1 電話ボックスを襲う男は誰だ 

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

1 電話ボックスを襲う男は誰だ 

(もっと早く閉店を決めて欲しいけど)  佐藤郁乃はパン屋コッペで働いていた。台風でも店を開けたり、途中で休業する店は多かった昭和時代。風も強くなって、店主から店を閉めるように電話が入り、二人の後輩を返してから、郁乃は店を出た。  大粒の雨が風に誘われて横殴りで襲い掛かる。郁乃の着けるブラウスはパン屋の制服で、子供受けのする派手な柄。ぐっしょり濡れて下着を透けさせる。 「タクシーを呼ぼう。来てくれるかな」  つぶやき、街角の公衆電話へ駆け込んだ。外に電話があったり、昔よりは便利になった昭和。  受話器を外す。  ドアを叩く音がして、開けようとする雨合羽の人物。 (台風より怖い奴が来た)  半ば開いたドアの隙間。向かい風で、シャワーみたいに顔を洗う雨。必死でドアを引き寄せる。化粧してなくてよかった、などと考えている場合じゃない。  相手は背中から強い風を受けて腰が定まらないらしい。雨合羽の頭の部分を外して叫ぶ。 「俺がアパートまで送ってあげるよ」  男の声だが、へんにキンキン響く高い音。 「タクシーを呼びます。帰って」  強く言ったつもりだが、震える声になるのがわかる。  雨に濡れた男が必至な顔をしている。ちょっとでも風向きが変わったりすると、ドアは男の手で簡単に開くだろう。  相手の必死な表情に負けないように、睨む。瞳に滲む雨は気にしていられない。 「俺が何か悪いことをするとでも思っているのか」  つま先をドアの隙間に差し込み叫ぶ男。 「うん、思っている。何よ、あんたは」   右足で相手の膝を蹴飛ばしながら郁乃も返す。身の危険を感じて、抵抗できるだけはしようと構える。  風で雨が口に入るが、唇を尖らせて吐き出す。  相手は少し考える風にする。雷が低くうなりだして、稲妻が辺りを照らす。この男の車がすぐ近くに見えた。 「おじさんにも、すぐばれるだろう。へんなことしたら」  雷が鳴り、途中しか聞こえない。 「どこの変態おじさんよ」 「だから。つまり、いくの姉貴のお父さん」 「へっ」  想像していなかった答えに言葉を探せない。 「じゃあ、名前を言え。誰なんだ、おまえは」 「さとるだよ」 「それだけじゃ分から。なに。あ、あの、さとるくん」 「そう。佐藤聡。小学生のころ、お医者さんごっこで、俺をいたずらしたじゃん」 「あれは。あれはねー」  郁乃は苦笑いして誤魔化すしかない。  ちょっとやり取りをして分かった。彼は親戚の子。台風で、大丈夫かと郁乃の父から、近くに住む彼へ電話があったらしい。 「それで迎えにきてくれたと」  ドアから手を離すと、雨合羽の男は開いたドアの前で安心したのか笑顔になる。 「笑いかた、変わらないね」  親戚の佐藤聡だ。そういえば、男にしては高い声に聞き覚えもあった。 「あの。なんだ。濡れてるよ」  聡は、透けた下着に注目しているようだ。 「あまり見るな」  姉貴の威厳を持とうと、ぶっきらぼうに言った。従姉弟だから、あんがいきわどい姿はお互いに見慣れてもいるが、嵐の中で二人っきりというのは初めてだ。 (さとるくんかー。男になったねー)  異性として相手を意識する自分に戸惑いだしてもいた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!