Track.0. イントロダクション

3/3
前へ
/21ページ
次へ
count.3.  ホームから階段を上るとガラス張りの店先が目に入る。  ざわざわとざわめく通路を左に進み、カフェや雑貨店を横目に改札へと向かう。  改札と天井に縁取られた先に見えてきた道路には、色とりどりの傘とたくさんの人の群れ。  突入するのをためらう間もなく、押し流されるままにICカードを改札にかざして駅を出る。  金曜日の夜の大通り。  あふれる人波に飲み込まれつつも、圭はなんとかリュックから紺の折りたたみ傘を取り出す。  ぼん、と傘を開いた。  背の高いビルの合間の空を見上げる。  ぽつぽつと灯る街灯やネオンに照らされ、細かい雨がきらきらときらめく。  遠くの空には月がにじむ。  真新しいワイシャツの袖口から腕時計をのぞかせる。  カバンを背負いなおし、交差点を渡る。  人にぶつからないように注意しながら、会社に向かって歩いていく。  その時、不意に一人の男性とすれ違った。  はっとして振り返る。  すらりと背の高いその男性は、人ごみの中でもすぐに見つかった。  隙間から覗くビニール傘と、茶色いギターケースが遠ざかっていく。 「いや……そんなわけ、ないか……」  知らずつぶやき、前に向き直る。  青いスラックスのポケットからスマートフォンを取り出す。  アドレス帳をタップする。  そこには、いまだに消せないアドレスが残っている。  表示された名前に小さく唇をかむ。  あの時、ちゃんと自分の気持ちに向き合えていたら、違う今が待っていたのだろうか。  現状に不満があるわけではないけれど、時々、思い出してしまう。  それは、苦い後悔をともなって。  ひとつ、息をつく。  スマートフォンをしまうと、傘を持ちなおす。  横断歩道を渡って、信託銀行を左に折れる。  曲がったところでもう一度だけ、振り返ってみた。  流れる人波に、あの背中はもう、見えない。  すれ違ったその人は、今は京都にいるはずの冬島涼によく似ていた。  高校の途中までは親友と呼べるほど仲がよかったものの、あの時から、ぱたりと交流が途絶えてしまった。  卒業以来、連絡も取っていない。  圭は前に向き直る。  逃げるように足早に会社へと向かう。  じゃじゃっ  耳の奥では、聞こえないはずのギターの音が、雨音のように響いていた。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加