十四

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 男性の警官が入ってきた。  制服を着て髪を短く刈りあげた三十くらいの、型どおりのおまわりさんだった。 「宮代佳樹君?」  ぼくはベッドで横になったまま頷いた。警官は鋭くタカハシを見る。 「すみませんが、席を外してもらえますか?」  視線と同じく棘のある響きだった。  頷いたタカハシが部屋を出て行き、ドアが閉まり、警官と二人だけの空間になって、ぼくの胸にはタカハシの不在による寂しさと不安が押し寄せた。  ――そして欠乏。  ぼくの凹みを満たしてくれていた、温かなカバーの欠乏。  剥き出しにされる、ぼくの癒しがたい闇――――。 (怖いよ、怖い…)  助けて、タカハシ。  ずっとそばにいて。ぼくから離れないでよ――――。  甘ったれたぼくが彼を求めて叫ぶ。  警官は警察手帳を見せ、自己紹介した。 「それでは背中の傷について、お聞かせ願います」  ぼくはといえばもうすでに、なにもかもをほっぽり出して逃げたい気分になっていた。  つい昨日まで、こういう筋書きになったら絶対に面倒だとなんとなく思っていたことが次々と現実になっている。  「医師の診断によると、その背中の傷は第三者によるものだそうです。その記憶はありますか?」 「はい」 「では単刀直入にお訊きしますが、それは誰からされましたか?」 「――――」  はいと即答してしまったことを後悔した。 『叔父です』  そう答えることは簡単だし、それがいま一番、なすべき正しいことなのだろう。それはぼくにも分かっている。でもいまのぼくには、あまりにもいろんなことが一気に押し寄せていて、なにをどう、どこまで伝えるべきなのか、自分のなかでまったく消化できていない。 (もしここで悟さんのことをぶちまけたら、彼はどうなってしまうのだろう)  まるで安っぽい刑事ドラマみたいな筋書きで、ぼくなりに考えてみる。  彼が警察に捕まるとして。例えば傷害罪みたいな罪で。  そうしたらどんな刑罰を受けるのだろう?  罰金いくら? 執行猶予何年? 懲役何年?  もし懲役を食らったところで、悟さんはその先何年も塀の中にいるわけじゃないのだから、何ヶ月だか何年だかぼくは法律に詳しくないから分からないけれど、おそらくそれほどの長期間ではなく戻ってきて、執念深い彼の中で、ただひたすらぼくへの憎悪が積み重ねられていたとしたら?  ぼくへの復讐などというものに彼がしつこく執念を燃やし続けて、その機会を覗うようになっていたとしたら?  なんといっても彼は十七年もの間、お母さんへの憎しみを忘れずに、子供のぼくへとこうやって怒りを吐き出している人なのだ。絶対に執念深いに決まっている。ぼくはずっとそれにびくびくして暮らさなきゃならないんじゃないか…?  なにをどう答えたらよいのか分からずにいたぼくだけれど、おそらくただダンマリを決め込んでいるようにしか見えなかったのだろう。語気を強めて、警官が続けた。 「では質問を変えます。きみはいま、ご両親と同居されていますか?」  その愚問に、ぼくはちらりと警官に目をやった。  この警官はぼくの名前を知っているくせに、ぼくの両親の事件のことも調べずにのこのことここへやって来たのだろうか。それともこれは、それを知っていての誘導尋問なのか? 「いいえ」 「では、どなたと同居されているのですか?」 「叔父です」 「二人暮し?」 「はい」 「その人が、きみの保護者ですか?」 「はい」  不愉快だった。走りたくないレールに引っぱっていかれる機関車みたい。 「いいですか。本当にこれはとても大事なことですから、正直に答えてください。この件に関して、我々は考えうる限りのさまざまなケースを念頭に入れています。その中で、どれが事実なのかをこれから精査して判断しなくてはなりません。だからあなたには、虚偽なくあったことをすべてお話していただきたいわけです。あなたにこのようなことをした人物については、身近な人や、あなたと接触した人物、一人一人を疑わなくてはならないわけです。とくにあなたは、裸でお友達の家から運ばれてきたのですからね」  その言葉に、ぼくは突然、鋭いものを胸に突きつけられたような感覚がして、愕然と警官を見あげた。  警官は真面目な顔つきで頷いた。分かったでしょう、というふうに――――。  バカなぼくはそれでようやく気付いたのだ。タカハシが疑われているってことを。
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