母が残してくれたもの

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母が残してくれたもの

 家を出た私は、母の残した洋館へと向かった。  ギルマン家は、ブルゴール王国の首都エルトダウンの中心、王侯貴族専用居住区『ロイヤル・ガーデン』の中にある。洋館のある『ウルタール』の町まで、三時間ほど歩くことになるだろう。  王都はロイヤル・ガーデンを中心にして、外周を取り囲むように商業区『ボナ・ペクーニア』、平民の居住区『オーディナル』と続き、その狭間に、『レッドフック』と呼ばれるスラム地区が点在している。  目指すウルタールは、オーディナルの東部に位置する自然豊かな美しい町だ。  洋館の修繕で何度も通ったが、富裕層の別宅が多く、私兵が巡回しているお陰で治安も良かった。  ふふっ、早く新居でゆっくりしたいなぁ~。 「そこのお嬢さん、これからお買い物ですか?」 「――えっ?」  振り向くと、甘ったるい顔の青年がわざとらしく胸に手を当てていた。  この場所で声を掛けてくるということは、私の顔を知らないのだろうか?  ギルマン家は男爵位だが、財力だけで言えば周囲から一目置かれている家だ。  その娘である私の顔は、このロイヤル・ガーデンの住人ならば知っていて当然のはずだけど。  私は少し眼鏡をずらして青年を視た――。  ・ハロルド(18才)  オーディナルを股に掛ける結婚詐欺師。だが、一度も成功したことがない。 「ああ、なんということだ……。今まさに咲き誇らんとするレディの美しさたるや……このジャービス・マクナホン! あなたに心を奪われてしまいました……っ!」  青年はわざとらしく目を伏せ、胸を掻きむしるようにして顔を横に振った。 「やめておきなさい」 「へ?」  青年が呆け顔を向ける。 「仮に成功したとしても、ここはロイヤル・ガーデンよ。あなた命が惜しくないの?」 「え、いや……レ、レディ、何のことでしょう……」 「たった今、婚約破棄をして家を出た私に、結婚詐欺を仕掛けようなんて死にたいのかって聞いてんのよ、このすっとこどっこいがぁーーーーーーーーーっ!」 「ひぃっ……? えっ、な、なんでわかっ……いや……」  情けなく尻餅をつき、引きつった顔で青年が後ずさる。  じりじりと建物の壁際に追い詰め、腕組みをして青年を見下ろした。 「ねぇ、どうでもいいけど、あなた貴族相手にそんなことやってたら本当に死ぬわよ? ただでさえ、王都じゃ物騒な事件も続いているんだし……ったく」 「あ……えっとですねぇ……そのぉ……」  しどろもどろになる青年に、私は人差し指を突きつけた。 「私は()()しましたからね! では、ごきげんよう――」  ふんっと青年に背を向け、再び洋館に向かって歩き始めた。  これで少しは懲りてくれるといいんだけど……。 「はあ……」  新しい門出が台無しだと、空を見上げれば雲一つ無い快晴。  うん、神様は祝福してくれてるみたいね――。  物心ついた時から、私の瞳には不思議な力が宿っていた。  知りたいと思うことで、物の価値や様々な情報が視える。  それは対象が人間でも変わらない。  初めて会った人でも、名前や簡単な情報が視えてしまうのだ。  他にも黒い霧のようなものや、燐光のようなもの、時には、幽霊のような人影だったり……。  その時々で視える情報量は変わることもあるけど、基本的には同じ。  母はこれが『魔眼』だと教えてくれた。  オストラム家は短命だが、稀にそういう力を持った子が生まれる家系らしい。  そして、母はこうも言った。 『フレデリカ、その力はお父様に知られてはいけないわ。いい? 絶対に言わないこと、約束できる?』 『うん、約束する! でも……どうして?』  困ったように眉を下げて母が笑う。 『あなたを愛してるから……。あなたを悲しませたくないの』 『使うとママ悲しむの?』 『そうね、悲しいわ』 『わかった、じゃあ使わない!』  母が私をぎゅっと抱きしめてくれた。  大好きな母の匂いに包まれながら、私は心から幸せを感じていた。  そして、何の前触れもなく病に倒れた母は、そのままあっけなく死んでしまった。  私が七才の時だった……。 『……お母さま! お母さま! 起きて、ねぇ、起きてよぉ!』  涙を拭くことも忘れ、ベッドで静かに眠る母にしがみつき、必死で母を呼び戻そうとしていた。  周りの使用人達は迷惑そうな顔で、私をどう扱って良いか迷っているようだった。  『お母さま! うぅ……お母さまぁ!』  しばらくして、父が部屋に入ってきた。 『うるさくて仕事にならん! 静かにできないのか!』  部屋の中の全員が、ビクッと肩をふるわせる。  使用人達は蜘蛛の子を散らすように部屋を出て行った。 『ったく……いつまで泣くつもりだ。泣いてもメイアは戻らん、泣くだけ無駄だ!』 『ひっ……うっうぅ……』 『いいか、フレデリカ。お前もギルマン家の一員なら、これからは容姿を磨き、男の目を惹くように努力しろ。フンッ、メイアのように地味だと貰い手がなくなるからな。どうせなら大物を釣り上げて家に貢献してみせろ!』 『……』  父が大嫌いだった。  無神経なところも嫌いだったし、乱暴な言葉遣いも嫌いだった。  何よりも、母を大切にしなかったことが一番許せなかった。  母の実家であるオストラム家は、ウルタールで小さな荘園を管理する一族だ。  短命な家系で、私に残された親族は母の弟のジェレミー叔父様だけになった。  叔父様は家に良く遊びに来てくれていた。  ひと回り離れた面倒見の良いお兄ちゃんって感じで、ブロンドの髪がとても綺麗だったのを覚えている。  ちょっと頼りない感じもするけど……私は叔父様のことが大好きだった。  優しくて、見た目が格好いいっていうのもあるけど、それ以上に、ジェレミー叔父様が遊びに来ると、黒い靄が消えて、家の中が綺麗になるからだ。息苦しくなることもないし、とってもさわやか。二、三日は気分が滅入ることもない。  しかし、母の死後、叔父様がぱったりと来なくなってからは、家はどんどん穢れていった。  使用人は数ヶ月ごとに変わり、いつも機嫌が悪かった父は、輪を掛けて酷くなっていって……。 「あの時は辛かったなぁ……」  首から提げていた紐を引っ張って、古びた鍵を胸元から取り出した。  母が亡くなった後、私宛ての手紙と一緒に遺産管理人が持って来たものだ。  父は「あいつ、いつの間に……!」と、苛立っていたが、遺産に大した価値が無いとわかると、それ以上口を挟むことはなかった。  ――――――――――――――――  私のフレデリカへ。  いま、ベッドで眠るあなたの寝顔を眺めながら、この手紙を書いています。  この手紙が届く頃、あなたはいくつになっているのかしら……。  あなたの成長が楽しみで仕方がないです。  少し気が早いとは思ったんだけど、オストラム家は短命なの。  いつお迎えが来るかわからないから、今のうちにできることはやっておこうと思って。  偉いでしょ? あ、いま、あなたが寝返りを打ちました。  本当に可愛いわ……大きくなったあなたに見せてあげたい。  ごめんなさい。嬉しくて、つい話が逸れちゃった。  実は、色々と考えたんだけど、あなたに家を残しておこうと思います。  私が生まれ育った場所を、あなたにも見てもらいたいから。  とっても暖かくて居心地の良い家なの。  きっと、あなたも気に入ると思うわ。大切にしてくれると嬉しいです。  ああ、どうしよう。  あなたに伝えたいことがたくさんありすぎて困ってしまうわね。  愛してるわ、フレデリカ、あなたを心から愛してる!  あなたのお陰で、私の毎日は信じられないくらい幸せよ。  生まれて来てくれて、本当にありがとう!  これから、私の一生をかけて、あなたにありったけの愛を注ぎます。  じゃあ、私は先に行ってると思うけど、あなたはゆっくりいらっしゃい。  あ、おみやげは忘れないでね。  あなたの母、メイアより  追伸 お家で黒猫ちゃんを見かけたらよろしく言っておいてください。  ――――――――――――――――  母の想いに触れ、涙が止まらなくなったのを覚えている。  手紙と一緒に入っていたのは、この古い鍵と地図が一枚。  それが、私を救ってくれたのだ。
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