空腹の悪魔

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空腹の悪魔

 悪魔が僕に囁いた。 「俺が食べてもいい命って、どこにあるんだろうな」  僕の村にやってきた、僕と同い年の子どもは、すぐに悪魔だとバレた。  皆で飼っていた飼育小屋のニワトリや、裏庭で女の子が可愛がっていた黒猫とか、彼が来てから軒並みいなくなったから。彼が殺すのを見たって人もいた。彼から逃げた先生もいたし、石を投げた男の子もいた。 「反撃しようなんて考えるなよ!俺が死んだら、お前が殺したってすぐバレるんだからな!」  そんなことを言われたからか、まだ人は手にかけてないらしい彼は何も抵抗しなかった。  毎日血まみれになるまで棒で殴られたり、石をぶつけられても何も言わず、先生がビビりすぎて授業にならない授業を受けていた。  正直言えば、僕だって怖かった。  けれどそれ以上に、角材の角っこで彼を殴る奴らが怖かった。お前もやれ、って言われて、僕はできなかった。できなかったから、僕もいじめられた。 「どうして抵抗しなかったの。俺の仲間だなんて思われたら、酷い目に遭わされるのに」 「……どっちも嫌だったんだ。殴るのも、殴られるのも」  どっちも選べないままだったから、僕は殴られただけだ。  僕の怪我を見て驚いた親が、学校に直談判をしに行った。けれど母は、僕が悪魔の仲間になってしまったと、先生らがこぞって顔を背けたのを見て面食らったらしく、何も言えなかったそうだ。  母は彼のことを知り、僕が彼と話していたと知って、こう切り出した。 「彼と仲良くするのを、辞めるだけでいいのよ」 「それじゃあ、ダメなんだ。僕が彼を殴るまで、クラスメイトは僕を仲間には入れてくれないよ」  母は泣きながら僕を抱き締めて、僕に転校させてくれると約束してくれた。  僕はその後だって何もできないまま、学校にも行けなくなった。それでも小さい村だから、近所を歩いているだけで人に見つかるので「学校をサボっている悪魔の仲間だ」と、棒を振り回す男の子から逃げてばかりだった。 「君の方こそ、どうして反撃しないの」  もう僕の話し相手は、彼しかいなかった。  両親は引っ越しの手続きやらで忙しく、とてもじゃないが話しかけられる雰囲気ではなかった。彼が一人のとき、こっそりと僕の家の裏で、彼は僕の話し相手になってくれた。怖くない、と言えばまだ嘘ではあったが、それでも一人の寂しさに、僕は耐えられなくなっていた。 「俺のこれは、食事なんだ」 「食事?」 「命をもらうこと。君たちは動物を殺して、捌いて、調理してその肉を食べるだろう?俺の場合は、命を食べるんだ」 「……じゃあ、僕らとあんまり変わらないんだね」 「動物のだけじゃなくて、人の命まで食べられるところ以外はね」  意地悪めいた笑みを浮かべる彼に、僕は肩をすくめる。  迂闊に命を奪えば、また何を言われるか分からない。そう彼は腹を擦りながらため息をついた。彼はいつから食べていないんだろう。ついうっかり、僕が食べられてしまいやしないかと、僕は彼から目を逸らす。  例えば、家畜を殺して調理する施設とかに行けば、彼はお腹いっぱい食べられるんじゃないか。そうしたら、僕は怯えずに彼と話ができたりしないだろうか。 「俺が食べてもいい命って、どこにあるんだろうな」  彼が殺したニワトリは、あの棒を振り回していた男の子たちが、グラウンドで焼いて食べていた。お前は食うなよと、彼にダメ押ししながら目の前で肉を見せつけるように頬張っていた。 「……僕だったら、あいつらの命を食べちゃうのにな」 「そんなことしたら、俺は紛れもなく悪魔だろ」 「でも、食べなくったってあいつらは君を悪魔と言うじゃないか」 「それは、そうだけど」  彼はふむ、と顎に手を当てて考え出した。まじまじと真剣に考え始めるものだから、僕は余計なことを言ったかと内心冷や汗でいっぱいだった。人を手にかけてない、というだけでなんとか感じられていた安心を、僕が自らの手で壊し、その一線を彼に越えさせてしまうんじゃないかと思うと胃がキリキリと痛んだ。 「まさか……本当に食べたり、しないよね?」 「どうだろうなあ、俺は、悪魔らしいから」  また意地悪な笑みを浮かべて、彼はそのまま行ってしまった。僕はその場に座り込んだまま、腹の中に抱えた違和感をどうしたものかと考えあぐねていた。両親に言ったってきっと、彼と関わるなとだけ言われて抱き締められるだけだろうし、あいつらに警告したって、何かしら理由をつけてまた僕をいじめるに違いない。 「それじゃあ、僕にできることは、何もないな」  仮にこのままあいつらを放っておけば、いつか僕は大怪我をさせられるし、彼も殺されてしまうかもしれない。それなら彼が動いてくれれば……。そのついでに、彼の腹も満たされてくれれば、僕は……。 「……そんなことを、考えてしまう僕の方が、よっぽど」  そうこうしているうちに、僕ら家族の引っ越しは目処がついたらしい。ある日散歩から帰ってくると、家の中は段ボールだらけだった。両親は誰かに何か言われる前に、さっさとこの村を出てしまうつもりのようだ。 「さ、早く車に乗って。荷物はあとで業者に運んでもらうから、今必要なものだけ持ってきて」  母に急かされ背中を押され、僕は段ボールから数冊のノートを学校用の鞄に入れ直した。他にもあれもこれも、と考えたものもあったけれど、母の余裕のない表情にそれ以上の贅沢は言えなかった。元はと言えば、これは僕のためなのだから。  車の後部座席に座って、両親の後ろ頭を見ながら僕はぼんやりしてしまっていた。村の景色が視界の端から後ろに流れていく。  これで本当に安心できるのだと、気づけば涙が零れていた。母がミラー越しに僕に気づいて、頭を撫でてくれる。 「もう大丈夫。何も心配しないで、母さん達が守ってあげるからね」  その言葉に僕は頷く。もうこれで、何かを心配する必要はない。僕は鞄に突っ込んだノートを筆箱を取り出し、日記の続きを書き始める。  彼を焚きつけておきながら、何も言わない、行動もしない僕を彼はどう思っていただろう。彼だって、僕と同じように一人に耐えられないから、弱虫な僕を話し相手に認定していただけかもしれない。僕がいなくなったら彼は、誰と話をするんだろう。誰もいない僕の家の裏庭で、あの日のように何かをこっそり食べるのだろうか。  飼育小屋でニワトリの命を食べていたらしい彼は、静かにうずくまって亡骸を抱えていた。それは深い懺悔のようにも見えたし、少なくともバーベキューをしてはしゃいでいたあいつらより、ずっと命と向き合っていたように思う。  せめて彼の住所を知っていれば、彼に手紙でも書けたのに。そう思って、宛先のない手紙を僕は書き始めた。拝啓、僕の一方通行かもしれない友人へ……。次の一文が、思いつかない。  ふと窓の外に目を向けると、丘の上に彼の姿を見つけた。  僕の車を見つけると同時に、彼は立ち上がって僕に手を振った。男の子にしては長めのその髪が、風に靡いている。その足元には数人、人が倒れているようにも見えた。その瞬間、僕はすぐに顔を隠してしまった。隠してから、しまった、と我に返る。  彼を怒らせたかもしれない。  その考えが浮かぶと、もう顔を上げる勇気もなくなっていた。さっきまで"友人宛"の手紙を、書こうとしていた自分はなんだったのか。  僕は村から車が出るまでずっと縮こまっていた。自分の心臓の音がやけにうるさくて、彼の食事に距離の制限がなかったらどうしようとか、ただ自分の身の安全ばかり考えた。後ろでばさばさとノートが散らかった音がして、僕はぎゅっと目を閉じる。  それから、どれくらい時間が経ったのか。  気がつけば、気を失っていたのか眠っていたのかわからないが、僕は新居にいた。見慣れない部屋で僕は飛び起き、母の背中にしがみついたのを覚えている。彼は、僕に何を思っていただろう。何か伝えたいことがあったのかもしれない。あの場所から手を振ったのは、あそこからなら車からでも見えると見越していたのか。  全部知りながら、引っ越しのことを伝えもしなかった僕を恨んでいたのだろうか。あの足元にあったのは、あいつらの亡骸だったのか。答え合わせはもうできない。母はきっと、あの村のことが事件になったとしてもそのニュースを知らせたりはしないだろうから。 「疲れがずっと溜まってたのね。よく眠れた?朝ご飯にしましょう」  母がそう言って用意してくれたのは、バターが程よくとろけたトーストとトマトのサラダに、よく焼いたベーコンと目玉焼き。匂いを嗅いだ途端、腹がきゅうとなった。食卓に腰掛けてふと、彼にとって僕は、とても美味しそうにも見えない命だったのではないか、そう思えた。根拠もないが、腑に落ちた。そう安心したら、腹が減って仕方がなかった。
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