Track.2. スターゲイザー

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count.9.  ネオン輝く甲州街道をまっすぐ進んだ先。  先週の金曜日に涼と行った店の前も過ぎ、しばらく歩いていくと、そのライブハウスはあった。  くしゃくしゃになったチケットに書かれた名前と、入り口に書かれた名前を見比べる。  そっと、地下へと続く階段をのぞきこむ。  もう一度、チケットを見た。  ポケットからスマートフォンを取り出して確認すれば、すでに開演時間は過ぎている。 「……チケット代、渡してないし」  言いわけするようにひとりでつぶやくと、ぐっと手を握る。  地下へと続く階段を下りていく。  分厚い黒い扉をゆっくりと押し開ける。  その途端。  街の喧騒とは異なる歓声が、わっと押し寄せてくる。  思いがけない熱量に当てられつつも後ろ手に扉を閉め、そっと中に入る。  入り口にいたスタッフにチケットとドリンク代を渡す。  代わりにドリンクチケットをもらい、左の壁際にあるバーカウンターに向かう。  散々悩んだ末にコーラを頼んだ。  プラスチックカップを受け取ると最後列の壁際に陣取り、辺りを見回す。  ライブハウスに集まった観客たちは、満員とまではいかないものの独特の熱を帯びている。  圭はコーラを一口だけ飲むと、壁に寄りかかる。  ムーディーなメロディーに重なる切ないギターの音色に自然と視線がステージに向く。  ステージの上ではギターボーカル、ベース、ドラムのスリーピースバンドが曲を奏でている。  メンバーから少し離れた後方。  ドラムとほぼ横並びの位置には涼の姿があった。  ギラギラと交錯するスポットライトの中、涼は一歩退いた位置からバンドの音を支えている。  やや背伸びをした曲と歌詞は涼のギターと合わさり、より深みが増す。  ふ、と視線を上げた涼が小さく笑う。  ぱっとスポットライトがあたり、ギターソロが始まる。  きらきらと光が飛び交って、ほっそりとした指先が弦の上で跳ねる。  振りおろす腕は力強く、唸るギターは路上で聞いていた時よりも激しくかき鳴らされる。  ライトの下の涼は、ひどく遠く感じた。  いつもよりも眩しく見え、その姿にいつかの音が重なる。  圭はわずかに目を細め、きゅっと唇をかむ。  無意識のうちに、カップを握る手に力が入る。  どくどくと高鳴る心臓とは裏腹に、指先からひんやりと冷えていく。  相変わらず涼の音は優しい。  おだやかに揺らいで、どこか悲しげに響く。  スピーカーで拡張されていても、そこだけは変わらない。  耳に焼き付いた調べに胸がつまる。  圭はまばたきも忘れてステージを凝視する。  ネオンのようなリフが終わるとスポットライトが別のメンバーに移る。  流れるようにドラムやベース、それぞれのソロパートが続く。  スピーカーから届く低音はずんずんと響き、会場内の熱気はさらに高まっていく。  その後も何曲か演奏が続き、一時間半のライブはあっという間に終わった。  ライブの終わった会場内には、控えめな音量で先ほどまでステージで歌っていたバンドの曲が流れている。  圭は壁に寄りかかって、スマートフォンを見る。  少し前に涼から届いたLINEには、「会場内で待っていて」とのメッセージがあった。 「悪いけど、涼ならこっちで待っていてくれるかな」  片づけ始めたスタッフの視線に落ち着かない様子でいると、バーカウンターにいた男性に声をかけられる。  驚いて顔を向ければ、柔和な笑顔の男性と目があった。 「君が、圭くんだろう? まあ、これでも飲んで待ってな」  戸惑いつつもバーカウンターに近づき、遠慮がちに一番端の席に座る。  袖をまくった腕が視界に入り、目の前にグラスに注がれたコーラが置かれる。 「ありがとう、ございます……」  とっさにお礼を伝えると男性は柔和な笑顔のまま、申し訳なさそうにまゆを下げる。 「ばたばたしてて悪いな。涼も、もうすぐ来ると思うから」 「いえ」  男性の言葉に圭はあいまいにうなずき、会場を見回す。  熱気の冷めたライブハウスは、ひどくがらんとしている。  機材が片づけられたステージには涼がいた形跡はない。  それでも残響のようにずっと、耳の奥でギターの音が響いている。  圭はそっと目を閉じて、ドアの開く音にまぶたを上げる。 「ごめん、圭。遅くなって」  茶色いギターケースを背負った涼が、大股で圭の座るバーカウンターまでやってくる。 「いや、大丈夫」  隣に来た涼にそう返すと圭は下を向く。  グラスの表面に浮かんだしずくが、音も立てずに落ちていく。 「あいつらは、まだ楽屋にいるか?」  ギターケースをイスの上に置いた涼に男性が声をかける。 「ええ。荷物まとめてます」 「じゃあ、俺は精算して裏を片付けてからそのまま帰るから」  そう言いながらまくっていた袖を下ろしてカウンターから出てくる。 「今日はもうクローズにしたし、この後は自由に使っていい。戸締りと電気だけ、よろしく頼む」 「わかりました。ありがとうございます」  男性はひらひら手を振り、会場に残っていたスタッフを連れステージ脇の扉から奥に入る。  男性の姿が見えなくなると、圭の視線に気づいたのか涼が小さく笑う。 「あの人はこのライブハウスのオーナーなんだ。こっちに来てから、俺もお世話になってる」 「ああ、あの人が」  涼はカウンターの中に入ると、棚からグラスを取り出す。  慣れた手つきでウーロン茶を注ぐ。  圭の隣に戻ってくると、一口飲んでグラスを置く。  涼が一息ついたところで、圭は「そうだ」とカバンから封筒を取り出す。 「はい、これ」  受け取った涼が中身を見る。中にはチケット代を入れている。 「別に気にしなくていいのに」 「いや、お金のことはちゃんとしろって姉ちゃんうるさいし。バンドの人たちに渡しておいて」  小さく涼が笑うのが視界に入る。 「わかった。ありがとう」  涼はそう返すとテーブルの上に封筒を置く。  別に、と圭はごまかすように、グラスを傾ける。  少し気の抜けた炭酸が喉元を過ぎる。  店内はさっきまでのきらびやかな雰囲気から一変して、ワントーン色を落として静かに時を刻んでいく。  慣れない空気に自然と鼓動が速くなる。 「今日は、来てくれてありがとう」  ふと聞こえてきた優しい声音に涼を見る。  目があうと涼は、にこりと笑う。 「まあ、チケットをムダにするのも、もったいないし……」  涼の言葉にそう返しながら、そっとステージを盗み見る。  何もない狭い空間には、先ほどまでの残像だけが残っている。 「……いや、正直、ステージに立つ涼をまた見たかったのかも。相変わらず、かっけーよな」  しみじみとつぶやいてから、はっと口をつぐむ。  少し驚いたような涼に慌てて言葉を続ける。 「いや、あのべつに、特に深い意味とか、ないから!」  薄明かりの下でもわかるほど、圭の耳は赤い。  こらえきれずに涼は、ふ、と笑い声を漏らす。  小さくはにかんだ。 「ありがとう」 「……こっちこそ」  涼の言葉に圭はそっぽを向いて返すと、コーラを流しこむ。  いつの間にか、店内のBGMが消えていた。  薄明かりが落ちる中、壁際に並んだリキュールのビンがてらりと光る。 「なにか飲む?」  圭の視線に気づいたのか、涼が聞いてくる。 「いや、大丈夫」  答えながらイスの上に立てかけられたギターケースに目をやる。  そこから紡ぎ出される音は、思い出そうとしなくてもすぐに、耳の奥でメロディーを響かせる。 「……やっぱ、なんかひとつでも人前でできるものがあるといいよなぁ」 「俺だってまだまだだよ」 「いや、そうじゃなくて」  圭は考え込むようにうつむく。  からのグラスをぎゅっと握りこむ。 「あー、ほら、前に、先輩……が、大阪の事業部に、転勤になるって言っただろ? それで今度、送別会があるんだけど、何かやれって、部長に言われてて……」  言葉を探しながら、ぽつぽつと続ける。  溶けた氷が、からんと音を立てる。 「でも、おれ、何もできるものが、ないからさ。正直、どうしようかと……」 「なら、ギターを弾けばいいよ」  途中でさえぎった涼の言葉に、圭は顔をあげる。  涼は優しく笑う。 「なんなら、俺が教えるよ?」 「いや、でも、悪いし」 「大丈夫だよ。ギターも何本かあるし。いつなら予定空いてる? あ、閉店後ならここも使わせてもらえるかな。明日、オーナーの響さんに聞いてみるね」  どんどんと話を進める涼に流されるまま、涼からギターを教わる日程だけ先に決められる。  そして翌日、開店前のライブハウスの使用許可を得た涼から、待ち合わせ時間の連絡がきた。  待ち合わせは次の土曜日の十時ごろ。  涼とのレッスンが始まることになった。
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