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赤いダイヤ型のチャームなら、部活終了後の部室。青い六角形のチャームなら、人気のない裏庭。何もなければ、今日の密会はなし。
二人だけに通じる秘密の暗号だ。顧問である藤井から百合への、一方的な通告。
しかし、彼女はそのことに何の疑問も抱いていないらしい。初心な小娘らしく、いいように振り回されている。
(しかし、恋人ごっこも、そろそろ終わりだ)
藤井は一度職員室に戻った後、裏庭を訪れた。
今までの成果で、目的に必要なだけの証拠はそろった。面倒な娘の相手も、あと数回で済みそうだ。
「――遅くなってしまって悪かったね。だいぶ待ったかい?」
秋の日が落ちるのは早い。すでに、小焼けがかすかに残っているばかりで、上空には星がちらついている。
彼女はいつもの木陰ではなく、裏庭の真ん中で背を向けて立っていた。後ろで編んだ黒髪が、首を振った拍子に左右に揺れる。
「外で生徒につかまってしまってね。物わかりの悪い生徒で、追い返すのにてこずってしまった。だから――。……百合? もしかして、すねているのかい?」
いつもなら、パッと笑顔になって駆け寄ってくるはずの彼女が、未だ背中を向けたままだ。しかも、一言も発しない。
藤井は聞こえないように舌打ちをした。これだから、年頃の娘というのは面倒くさい。
「百合。機嫌を直してくれないか? もうすぐ……こんなふうに会うこともできなくなってしまうんだから」
面倒くさくなったので、さっそく用件を切り出した。百合が小さく「えっ」と叫ぶ。
藤井は一歩近づいて、話を続けた。
「今更だが、こんな関係は良くないと思う。僕たちの気持ちがどんなに真剣でも、きっと、誰にも祝福してはもらえないだろう。――ああ、もちろん、悪いのは僕だ。生徒たちを導く教師という立場でありながら、自分の気持ちを抑えることができなかった。君への想いは決して薄らいではいない。この先もそうだろう。だが……、君の将来のためにも、僕は身を引こうと思うんだ」
「――先生……っ!」
ようやくしゃべった、かと思うと、顔をうつむけたまま胸に飛び込んできた。
ためらっているふりをしてぎこちなく背中に腕を回しながら、藤井はほくそ笑んだ。我ながらクサイ芝居だが、箱入りのお嬢様がたはこういうセリフが大好きだ。
「先生……。でも、私は……――」
百合はそこで言葉を切った。
いつもよりわずかに低く聞こえるのは、泣いているからだろうか。
突然の別れに戸惑うのは当然だが、こちらとしては、もう少し素材を集めておきたい。この辺で改めて言質を取っておくのも効果的だろう。
藤井は背中を優しくなでながら、耳元に口を近づける。
「私は――、なんだい? もっと君の声が聞きたい。ちゃんと、言葉にしてくれないか? この先、僕は、君への想いを抱えながら生きていくつもりだ。疑っているわけではないんだ。ただ、僕へのはなむけだと思って、君の真心を伝えてくれないだろうか?」
藤井はとうとうと話しながら、かすかに違和感を抱いた。
百合は、自分の名前にあやかって、百合の花や香りを好む。髪から漂う強い芳香には、今までずっと辟易させられてきた。しかし、今日の彼女からは、いつもとは違う、かすかに甘いさわやかな香りがして――。
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