10人が本棚に入れています
本棚に追加
count.5.
たたん、と軽やかに外階段をかけ上がる。
その度にぱたた、と濡れた髪先から水がはねる。
夏休みの昼下がり。
蒸し暑い空気を押し流すように、陸上部のホイッスルと吹奏楽部の交響曲が鋭く響く。
夏休みの間に何度かある、プールの解放日。
圭も仲のいいクラスメイトたちと泳ぎに来ていた。
「今日、転校生が来ているらしいぜ」
その最中に、自称情報通のクラスメイトがそんな話を切り込んできた。
「夏休みなのに? なんで?」
「いや、しんねーけど」
圭が思ったことをそのまま聞けば、話をふってきたクラスメイトはそう返す。
「でも、せっかくだし見に行こうぜ!」
「たしかにちょっと、気になるかも」
クラスメイトたちのプールサイドでのそんなやりとりから、転校生がいるらしい職員室にみんなで向かうことになった。
とりあえず更衣室に行くと、Tシャツだけかぶって、さっと着替えを済ませる。
体をふくのもそこそこに外に飛び出る。
転校生の話を持ってきたクラスメイトを先頭に、ぞろぞろと外階段を二階まで上る。
踊り場からつながっているベランダに出ると、しゃがみこんでそろそろと職員室に近づく。
先生たちに見つからないように気をつけながら、そっと窓から中をのぞきこむ。
「見えた?」
「んー、もうちょっと……あー、なんだ女子じゃないのかよ」
真っ先に見た生徒たちの会話を聞きながら、圭も中をのぞく。
プリントや分厚いファイルが積み重なって、ごちゃごちゃとした職員室には、どこかのんびりした空気が漂っている。
そんな中、担任の先生と話している見慣れない女の人がいた。
その隣に隠れるように、小柄な人影が見える。
落ち着かない様子で、母親らしき女の人の服のすそをきゅっとつかんでいる。
「あれ? あいつ……」
その横顔に、圭は見覚えがあった。
「何? 圭の知ってるやつ?」
「いや……」
思い出したのは、はじけるような青空と白い雲。うつむいた横顔。
あれはそう、たしか数日前のことだった。
ソーダ色をした空から太陽がじりじりと照りつける。
白い雲が気まぐれに日差しをさえぎり、地面に黒い影を落とす。
シャワーのようなさわがしいセミの声によけいに暑く感じる気がした。
クラスの友だちとの待ち合わせに決めた、駄菓子屋の前。
圭は自転車にまたがると、買ったばかりのアイスキャンディーをひとくちかじる。
しゅわしゅわ口の中で炭酸味がはじける。
ぼんやり空をながめていると、セミの声に混ざって車のエンジン音が聞こえてきた。
なにげなく視線を動かすと、視界の先に一台の引っ越しのトラックが横切っていく。
助手席にはなぜか、小学生くらいの男の子が座っていた。どこか気まずそうに下を向いている。
トラックは駄菓子屋を通り過ぎるとスピードをゆるめる。
少し先にある茶色い屋根の一軒家の前で停車した。
なんとなくその様子を追いかけていると、手元にアイスがたれてきた。
あわててそれをなめ、残りのアイスをがじがじ食べつくす。
その頃になって、ようやくトラックの向こうからやってくる自転車が見えた。
「わりぃ、遅くなった」
立ちこぎで近づいてくる友だちの後ろでは、家族の元にかけよった男の子が、ほっとしたような柔和な笑顔を見せていた。
視線に気づいたのか、ふと、男の子がこちらを見る。
一瞬目があって、がり、とアイスキャンディーの棒をかじる。
「どした?」
圭の目の前に止まった友だちが首をかしげる。
「……別に」
圭はつい、と視線をそらすと自転車に乗ったまま、のそのそと駄菓子屋の店先まで近づく。
店の前に置かれているゴミ箱に、アイスキャンディーの棒を捨てる。
「それより、早く行こうぜ。みんな待ってるし」
今日は友だちと自由研究の課題を決めるため、図書館に行く予定だ。
ほかにも何人かの友だちに声をかけている。
地面をけって、自転車のペダルをふみこむ。
最後に一度だけ、あの男の子に振り向いた。
家族に向けた笑顔が、妙に頭に残る。
すぐに前を向くと、みんなとの待ち合わせに決めた、校門前までの道を急いだ。
「……あいつ、同い年だったのか」
職員室の中、母親の影に隠れる男の子を見てそっとつぶやく。
「けーい、なにしてるのー?」
その時、不意に校庭から声がかかった。
思いがけない大声におどろいて後ろを見る。
部活中だったらしいクラスメイトが、好奇心旺盛な目をして圭たちを見上げていた。
「わー。静かにしろって」
手すりをつかんで身を乗り出すと、しー、と人差し指をくちびるの前に立てる。
「あ、お前ら何してるんだ!」
その呼びかけで圭たちに気がついたのか、先生が窓に近づいてくる。
「やべ。逃げろ!」
わっ、とみんなでいっせいに走りだす。
走り出す直前、圭は一度だけ、職員室を振り返ってみた。
男の子と一瞬、目が合った気がした。
「圭! 早く!」
「ああ」
急かす声に踊り場まで引き返し、外階段を駆け下りる。
圭たちを追いかけるようにむわりと、生ぬるい夏の風が吹きぬけていった。
最初のコメントを投稿しよう!