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α
惑星ヘヴィン。
居住の為にこの星の開拓が開始されて十年になるが、まだ地球人が、安定した生活に必要な環境を整えたと断言するには遠い。
理由の一つには、ヘヴィンに存在する七つの大陸の内、まだ人類はたった一つの大陸にしか進出出来ていないという点が挙げられた。
この原因は幾つもある。大陸毎に大きな特徴を有するバイオームの多くが、人類の生存に適さない、或いはテラフォーミングに一世紀単位の開拓を必要とするのだ。
元々、惑星ヘヴィンの大気は地球の構成物と卑近しているが、約三倍も濃度がある。中生代以前の地球がそうであったとされるように、酸素濃度は惑星在住生物の生態に多大な影響を与えている。これまで、私が直接研究・観察に携わってきたヘヴィンの生物は、研究対象となった七十八種中の三十一種。その全てが、類似した地球生物と比較した時に平均で二倍以上の質量、三倍以上の体積を有している。
地球の大気と類似していながら濃度が高く、これによる人体や生活環境への影響を鑑みた場合、これを最優先に解決しなければならない。開拓初期の前哨基地建設に際しては、サイファーと名付けられた南極程度の面積を持つ大陸に候補が決まり、ここに減圧ドームを建設することでひとまずの進展を見せている。ドーム内の大気環境は地球のそれに近い状態を常に一定に保ち、半径千二百メートルのドームを全部で四つ、用途に分けて建造していた。
しかし次なる問題は、先に述べた惑星原住生物についてである。これが厄介だった。
惑星環境が地球に近ければ、そこに繁殖する生物の生態系も近似値へ収束する。全く同じ外見をした動物が生息する可能性は極めて低いが、その外観や骨格から、肉食獣であるか草食獣であるか、飛翔能力や潜水能力の有無、哺乳類か爬虫類か──外観から得られる視覚情報は、地球人として研鑽を積んだ知識が遺憾なく発揮されるだろう。
ヘヴィンの生態系は、そういう意味では部分的にであるが、地球の生物に近い特徴を見受けられる。主任のパトリックと、同僚のリュウ、そして私の三人が中心となって観測を進めた生物の中でも、半分近い生物はその外見的特徴を、地球上の生物が持つそれと合致させている。
例えばラーマと名付けられた肉食獣は、クロコダイルに近い外見的特徴を有している。しかし頑強な体皮の外見に反しそれは柔軟に稼働し、素早い移動を可能にしていた。ともすればネコ科の動物に見られる驚異的な跳躍も見せるが、四メートル強の巨体の激しい運動をコントロールするのは、二本の尾である。やはりクロコダイルに似たそれは鞭のようにしなり、予備動作無しで自在な軌道へと跳躍を可能にし、バランスを取る。
ラーマの最大の特徴は、発火機構だ。肺とは別に存在する呼吸器官を内包し、魚の浮袋のようにこれを体内に蓄積する。そして高濃度の酸素を、鼻腔付近にある放出器官より高速で射出。この腔内に存在する、火打石に似た機構で火花を散らすことによりガス化した空気に着火するのである。
まるで怪獣映画のワンシーンのような光景を初めて見た時、私は湧き上がる興奮を抑え切れなかった。それが攻撃ではなく、威嚇や求愛行動にしか用いられないという観測結果が出て落胆するまでは、この魅力的な肉食獣について大いに学んだものである。
……さて、地球人がヘヴィンの開拓を遅々として進められないもう一つの原因が、この生態系にある。
サイファーに前哨拠点を建設したのは、ここが最初の拠点として最適だったから、というわけではなく、この大陸にしか拠点を築けなかったからだ。これ以前に別大陸の各所へ建設計画を立ち上げた時、それは悉く失敗に終わっている。
──それは全て、現在Λ2と仮称されている生物に原因があった。
成体の全長は、雄が八メートル、雌が十二メートル前後。四足歩行で、全高が三メートル。大まかな形態は地球の豹やチーターなど、ネコ科の大型肉食獣に似る。外皮はセンザンコウのような強靭な鱗で形成されており、歩兵が携行可能なサイズの小火器による破壊は非常に困難だ。目が左右に二対あり、多角的に捕食対象を捉えて狩猟する。上顎と下顎がワニのように二十センチほどもせり出し、返しの付いた歯で獲物を捕らえ、噛み砕きながら嚥下するのが特徴である。
奇妙なことに、これだけ肉食獣としての特徴を有しているにも拘らず、この個体が積極的に獲物を狩猟するという習性は確認されていない。理由は後述する。
とにかくこのΛ2は、サイファー以外の大陸全土各地にコロニーを築き上げている。故に、大陸の森林や土壌を破壊・開拓し、環境を変化させる必要のある我々人類の基地建築に対し、自分達の生息圏が脅威に晒されていると認識したらしい。サイファー大陸以外の基地は、全てΛ2以下各地原生生物の襲撃を受け、放棄を余儀なくされた。
……そう。Λ2とそれ以外の種族──特に攻撃性生物による、大規模な動物の群れによる強襲だ。Λ2という単一種族のみによる攻撃ではない。あらゆる種族という種族の動物が、Λ2の統率下で一挙に基地を襲撃したのである。
──つまりΛ2は、種族を超えて生物を統治する、絶対的な頂点捕食者としてこの星に君臨している。森林に地上の七割が覆われた、この星の王者として。
……例えば地球に生息するハダカデバネズミは、人間以外の哺乳類生物として唯一社会性を持つ。この種にはヒエラルキーが存在し、地中にコロニーを生成し、その中で階級社会を営む、実に「人間的」な動物だ。本来統率とは、同種生物によりのみ適用される。ライオンならライオンの、ハイエナならハイエナの同種間でのみ支配と統率は可能となり、この両種族のどちらかが一方を支配し、統率し、共同体という群を形成することは基本的に有り得ない。生物としての圧倒的力によって他の種にねじ伏せられ、虐げられる種は、それに常に抗う。その関係が仮に成り立つとすれば支配する側とは寄生種であり、強健な頂点捕食者とは成り得ないものだ。
──だが、Λ2はそれを実現していた。
大陸の各地で自らを頂点とするコロニーを形成し、生息範囲内におけるあらゆる地上生物を統率し従えるという特性を持つ、この巨獣。その肉食生物としての特徴と攻撃能力を有しながら、餌は多種族に貢がせ、それを食す。成体でも温厚な性格の種が多いのはその為だ。食糧を得る為に、争う必要が無いのである。力で奪うわけでもなく、ただ貢がせるという完全な主従関係が成立していたのを、これまでに数度、公式の観測記録として残している。
このようにして、種という壁を乗り越え結束し、侵略者たる地球人を撲滅する為、彼らは攻撃を繰り返した。
そして、このΛ2を取り巻く最大の謎。
それは、「Λ2を撃退出来ない理由が分からない」という点だ。
歩兵による小火器での迎撃が困難であることは先述の通りである。これに加え、Λ2は仕掛け罠──原始的か最新式かを問わず──、音響壁、バルカン砲、電磁防護壁、果てはクラスター爆弾まで、あらゆる攻撃手段を回避し、獣達の行軍を指揮し、基地を襲撃していた。
この、人間に近い知能を有しているのではないかと疑うしかない驚異的な統率能力や攻撃手段の理由について、この十年、何も研究成果が出ていなかった。
Λ2は、ヘヴィンで最大の野性動物ではない。これよりも大きく、獰猛で素早く、高い運動能力を持つ生物は四種、私も研究をしてきた。だが彼らのどれも、Λ2を凌駕し得ない。大陸のどの地へ赴いて観測をしても、その土地を支配しているのはΛ2なのだ。
Λ2の生態を解明し、これがコロニーを形成し統治するメカニズムを解明しない限り、人類はこの新天地たる惑星に進出出来ない。それが、地球国連の出した結論だった。しかしその絶対安寧の地位を築いた生態系頂点に君臨するが故に、その寿命は長く、生涯産卵回数とその総数も少ない。平均寿命は人間の四分の三程度で、心拍数が高い肉食動物であることを考えれば驚異的な寿命であると言えるだろう。故に、その産卵を観測出来る好機は今まで一度も無く、幼体を見かける機会も限られていた。
とにかく、サンプルが無かった。これ無くして、研究は決して進まない。私達は、親会社と地球国連が重圧を掛けてくる中で成果を出さねばならなかった。
──だからこそ。
二日前、他大陸への調査隊がΛ2の卵を命懸けでサンプルとして持ち帰った時、私達は歓喜した。
幼体の存在さえも碌に確認出来なかった人類は、一からΛ2を研究出来るのだ。
「ようやく決着が付くな」
リュウが微笑みながら、保育器に収容される卵を見て言った。ああ、と私も同意する。
……私達の目の前、強化アクリル壁のケースの中に、Λ2の卵がある。この観測により、Λ2の実態について一定以上の成果を見込むことが出来る。ラーマの火炎放射の生態を発見した時以来の興奮が、私の中に湧き上がってきた。
──開拓歴二百二十七年、五月三十八日午後三時ジャスト。
静止衛星研究基地エウレカ、重力レベル一実験区画にて、Λ2の育成観測は開始された。

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