Track.1. 大切なもの

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count.6.  二学期が始まると、圭たちのクラスに転校生がやってきた。夏休みに駄菓子屋の前と職員室で見かけた、あの男子だ。  先生から「冬島涼」と紹介されたその生徒は、今は圭の後ろの席に座っている。  はじめこそ珍しさに浮きたつクラスメイトたちも、一週間をすぎるとそれも落ち着いてくる。  ひと月を越える頃にはクラスにも日常が戻ってくる。  口数の少ない涼はクラスにうまくなじめていないようで、圭も仲良くなるきっかけをつかめずにいた。  そんな十月のある日。  少し遠回りした学校からの帰り道。駄菓子屋の前で圭は灰色の空を見上げていた。  昼間の晴天から一転、急にざあざあ降りの雨が降ってきた。  急いで軒下に逃げ込んだものの、全身はぐっしょりと濡れてしまった。  ひんやりとした風が、制服越しの肌を冷やしていく。  こんな日にかぎってカサがない。  駄菓子屋も、おばちゃんのぎっくり腰で今日は休みだ。  なんとなく家に帰りたくなくていつもと違う道を通ったが、こんなことになるならまっすぐ帰るべきだったろうか。  髪の先からしずくがぽたりと落ちる。  ぼつぼつ屋根を打つ雨の音がひびいて、ぼたぼた流れていく。  ノイズのような雨音と閉ざされた静かな世界が、どうにも落ちつかない。  圭はふてくされてシャッターに寄りかかる。  さびた鉄の冷たさが背中に伝わる。  なにげなくながめた視界の先。  雨水がはねる地面に、ふ、と紺色のカサが飛び込んできた。驚いて顔を上げる。 「……冬島?」  そこにいたのは、涼だった。  自分のカサに隠れて顔は見えないが、反対の手で遠慮がちに圭にカサを差し出してくる。 「さっき、家に入る時に、見えたから」 「おお、サンキュー……」  そういえば涼の家はこの近所だったと、夏休みの光景を思い出す。  圭がカサを受け取ると涼はすぐに背を向ける。  そのまま帰ろうとする涼を圭はあわてて呼びとめる。 「冬島! 雨が止むまででいいんだけど、お前ん家、寄らせてくれない?」  涼はびくっと肩をふるわすと、おどおどと振り返る。  どうにか引き止めようと、圭は早口で言葉を続ける。 「今日の朝、姉ちゃんとケンカしちゃって家に帰りづらくてさ。いや、ほんと、ちょっとの間だけでもいいから!」  おねがい、と手をあわせる圭を涼は黙ったまま見上げる。  少し考え込むように視線を落とす。 「……ちょっと、待ってて」  雨に紛れそうな声でそれだけ言うと、ぱたぱたと家まで走っていく。  茶色い屋根の家の前、インターホン越しになにか会話を交わしたあと、圭の元へと戻ってくる。 「大丈夫だって」 「マジか。ありがとう!」  笑顔の圭から逃げるように背を向けた涼は、先導するように歩き始める。  圭は借りたカサを急いで開いて追いかける。  涼が歩くたびに、目の高さにあるカサの先がゆらゆら上下する。  一定のリズムをきざんで、不思議とカサを打つ雨音がはずんで聞こえる。  自然と足取りが軽くなる。  圭は涼の隣に並ぶと駄菓子屋の近くにある、涼の家に向かった。  涼の家につくとすぐに涼の母親からバスタオルを渡された。  ざっと玄関で全身を拭き、今度は風呂場の脱衣スペースに案内される。  促されるまま中に入れば、着替えが用意されていた。 「ごめんね。兄さんの服しかなくて……」 「いや、大丈夫。ありがとう」  脱衣スペースから出た圭は、少しだぼだぼするトレーナーの袖をつまむ。 「てか、これ借りていいの?」 「まあ……大丈夫、なんじゃないかな。あ、制服はそのままでいいって」  涼はよりかかっていた壁から身体を起こす。 「僕の部屋、こっち」  そう言うと圭の前に出て、階段の正面に回り込む。  ゆっくりと二階に上っていく。  左右に伸びる廊下を左に進み、奥の部屋の前で立ち止まる。 「大したものないけど……」  そう言いながら押し開けたドアの間から飛び込んだのは、壁際の本棚にみっちり詰め込まれた、本とCD。  思わず圭は、涼より先に部屋に入って、本棚に駆けよる。 「すげー! GLAYにミスチル、CHEMISTRY、175Rまであるじゃん。これ、全部、冬島の?」  CDを手にとり涼を見れば、微妙な顔をして笑っている。 「あー、兄さんが……。部屋に置く場所がないから置いとけって。もったいないから、僕もたまに聴いているけど」 「へえ。あ、ラルクもあるじゃん」  圭は視線を本棚に戻すと物色を再開する。 「ロードオブメジャー! このアルバム、オレも持ってる!」 「いいよね、このバンド!」   興奮気味な涼の声に驚いて振り返る。  頬を赤くして前のめりになっていた涼は、我に返ったのか、はっと身を引く。 「ご、ごめん。つい……」 「? 何が? てかさ、てかさ。ロードオブメジャーっていえばさ、ハマラジャって観てた?」 「バンド結成のきっかけになった番組だよね! いろんなバンドからヘッドハンティングされて。……あ、ごめん。また」  ぐっと前に出ていた涼は、はっとなって一歩下がる。 「別に、好きなこと話してるんだし、いんじゃね? オレも好きだし」  圭の発言に涼は目をぱちぱちさせる。  ふ、と表情を和らげると遠慮がちに小さく笑う。 「ありがとう」 「何が? あ、ちなみに冬島はどの曲が好きなの?」  圭は首をかしげたものの、すぐに、にぱっと笑うと、アルバムを差し出してくる。 「えっと、やっぱデビュー曲の……」 「大切なもの! いいよな! オレも好き」  涼の言葉に圭は興奮気味に重ねると、にっと笑う。  そのあとも、バンドや番組の話題はしばらく続く。  共通の好きなものの話に、涼との距離が近くなった気がする。  圭の中で一気に親近感が芽生えた。  ひとしきり話し切ると、他にどんなCDがあるだろうと本棚を振り返る。  手に持っていたアルバムを戻していると、ふと、影に隠れているものに気がついた。 「ギター! すげぇ! 冬島の?!」  本棚と窓際のベッドの間の、デッドスペース。  そこにひっそりと置かれていたのは、一本のアコースティックギターだった。  圭の言葉に涼はまた、微妙な笑顔を浮かべる。 「あー、それも、兄さんが……。新しいのを買ったからやるって」 「すげえ。近くではじめて見た! なあなあ、触っていい?」 「うん、いいけど……」  涼の返事を聞いた圭はギターの前で正座する。手を伸ばし、人差し指で弦を弾く。  びーん  スタンドに立てかけられたままのギターは、どこかつまったような低い音を響かせる。  それでもなんだか、うれしくなる。  音の余韻を感じながら、涼に視線を戻す。 「なあなあ。冬島は、何か弾けるの?」  期待を込めた目を向ける圭に、涼は慌てて首をふる。 「ムリムリ。兄さんに無理やり千円で買わされただけだし! 触ったこともないよ!」  涼の反応に、圭はしゅんと肩を落とす。  あからさまにがっかりしたその姿に心が痛んだのか、涼はしばらく悩んだあと、諦めたようにため息をつく。 「……ヘタでも、がっかりしないでね」  そう言って涼は奥に追いやられているギターを手にとり、近くにあるベッドに腰をかける。  その前の床に圭は座り込み、落ち着きなく涼の行動を見守る。  涼は少しだけ考えるそぶりをしながら、ゆっくりとした動作で、弦とネックの間に挟んであったしずく型のピックをとる。  慣れない手つきでピックをつまみ、ぱちんとたどたどしく弦を弾く。  そよりと風が吹いて、ぱらぱらと雨が窓にあたる。  途切れがちな短い旋律が繰り返されて、曲が始まる。  ぎこちない指先から、未完成なメロディーが生まれてくる。  ひとつひとつのコードを確かめるように奏でる音は、けっしてうまいとは言えない。  それでもどこか優しくておだやかな音色を響かせ、気まぐれに吹く風がそろりと頬をなでていく。  初めての演奏。  涼が弾いたのは、ロードオブメジャーの『大切なもの』だった。  一番のサビの終わりまできたところで手を止め、ギターを下ろす。  瞬間。少しの間。 「──すげぇ!」  圭は立ち上がると大きく手を叩く。 「オレ、生のギター演奏、はじめて聴いた!」  びりびりと震えるギターの音が、まだ耳に残っている。 「なんていうか、はらに響くっていうか、胸にくるっていうか……。とにかくすげえ! かっこいい!!」  興奮を抑えきれない圭に、目を大きくして涼は息を飲む。  ぐっとピックを握る。  圭は本棚に駆けよるとCDを一枚取る。  それを涼の元へ持ってくる。 「なあなあ、これも弾ける?」  圭が持ってきたのは175Rの『空に唄えば』だった。  涼は少し考えてから、申し訳なさそうに首を振る。 「ごめん、コードがわからないや。今度来るときまでに覚えておくよ」 「また来ていいのか!?」  目を輝かせる圭の勢いに、涼はおろおろしつつもうなずく。  圭は嬉しさを抑えきれずにそわそわしながら、CDを本棚まで戻しにいく。 「あ、秋津くんは、ほかにどんな曲が好きなの? 次までに弾けるようにしておくから」  そのまま物色し始めた圭の背中に涼が聞く。 「圭。圭でいいよ。みんなそう呼んでるし」  圭はCDを探る手を止め、振り返る。  まっすぐ涼を見るとそう返す。 「僕のことも、涼、で、いいよ。け、圭くん」  名前で呼ぶことに慣れていないのか、落ち着かない様子の涼に、圭は、にかっと明るく笑いかける。 「わかった、涼。あらためて、よろしくな」 「うん……」  圭の言葉に涼は照れくさそうにうつむく。 「でさ、オレの好きな曲なんだけど」  圭はCDをいくつかセレクトすると、涼の前に並べていく。 「あ、これはなんとなくだけど、わかるかも」  その中で弾けそうな曲があれば、ワンフレーズだけでも奏でてみる。  涼の母親に夕飯を食べていくか聞かれるまで、初めての演奏会は続いた。  帰る間際に玄関で、乾かしきれなかったと申し訳なさそうに差し出された紙袋を受け取る。  中にはゆるく畳まれた制服が入っている。  お礼を言うと、圭はあわてて家に帰る。  土砂降りだった雨は、もう、すっかり止んでいる。  その日の帰り道は雨上がりのすっきりとした空の中、やけに星が輝いて見えた。 × × × × × ×  がたん、と電車が揺れる。  ふ、と意識が現実に戻る。  圭は吊り革を握り直す。  背の高いビル群は遠のき、車窓には住宅街とマンションの街明かりが目立ち始める。  黒い空には数えきれるほどの星がちかちかと瞬く。  音楽プレーヤーを取り出し、なんとなくアーティスト名から曲を検索する。  表示された曲名に、わずかに目を細める。  再生することなく画面をロックすると、スラックスのポケットにしまう。  首元で所在無げに揺れていたイヤホンを取ると、同じ場所につっこむ。  あの時の感動は、今でもはっきりと覚えている。  帰りが遅くなったことで姉たちに怒られたが、それさえも気にならなかった。  駅にたどり着くと、電車は緩やかに速度を落としていく。  圭は網棚からリュックを下ろし、ぷしゅーと音を立てて開いたドアからホームに出る。  ざわりと冷たい風が吹く。  そっと息をつくと、改札へ続く階段を駆け下りた。
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