LastTrack. アウトロダクション

1/1
前へ
/21ページ
次へ

LastTrack. アウトロダクション

count.21.  春のあたたかな陽気が頬をなでる。  昼間ずっと曇っていた空は、夕方になると晴れてきた。  スーツケースを引きずって、圭は改札を出る。  背中のギターカバーを背負いなおす。  日曜日の新宿駅は、相変わらず人が多い。  向こうも人はたくさんいたが、東京の人混みは異常だ。  三年ぶりのその光景に、圭はそっと息をつく。  でも、今日の新宿はどこか浮き足立つような雰囲気も感じた。  新元号の発表を前に、空気は晴れやかだ。  圭は青に変わった信号を渡っていく。  転勤明け早々に新宿までやってきたのは、二つの理由がある。  その一つでもある会社に向かって歩いていく。  その途中、風に乗ってギターの音が届いた。  届いた音色に、思わず走り出す。  聞こえてきたのは、疾走感のある短い旋律が印象的なリフだった。  何度も聴いた、懐かしいその曲に、自然と頬がゆるむ。  春の風のような優しくおだやかな響きを乗せたギターの調べには、いつかの悲しさはない。  かわりに深い慈愛を内包した音は、少し色は変わったけれど、圭が聞き間違えるはずもない。  横断歩道を渡った先。  甲州街道と四谷角筈線の交差点の角には、すらりと背の高い人影が見える。  その姿を見て、圭は信号が変わると、急いで横断歩道を渡る。  たどり着いた交差点。  角のデッドスペースには、ギターを構える涼がいる。  涼は圭を見ると、優しく微笑み、最後のコードを奏でる。  演奏が終わると一礼をして、片付けを始めた。  去っていく人波に逆らって、圭は涼に近づく。 「まだストリートでやってるんだね、涼」 「まあ、最近いろいろと厳しいけど、一番実力がわかるしね。それに、圭にも会えるし」  ギターカバーの中の小銭を拾いながら、涼は圭を見上げる。 「おかえり、圭」 「うん。ただいま」  涼が優しく笑うと、圭は少し照れたように小さく笑う。  涼は小銭を全部拾い集めるとコインケースに入れ、かわりにギターをしまう。  ギターケースとカバンを手にとり、立ち上がる。  その時、不意に、胸元でペンダントが揺れる。  なんとなく視界に入り、自然と目で追う。 「なにそれ?」  涼がつけていたペンダントのヘッドに入れられていたのは、圭が三年前に渡した、ティアドロップ型の青いピックだった。  少しくすんだ青と筆記体の文字は、あの頃から変わらない。  圭の視線に気づいた涼は、ペンダントを見るとにこやかに笑う。 「これ、前に楽器屋で見つけてさ。なんだか、ずっと持っていたかったから」 「いいなぁ。ずるい」  圭はぽつりとこぼすと、ギターカバーを下ろす。  同じデザインの、白いピックを取り出す。  そんな圭に涼は、ふふ、と笑う。 「貸して」  涼に言われて、圭はピックを手渡す。  涼はカバンの中から白い紙袋を取ると、ひっくり返して中身を出す。  手のひらの上に出てきたペンダントのヘッドに、白いピックをはめ込んだ。 「これで、お揃いだね」  それを圭の首にかけると、やわらかに笑う。  圭は胸元のペンダントヘッドに視線を落とす。  涼を見て、少し頬を赤く染めて照れ笑いを浮かべる。  圭の様子に、涼は優しく目を細める。 「ねえ、圭。覚えてる?」 「なにが?」  瞬間、風が吹いて、ちゃら、と胸元のペンダントが揺れる。  見上げた水色の空には、薄雲がゆるやかに広がっていく。 「圭」  名前を呼ばれて、涼を見る。  まっすぐ圭と視線をあわせた涼が、ふわりと微笑む。 「俺、圭のことが好きなんだ。だから、これからはずっと、一緒にいてほしい」  優しく降ってくる笑顔と声に、圭はそっと息を飲む。  頭がうまく働かず、一瞬反応に遅れた。  じわじわとこみ上げる感情に、頬が一気に赤く染まる。 「おれも……」  言いかけた言葉は、ぐっと引き寄せられて、続きを言えなかった。 「涼?!」  急に抱きしめられた圭は、驚いて顔をあげる。  思った以上に近い距離に、圭は耳まで赤くしておとなしく涼の肩に顔を埋める。  静かに涙を落とす涼の背中を、圭は優しくさすった。 *** 「落ち着いた?」  しばらくして抱きしめる力が弱まると、顔をあげて圭が聞く。 「……うん。ありがとう」  ゆっくり体を離すと、涙が滲んだ目で涼は優しく笑う。  その表情にどきりとして、圭は慌てて視線をそらす。  そっぽを向いたまま、ふと、思い出して聞いてみる。 「涼さ、この後って時間ある?」 「大丈夫だけど、なんで?」 「ほら、前に言ったじゃん。お酒でも飲んで、ゆっくり話そうって。それに、久しぶりに涼のギター聴きたいし」  圭の言葉に、一瞬の間があいた。  不安になって涼を見る。 「会社に行くんじゃないの?」 「それはまあ、明日でもいいし。てか、おれが涼といたいの!」  確かに会社に行く予定ではあったけれど、今はそれが最優先だ。  じっと涼を見つめていると、涼が、ふ、と表情を和らげる。 「うん。俺も圭といたい」  そう言うと、にこりと笑う。 「それじゃあ、どこに行こうか。圭は行きたいお店ある?」  優しい笑顔とおだやかな声音に、圭は赤くなる顔を隠すように下を向く。 「……どこでも。でも、どうせなら、ゆっくり涼のギターが聴けるところがいい」 「それなら————」  ふわりとおだやかな風が吹く。  傾き始めた太陽が、ゆっくりと街をオレンジに染めていく。  通りを流れる車のヘッドライトが、歩道をやわらかに照らす。  信号が青に変わる。  圭は涼と並んで横断歩道を渡っていくと、バスタ新宿の前を横切って、甲州街道を道なりに進んでいく。  点り始めた電灯が、二人の進む道を静かに照らしていた。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加