化け物と曲者 ー秋の暗号ー

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「――先生。気持ち悪いです」 「――っ!?」  突然、声色(こわいろ)が変わった。藤井が腕の力を緩めると同時に、彼女は大きく距離をとる。 「君は――……」  薄闇に浮かび上がる、陶器のような白い肌。中学生とは思えないほど大人びた美しい顔。  見覚えは、ある。確か、百合と同じクラスの――。 「……日堂(ひどう)、か?」 「気づくのが遅いです、先生」  先ほどまでの甘さはどこへやら、金属のような冷たい声音が空虚に響く。藤井はその声に背中をなでられるような心地がして、体を震わせた。 「な、なんのつもりだい? 百合は? 一緒じゃないのかい?」 「声真似は得意なんです。いつも弟で練習しているので」 「い、言っておくがこれは、ちょっとした悪ふざけで――」 「百合の浮気の相手は、先生だったんですね」  藤井の顔から笑顔が消えた。朔は質問を無視し、まっすぐ藤井を見返した。 「幻滅しました。生徒想いのいい先生だと思っていたのに」 「――……」  藤井は素早く視線を動かし、他に誰もいないことを確認すると、目まぐるしく頭を回転させた。呼吸を整え、改めて笑顔をつくり直す。 「……誤解だよ。僕と百合さんとは、何の関係もない。今のやり取りは、今度小学校で行う(もよお)しの一つでね。花束やコサージュを作るだけのワークショップより、たまには演劇なんかを取り入れたら面白いだろう?」 「そのような催しは企画していないと、他の部員に確認済みですよ」 「まだ構想段階だからね。もう少し内容が固まったら、他の部員にも意見を聞くつもりだったんだ」 「――そんな言葉で、ごまかせると思ってるんですか?」  朔は目つきを険しくした。 「小学生に見せる演劇の内容が、教師と生徒の禁断の恋ですか」 「まあ、ちょっと悪ふざけがすぎたと思っているが――」 「百合には婚約者がいるんですよ! 知らないとは言わせません!」  百合の家は、華道の家元だ。その後継者である彼女には、幼馴染でもある婚約者がいる。彼は同じ学園に通う、同学年の生徒で――、そして、同じクラスの美化委員でもある。 ――絶対に、秘密にしてくださいね。  百合が恋をしたのが、彼ならば問題なかった。それならばそもそも、秘密にする必要はないのだが。  あるいは、同じフラワーアレンジメント部の男子ならば、まだましだった。一般家庭で育ち、奨学金で通っている彼は、婚約者の存在を知らない可能性があった。百合が騙して付き合っていたのならばそれはそれで問題だが、その場合、彼に罪はない。誠心誠意謝れば、わかってくれたかもしれない。  だが、教師はだめだ。許せない。芙蓉学園では、生徒の家庭の状況が、関係のある教師にはある程度知らされている。百合の周囲を見張りたい彼女の親は特に、クラス担任や部活の顧問には、口を酸っぱくして伝えているだろう。
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