Track.2. スターゲイザー

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count.8. 「今度、兄さんのライブがあるんだ。チケットさばけって渡されちゃって……」  受験勉強の息抜きに恒例のコンサートを開催したあと、困った様子の涼がため息まじりにこぼす。 「え、なにそれ。ちょー行きたい」  家から持ってきたスナック菓子を食べながら、圭はすかさず返す。 「チケットって何枚あるの? みんなも誘えば来るんじゃね?」  立て続けに聞けば、涼は茶色い封筒からおずおずとチケットの束を差し出す。  白い紙に何組かバンド名らしき筆記体の文字と開催日時など情報が簡単に書かれている。 「千円かー。今持ってるかな」 「あ、でも中学生は五百円でいいって兄さんが」  カバンの中に手をつっこんだ圭に、あわてて涼が声をかける。 「マジで? やりー」  圭は財布を取り出して、五百円を涼に渡す。  チケットの束から一枚抜き取った。 「おー。ライブとか、はじめて行く。すっげぇ、たのしみー」  笑顔を抑えきれないまま、大事そうにチケットを確認する。  涼に視線を向ければ、なんとも言えない微妙な表情で、五百円玉と残りのチケットを見ている。 「教えてくれて、ありがとな」  圭の言葉に涼はあいまいに笑うと、机の上の硬貨とチケットの束を封筒にしまった。  翌週末の土曜日。  圭と涼は誘いに乗った何人かのクラスメイトと一緒に、ライブが行われる原宿に来た。  竹下通りをぶらついた後、明治通り沿いにあるライブハウスに向かう。  入り口をくぐり、地下へ続く階段を下りてドアを抜けた先。  大音量の音楽が流れる中、開けた空間の奥にはカウンターがある。  スタッフに、チケットとドリンク代を渡す。  紙コップを手に、ステージがある会場まで移動する。  BGMがかかるライブ会場は、開演前にも関わらず独特の熱気がこもっていた。  ステージ上にはギターやドラムがセットされている。  スポットライトが当たっていないものの、妙な存在感を放って出番を待ち構える。 「なんかすげー、緊張する」  薄暗い照明とライブ会場の空気感に圧倒され、圭がこぼす。隣にいた涼が圭を見上げる。 「でも、すっげー楽しみ」  にかっと笑顔を見せると、涼も照れくさそうに小さく笑う。 「うん、僕も。実はちょっと、楽しみなんだ。こうやって兄さんの演奏聴くのは初めてだから、緊張するけど」  それだけ言うと、オレンジジュースを一口飲む。  圭もコーラをちびちび飲む。  それなりに広い会場にはぽつぽつと観客が入っている。  それでも空いているスペースが目立つが、学生のアマチュアバンドではこんなものかもしれない。  そわそわしながら、一緒に来た他のクラスメイトたちとライブが始まるのを待つ。  不意にそれまで流れていた曲がぴたっと止まった。  舞台袖からバンドメンバーが出てくると各々の持ち場につく。  音を確かめるように、軽く楽器を鳴らす。 「兄さんたちのバンドが最初なんだ」 「え、どの人?」 「ほら、左の方でギター構えている……」  涼が言いかけた時、ぱっとスポットライトが差し込む。  ジャン、とギターがひずみ、ダダダ、とドラムが走りだした。  ステージ横にあるスピーカーから地鳴りのように響く音が鼓膜を揺らす。  いつも涼の部屋で聞いているのとはまるで違う爆音に、どくどくと強制的に心音が早くなる。  ビリビリと震える空気に、呼吸を忘れてステージを見つめる。  そのあとも何組かのバンドが代わる代わる登場しては演奏していき、ライブの時間はあっという間に過ぎた。 「生のバンドってヤバいな! すごい、カッコよかった!」 「いや、まあ、たしかに、すごかったけどさー。でも……」  一緒にライブにきていたクラスメイトが興奮気味に言うのを圭は反論しかけて、口を閉じる。  圭の反応にそのクラスメイトは不思議そうな反応をしていたものの、別の友だちとライブの感想を言い合っている。  涼はその会話には混ざらず、心配そうに圭を見ている。  駅までの道も帰りの電車の中でも、圭はクラスメイトたちと話してはいたが、ライブの話題にはあいまいな反応を返した。  地元まで戻ってくると、駅の近くにあるサイゼリアでご飯を食べてから、解散した。  ぽつぽつと帰っていくみんなと別れて、最後は涼と二人きりになる。  街灯が照らすバス通り沿いの道。自転車を転がしながら、涼と並んで歩いていく。 「……今日のライブ、どうだった?」  黙々と二人で歩いていると、コープの前を過ぎたあたりで少し不安そうに涼が聞いてくる。 「楽しかったけど?」  涼が不安そうな理由がわからず、圭は首をかしげる。 「本当?」 「うん。涼の兄ちゃんの演奏もすごかった。ほかのバンドの人たちもすげーかっこよかった。なんか、まだどきどきするし」  圭がそう返すと、涼はどこかほっとしたような、でもさみしそうな複雑な表情ではにかむ。  下を向いた涼に、圭は「でも」と続ける。 「オレはやっぱ、涼の音のほうが好きだなぁ」  驚いた涼が顔をあげる。目があうと、にかっと笑う。  妙に照れくさくなって、逃げるように前を向く。  遊具のない小さな公園の前を通りすぎ、青になった横断歩道を渡る。  空を見上げれば、雲の向こうで星が輝いている。  ほわりと明るいその光は、優しくおだやかで。  なんとなく涼のギターの音色に似ている。 「なあ、明日、涼の家行ってもいい? あれ、聴きたい。スピッツのスターゲイザー」 「いいけど、ちゃんと勉強してからだよ。今日は全然できなかったし」 「わかってるって」  耳元にはまだ、ライブで聴いたギターの響きが残っている。  でも、その奥には、たしかに涼のギターの音がした。  涼の兄のライブに行ったのはその一度きりで、その後、行くことはなかった。
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