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「――き……!」
吸血鬼さん、という言葉を、朔はとっさに飲み込んだ。
「これ以上、彼女にストレスを与えないでくれる? 血がまずくなるだろ」
吸血鬼は足音もなく、藤井のすぐ後ろに着地する。突然の第三者の登場に、仰天した藤井が、朔から手を離して飛びすさった。
「な……、なんだお前は!? 今、どこから――、それにその恰好! コスプレか!?」
「わー。人間が僕を見たときの見本みたいな反応。教師だけに」
吸血鬼は無感動な口調でそう言うと、自然な動作で彼に近寄り、頭をわしづかみにした。
藤井は吸血鬼よりも背が高い。それなのに、なぜか無抵抗なままである。
そこで、朔は気づいた。藤井が魅入られたように見つめるその先――吸血鬼の目が、いつもの青ではなく、赤く光っていることに。
「さてと。とりあえず、今日のことはすべて忘れてもらおうかな。あと、百合って子にしたことも、君が集めたっていう証拠も全部、焼却するとともに忘れること。いいね?」
「……」
吸血鬼の言葉に、藤井は首を落とすかのような勢いでがくりと頷く。
「さあ、朔も、何かしてほしいことあったら言って。今ならこいつ、何でも聞くよ」
「……催眠術、ですか……?」
朔は座り込んだまま、呆けたように彼の目を見つめた。暗闇で赤く光る眼は美しく、しかし胸騒ぎを喚起するような禍々しさをはらんでいる。
「私は……、百合に危険が及ばないなら、何も……」
「ふうん。無欲だなあ」
吸血鬼は肩をすくめると、藤井の頭から手を離した。すると、彼は力を失ったように目を閉じて、地面へと崩れ落ちる。
「君が望めば、日本海に沈めるくらいのことはできるのに」
吸血鬼は、さらりと物騒なことを言う。
「……警察に捕まるのが怖くて、血も飲めない方の言葉じゃありませんね……」
朔はなんとかそう返すと、壁に手をついて起き上がろうとした。
「……いつから聞いていたんですか?」
「んー、最初からかな」
「最初から!?」
「君はきっと、一人で動くだろうと思ったから」
吸血鬼は朔の手を取って立ち上がらせる。朔はよろけたが、なんとか足に力を入れて踏ん張った。
「こっそり君の動向を観察してたら、彼を追っているようだったからね。外では弟くんがうろうろしていたし。君がすごい速さで走っていくのを追いかけて、あとはこの木の上で成り行きを見守っていたってわけ」
吸血鬼は裏庭で一番背の高い木を指さした。朔は、心を落ち着けるために、大きく息をついた。
「……暗号は見つけましたが、解読はできなかったでしょう? おそらく逢引の合図だろうと思いましたが、確実ではありませんし、いつどこで会うのかもわかりませんでした。ですから、職員室で先生を見張っていたんです。先生は、仕事が終わったようなのになかなか帰ろうとしませんでした。これから向かうのかもしれないと思って、念のため、弟を外に待機させておいたんです」
そうしたら、下校時刻を過ぎて、ようやく藤井は動き出した。帰宅する可能性もあったが、彼は革靴に履き替えると、駐車場ではない方へと曲がったのだ。
そこで、弟に連絡し、彼を足止めするよう頼んだ。その隙に、朔は藤井のいる玄関前を避けてグラウンドを通り、裏庭に先回りしたのである。
「こちらの方には裏庭くらいしかありませんでしたから、たぶん、ここだろうと」
「そうして、見事つかまって、二人目の被害者になるところだったんだね」
吸血鬼の嫌味たっぷりの言葉に、朔は唇をかんだ。
「それは……っ。確かに、油断しましたけど、一応、誘拐の可能性も考えて、駐車場に弟が待機を――」
「甘いなあ。もし、ここで何かされたら? 車を追っても追いつけなかったら? 一巻の終わりだろ」
「…………」
「この人の言葉じゃないけど、君は教師に夢を見すぎだ。教師なら全員が人格者だなんて、それこそ、盲目的な思い込みでしかない。こんなのと、話し合いで解決できるわけがないだろう?」
吸血鬼の辛らつな言葉に、朔は二の句が継げなくなった。悄然とする彼女を、吸血鬼は青い目で見つめている。
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