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ジークフリート王子とシャルロッテ 2
授業が終わり、生徒たちは帰宅の準備をはじめていた。
一時間近く遅刻をしたというのに、最後までブリッツ先生には何も言われなかった。
そりゃあ突然の王子登場とあの状況、いくら先生でも訊きづらいに決まってる。
シャルは、授業が終わった途端、サロンを飛び出してしまった。
周りの生徒達は、何事もなかったように帰りの挨拶を告げて去っていく。
皆とあいさつを交わしながら、二人でサロンを出て中庭へと向かう。
「ねえエミリー、今日はうちの馬車で帰らない?」
「いいわ、嬉しい! わたしロッティに渡さなきゃいけないものがあったの」
「よかったー私も話したいことあるのよ、じゃあ行きましょ」
中庭を抜け、帰りの馬車が待つ門へと出ると、先頭にフリューリング家の馬車が停まっているのが見えた。美しい黒毛の馬、ロッティ専用の馬車だ。
いつもなら、先頭は王家の馬車が停まっている。
既にいないということは、ジークフリード王子はもちろん、アインハード王子も帰ったということだ。
あのマントひらひら王子の顔は見たくなかったから、少しホッとする。
植物園での出来事なんて何もなかったような素振りで、ロッティは弾むように馬車に乗り込んだ。満面の笑みで「早く早く」と手招きをしている。
わたしが引きずってちゃ駄目なのは、もちろんわかってる。
でも、今日のことを改めて考えると強制フラグとしか思えなくて気持ちが沈んでしまう。
シャルの事を避けてるつもりなのに、なぜか接触してしまうし、必ずあの王子も絡んでくる。
ゲームをやっていないから断定は出来ないけど、きっと全てがシナリオどおりなはず……。
頭の中に、ジークフリート王子の憎たらしい笑顔が浮かんだ。もちろんマント付きだ。
きーーーイケメンだけに余計に腹が立つ! 絶対に負けないから!
一人で気合を入れなおし、フリューリング家の馬車に飛び乗った。
ふかふかの座席に滑り込んで、ロッティの正面に座る。
自分が持っていたバッグを開き、先日のパーティで預かったままのポーチを取り出した。
「ねえロッティ、これ慈善パーティのときに……」
「ああ! 寄付金書くからってエミリーに持っててもらったのよね。あいつのせいですっかり忘れてたわ、ありがと」
ロッティは『あいつ』と言った後、うぇぇと苦い顔をしながらポーチを受け取り、通学用のバッグの中にぽんっと投げ入れた。
「ねえねえロッティ。あの時使ってたペンはどうしたの? あれすっごく素敵だったわ」
「あーあれね、家の職人に頼んで作ってもらった試作品なの、自動でインクが出るのよ凄いでしょ。そういえば無いわね、どこに置いたかしら? ……んーまあいっか……それより聞いてよエミリー!!」
狭い馬車の中で、ロッティはこちらにぐっと身を乗り出した。
見慣れてきたとはいえ、こんなに近いとやっぱり眩しさにドキドキしてしまう。
「どうしたの?」
「慈善パーティの帰り、エミリーと私の屋敷でお茶したじゃない?」
「ええ」
「そのあとよ、エミリー帰ってすぐにね、一台の馬車がやってきたの! ばっかみたいに大きな花束を積んで!」
「花束?」
「そう、花束!」
ロッティは大きく頷いたあと、息を吐いて「あの馬鹿王子からよ」と心底厭そうな顔で呟いた。
話を聞くと、ロッティの父であるフリューリング侯爵に宛てたお礼状とともに、大量の薔薇の花が贈られてきたそうだ。
ジークフリート王子は義援金パーティの時、真っ赤な顔ですっごく悔しそうにしてた。
わたし達が帰った後、シャルと二人でいたはずなのに、すぐにお礼状を用意させてたってこと? でも、何でそんなことを?
不思議そうな顔をしているわたしに、ロッティは話を続けた。
「私が寄付金の金額を書いたでしょ、その確認だと思うわ。『婚約者であるシャルロッテから多額の寄付金をー』ってお父様宛ての手紙に書けば、私が本当に代表として行ってたのかわかるじゃない? その考えが厭味ったらしいっての、ほんっと馬鹿なやつ」
今日の出来事もあったせいで、ロッティが苛立っているのがわかる。
ジークフリード王子、なんて嫌な男。知れば知るほど残念すぎる。
ヒロインであるシャルと結ばれたとしても、絶対うまくいきっこない。
ロッティは少しだけ眉を顰め、窓の外を流れる景色に目を移した。
彼女は何もしていないのに、責められ疑われる。
それだけでも辛いのに、相手は自分の婚約者なんだもん。たまったもんじゃないよね。
どうしてジークフリード王子と婚約なんてしたんだろう……。
あ、ちょっと待って、思い出した! エミリーの記憶がよみがえってきた。
そうだ。わたし、なぜジークフリード王子と婚約したのかを聞いたことある。
どうして破棄しないのかも……。
この国は婚約を破談にはできない。
実質、婚約=婚姻くらいの力がある。
婚約破棄は相手が死去、もしくは犯罪を起こした場合のみ認められる、これは申し込まれた側も同様。
なので婚約にはお互いの家同士が大変慎重になる……。
あっ!
エミリーの記憶に重なるように『ふたりのシャルロッテ』の特典ムービーが頭の中に流れはじめた。
教会に放火したロッティ、婚約破棄を叫ぶジークフリード王子の姿。
そっか、あれは放火という犯罪を犯したから、王子が婚約破棄宣言できたんだ……。
突然、背中にゾワッと悪寒が走った。
今日起こった植物園での出来事、あれは強制イベントだった……まさか放火まで強制じゃないよね、そんなの無理がありすぎる……。
週末にはペルペトゥア生誕祭。
やっぱり絶対に行かせたくない、どうしよう。
そうだ! わたしがまた倒れたことにすれば……いや、駄目だ。
大きな祭典だから、ロッティは両親である侯爵夫妻と行くことになる。
逆に家から出られなくなって困るのはわたしだわ……。
「うぅー」
「どうしたの!?」
馬車の窓から外を見ていたロッティが、慌ててわたしの顔を覗き込んだ。
美しい顔が不安そうにこちらを見つめている。
苦しい。モブだからって、こんなに何もできないなんて……。
芽衣子の頃にたくさん読んでた異世界転生の小説や漫画、転生した主人公は上手くやっていた、全てハッピーエンドだった。
でもわたしにはチート能力もない、ストーリーさえわからない、なんとか立ち回ろうとしても失敗……これがモブの限界なの……。
駄目だ、猛烈に悲しくなってきた。
「エミリー?」
吸い込まれそうに美しい水色の瞳、その中にわたしが映っている。
気づくと、自分の目から涙がぽろぽろと零れていた。
ヤバい、変な奴だと思われちゃう。
急いでバッグの中からハンカチを取り出そうとしたその時、柔らかい金色の髪が目の前をふわっと覆い、全身が良い香りに包まれた。
「ねえエミリー、私のことで泣いてる?」
頭の上から優しい声がする。
ロッティが、わたしのからだを優しく包み込んでいる。
ほんの少しだけど、わたしはあなたの未来を知ってるのに……。
こうやって包み込まなきゃいけないのはわたしなのに……。
「だってぇ、ジークフリードが、あいつが……」
あまりのやるせなさに、つい第二王子のことを呼び捨てであいつ呼ばわりしてしまった。
ロッティがくすっと笑う。
「やさしいエミリーがあいつって、ふふふ、そうあいつは最低だわ。でも、婚約解消はできないし、小さい頃に運命だと思ってしまった私のミスなのよ、仕方ないわ。もうあきらめてるから大丈夫よ、泣かないで」
顔は見えないけど、凛としたまっすぐな声。
ロッティはもう自分の運命を受け入れてるんだ、この国の決まりごとには抗えない。
「エミリーが言うあいつ……あの馬鹿王子ね。今日はひどかったわね、あのシャルロッテのこと何も考えてない、余計に学院に居づらくなるわ……」
ロッティがシャルの心配をしている。
嫉妬ではなく、とても穏やかで優しい口調。本当に彼女の立場を考えているんだ。
確かに、明日からシャルは、一段と皆から距離を置かれるだろう。
あの馬鹿王子は本当に自分勝手なんだと、ロッティの言葉で改めて実感してしまう。
少しの沈黙、馬車の車輪の音が車内に響く。
そうっと顔を上げると、ロッティが腕を緩めてわたしの顔を覗き込んだ。
くぅ近い! こんな時でもやっぱり眼福だ。
「ごめんなさいロッティ、わたしが泣くことじゃないのに」
「ううんいいの、嬉しいわ」
そう言ってわたしから離れたロッティの睫毛が、少しだけ濡れているような気がした。
見られていることに気づいたのか、いつものように歯を見せてニコッと笑い、姿勢を正した。
わたしも涙を拭き、あらためてロッティに話しかけた。
「ねえロッティ、週末のペルペトゥア生誕祭だけど……」
「うん、馬鹿王子の寄付金お披露目みたくないから、早めに行って帰ろうと思ってる。でもお父様とお母様が遅れて来るのよ、面倒だわ」
「行かない……ってのは無理よね?」
「そう出来ればいいんだけどねえ」
ため息交じりに言いながら、ロッティはまた馬車の窓から外を眺めた。
道の向こうにペルペトゥア教会が見える。
馬車の中は車輪が石畳を進む音だけが響いていた。
やはり大きなイベント、出席しないってのは無理なのかー。
なんたって侯爵夫妻も来るってことは、我が家もきっとそうだ、てことはヘンリーも?
あ、どうしようもしヘンリーに誘われたら……彼のことを思い出すと胸がドキドキする、でも今回はやっぱりロッティと一緒にいたい。
「ねえ、エミリーはヘンリーと行……」
「大丈夫よ! ロッティと行く!」
わたしの考えていることを感じ取ったかのように、ロッティがヘンリーの名前を出した。
慌てて否定すると、目を丸くしてこちらをじっと見つめた。
「やだ喧嘩してたりする? 私、エミリーとヘンリーが一緒にいるのを見るのが好きなの、私には運命なんてなかったけど、二人は本当に運命で結ばれてると思う。もし、喧嘩してるなら早く仲直りしたほうがいいわ」
今度はロッティのほうが慌てたようになり、一気に話しはじめた。
そんなつもりはなかったのに変に心配させてしまった。
わたしは、ロッティの両手をしっかりと握った。
細い指先がとても冷たくなっている。
「大丈夫よ喧嘩なんかしてないわ、ただ、わたしがロッティと一緒に行きたいの」
「ありがとうエミリー」
ロッティはわたしの手をぎゅっと握り返し「ヘンリーに謝らなきゃね」と言ってフフッと笑った。
馬車窓から見えていた教会は、塔の先だけになり、遠く小さくなっていた。
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