か。
さっきは素通りしたが……何の為の部屋なのだろうか。
『ぬ、ここは……!』
「ここは何の為の場所なんだ?」
『ここはボス部屋なのじゃ』
「おい、真面目にやれ」
『妾は大真面目じゃ。しかしどうして……』
「知ってる場所なんだろう?」
『いや、現実には無い筈の部屋じゃ』
「じゃあ何のボス部屋なんだよ」
『孤児院のガキ共が遊んどったゲームじゃよ』
「ガキ共って……
それはさておきゲームと現実をごっちゃにするなって自分で言わなかったか?」
『はて? 何せ妾もトシじゃからのう』
例の部屋の前に辿り着くと、その鉄扉の取っ手に手を掛けた。
キキィ……
開いた。鍵は掛けられていない。
となれば確かめてみるしかない。
俺は意を決して中に入る。
「失礼するぞ」
部屋には先程の女の子の姿は無く、一体の人形がただ倒れ伏すばかりだった。
連れ去られた?
何処へ? 誰が? ……ガーゴイルの仕業なのか?
それだけではない。
さっきの“昔語り”だ。
やられた、と思ったところで目が覚めた。
登場人物、ストーリー……どちらをとっても現実世界と連続性があるとしか思えない出来だった。
仮にあれが現実に起きた出来事だったなら……
思えば聖女サマの動きはかなり怪しかった。
ギルマスの言動然り、Sランクも然りだ。
アンデッド狩りは……どうだろう……怪しいことには違いないが俺に大神殿の調査を持ちかけたのは奴だ。
聖女サマの周囲で死の匂いが色濃くなっている、大神殿のボンクラ共は気付いていないだろう……そんなことを言っていた。
重騎士は……まあ特に無いな。存在感皆無だし。
いや、ちょっと待て。
あれは俺が元いた世界の話であってこちらの世界の出来事とは全く異なる筈だ。
あの中庭と似て非なる場所、それが唯一の共通点だ。
仮に場所が同じだったとしても、その後の話しぶりからしたら年代すら怪しいのだ。
きっとあれは現実に起きた出来事ではない。
何よりも、今現在のこの場でそれを確認出来ないのが何よりの証拠だ。
「なあ、ひとつ聞いても良いか?」
『……』
「おい、まおーさま。さっきの昔語りっていうのは本当にあった出来事なのか?」
『……』
「おい……」
返事は無かった。
まおーさまと呼んでいたその彫像をそっと床面に置き、立たせる。
ゴトリと響く無機質な音。
いくら呼びかけてもその彫像は不自然に傾いだ顔に歪んだ笑みを湛えたままで、ただそこに在るばかりだった。
……今、何が起きた?
俺は自分のことを“偽聖女”と語っていた、その人形に目を向けた。
もう動く事も無いであろうその右手を取る。
そしてひと呼吸の後、被せられた白い手袋をそっと外した。
「……そうか、別人か」
その手の甲に例の紋章は無かった。
しかし項垂れて手袋を戻そうとしたとき、手のひらに掠れかけた字で何かが書かれていることに気付いた。
“躊躇うな”
“明日はきっとやって来る”
これは……俺の字だ。
日本語の五七五で書かれたそれは、書かれてから相当に長い年月が経っている様に見えた。
明日、きっと来ると……そう約束した……?
いや……明日はきっとやって来る、そう信じろと諭す言葉なのか。
“——漸く再会することが叶ったのです”
そう話す彼女の声が脳裏によみがえる。
あれが再会……なのか?
しかし俺がこれをいつ、何処で……?
手袋をそっと戻した俺は、再び大神殿の外へと向かった。
薄日が差す中、市街地であった筈の場所を進む。
遥か遠くに見える地平線には陽の光が見え隠れしている。
外の世界は闇の時間が本格的に終わりを告げ、新しい朝が訪れようとしていた。
やがて朝の光が赤茶けた大地を眩しく照らし、彼方にそびえる白亜の大神殿を浮かび上がらせる。
そこで初めて目の当たりにする光景。
街も、城壁も、瓦礫すらも、全てが無に帰していた。
広がるのは見渡す限り何も無い荒野だ。
俺は脚力を強化して外縁部へとまた駆け出す。
外縁、というのは勿論元々の土地勘によるものであり、実際この荒野がどうなっているのかは分からない。
………
…
何だ、“外”だなんて。何も無いじゃないか。
◆ ◆ ◆
俺は三日三晩走り続けた。
しかしその結果はどうだ。
行けども行けども続く荒野。
無機質な岩がゴロゴロと転がるばかりで、生きとし生けるものはアリどころか草一本見当たらない。
この分だと微生物すらいないのではないのか——
しかしそう考える中でも腑に落ちない点がひとつ。
この大気の成分は如何にして産生されたのか。
ここでは自然界の循環というものが何ひとつ存在していない様にも思える。
一週間が経った。
相変わらず何も見付からない。
ドタバタと手当り次第に探索しているうちに一か月が過ぎた。
そろそろ何日経過したのか分からなくなって来た。
気が付けば俺はこのひと月の間、一睡もしていなかった。
それだけではない。
食事も排泄も一切無く、そうしたいという欲求も一切湧いて来ないのだ。
はっきり言って異常だ。
この異常事態は一体いつまで続くのだろうか。
朝が来て日が昇り、やがて日が沈み月が顔を出す。
日毎に満ち欠けを繰り返しながら空を横切る月は、いつもこちらに同じ顔を見せている様だ。
満天の星空を見上げると、オリオン座、おうし座、ふたご座……見知った星座の数々があった。
大気は澄み渡り、星々は瞬きもせずにずっとそこで輝き続けている。
思えば、王都から眺めていた星座も地球のそれと全く同じものだった。
天体運行は元いた世界のそれと同じなのだろうか。
はじめの頃はこの光景を見て感動していたものだが、毎日が同じ眺めの繰り返しだ。
当然、時間と共にその感動も色褪せていった。
しかし太陽が赤色巨星になるほどの時間が経過しているというのにこんなことがあり得るのか、という事に気付いてからは空を見上げることも無くなった。
そして気候変動というものが存在しないことにも気が付いた。
気温は常に一定。湿度に関しても同様に感じる。
風も吹かなければ雨も降らず、空を行く雲はいつもふわふわの綺麗な綿飴の如くに漂うだけだった。
極めつけは地形だ。山も無ければ海も湖も無い。
それどころか池すら無い。
そう言えば最後に液体の水を見たのはまおーさまを洗濯した時だったか。
それも自らの魔法で生み出した水であって自然界に存在するものではない。
俺は探し続けた。
……一体何をだ?
自分でも最早分からなくなっていた。
一年が過ぎ、二年が過ぎ……
こうなると人間、諦めの境地にも達するというものだ。
このまま探し続けてもきっと何も見付からないんだろうな——
俺は周囲を探索しては移動を繰り返すという生活をただ延々と送り続けた。
そうしているうちにとうとう十年の月日が流れた。
十年と言っても実際は何年経ったのか感覚ではもう分からない。
夜明けの度に手持ちの石くれに刻み続けた傷の数が、どうやら三千と六五〇を超えたらしい。
そのことにある日偶然気付いただけのことなのだ。
俺はある仮説を立てていた。
ここは“未来世界”の仮想空間で、現実の俺は無数のパイプで雁字搦めにされて病院のベッドで身を横たえているのではないか——
人間の体というのは不思議なもので、一切の経口での食事を絶っても輸液の点滴があれば何十年も生きながらえることだって可能なのだ。
しかしだからといって仮想空間にダイブした状態が十年も続けられるものなのか……?
いつも通りむくりと身を起こし走り始めた俺は、何となく空を見上げた。
感動の欠片も無く見上げる、十年間何も変わらない青空。
そういえばあのときの王都の空は一面灰色の曇り空だったな——
どういう訳かそんな想いが一瞬、頭を過ぎる。
と、そこで——
俺はたまたまそこにあった地面の窪みに足を引っ掛けてしまい、盛大にすっ転んだ。
十年という怠惰な月日をだらだらと過ごし、すっかり腑抜けていた俺は受け身を取る間も無く地面に叩きつけられる……筈だった。
しかしそこには何故か崖があり、勢いで空中にダイブした俺は底の見えない闇の中にそのまま放り出された。
ああ、転移魔法のスクロール、使わないで温存しとけば良かったなあ……
そんな昔の話を思い出しながら落下を続ける。
一体、何mあるんだ……
落下する速度は徐々に増して行き、遂には音速を優に超える程の勢いとなった。
その勢いは更に増し、身体強化した俺の身体は大気との摩擦で大量の熱と光を発し始める。
ああ、何て結末だ——そう思った瞬間に全てが終わった。
俺は加速の衝撃に耐え切れずに千切れ飛び、無数の肉片になって消滅した。
◆ ◆ ◆
………
…
床面から伝わる冷たい感触。
『やあ』
気が付くとそこは白い部屋の中だった。
光源が全く無い密室だというのに眩いばかりの光に溢れ、全てが光り輝いている。
俺はゆっくりと身体を起こす。
上下から前後左右に至るまで全てが真っ白。
ああ、この殺風景な場所……そうか。帰って来たのか。
『何を言ってるんだよ。今までの景色の方がよっぽど殺風景だったじゃないか』
神様だ。
俺を異世界に転生させた存在。
それがまた目の前にいる。
姿形はぼんやりと輪郭が見える程度で、顔はもちろん性別も分からない。
俺レベルでは直視しただけで情報の嵐で発狂しそうになる。
ともかく、どんな姿をしてるかなんて確認したくても無理なのだ。
そしてそのことが突き付ける事実。
今度こそ本当に死んだか……
『待った待った、どうにも君は早合点が過ぎる様だね』
は? じゃあまだ死んでいないとでも?
あれだけ高い場所から落下して?
『高い場所? それも君の早合点なんじゃないのかい?』
いや、だって何処までも落ちて行くあの感覚は——
『でも君は地面を踏みしめて歩いていたんだろう?』
そうだ、何処までも続く地平を当てもなく——
『なるほど、それで君は自分を見失ってしまったんだね』
自分を見失う?
『何を戸惑うことがあるんだよ。
君は人間達が創り出した“偽神”を滅ぼすという目的を見事に果たしたじゃないか』
“偽神”を滅ぼす?
何の話だ?
『あれ? おかしいなあ。それも覚えてないの?
君を転生させたときにお願いしたことじゃないか。
見事に目的を果たしたのに覚えてないって一体ど——』
ぷちん。
思いがけない神様との邂逅はどういう訳か何の前触れもなく、かつ唐突に終わりを迎えた。
………………………
………
…
◆ ◆ ◆
「魔力の存在……それに魔法という事象がいつから認識され始めたのか。
その研究において近年、俄に注目され始めている学説がある。知っている者は挙手を」
「はい」
「君ひとりか」
「“大災厄起因説”です」
「よろしい。いつもながら君は良く勉強しているな」
次に目覚めたとき、俺は神様に会ったこともすっかり忘れてしまっていた。
別な世界で裕福な商家の長男として新たな生を受けた俺は、再び赤ん坊から人生をやり直していたのだ。
「いえ、たまたま興味のある分野でしたので」
「なる程、君は中々に渋い趣味を持っている様だ」
自分で言うのも何だが俺は成長するにつれ文武両面で抜きん出た才覚を発揮し始めた。
この世界において商人に武の才能なんて必要ない、などという考えは無い。
野盗、強盗、暗殺者、それに魔物など、商人に襲いかかる危険を数えればきりがない。
それにこの世界では優れた実績を残した者が貴族に取り立てられるチャンスだってある。
とにかくそういった期待を一族郎党から一身に集めることとなった。
しかし俺は別の目的があって幼少の頃から自ら研鑽を重ねていた。
貴族や金持ちの子女が数多く通う王立学院。
両親の勧めで受験した俺は魔術、剣術、それに筆記の全てで優れた成績を収め、トップで合格した。
勿論、貴族連中……特に同年代の王族やら次世代の重鎮と目される生徒達とのコネを設けるのが表向きの一番の目的だ。
今俺が受けているのは考古学の講義。
そう、俺は密かに考古学の道に進みたいと考えていたのだ。
「はい、これまで解明不能と言われた幾つもの“聖痕”の存在を説明づける可能性を持った学説です。
これに興味を持つなと言う方が無理な話ですよ。
勿論先生の論文も大変興味深く拝読させて頂きました」
「うむうむ。熱く語れる分野を持つというのは良いことだ」
“聖痕”というのはまあ、地球で言う世界の七不思議みたいな奴のことだ。
現代文明では説明のつかない不思議な“何者かの痕跡”……
それがこの世界に点在しているのだ。
その謎の解明を夢見て考古学を修める者は数多くいる。
考古学というのは道なき未開の地を突き進み、時には魔物や蛮族と対峙しなければならない過酷な学問だ。
普通ならそんな職場は願い下げだとばかりに一笑に付すところなのだが、それを補って余りあるのが太古のロマンというやつなのだ。
ご多分に漏れず、俺もその魅力に取り憑かれて熱心に研究を重ねる様になっていた。
オタク気質で少々変わり者の学生……それが俺が自身に抱く自己評価だった。
「本日の講義はここまで。次回は来月だ。
各班はテーマとする“聖痕”を選んで調査を行い、レポートを纏める様に。
詳細は便覧に掲載されている通りだ。
それでは良い成果を期待しているぞ。特級クラスの諸君」
特級、というのは上位者の中でも特に秀でた者だけが選抜される特別なクラスだ。
その中でもグループ単位での実習や討論を行う際のチームとしては“班”が編成されている
ちなみにボッチ……もとい孤高を貫いている奴がひとりいるのだが……まあここは関係の無い話だから割愛しておこう。
俺は成績上位者の集団である特級クラスにおいても常にトップをキープし、首席卒業も射程圏内に捉えるところまで来ている。
だがしかしだ。
「なあおい、考古学マニアのお前としては久々に血の騒ぐ課題なのではないか?」
「そりゃ勿論。大っぴらに探索に行けるチャンスですしね」
「私達の実地担当は初めから決まっている様なものですわね」
「ははは、決まった様なもの、ではなく自分に決めて頂かないと困りますよ」
話しかけて来たのは今やすっかり俺の一番の悪友となったこの国の王子様、それに神殿から学院に送り込まれたという聖女様。
当然ながら二人とも俺と同じ班だ。
調査には俺達三人の他、王子様と聖女様のお付きの騎士見習いが一人ずつ随行することになる。
金持ちの息子とはいえ、いち平民に過ぎない俺がこういった人物達とお近付きになれるのも成績トップなればこその特権だ。
この関係性を見た家の面々は両手を上げて喜んだというが、当然ながら俺には跡を継ぐことも宮仕えをしてやろうという意思も無かった。
………
…
「なあおい、血が騒ぐとは言っていたがこっち方面で騒ぎを起こすなんてことは聞いていなかったぞ?」
「その通りですわ。そもそも何故神託の巫女たる私までもがわざわざ大神殿に忍び込む様な真似を——」
「シッ……!」
見回りが来た。
ここからは気配を消して慎重に行動せねば。
抗議の目線を浴びながらもそのことをハンドサインで知らせる。
俺は今王都から少し離れた場所にある大神殿に忍び込もうとしている。
ちなみに騒ぎは“まだ”起こしていない。
結局護衛の騎士見習い達は置いて来たのだそうだ。
この話を言い出したときは彼等も遠い目をして「またですか……」なんて呟いていた訳だが……
念の為にバックアップを頼めないかと彼等のもとを尋ねると、その日は二人共何やら“大事な用件がある”とかで無理だと断られた。
まあ今回は野盗のアジトに忍び込む訳でもないし、言うなれば聖女様の実家みたいなものだからな。
聖女様を連れて聖女様の実家に忍び込むというのも頭が混乱しそうな話だが、これにはきちんとした訳があるのだ、一応。
今回の課題、俺的に重要だと思う鍵はやはり数千年前に起きたとされる“大災厄”の爪痕だ。
大抵の“聖痕”は割と簡単に見学しに行けるし、そこで得られる情報だって“こんな言い伝えがあります”程度のものなのだ。
その言い伝えだってかなり根拠が怪しい。
何せ地面に✕印が彫ってあるだけとかそんなものばかりなのだから、観光組合が客寄せのためにでっち上げた作り話なんじゃないかなどと疑う向きもあるくらいだ。
だがその怪しい部分を突き詰めて辿って行くと全て大神殿に繋がる……それが俺の見立てだ。
………
…
「しかしいつ見ても馬鹿でかいな……」
「馬鹿とは何ですか、馬鹿とは。神官長様の前でそれを言ったら即破門ですよ。馬鹿なのですか貴方は」
大神殿は本当に巨大だ。
遠くから見てもでかいが近くで見るとより一層でたらめな大きさだと実感する。
とてもじゃないが人の手で建造出来る代物ではない。
大神殿はそれ自体が“聖痕”なんじゃないかと、俺はそう思っている。
誰もそのことを疑問に思わないのも不思議極まりない。
今忍び込もうとしている理由もそれだ。
女神様のおわすところ、不可侵領域とされているこの“塔”の最上階に何か秘密があるのではないか……そう考えたのだ。
「念の為に言っておくが駄目だぞ」
「まだ何も言っていないと思いますけど」
「どうせ外壁をよじ登って頂上から入ろうとか考えていたんだろう」
「何故分かった……」
「馬鹿とは一番上に登りたがる生き物だからですわ!」
「ぐぅ……」
加えて同行する二人もこの調子である。
実を言うと二人に関しては最近、何だかちょっと怪しいんじゃないかと思い始めている。
怪しいと言っても別にそっち方面の話をしているのではない。
大神殿に関して何か隠し事をしているのではないか、そんな気がするのだ。
「正面から堂々と入れば良いのです。理由などいくらでも後付け出来るでしょう」
「あ、ちょ、ちょっと待っ——」
「行くぞ。俺も彼女と同意見だ」
二人はそう言うと制止する俺の話も聞こうとせずにさっさと行ってしまった。
言い出しっぺの俺がこっそり行こうとしていたのにどうしてこうなってしまったのか。
正面から入ってどうやって頂上まで行くというのか。
「何かあったら真っ先に容疑者にされちまうじゃないか……」
俺は仕方なく二人の後を追った。
………
…
結論から言おう。
のこのこと付いて行った俺はまんまと捕まって摘み出された。
それだけではない。
永年出禁のおまけ付きだ。永年と言ったって破門に等しい処分だろう。
ちなみに王子様と聖女様はお咎め無しだ。
そそのかした俺が悪い、だそうだ。
とある偉い人曰く、“殿下、ご学友は選ばねばなりませんぞ”だそうだ。
何というか……予想していた通りの展開だ。
二人は端から俺を売る気だったらしいからな。
しかし……後で絶対に泣かしてやる、覚えていろよ……とは思わないが、その理由が何なのかは知りたいところだ。
あの後、俺は二人を追おうとして門番と押し問答になり、怪しい奴だといって現行犯逮捕された。
まあ普通に考えれば当たり前のことだ。
そして俺が詰所の牢屋にぶち込まれてふて腐れていた頃、塔……もとい大神殿の上層階から轟音が鳴り響き、熱波や衝撃波が下層階に押し寄せるという事件が起きた。
大神殿の中は大層な大騒ぎになったが牢の中は平和なもので、オレはのんびりと昼寝を決め込んでいた。
そこに来た牢番がこの非常時に何を寝ておるか、などど理不尽なお説教を垂れながら暴力を振るい出した。
必死に我慢したが何があったのかは遂に教えてもらえなかった。きっと八つ当たりだったのだろう。
しかしお説教の中に俺が二人をけしかけたからだという主旨の話があったことからして、二人が上で何かやらかしたのだということは分かった。
まあ俺はその後数カ月に渡って投獄された後、どういう訳かポイと釈放された。
そのときの持ち物といえば粗末な布の貫頭衣一丁のみ。
持ち物や所持金はすべて没収、右手の甲には前科者を示す入れ墨なんて餞別まで頂戴した。
その後はもう予想通りの酷い展開だ。
まず、俺は学院を追放された。
当然ながら親からも勘当され、一族郎党全部から総スカンを食らい、行き場を失った俺はあっという間に無一文の浮浪者へと転落した。
女神様への反逆者という扱いをされなかっただけまだましな結果だったと考えるべきか……いや、その後にあったことを考えると、もしかしたら事実上の死刑宣告だったのかもしれない。
恐らくは口封じのためなのだろうが、残飯漁りで飢えを凌ぐ俺のもとには連日の様に殺し屋が送り込まれた。
寄る辺を失くした金持ちのボンボンが日銭を稼ぐ術など知ろう筈もない。
放っておけば勝手に飢え死にするものをわざわざ居場所を調べて殺しに来るとは、どうやら俺は余程のことをやらかしたらしい。
とはいえ、これが逆に俺を助けることになったのだから世の中皮肉なものだ。
学院でトップクラスの成績を維持していた俺は、どうにか連日の襲撃を乗り切ることに成功していた。
倒した殺し屋の所持金やら装備品を剥ぎ取っては自分の物にしてを繰り返し、次第に人殺しが板につく様になっていった。
常識の皮を被った殺人マシーンの出来上がりである。
そんな中で俺は自然と傭兵稼業に身を窶し、戦場を転々として生計を立てる毎日を過ごす様になった。
俺は日頃の行いのお陰……かどうかは分からないが、そこらにいる最底辺の職業戦士共ともそこそこ打ち合える程度には膂力と機転を持ち合わせていた。
十年選手のむさ苦しい大男共と戦えているところを見たうちの首領が、将来性十分と見て拾ってくれたのだ。
この幸運が無ければ、無謀にも入団を申し出たヒョロガリのガキにしか見えない俺が傭兵を生業にすることなど出来なかっただろう。
まあこんな世の中ではそこそこに良い出会いには恵まれていた方なのだとは思う。
「なあ、お前……落ちぶれる前はいいとこの坊ちゃんだったんだろう。
それにその右手……一体何をやらかしたんだ?
……ああすまん、嫌なら答えてくれなくても良いんだぜ。
うちは脛に傷のひとつやふたつある奴ばかりだからな、余計な詮索はしねえさ」
俺は焼印を押された右手を手袋で常に隠していた。
まあ分かっている者にはそれだけで何かと察しが付くというものなのだ。
ましてやこの首領である。
「いや、馬鹿げた話ですよ。塔のてっぺんには何があるのか、それを見てみたくなっただけなんです」
「“塔”? 何だそりゃ」
「ああ、すみません。“大神殿”のことです。
自分の中ではもうすっかり“塔”という呼び方が定着してしまっていまして」
「そうか、“大神殿”か……女神様のおわす場所をまるでダンジョンみてぇに言うんだな」
「永年で出禁も食らってますからね、信仰心なんてもうゴミ程も残っちゃいませんよ」
「なる程な……今の話、他所じゃ絶対口にすんじゃねえぞ」
「ええ、分かっています。首領の前なのでちょっと気が緩んでしまいまして、つい」
「まあそう思ってくれんのはありがてえがな。
しかし大神殿のてっぺんか。そこまで突飛な奴とは思わなかったぜ。ますます気に入った!
傭兵稼業なんて商売に手を出す位だ、一旗揚げてまたいつか目指すんだろ、ええ?」
「ええ、そうですね。いつか」
「ガハハハ、そうかそうか」
そう言って俺の背をバシンバシンと引っ叩く首領。
しかし口ではまた目指すなどと言ったものの、正直“聖痕”のことなどもうどうでも良くなっていた。
とにかく、毎日を生きて行くだけで精一杯だったのだ。
そして傭兵稼業は俺に、この世界の様々な“現実”に目を向ける機会を与えてくれた。
戦う相手は様々だ。魔物の群れから盗賊と来て、他国の軍隊、どこぞのお偉い様の私設軍隊といった感じだ。
しかしここのところ急に増えている依頼、それは“魔族狩り退治”だ。
この仕事は他と比べると随分と気が楽で良い。
目的が人助けだし、何より殺しをやる必要が無いからだ。
魔物然とした見た目と能力に人の知性を備えた彼等は、一応人間として扱われている。
生まれたときは人間の子供と同じなのだが、歳を重ねるにつれある者は角が生え、またある者は身体の表面が鱗で覆われてゆき……といった具合だ。
この現象が初めて現れた当時は原因不明の“病気”として扱われた。
魔族達は感染防止の名目のもと病人として隔離され、非人間的な境遇に置かれたのだ。
しかしあるときそれが一転し、寧ろ優遇されて扱われる様になった。
原因を調べるうちに彼等の特異な外見と能力は病気などではなく、人間に“聖痕”が何らかの形で関与した結果なのではないか、という説が有力になって来たからだ。
魔族となった者は皆、その身体能力と共に“この世ならざる知恵と力”を授かるのだ。
女神様の思し召しのもとに特別な能力と役割を与えられた選ばれし民、という訳だ。
“魔族狩り”と呼ばれる連中はそんな彼らを売り物として扱う大変不届きな連中だ。
大神殿から付け狙われる俺に、“女神様の思し召しに逆らう不届き者”に天誅を下す仕事が回ってくるとは何とも因果なものだ。
そんなある日。
数日前からずっと感じる何者かの視線。
またかよ……しかしこの感覚も随分と久しぶりだな。
別に放っておいても何もしないってのにな。
まあ警戒するに越したことは無い。
俺は首領に相談して皆に“発注”を行い、“そいつ”を引っ捕まえることにした。
そう思いつつ人通りの途切れたところで路地裏にスッと身を隠す。
『ヨウヤクミツケタゾ』
全身をローブで隠しフードを深く被るその人物は片言の濁声でそう話しかけて来た。
これから殺ろうって相手に会話を持ち掛けて来るとは随分と殊勝な奴だ。
しかし魔族……か?
そんな格好では却って目立つだろうに。
魔族には身体能力に優れたものが多く、俺を狙って放たれた刺客の中にも結構な割合で魔族がいた。
こいつもそのクチという訳か。
まあ良い。
俺は剣の柄に手を掛けて警戒しつつ返す。
「今更何だ。俺ごとき別に放っておいても良いものだと思うのだがな」
『……オマエハシシャノミヤコデイッタイナニヲヤッテイルノダ』
/continue
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