Track.3.  supernova

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count.12. 「じゃあ、まずはギターの構え方からだね」  そう言うと涼はギターを軽く構える。  自然と背筋が伸び、右ももにボディが乗る。  涼をマネして圭も、背筋を伸ばしてギターを持つ。  硬い動作に涼がふっと笑うのが見える。 「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。リラックスして、自然に構えてみて」 「……ん」  おだやかに低く響く涼の声に、圭は目を閉じて、ふーっと長く息を吐く。  涼に言われたように緊張をほぐそうとするけれど、うまくいかない。  心臓の音がばくばくとうるさくて、少しも落ち着けない。 「この空気、ちょっと緊張するよね。コーヒーでも飲む?」  圭が顔をあげると、にこやかに微笑む涼と目があう。 「んー、いや。いいや。飲むの、忘れそうだし」  少し考えてから、圭はありがとう、と言ってギターに視線を戻す。 「わかった。圭は、ギターを弾くのにピックって使う?」 「うん、できれば。……一応、持ってきては、いるんだけど」  言いながら、ギターカバーのポケットからピックを取る。 「懐かしい! まだ、それも持っていたんだね」  圭が取り出したのは、筆記体の白い文字が斜めにデザインされた、青いピック。 「いや、でもずっと放置してたから、ダメになってるかも」 「そんなに使っていなかったなら、大丈夫だと思うけど。……ちょっと貸してもらっていい?」  涼はギターを隣のイスに立てかけると、ピックを受け取る。  しずく型のピックの先を触って、フィニシングペーパーでなだらかに磨いていく。  楽器用のクロスでさっとほこりを落とす。  最後に先端をまた確認して、圭にピックを返す。 「はい。これで大丈夫だと思うよ」  ぱっと差し出されたピックを反射的に受け取る。  日に焼けて少し色落ちしているが、手触りはなめらかだ。 「すげえな。こんなこともできるんだ」 「ピックも消耗品だし、劣化していくからね。手入れをすれば、持ちも、音も良くなるし」  そう言いながら、涼はギターを構え直す。 「それじゃあ、続けようか。ピックを持つ時はね、こうやって、軽くつまむように握るといいよ」  涼の手元を見て、圭もゆるく握った人差し指にピックを乗せる、それを親指で挟む。 「そうそう。それで、人差し指がピックの先端から出ないようにして……」 「こう、かな」  ぎこちないながらもピックを持つと、涼が優しく笑う。 「いいね。じゃあ、そのまま腕を下ろしてみて」  言われた通りに、圭は腕を下ろす。  ジャーン  その途端。  拡張された硬い音色がギターから弾け出た。  鼓膜をびりびりと震えさせて、部屋の四方から全身に音が広がる。 「——」  圭は思わずギターを見た。  アンプから打ち寄せる音の残響に、どくんどくんと心音が早まる。  緊張とは違う高鳴りに、ピックを握る手に力が入る。  指先がじりっと熱を持つ。 「————すげぇ!」  頬を赤く染め、目を輝かせて圭は顔をあげる。 「アンプを通すと、ギターってこんな音になるんだ!」  興奮して言葉を続ける圭だったが、笑顔の涼にはっとなり、慌てて下を向く。 「悪い。家だと、アンプとか繋げなかったし、いつも詰まったような音だったからさ。ヘッドフォンつなげても、なんか違うし」 「わかる。やっぱり直に聞く音って違うよね。俺も初めてギター鳴らした時、感動したし」 「うん、あれはすごかった」  圭はそれだけ言うと黙ってギターを見つめる。  初めて聞いた涼の優しい音色とは違うが、身体の芯に響いた音は、思った以上に力強かった。  それを出したのが自分だと思うと、なんだか、むずがゆい気持ちになる。 「とりあえず今日は、ギターを鳴らしてみようか。コードとか、気にしないでいいから」 「え、でも……」  戸惑う圭に涼はにっこりと笑いかける。 「大丈夫。適当に鳴らしてみてよ。俺が、圭の音に合わせるからさ」  圭はきゅっと唇を結ぶ。  ためらいがちに腕を振り下ろすと、慣れない手つきで弦をはじく。  ジャッ  つないだアンプから、和音にもならない音が広がる。  たどたどしい指先は、ぎこちなくも未完成のメロディーをかき鳴らす。  じゃん  そこに、柔らかなアコースティックギターの響きが重なる。  優しくおだやかな音色に少しの悲しさをにじませて、未成熟なメロディーラインを包んでいく。  圭は思わず涼を見た。  涼は少し微笑みながら、真摯に弦をたどっていく。  でたらめな音は次第に色づき、ひとつの曲を奏でていく。  調和していくメロディーに、自然と頬が緩む。  ジャン、じゃらん  最後にぴたりと音が揃うと、どちらともなく顔を見合わせた。 「やべえ。すげえ。かっけー!」  音の振動が、まだ耳の奥に残っている。  初めてのセッションは、正直まだまだうまくはない。  でも重ねる音次第では、どんな色にも変えられる。  その一端になれたことが、純粋に嬉しかった。  興奮する圭に、涼はやわらかな笑顔を向ける。 「よかった。緊張はほぐれたみたいだね」 「あ……」  それを聞いて、圭ははっと息を飲む。  無音だったライブハウスの中には、まだギターの余韻が残っている。  ばくばくと高鳴っていた心臓は、緊張よりも高揚感のほうが強い。  萎縮していた身体中のこわばりもほぐれて、肩の力も抜けている。  涼はにっこりと笑うと、左腕の時計を見る。 「そろそろ時間だね。今日は、ここまでにしようか」  ギターを隣のイスに立てかける。 「ギター、貸して」  言われるがまま、涼にギターを渡す。  涼はアンプの電源を切ると、慎重にギターからコードを抜く。  圭にギターを戻すと、今度はバーカウンターの上に並べた調弦道具をまとめていく。 「じゃあ、片付けてくるから、圭は座って待っていてよ」  まとめた道具一式とアンプを持って、涼は店の奥へと消えていく。  涼が見えなくなると、圭は一音だけ、ギターを鳴らしてみた。  いつか聞いた、つまったようなくぐもった音は、先ほどまでの色がない。 「遠いなぁ……」  一人では、あの音はまだ出せない。  焦がれた音色には届かない。  圭は視線を落とすと、ぐっと唇をかむ。  ギターとピックをカバーの中に押し込んだ。  そこにバックヤードから涼が戻ってくる。  バーカウンターの内側に入ると、備え付けの棚からグラスを二つ取り出す。 「圭は何飲む?」  からのグラスに氷を入れながら涼が聞く。  カランと音を立てる氷を見ると、圭は下を向く。 「いや、いいや。おれ、もう帰るな」  そう言うと席を立つ。 「この後のライブ、観ていけばいいのに」  帰る準備をしていると、どこか残念そうな涼の声が聞こえてくる。 「……今日って涼も出るの?」 「いや。今日はフロアのサポートだけかな」  圭は少し考えてから、小さく首を振る。 「ならいいや。チケットも持ってないのに悪いし」 「気にしなくても大丈夫だよ。チケットならまだあるから」  言いながら涼は、とぽとぽとウィスキーとコーラを注ぎ、マドラーで軽く混ぜる。 「あーまあ、でも、今日は帰るよ」 「そっか。でもまあ、一杯くらい飲んでいってよ」  視界の隅にグラスが差し出される。  顔を上げれば、笑顔の涼と目があう。 「……じゃあ、一杯だけ」  差し出されたグラスを無下にはできず、圭は手を伸ばす。  涼は自分もグラスを取る。 「そういえば、会社の送別会っていつやるの?」  何気なく涼が聞いてくる。  圭は一瞬肩をびくつかせると、ぐっとグラスを握りこむ。 「あー、まだ……日程は決まってない、かな」 「そっか。でも、あんまり時間はないよね」 「まあ、年末頃だろうし」  立ったままの姿勢で、コークハイを一口飲む。  シュワっとのど元を落ちて、かすかにウィスキーが香る。  唇に触れる冷たさに、少しだけ気持ちを冷ましてくれる。 「それじゃあ、次回までに何を弾きたいか考えてきてよ」 「え?」 「どの曲をやるか早く決めて、その曲の練習に専念したほうがいいだろうし。来週の土日ならどっちがいい?」  流されるまま、来週の日曜日にまた、涼からギターを教わる約束をする。  その後もぽつぽつと会話は続き、オーナーの響がやって来ると圭は入れ替わるように店を出た。 ***  たん、たたん、と電車が揺れる。  初めてのレッスンは、緊張もあったけど、思っていた以上に満足のいくものだった。  コードもまだわからないが、決まった音じゃなくてもギターを鳴らすのは楽しい。  でも、それと同時に思い出した出来事に、小さく唇をかむ。  素直に気持ちを伝えることさえも、まだためらいがある。  息をついて、車窓の景色を眺める。  窓の外に流れる景色は、神々しいまでのネオンも薄れ、少しずつ黒が侵食していく。  圭はスマートフォンを取り出すと、ロック画面に表示されたままのLINEのメッセージを見た。  そのままコートのポケットにしまい込み、背負っていたギターカバーを抱え直す。  こうして自分がギターを弾くことになるなんて、不思議な気分だった。  ふと、涼の言葉を思い出し、反対のポケットから音楽プレーヤーを取り出す。  画面をなぞり、ライブラリーに保存している曲を眺める。  その途中で指が止まる。  圭はため息をこぼすと顔をあげる。  電車の窓の向こうにはまばらに明かりが灯る、暗い景色が流れていく。  その光景に、そっと目を閉じた。
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