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Track.3. supernova
count.10.
自宅に帰ってきた圭は「ただいま」と呟くと、入ってすぐにある自分の部屋のドアを開ける。
電気をつけないままベッドの上にカバンを放る。
ジャケットのポケットからスマートフォンを取り出すと、脱いだそれをハンガーラックのパイプにかける。
そのままベッドに腰掛ければ、きいと小さく音を立てる。
床の上には本棚に入りきらないマンガとCDが積まれている。
雑然とした部屋の奥、追いやられるようにそれは置いてあった。
視界に入って、わずかに目を細める。
大きく息をつくと、ベッドに倒れこむ。
手の先にあるスマートフォンを見る。
ロック画面には涼からのメッセージがまだ残っている。
ライブハウスでの涼とのやりとりを思い出し、そっと部屋の隅に視線を動かす。
カーテンの隙間からぼんやりと街明かりが漏れる窓際。
ぽっかりとあいたスペースに置かれていたのは、一本のギターだった。
薄暗い部屋の中で、くすんだ青いボディが鈍く光る。
圭は視線を天井に移すと、固く目を閉じた。
× × × × ×
「すげー」
放課後に涼と訪れた柏屋楽器の一階。
アコースティックギターがずらりと並ぶ光景に圭は思わず声をあげる。
スタンドに立てかけられたギターに近づくと手を伸ばし、弦をはじく。
びん
鼓膜を震えさせる響きに、自然と口元がゆるんでくる。
「三階にはエレキギターもあるみたいだよ」
うれしそうにギターを見て回る圭の横に、涼は並ぶと声をかける。
「エレキギター! 見てみたい!」
圭の一声で二人して店の三階に向かった。
涼との勉強の成果もあり、圭は無事に涼と同じ高校に進学を果たした。
駄々をこねて姉妹たちから許可をもぎ取り、夏前からバイトも始めた。
そこで初めてもらった給料と今までのお年玉で貯めたお金を持ち、高校から自転車で三十分かけて浦和にあるこの楽器屋までやってきた。
「でも、嬉しいな。圭が興味を持ってくれて」
楽しそうに階段を上っていく圭の背中に涼は話しかける。
「だってギターってかっこいいじゃん。いつもは涼が弾いてるの、聴いているだけだけどさ。オレも自分のギターで弾いてみたいなって、思ったんだよね」
三階にたどり着くと、すぐ手前の通路にたくさんのエレキギターが飾られている。
流線形のボディにはいくつかのダイヤルがついている。
メカニックにデザインされたギターは涼の持つアコースティックギターとはまた雰囲気が違う。
「すげー! かっけー!」
興奮気味にギターの間を歩いていると、一本のギターに目が止まる。
ぎらりとメタリックブルーのボディが光る。
「かっけー! これがいい! 店員さん呼んでくる!」
圭は近くの店員に声をかけ、壁に展示されたギターを下ろしてもらう。
「それにするの?」
スクールバックを床に置き、じゃかじゃかと適当に弦を鳴らす圭に涼が聞く。
「うん。これにしようかな。……でも、ギターって高いんだな」
圭はもともと置いてあった場所に貼られた値札を見上げる。
持っていたギターを一旦涼に渡し、財布の中を確認する。
「うん。……まあ、ギリ、平気そう
財布をカバンに戻すと涼からギターを受け取る。
「でも、圭だったら、エレキギターもいいかもね」
「なんで?」
「アコースティックギターと違って、ギターだけだとそれほど音も響かないし。イヤホンアンプに繋げば、音も自分しか聞こえないよ。マンションだと大きな音、出せないでしょ?」
「うん。そんなことしたら姉ちゃんにどつかれる」
即答した圭に涼は小さく笑う。
圭も笑顔になるとギターを高く上げる。
白い蛍光灯の下、青いボディがつるりときらめく。
「ちょっと買ってくる!」
涼に一声かけると、ギターを取ってくれた店員に話しかける。
ギターを両手で持ちながら、うきうきとレジに向かう。その途中でピック売り場の前を通る。
ふと目について、ひとつ取る。
ほかにも、黒いギターカバーやスタンドもセットで購入する。
ギターをギターカバーにしまって、残りをまとめて袋に入れてもらう。
ギターカバーを背負った。
スクールバッグと袋を抱え持つと涼の元まで走る。
「お待たせ!」
「おかえり。無事に買えた?」
「うん。今日は付き合ってくれてありがとな」
うれしさを隠しきれない様子の圭に、涼も笑って首をふる。
「気にしないで。僕も、買いたいものあったし」
並んで階段を下りていくと、圭は、そうだ、と小さい紙袋を取り出す。
中に入っていたのは、筆記体の白い文字が斜めにデザインされた、ティアドロップ型の青いピックだった。
「これ、涼が使っているのと、同じ形のやつだろ?」
「あ、それ!」
圭が見せたピックに驚いたように、涼もカバンから小さな袋を取り出す。
「色は違うけど、僕も同じものを買ったよ!」
中から出したのは、圭のピックとは色違いの、白いピック。
筆記体の文字は青字で描かれている。
「マジか。ホントだ。すげー!」
ピックを持つ涼と目があうと、どちらともなく笑顔になる。
紙袋の中に戻しながら一階まで来ると、バッグにしまう。
店の前に止めた自転車に乗り込む。
横断歩道を渡って伊勢丹、コルソに沿って行けば、バス通りに突き当たる。
そのままバス通りを道なりに進み、長い下り坂を下って中山道との交差点を右に曲がる。
背中ではずむ黒いギターカバーは、まるでスタッカートを刻む音符のようだった。
「ギター始めるなら、僕が教えようか?」
自転車で縦に並びながら、後ろを走る涼が聞いてくる。
「んー、いいや」
圭は少し考え込み、すぐにそう返す。
正直に言うと、こっそり上手になって、涼をびっくりさせたい気持ちもあった。
「店員さんに、練習用の本も教えてもらったし、ちょっと一人でやってみる」
「そっか」
「うん、でもサンキューな」
夕日が斜めに差し込んで、二人を照らす。
東京ガスの前までくると、信号を渡ってさらに右に曲がっていく。
一列になって、涼と歩道をゆっくり自転車で進んでいく。
頭の中は、ギターのことでいっぱいだった。
弾いてみたい曲はいっぱいある。
まずはどれからやってみよう。
そればかり考えながら家までの道を進んだ。
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