Track.1. 大切なもの

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count.5.  たたん、と軽やかに外階段をかけ上がる。  その度にぱたた、と濡れた髪先から水がはねる。  夏休みの昼下がり。  蒸し暑い空気を押し流すように、陸上部のホイッスルと吹奏楽部の交響曲が鋭く響く。  夏休みの間に何度かある、プールの解放日。  圭も仲のいいクラスメイトたちと泳ぎに来ていた。 「今日、転校生が来ているらしいぜ」  その最中に、自称情報通のクラスメイトがそんな話を切り込んできた。 「夏休みなのに? なんで?」 「いや、しんねーけど」  圭が思ったことをそのまま聞けば、話をふってきたクラスメイトはそう返す。 「でも、せっかくだし見に行こうぜ!」 「たしかにちょっと、気になるかも」  クラスメイトたちのプールサイドでのそんなやりとりから、転校生がいるらしい職員室にみんなで向かうことになった。  とりあえず更衣室に行くと、Tシャツだけかぶって、さっと着替えを済ませる。  体をふくのもそこそこに外に飛び出る。  転校生の話を持ってきたクラスメイトを先頭に、ぞろぞろと外階段を二階まで上る。  踊り場からつながっているベランダに出ると、しゃがみこんでそろそろと職員室に近づく。  先生たちに見つからないように気をつけながら、そっと窓から中をのぞきこむ。 「見えた?」 「んー、もうちょっと……あー、なんだ女子じゃないのかよ」  真っ先に見た生徒たちの会話を聞きながら、圭も中をのぞく。  プリントや分厚いファイルが積み重なって、ごちゃごちゃとした職員室には、どこかのんびりした空気が漂っている。  そんな中、担任の先生と話している見慣れない女の人がいた。  その隣に隠れるように、小柄な人影が見える。  落ち着かない様子で、母親らしき女の人の服のすそをきゅっとつかんでいる。 「あれ? あいつ……」  その横顔に、圭は見覚えがあった。 「何? 圭の知ってるやつ?」 「いや……」  思い出したのは、はじけるような青空と白い雲。うつむいた横顔。  あれはそう、たしか数日前のことだった。  ソーダ色をした空から太陽がじりじりと照りつける。  白い雲が気まぐれに日差しをさえぎり、地面に黒い影を落とす。  シャワーのようなさわがしいセミの声によけいに暑く感じる気がした。  クラスの友だちとの待ち合わせに決めた、駄菓子屋の前。  圭は自転車にまたがると、買ったばかりのアイスキャンディーをひとくちかじる。  しゅわしゅわ口の中で炭酸味がはじける。  ぼんやり空をながめていると、セミの声に混ざって車のエンジン音が聞こえてきた。  なにげなく視線を動かすと、視界の先に一台の引っ越しのトラックが横切っていく。  助手席にはなぜか、小学生くらいの男の子が座っていた。どこか気まずそうに下を向いている。  トラックは駄菓子屋を通り過ぎるとスピードをゆるめる。  少し先にある茶色い屋根の一軒家の前で停車した。  なんとなくその様子を追いかけていると、手元にアイスがたれてきた。  あわててそれをなめ、残りのアイスをがじがじ食べつくす。  その頃になって、ようやくトラックの向こうからやってくる自転車が見えた。 「わりぃ、遅くなった」  立ちこぎで近づいてくる友だちの後ろでは、家族の元にかけよった男の子が、ほっとしたような柔和な笑顔を見せていた。  視線に気づいたのか、ふと、男の子がこちらを見る。  一瞬目があって、がり、とアイスキャンディーの棒をかじる。 「どした?」  圭の目の前に止まった友だちが首をかしげる。 「……別に」  圭はつい、と視線をそらすと自転車に乗ったまま、のそのそと駄菓子屋の店先まで近づく。  店の前に置かれているゴミ箱に、アイスキャンディーの棒を捨てる。 「それより、早く行こうぜ。みんな待ってるし」  今日は友だちと自由研究の課題を決めるため、図書館に行く予定だ。  ほかにも何人かの友だちに声をかけている。  地面をけって、自転車のペダルをふみこむ。  最後に一度だけ、あの男の子に振り向いた。  家族に向けた笑顔が、妙に頭に残る。  すぐに前を向くと、みんなとの待ち合わせに決めた、校門前までの道を急いだ。 「……あいつ、同い年だったのか」  職員室の中、母親の影に隠れる男の子を見てそっとつぶやく。 「けーい、なにしてるのー?」  その時、不意に校庭から声がかかった。  思いがけない大声におどろいて後ろを見る。  部活中だったらしいクラスメイトが、好奇心旺盛な目をして圭たちを見上げていた。 「わー。静かにしろって」  手すりをつかんで身を乗り出すと、しー、と人差し指をくちびるの前に立てる。 「あ、お前ら何してるんだ!」  その呼びかけで圭たちに気がついたのか、先生が窓に近づいてくる。 「やべ。逃げろ!」  わっ、とみんなでいっせいに走りだす。  走り出す直前、圭は一度だけ、職員室を振り返ってみた。  男の子と一瞬、目が合った気がした。 「圭! 早く!」 「ああ」  急かす声に踊り場まで引き返し、外階段を駆け下りる。  圭たちを追いかけるようにむわりと、生ぬるい夏の風が吹きぬけていった。
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