化け物と曲者 ー秋の暗号ー

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「だから、それは僕には関係ないんだよ」  朔は、青いチャームを取り出してみせた。 「暗号を使って、生徒たちの下校後にこっそり、逢引(あいびき)をしていてもですか?」 「暗号? そんなもの知らないな。僕はただ、彼女から相談があると呼び出されただけだよ。誰にも聞かれたくないって言うから、仕方なく、ここでね」 「――どこまでも、彼女をだしに使うんですね……!」  藤井は浮かべた笑みを崩さない。朔は見えないようにこぶしを握り締めた。 「あとで口裏を合わせるように言うつもりですか? 百合がそこまであなたの言いなりになるとでも思ってるんですか? 百合を……どこまで馬鹿にするんですか!」  藤井はこれ見よがしにため息をついた。それがさらに、朔の感情を逆なでする。 「さっきから君の話は要領を得ないな。目的は一体、何なんだい?」 「百合から手を引いてください」 「はあ?」  藤井は鼻で笑った。 「だから、彼女とは付き合っていないと言っただろう」 「……そこまで言い張るならこれ以上追求しません。けれど、だったらこれは何なんです?」  朔はチャームをしまい、代わりにスマホを掲げて見せた。暗闇に目を凝らした藤井の顔色が、明らかに変わる。 「――いつの間に……!? おい! それを返せ!」 「先ほどから、会話を録音していますよね。何に使うつもりだったんですか?」  その黒いスマホは、朔がさっき抱きついたときにポケットからスリ取ったものだ。録音機能が作動しており、その時間を逆算すると、彼がここに来る直前に開始したものだと思われる。 「悪ふざけが過ぎるぞ、日堂!」 「先生こそ! 冗談で済まされる度合いを超えています! 百合をだますどころか、まさかゆすりを――」  そこまでしか言えなかった。温和な態度を豹変させた藤井が一足飛びに朔へ肉薄(にくはく)し、その腕からスマホを叩き落したのだ。  朔は痛みにうめき、距離をとろうとしたが、それより藤井の方が早かった。彼女の腕をひねり上げて、校舎の壁に体ごとおしつける。 「どうやら、見かけによらずおてんばだという噂は本当のようだ。黙っていれば相当な美人なのに、台無しだぞ、日堂」 「――っ、離してください!」 「成績も優秀だというが……やはり子供だな。おまえ一人で、大人に(かな)うわけがないだろう。もっと仲間を連れてくるとか――ああ、そうか。連れてくる友達がいないのか」 「……っ!」  身をよじって逃げようとしていた朔の動きがぴたっと止まる。その隙を逃がさず、藤井は耳元でささやいた。 「数日前、頬を怪我していたな。あれは、百合に殴られでもしたのか? 察するに、俺とのことを忠告しようとして怒らせたんだろう。このところ、こそこそと部の備品を調べたりしていたのもそのせいか。憐れだな。おまえが百合のためにしていることは、全部空回りしているわけだ」 「……っ」 「あの娘も馬鹿なものだ。名ばかりの名家で、家計は火の車だということも知らないお嬢様。婚約者がいるくせに、あんなきざったらしい言葉でふらふらと。あの娘が言うには、婚約者殿はくそ真面目でつまらないんだと。そのつまらない男の家が支援してくれるおかげで、のうのうと学校に通っていられるというのも知らずにな」 「……っ、言わなければ、教えてもらえなければ、わからないのも当然です……!」 「それくらい想像つくだろって話だよ」  藤井はさらに顔を近づけた。朔は彼から顔を背け、悔しさに歯噛みする。 「もういろいろと証拠はそろってるんだ。あいつが婚約者のある身で一方的に言い寄ってきたっていう証拠がな。録音もうまいこと切り貼りして作ろうと思ってたが……あくまでダメ押しだ。ないならないで困らない。あとは、あいつの親にそれを突きつけるだけさ。金がないっていっても、縁談がご破算になるとなれば無理してでも都合つけるだろうよ」 「……あなたは……。教育者とは、もっと、高潔なものではないんですか!? そんなことをして、恥ずかしくないんですか!」 「――高潔? 高潔ときたか……」  藤井は声をあげて笑った。 「夢をみているのは、百合だけじゃないようだな。そんな聖人君子みたいなやつが、世の中にいくらもいるものか。教師なんてただの職業だ。おまえらみたいな馬鹿なガキが、ただ年喰っただけの大人だよ」  「あなたと一緒にしないで下さい……、虫唾(むしず)が走ります!」 「随分な言い草だな。どうやら、状況がわかっていないようだ。ここには誰もいない。助けを呼んでも誰も来ないんだぞ?」  藤井は腕をさらにひねり上げてにやりと笑った。朔の髪に唇をつけるようにして、続ける。 「お前の家のことも知ってるぞ。双子の弟……あれが跡継ぎなんだろう? かわいそうにな。おまえは、日堂家にとってなんの価値もない。いくら脅しても、おまえのために金を出すことはないだろう」 「……っ」  朔の目に涙がにじむ。彼女の体が震えたのを見て、藤井は目じりを下げた。 「だが、その美貌はもったいない。中学生には見えないと、常々思っていたんだ。おまえほどの美しさなら、金に換える方法はいろいろあるだろうよ……」  そう言うと、藤井は体を密着させてきた。気持ち悪さにぞっとする。 「――離せっ!」  朔は腕を折られることを覚悟して、強引に下からすり抜けようとした。しかし、体全体がおしつけられていて身動きが取れない。  頬に、生暖かい息がかかり――、朔は、ぎゅっと目を瞑った。  その時。 「――はい。そこまで」  ふわりと、のんきな声と影が、空から降りてきた。
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