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それは平日真っ昼間の、川沿いお花見スポット。
太陽はまだ高く、夜桜で有名なここは、場所取りするような人はまだまばらだった。
鼻先をくすぐる桜の淡い匂い。
急ぐ人など皆無の、穏やかでゆったりとした時間。
保育園児のシャボン玉みたいな声と、
くたびれた俺のネクタイとの距離が、どんどん離れていく、そんな空間。
ー仕事!?
あんたなんてミスばっかりでろくなことしないんだから、花見の準備と場所取りでもしときなさいよっ。
ほーら早く行った行った!ー
シッシと追い払われたのは今日の朝。
工場のパートリーダー、和田山ババアは、
肩書き上、上司であるはずのこの俺に、華麗なるモラハラワードを叩きつけ、工場から追い出した。
そこから6時間経つ今、
宴会用の食い物やらアルコール類を全て1人で準備した俺は、ブルーシートのド真ん中で微塵も動かず、
もはやどこかの修行僧だ。
だから突如背中に振り注いだ声は、
幻聴か、はたまた怪しげな宗教勧誘か。
いずれにせよろくなもんじゃないと思った。
「そんな訝しげな顔をしないでください。
変な者ではありませんから」
振り返った俺が叫ばなかったのは、夢だと思ったからだ。
場所取り中寝てしまい、起きている夢を今、見ている。嗚呼ややこしい。
だって現実ならとんでもだ。
目の前にいるそいつは、
耳まで足して全長五十㎝ほどの、
人間の言葉を流暢に話す一匹のウサギなんだから。
完璧なまでの2足立ち。
白くモフっているそいつは、絵本みたいに服を着ているわけじゃない。
けれど、草の葉で編んだらしきバッグを斜め掛けしていて、赤い目とピンと伸びたヒゲ以外は、妙に人間臭かった。
「これはこれは。うさぎさんではありませんか。
困っていること?そーですねぇ。
透明人間になってみたいんですけど、出来たりします?」
夢なら言いたい放題だろ。
するとウサギは小馬鹿にした風に笑った。
「あなた、これ夢だと思ってますよね?
いいですか、花村 光さん。
大学ご卒業後、大手菓子メーカーに就職。
華々しく営業職デビューしたはずが、入社1年目で製造工場に飛ばされた。
飛ばされたといっても工場長ですから、左遷とも言えない。
ですがそこから現在に至るまでのあなたは、勤続33年のパートリーダー、和田山婦人に、ゴホンッ、長くなるので話を戻しましょう。
夢、そう、あなたがこの出会いを夢だと思われている件について。
確かにわたくしは人間の言葉を話せるスキルの高いウサギですから、誤解されても仕方はありません。
でもだからこそ、誰の前にでも現れるウサギではないということも、認識していただきたい。
そしてわたくしめは、緊急度の高い方の中でも、
特に危険度の高い方の前に現れることになっているのです。
言うなれば超貴重。
そんなわたくしか゛あなたの前に現れるということはどう言う事かお分かりですか?」
俺の個人情報やババアのことまでスラスラ喋りまくるウサギ。
馬鹿な。なら尚更夢だろう。
「わかりませんねー。夢ということしか」
俺はそのことを立証すべく、側に置いていたクーラーボックスの1つに手を伸ばした。
ビールのプルトップを開け、一気に呑み干し違和感に気づく。
「あれっ、、この喉越しって夢じゃ、、」
「何をされているんです?
ビールの宣伝などしている場合ではありませんよ」
ウサギは呆れた顔で俺を一瞥。
草カバンの中をゴソゴソと探り始めた。
「なぁ、、これが夢じゃないなら、何だってんだよ!?」
俺の膝丈ほどしかないウサギに突っかかってから、慌てて周囲を見回す。
さっきまでいなかった女子大生の集団が、
キャッキャとレジャーシートを広げているが、
俺やウサギを気に留める様子はない。
「詳細をお伝えするのはこれからです。
ただ、お隣のご陽気なお嬢様方には、わたくしの姿は見えていませんよ」
「ほらなっ、だからやっぱり」
「夢、ではありません。超貴重案件です!」
俺の続きを遮るように、ウサギはきっぱりと言い放った。
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